第17回文化審議会文化政策部会議事録

1. 日時

平成17年7月6日(水)  13:00~15:09

2. 場所

東京會舘本館11階 ゴールドルーム

3. 出席者

(委員)

青木委員 永井委員 松岡委員 渡邊委員 根木委員 米屋委員 伊藤委員 河井委員 真室委員 佐野委員 嶋田委員 田村委員 山西委員 横川委員

(事務局)

河合文化庁長官 加茂川次長 辰野審議官 寺脇文化部長 岩橋文化財部長 吉田政策課長 他

4.議題

  1. (1)「文化芸術の振興に関する基本的な方針」の評価と今後の課題について(各論(1))
  2. (2)その他

5.議事

○青木部会長 文化審議会文化政策部会(第17回)を開催します。初めに,部会長の代理をご紹介します。富澤秀機委員でございます。

○富澤委員 富澤でございます。よろしくお願いします。

○青木部会長 事務局から配付資料のご確認をお願いします。

○吉田政策課長 <配付資料及び参考資料「わたしの旅」を説明。>

○青木部会長 資料1の第16回の議事録(案)に関しまして,委員の皆様に内容をご確認いただき,ご意見がございましたら1週間以内,7月13日の(水)までに事務局にご連絡をお願いします。
 本日からは,「文化芸術の振興に関する基本的な方針」の各論部分に関して「第2,文化芸術の振興に関する基本的施策」について,各テーマを数回に分けて議論したいと思います。
 そこで本日は,「文化芸術の振興に関する基本的施策」のうち「1,各分野の文化芸術の振興」の各項目に関しまして,4名の委員の方から各15分程度のお時間でご発表ご意見をいただき,その後発表を踏まえて,それぞれの項目について委員の皆様のご意見を賜りたいと考えております。
 それではまず「(1)芸術の振興及び(4)芸能の振興」を中心に,米屋委員からご発表をお願いします。

