2020年6月11日
タネ,芽を出す。
映画監督 吉野耕平
一週間,曜日ごとに入れ替わる7つの人格で暮らす青年。そのうち“火曜日”の人格である主人公。永遠に火曜日から出られないはずが,ある朝目が覚めると,世界は水曜日になっていて…。映画『水曜日が消えた』はそんなメモからはじまった物語でした。
5年前,ndjcで『エンドローラーズ』という30分の作品を作った後,次は初長編を,と意気込み企画や脚本を書き続けました。中には今振り返っても随分面白いと感じる企画もありますし,完成度も高いのではと思われる脚本もありましたが,結果的にそれらは制作には至らず,初長編へと導いてくれたのは,当時まともなメモすらなかったような小さな企画でした。
企画,『水曜日が消えた』。そのタイトルとアイデアは,一度動き出せば予想もしなかった勢いで具体化への道を突き進みました。少ない登場人物,少ないシチュエーション,少ない予算でも,“曜日”という切り口次第で起伏に富んだストーリーを作ることができてしまう。どうやら自分でも気づかなかった映画のタネとしての可能性がそこに詰まっていたようでした。しかし,問題がありました。そのタネはあまりに面白そう過ぎたことです。
©2020『水曜日が消えた』製作委員会
『水曜日が消えた』は,同じタイトルと設定から100人が考えれば100通りの異なるストーリーが生まれ,しかもそれぞれかなり面白い…,そんなタイプの企画でした。スタートが楽なほどゴールへの道は過酷になっていく。そんな落とし穴に,当時はなかなか気づかず,結果的に無数の可能性の中からたった一つ物語の“芽”を選び出す作業は,想像以上に苦しいものになりました。
企画が生まれ,人が集まれば,そこにはそれまでなかった熱やうねり,予想外のエネルギーが生まれてくる…その波に乗れるか,嵐に呑み込まれるか。企画が動き出してから,いや,本当は企画が動く前から映画づくりは始まっている。以前人から聞いた言葉の大事な意味が,今なら少しだけ分かる気がします。
©2020『水曜日が消えた』製作委員会
大詰めを迎えた初長編の準備作業の中,事あるごとに思い出したのは,ndjcで作った『エンドローラーズ』でした。苦しんだ末に掴んだラストは,その分だけ強さを持っていたように思います。苦労の分だけ結果は良くなる。そんな都合のいい法則が存在するならそれこそ苦労はしませんが,無数の可能性の中からたった一つの物語へと芽吹き,実を結んだ『水曜日が消えた』は完成し,世に出ることになります。企画のタネを温めていた頃とはまた違った風の吹く時代ですが,どんな状況でもきっと届くべき場所に届き,また新しい花を咲かせる。そんなしなやかな力をもった作品であると,今は信じています。
©2020『水曜日が消えた』製作委員会
【プロフィール】
吉野耕平
1979年大阪府生まれ。
実写からアニメーション・CGまで幅広く制作。『夜の話』(2000)がPFFにて審査員特別賞を受賞。『日曜大工のすすめ』(2011)が,第16回釜山国際映画祭のショートフィルムスペシャルメンション受賞。その後,ndjc2014に選出され,『エンドローラーズ』(15)を35mm撮影で製作するほか,長編オムニバス映画『スクラップスクラッパー』(16)内の『ファミリー』など,短編作品を精力的に撮り続ける一方で,数多くのCMやMVも手がけている。さらに映画『君の名は。』(16/新海誠監督)ではCGクリエイターとして参加。次時代を担う気鋭の映像クリエイター100人を選出するプロジェクト「映像作家100人2019」に選出,SPECE SHOWER TVのSTATION ID「SCHOOLYARD」が「JAGDA賞2020(日本グラフィックデザイナー協会賞)」を受賞している。