○米屋委員 私の割り当ては「芸術の振興」と「芸能の振興」ということですが,基本方針の10ページにある芸術の振興のところに「文化芸術創造プラン」があります。そこがカバーする範囲と,私の守備範囲,いつも対象としているのが舞台芸術全般です。芸能と芸術の差や伝統的なものと現代的なものの差がなかなか区別しにくいので,そのあたりは一括してお話しさせていただくことを最初にお断りします。それと,ほかにご発表もある予定ですが,芸術家等の養成及び確保等に関しても,「芸術の振興」の担い手という観点から少しだけ言及したいと思います。
 まず,この「文化芸術創造プラン(新世紀アーツプラン)」ですが,最初は「アーツプラン21」として平成8年より導入されました。それまでの支援と変わって,芸術団体が高い水準の創造活動を安定的に活動できるように,通常,単年度主義,事業助成という枠組みのある中で,3年継続を前提として限りなく運営助成に近い事業助成という説明で始まった施策でした。芸術団体に対する重点支援として,それまでの支援の枠組みから一歩踏み込んで継続的な支援が得られるため芸術団体からかなり期待されましたし,一定の役割を果たしてきたと思います。
 今年度平成17年度からこの芸術団体への支援がなくなって,事業助成に一本化されました。募集要綱の変更に当たって,幾つかの枠組みとともにそれぞれの目指すところが示されて,これまでは自主公演だけが対象だったのですが,初めて巡回公演等を含める枠組みがあったり,活動の対象が若干広がったりしたことは評価できると思います。
 しかし,まだ芸術団体の活動の総体をとらえての目的設定と支援の条件にはなっていないのではないかという感じがします。さらに芸術団体にではなく,個別の事業を問う格好では,支援対象の絞り込み作業が相当に困難をきわめたのではないかと推察しています。これは,国が支援すべき芸術活動の政策目標と施策の手法との関連づけが,いま一つはっきりと整理されてこなかったということに起因しているのではないかと思います。前回「頂点の伸長と裾野の拡大はワンセットの言葉である」と申しましたが,芸術の創造と提供が同時に行われる時間芸術である舞台芸術の場合には,芸術団体は観客との関係づくりを積み上げていかないと活動規模を拡大することも継続することもできません。この芸術創造と享受者の拡大の努力というのは,一体の活動として芸術団体が担ってきたと思いますし,その意味での観客づくりというのは単にチケットを売るという行為だけではなくて,それ以上の働きかけという意味を持っているとご理解いただけたらと思います。
 芸術団体といっても,その団体の目指すところや志向性,活動規模,分野がさまざまあります。それを一定の形式の募集要綱でカバーして形式的にチェックしていくのは,かなり無理があるのではないかと常日ごろ感じています。
 それで,実際の重点支援は,これまでも今年度のものに関しても団体の年間活動規模などで一定の実績等は問われていますが,そこが形式的に要件を満たすことは結構あるかと思います。また,そういったところを対象に幾つもの事業を申請されて,その採択結果をすべて事前契約という形で文化庁の直接事業で行っている現在の仕組みは,事務コスト的にもう限界に達していないか心配です。
 1990年当時,金利も高く政府の予算編成に影響されずに安定的に芸術支援がなされるようにと芸術文化振興基金がつくられたわけですが,文化庁の直接事業の枠組みが多くなってきたのは,低金利時代が続き,助成金が基金の果実ではなかなかできにくくなってきたことがあります。また政府の方針で補助金は年々一律カットが決められているので,減らされないために直接事業となっていることは承知しています。しかし,本来的に芸術団体の自立性を尊重する補助事業がふさわしいと思います。基金と文化庁の直接支援の役割分担の見直しが必要な時期に来ていると考えます。
 補助金体制ですとカットされる懸念はありますが,内閣府でも文化創造立国を方針として打ち出しています。少し前には知的財産基本法ができて知財立国ということも言われています。科学立国というのにふさわしいよう,助成金のシステムも特別法によって整えるべきではないかと考えています。
 芸術団体の方はどうかというと,今年は文化庁の支援を得られる可能性が高いのではないかと期待も広まり,応募も多かったかと思いますが,基金と文化庁とどう応募すべきかという戸惑いもあるのではないかと思います。
 芸術団体の中にはともかく支援が欲しいので,目的はどうでももらえればいいというところも少なからずあるのではないでしょうか。少額でもいいからばらまいてという声が多数派なのが実情かもしれません。しかし,一昨年度の文化政策部会で出された提言に「重点的支援と幅広く多様な支援をバランスよく,めり張りをつけて」とあったように総合的に勘案すべきです。
 「目的の明確化」も,その提言にありましたが,芸術団体の特徴をどう考えるか,位置づけや志向性に応じてまとめましたので,資料2の2ページをごらんください。
 いろいろなタイプの芸術団体の中で,支援の対象の大きなくくりには舞台芸術創造団体と基盤整備団体があります。今日は1つ目の創造団体の方を中心にお話しします。これは公演を創造する団体ですが,行っていることは企画すること,本当につくること,それをお客さんに提供すること,それから観客を育成していくこと,拠点をつくっていくこと,そういったことを総合的にやっているのが芸術団体と考えていいと思います。
 このレジュメの次にあるのが,文化経済学で言われる,そういった芸術団体が社会にもたらす価値について。オプション価値ですとか威光価値とか教育価値とか言われます。お金の単位での経済への貢献以外にも効果があり,総合的に文化芸術の国民の享受を保障するところに,芸術団体の役割があります。
 それを構造面から見ると,3パターンあります。1つめは作品をつくるとき,集団創造の仕込みに投資が必要な場合。2つめはオーケストラのように専門教育を受けた人が常時雇用されてアンサンブルを保っている場合。3つめはその都度,高い専門性を持った人が短いリハーサルで出演する場合。実際には,愛好する人,鑑賞する人がどのように分布しているか,団体が専従者のいる規模か,それともその都度集まるのか,専従はいても季節的に波があるか,できたてか,のぼり調子か,安定期で歴史のあるところか。・・・等々を勘案して組み合わせていかなければならない。
 3ページ目は,その辺と文化政策の観点から,どう伸ばしていくべきか。ビジョンが果たしてこれまで提示されてきたか。その点で,コンセンサスづくりができていないのが,この施策の用いられ方に課題が残る原因かと思います。初期投資を勘案すると,高機能,多機能の芸術団体。単に団体というより制度的あるいは装置といいますか,英語ではインスティチューションという呼び方をしますが,そうしたところへは継続的な活動支援が必要です。
 こうしたところは事後チェックを厳しくすべきですが,例えば数億円単位で年間動かしているところに,1年1億円支援が削られれば経営的に大打撃です。支援は与えるだけでなく継続性も勘案すべきです。この辺には,オーケストラ,劇場,一部の劇団,オペラ団が入る。
 2番目は,継続性はあるが,それほど高機能でない場合。参考として特定の作家・演出家の作品を公演していく団体や,児童青少年を対象とする作品を専門的に公演している団体を挙げました。これらの中にもさっきの1番目のくくりに該当するところもあるかと思うので,実体を見なければならないと思います。
 3つ目のグループとしては,もっとチャレンジを主体として支援すべきところ。新しい団体や,古くてもマーケットがあるかわからない,前衛的な分野への支援の仕方について。このあたりにめり張りをつけて考えねばなりません。支援には財政面のみならず,コンサルティングやマッチングが必要な部分がたくさんあります。こうしたところは事後評価が今後大事になっていくのでしょうが,その際芸術団体だけで評価できる部分と,地域全体,国全体で継続的に調査をしつつ,評価していくべき部分との2つの側面が必要ということが,大きな課題です。
 最後に,人材養成のところに戻ります。私どもでは現職者を対象にした研修をやっています。よりよい活動をしてもらうためにはいつの段階でも研修は大事ですが,現実的には出てきてほしい人がなかなか研修に出られない状況があります。アーツプランとの関連でその辺の見直しも課題にしていただきたいこと。それと,劇場の回でも関連しますが,舞台技術者の課題が大きい。以上です。

○青木部会長 それでは次に,「芸術の振興」を中心に永井委員からご発表をお願いします。

○永井委員 私は作・演出をして,劇団を主宰している作り手の立場から,お話しします。
 まずは,日本の演劇界の現状ですが,今は何がブームで何が主流だということが言えないほど,百花繚乱の状態です。それを形態から分けると,大雑把に言って3つあると思います。
 1つは,新劇です。これは西洋の近代演劇から影響を受けて出発したものです。それから,1960年代の後半になって新劇に,反旗を翻す形で出てきた小劇場です。唐十郎さんの状況劇場,佐藤信さんの黒テント,あるいは串田和美さん,吉田日出子さんの自由劇場などが,若者の人気を集めました。これは,それまでの近代劇的なリアリズムとは違って,肉体の反乱といいますか,感性の反乱といいますか,それこそリヤカーにたいまつをつけて向こうから走ってくるとか,そのまま池に飛び込むだとか,ふすまをあけるとそこに満州が広がっているとか,非常にロマンチックで壮大なイメージの世界です。その後,小劇場の流れは,より若者的なフィーリングを全面に出した野田秀樹さんに代表される遊戯感覚のある夢の遊民社や,鴻上尚史さんの第三舞台,その前に,つかこうへいさんが大ブームになりましたが,アンチ新劇という運動色の強くない,若者のポップな感覚を全面に出した感性の演劇が小劇場界の主流になり,その後平田オリザさんの静かな演劇もブームになりました。それから,三谷幸喜さんがウェルメイド演劇を再認識させる流れもありましたが,今はどれがはやりであると言えない。言ってみれば非常に豊かな状態であるとも言えます。日本ほど劇団の多い国は珍しいというくらい,だれもかれもが旗揚げしてしまう。そういうプロとアマチュアの線引きをどこでしたらいいのかわからない状態が,今の日本の伝統芸能,歌舞伎や商業演劇を除いた非商業的な演劇のジャンルで言えることだと思います。
 そういう状況に即してどういう支援のあり方がいいのか。芸術団体にとっては何が課題になるのか。ここ10年,20年の流れの中で見ていきますと,多方面で活躍している人材を生み出しているのは,アングラから始まった小劇場の人たちではないかと思います。
 さっき米屋委員のお話では,芸術団体の活動の方向性と支援,評価というところで多機能,高機能の芸術団体には重点的な支援が必要というお話をなさったと思います。これは1人の劇作家のものだけではなく,いろいろな演劇を上演している団体のことを指すわけで,私ももっともだとは思います。一方で,では今の演劇をどういう人たちがリードして,どういう人たちが新しい風をつくってきたか。これは実は高機能な団体ではなく,一定の志向性の作品の創造に特化した団体ではないかと思います。こうした団体は,劇作家を輩出しました。唐十郎さん,それから佐藤信さん,斎藤憐レイさんというアングラ小劇場第1世代だけでなく,野田秀樹さんから鴻上尚史さん,それから現在,商業演劇のジャンルにまで作品を提供している作家のほとんどは,実際には新劇団や商業演劇のジャンルからでなく,小劇場からたくさん出ていることも事実です。小劇場は,またたくさんのすぐれた俳優,演出家も出しています。
 ですが,そこには大きな問題があります。日本の演劇はお客さんが二層に,年配の方の見る演劇と若い人の見る演劇が極端に分かれていて,その間に交流が見出せないことです。
 そういう中で,どこに支援すべきかを考えるのは難しいことで,私にはどうするのがいいと簡単には言えません。けれども,今,米屋委員のご発言も踏まえて言えば,日本の演劇,舞台芸術の現状に即した支援が,もう1つ別に考えられるといいと思います。自分が支援を受けていて,よその台所事情もわからないので,自分の体験からできるだけ客観的に述べます。例えば私の劇団は,私の作・演出のものばかりやっている多機能でない,一定の志向性の作品に特化した団体です。こういう団体はいろいろなおもしろい劇作家も出てくる可能性もあるので,辛抱強く支援をしていただき幅広く目を配っていただきたいと思います。こういう劇団への支援のあり方と多機能を備えた劇団への支援のあり方というのは,一律には考えられない。ですから,さきほど米屋委員のおっしゃったように,いわゆる芸文振による支援と文化庁のアーツプランによる支援とのすみ分けも,必要になってくるのかと思います。
 ところで,私の劇団は制作が2人しかいませんので,公演をするときに人手が足りません。公演に向けてチケット販売係,稽古場付きの係,それから当日には受付にたくさんの人を雇わなければいけない。今,制作にかかわる人件費は,助成対象外経費としても書くことが許されない。これは,たくさんの制作の人数を備えていて,公演体制にそのままで臨める劇団にそういう支援をしないということかと思います。しかし,その都度,人を頼まなければ公演できない,そして明らかに事務経費と公演経費とが分けて計上できるような活動の団体にも,制作にかかる費用が助成対象外経費にすら認められないということがある。
 それから,私の劇団は稽古場を持っていません。これも稽古場を持っている劇団と持っていない劇団とは,違うように考えていただきたいと思いますが,稽古場使用料というのが今後のアーツプランでは認められるようになったと聞いております。ですが,私の場合にはアーツプランを受ける資格がない。つまり,これは年に2回以上公演をしないとならないのですが,私は自主公演1回しか打てないので,アーツプランを申請する権利が今のところなく,芸術文化振興基金からしか支援をいただけない。年何回ということでなく,その集団がどんな活動をしているかを考慮して,選択の幅を広げていただけるとありがたい。
 稽古場代は重要で,30日から40日稽古すると大変なお金がかかります。稽古場を持っていない劇団に対しても助成対象経費として認められないことは,何とか考えていただけないかと思っています。
 それから,助成のあり方ですが,芸術文化振興基金の場合には基本的に助成対象経費の2分の1以内となっていますし,またアーツプランもたぶん支援対象経費の3分の1以内で自己負担金の範囲内ということになりましょうか。自己負担金というのは言いかえれば赤字,持ち出し分です。どの助成も持ち出し分の範囲内で援助するのが基本の考え方だと思います。
 このあいだ二兎社の「新・明暗」という公演を行った際,要望書提出段階で自己負担金が1,664万5,000円でした。ここには,制作関係費は記入できませんので,実際の赤字はもっと大きいのですが,交付を受けようとする助成金の希望額に1,664万5,000円で提出し550万の交付が受けられることになりました。もちろん残る差額の1,114万5,000円は依然として赤字です。そこで,一生懸命動員に励み主演の佐々木蔵之介さんが宣伝部長になって大宣伝を繰り広げて予想をはるかに上回るお客さんが集まりました。
 それで,自己負担金がマイナスに転化して当初の予定とは違って自己負担金がないということで,550万円全額返しました。しかし,実は計上できない経費があるので,550万が行ってしまって物すごい赤字になりました。このような制作も必要人数もいない,稽古場もない劇団に関する助成対象経費のあり方を見直していただけないかと思います。
 それから,芸術を振興していくために必要なことは,すぐれた芸術家が生まれてくることと,芸術を見る人が増えることだと思います。そのためには,芸術家の教育は充実したものになるべきで,新国立劇場の養成所が低い授業料,年額18万9,000円位で月額6万円の奨学金支給ということでスタートして,なかなかいいカリキュラムを組んでいると思います。追々ここに演出家,スタッフの養成も入ってくるといい。劇作家の養成は,今,劇作家協会が助成金もいただきながら頑張っています。教育というのは効率性,採算性に見合った活動だけではできないもので息の長い支援が必要で,そうした支援が今後も必要になると思います。
 最後に芸術の発展と享受のための環境についてです。内閣府が2003年に実施した文化に対する世論調査で,「この1年間でホール等で文化芸術の直接鑑賞体験をしたことがありますか」という問いに対して,「鑑賞したことがある」という人は50.9%,約半数ですが,平成8年の調査から3.5%減ってしまっている。反対に,鑑賞したことがない人が3.5%ふえて45.3%になっているのはショックでした。
 さらに,「日常の中ですぐれた文化芸術を鑑賞したり,みずから文化活動を行ったりすることは大切だと思いますか」という問いに対して,86.2%の人が「大切だ」と答えましたが前回調査では92.1%の人が「大切だ」と言ったのに,5.9%低下している。「大切でない」と断言した人が10.5%,前回の4.5%からちょうど5.9%上昇しているわけで,この数字を信じれば1996年から2003年までの7年間の間に,芸術は人間にとって大切でないと言った人が6%近く増え,見る人が減った。文化芸術振興基本法が施行されたのは2001年で,その2年後に減っているというのが皮肉です。世界の動き,この国の動きとの関係を考えますと,この間にバブル崩壊後の不況が長引いてリストラが増え,中年男性の自殺率の高さが話題になり,9.11のテロがあり,アフガン攻撃があり,イラク戦争があるという非常に不穏なことが続きました。
 かつてはコミュニケーションを大事にしようということが叫ばれましたが,今はコミュニケーションよりも,一人一人が心のケアをして頑張ろうという。これはこれで重要なことだと思いますが,理解し合う方向にいかずに,どうやったら耐え抜けるかという方向に考え方が変わってきているのではないか。他者との違いを認め合って,話し合い,理解し合って合意点を見つけていく考え方よりも,違う他者や理解不能な他者は攻撃して排除する,不寛容な監視型社会になりつつあるのではないかと感じています。
 例えばイラク戦争反対のビラをポストに入れて75日間も拘留されたという。私は異様なことだと思います。それから,公立学校における国歌斉唱時の起立,伴奏拒否で教員が処分され,停職1カ月や減給処分を受ける。生徒が起立しないだけで教員が処分の対象になる。私は文化立国としてやっていこうというこの国にあって,これは望ましくないと思います。
 文化は思想良心の自由が保障され,言論と表現の自由が保障されて初めて花開くものであり,そういうことが基本的人権の中核です。そういうことに対して行政によって処分されてしまうような国では,言論,表現も萎縮していくことを,文化の立場から心配しています。
 さっきのアンケートにあった「芸術は大切でない」と言った人は,男性でしかも労務職,それから無職の方が多い。こういう人たちの暮らし,心の中は一体どうなっているのかと思うと心配になります。逆に「文化が非常に大切だ」と言っている人は女性。それから,職業別に見ますと,管理職,専門技術,事務職,主婦が多い。
 芸術活動,あるいは芸術作品を享受することは,人間に対して,世界に対して関心を持つことと言いかえられます。「自分は世界をこのように見た。あなたはどのように見るのか。」と問いかけるのが芸術行為です。それに対して,私はあなたの出したものをこう見たよと反応していくと,それによってまた作り手が作り方,考え方を変えて,別の世界観,人間観を提示する。こういう循環が芸術作品を通した人間と人間とのコミュニケーションであり,それには社会的地位などで測られがちな人間の価値に,違う面があり別の人間像があるのだという気づきを引き出す力がある。これは人の内なる生命力に関わるものといってもいい。しかし,先の意識調査で「芸術作品は必要ない。」と言い切った人たちは,人間のこういう可能性に対して完全に自分を閉ざしてしまっているわけで,非常に問題だと思います。
 私は次の作品のために樋口一葉の日記を読んでいます。彼女はお金にたいへん苦労しながらも,毎日いろいろなことに感動している。芸術家の視点を持って生きているから,たいへんな貧乏でも耐えて生きていけたし,人生に経済活動と違うというだけではない,別の価値を見つけて生きることができた。芸術の与える力を多くの人が享受するための環境づくりに対して,芸術家は敏感でなければいけないし,文化行政もそれに対しての発言をしていくべきではないかと思っています。

○青木部会長 ありがとうございました。次に横川委員から「メディア技術の振興」についてお話をいただきたいと思います。

○横川委員 ご存じのように,映画はそれぞれの国の社会や文化を映像によって提供します。映画は芸術作品であると同時に,大きな意味で教養ととらえることができます。人間,社会,環境,自然,政治,風俗,習慣など,さまざまな視点から一つのメディアの役割として,さまざまな伝達をしている非常に力の強いものだと思います。文化庁が「文化力」というのは,映像で言えば我々に伝達する力ということだろうと思います。映像の一つの記号から,我々はさまざまな事柄を酌み取って理解していく。アートは,文化を変える力を持っています。私たちが文化の中に生活している以上,それは私たちの生きる場所の姿を変えたり,私たちの志向や行動を変えたりする力を持つと思います。
 平成13年12月に文化芸術振興基本法が制定され,国は映画,漫画,アニメーション及びコンピューターその他の電子機器等を利用した芸術,メディア芸術の振興を図るため,メディア芸術の制作上映等への支援,その他の必要な施策を講じるとの規定により,「映画振興に関する懇談会」が平成14年5月に開催され,文化庁ほかいくつかの中央省庁の参加も得て,施策の検討を行いました。それまでにも映画振興に関し,昭和63年,平成6年と報告を出し,それらは適宜事業化され,一定の成果も上がっています。しかし,今日,映像はコンピュータ,衛星放送等と錯綜している状況です。それで,第3回目になる先程の懇談会では,省庁別の行政分野に拘泥ぜず国として取り組むべき施策の検討を行いました。
 まず,大きく枠組みをつくるため,人材養成,製作,配給・興業,保存・普及の4つの分科会を作り,定期的に会合を開いて検討したものを,本懇談会に持ちかえり検討した中から,12本の大きな柱を立てました。
まず,日本映画のフィルムの保存です。最近はDVDなどもありますが,フィルムは重要な文化的財産です。日本映画のフィルム保存の大切さを認識しなければならない。
それから,新たな形で幅広く製作支援ができるように努めることです。撮影所のシステムがなくなっても,若い人たちが創作活動をしている。でも,作品をつくり上げるにはそれ相応のお金がかかるわけです。文化庁の文化芸術創造プラン,新世紀アーツプランでも支援していますが,改めてこの懇談会の中にも盛り込みました。
さらに,韓国などでも行っているように,いろいろな場所でロケーション撮影ができるようにすること。今現在もう50あるいは60を超えているかもしれませんが,全国至るところにフィルムコミッションがあって,映画のロケーションに来たことを各地方自治体が何らかの形でPRする。フィルムコミッションを地域の方々が受け入れて,協力したことがフィードバックとして映画の中に描き出されれば,映画を見た人々がそこに出かけていって地域の振興になる。「阿弥陀だより」がそうです。フィルムコミッションにより,映画に対する地域の人たちの目も覚醒されます。
 それから,映画を見られる場がもっと増えること。今は各地方自治体にもさまざまな文化施設がありますが,そういったところを活用をしながら地域の人たちに映画を改めて見直してもらう。あるいは,小中高生の映画を見る機会を増やすことを継続的にしていきたい。
 それから,日本にはたくさんの記録映画がある。ところが一般に記録映画は見られない。でも過去からある日本の風景も変わってきていて,そうした映画で振り返ることは文化的に大切です。その意味でもっと様々な映画を上映できるように取り組むべきです。
 それから,映画祭がもっと盛んになるように。現在も,随分と映画祭は開催されております。文化庁もですが,芸術文化振興基金でもいろいろな映画祭に資金援助をしていて,年々増えてきている。小さな村の若い人たちが,こんな映画祭を開きたいと随分と応募数が増えている。
 それから,日本映画がもっと海外で見られるように海外映画祭への出品に対する支援も盛り込まれ,今後は大変期待ができると考えております。
 また,現場で再び人材が育つようにということ。従来の映画撮影所のシステム,あるいは映画撮影所自体がなくなってしまった。ご存じのように,創作者,演出,監督,撮影監督,録音,照明などを目指す人たちが,それぞれそこで修練を積んで,徒弟制度的に学んでいって,一本立ちしていくというシステムがありましたが,今はもうない。では,そういうシステムをどうやって構築していったらいいだろうかということです。
 それから,映画関係者が集まる場です。映画は,他の時間芸術,空間芸術のような歴史ある体系的なシステムを持っていません。撮影所がなくなったのでもっと関係者が集まれる場所がないだろうかということ。
 それから,映画に対して社会が変わるようにするということ。今,映像があふれています。一方で学校の中では映画をほとんど見せていない。映画をもっと上映することです。映画にはデザイン的なものから美術的なもの,音楽的なもの,図工的と,もうさまざまなものが散りばめられている。そこからクリエイティビティーみたいな問題も子供なりにとらえていくでしょうし,また善や悪がどういうものであるのか,人と人とのかかわりがどういうものであるのか,いろいろなことを子供は子供なりにちゃんととらえていくと思います。そういう意味で,みんなが映画を見て社会をとらえていく。
 それから,子供が映画を見られる機会をもっとふやしていくことです。平日であれ,土・日であれ時間のあるときに,演劇,展覧会,美術展に出かけるように,父母や学校の先生,教育委員会が一体化して努力していただきたい。
 それからフィルムセンターは,国立美術館のブランチになっています。フィルムセンターに,美術館や博物館と同じような形で,もっとみんなのものだという意識で努力していただき,一つの独立行政法人的な形で活動していく必要があるだろうと検討されました。
 このようにして12本の大きな柱を1年かかって取りまとめました。その後も,たくさんのシンポジウムが開かれ,映画の製作者をはじめ,フィルムコミッション連絡協議会会長や俳優,映画の監督をお招きしてさまざまな検討がされています。

○青木部会長 どうもありがとうございました。 それでは「伝統芸能の継承及び発展」に関して,佐野委員からご発表をお願いいたしたいと思います。

○佐野委員 私の関係している民俗文化というのは非常に幅広い生活文化ですから,すべての人にかかわる。その意味で民俗文化,民俗芸能を初め,民俗文化の保存と活用は,地域住民の主体的取り組みが何よりも大事であるということを今日は述べたいと思います。
 まず民俗文化とは何か。民俗文化財とは「財」がついているわけですが,民俗,民間伝承とも言います。柳田國男の分類に従いますと有形文化,一番わかりやすくは衣食住などです。文化財で考えると,民家の問題等になってくる。あるいは言語芸術。これは土地に滞在して言葉がわかるようになってから耳でわかるものです。昔話や伝説が一番いい例です。
 それから,民俗学,柳田が強調した心意伝承,つまり郷土で生まれ育ったものでなければ同感できないということ。そのため,柳田國男の民俗学は初めのころ郷土研究と言われた。つまり,郷土人が郷土を研究する。その郷土を研究するのではなくて,厳密に言うと郷土であるものを研究する。そのあるものとは何なのかというと,日本とは,日本文化とは,そして日本人とは何かということだった。私たちの考え方では郷土人による郷土研究ということは,非常に大事な一つの前提であるわけです。
 そういう中での民間伝承ですが,それは空間的な伝播と時間軸である継承,この合成語であると考えるのが一番わかりやすい。そのうちの伝播で言えば,かつては村という一つの地域社会の中であったものが,今はインターネット社会で,地域,かつてでいう村を越えて瞬時に世界に流れていくようになって広がっている。対して継承。伝播のラインが情報化社会で太くなっているのに対して,継承のラインは細くなっている。世代間のつながりが弱くなっている。ですから,昔話などが伝えられていくのは難しくなっている。例えば東濃だとか,山形県の南陽市の夕鶴の里などでは,語り伝えを文化政策的というか,官の仕事としてやっているようなことがある。民俗芸能などもそういったところがある。
 そういう意味で見ると,あらゆる民俗というものの継承が,非常に危惧される状態になっている。民俗芸能も当然,継承者がいなくなっている。郷土料理も,かつての姑さんから嫁さんへというラインが弱くなっている。祭礼の廃止も,祭日を変えるところから起こってくる。皆さんが都合のいい土・日にしましょうというようなことから,はやし方はテープで録音したものを流して,みこしもトラックの荷台に乗せて回すとなっていく。形式だけはとろうということが最初に見られるのですが,それさえもできなくなるわけです。
 平成の大合併による地名の改変も,大きな問題です。それから,民具も収蔵庫を整備してきたものが,合併で施設が廃止され廃棄・焼却処分に遭う。生活文化である民俗と関係する民俗文化財は,直に時代の影響を受けますので,他の芸術というような文化とは性格がかなり異なり考え方も違ってくる。
 そういう中で,地域住民による民俗文化の保存と活用ということで,福島県南会津郡只見町の事例をお話しします。この例は民具研究という形で,民俗学の一分野として取り上げますが,地元の住民の立場で言えば,自分たち自身で民具の価値に気づく。そして自分たちの暮らしてきた生活を孫に話し,整理,保存し,それをきちんとした図面に書く。洗って整理して写真に撮る。実際に作って使用した人が,カードに記入するわけで,私たちがワンクッション置いて整理するのと違い,学術的にも第1級の資料になる。
 保存運動というのは,これは市町村史の編さん運動も同じですが,集まったデータをどう生かすかが問題です。只見では子供たちがたくさん見学に来ます。学校教育との連携が非常にうまく図られている。そして,活動の目標を国の有形民俗文化財の指定に持っていくことが出てきて,それが励みにもなっている。国の有形民俗文化財の指定制度が,地域の人たちの意思があるときにはうまく合致して,いい成果になっている。そういう町民の盛り上がりが,その後のブナ林を世界の自然遺産にしようという新たな運動にもつながっている。こういった国の指定制度がうまく機能しているところは,受け皿として,地域でその趣旨をうまく理解していて,それを励みにしていくということだと思います。
 かつて「世間師」と呼ばれた宮本常一先生という人がいました。さまざまな知識,民俗的な知恵を地域に提供する。それをうまく受けとる人がいると地域振興に結びついてくる。晩年は私もよく存じていますが,受け皿がないと宮本先生も元気がない。逆に佐渡のハッチン柿だとか地域で受け皿があると非常にうまくいく。鬼太鼓座だとかは新しい形になっていく。受け皿は個人の場合もあるし,教育委員会や企画課等行政の場合もありますが,とにかく古いものを守るのではなく,時代に合わせて新しいものをつくり上げていくことが第1です。
 民俗というと古い伝承を守り固定するイメージでとらえることが多いのですが,そうではなく地域の新しい特徴を出す。そういうことに結びつかないと,文化政策は機能しない。
 次に,文化資源を核とした地域社会の再編と振興について。先ほど伝承ということを言いましたけれども,今地域で伝承の場になり得るのは学校だと思います。家族伝承といって,おじいちゃん,おばあちゃんがいろり端で孫に昔話を話してくれる。そういった一つの場が伝承には必要ですが,場としての学校,これを積極的に意味づけていく必要があるのではないかと思います。そういうことから博物館と学校との関係,あるいは都市と地域を結ぶこととか,いろいろな施策ができてくるのでないか。
 先ほど言いましたように,伝播ということで言うと地域的な問題が今世界へ結びついていく,例えば日本における民具などの実測・分類・整理法は非常にすぐれています。中国の近代化の中で,4000年来ずっと伝わってきた農具等が焼却され,廃棄されている現実に,それは絶対に大事ですよということで,日本からノウハウを提供することで世界に寄与することができる。そして,その先に年中行事などの無形遺産についての理論的根拠などについて,議論したりすることが出てくる。
 例えば東栄町の花祭りでは,花祭り会館を中心にして学校教育と連携を保っています。横笛をつくることから始めています。要するに,横笛をつくることは,音感の問題との関わりで大事です。私たちは民俗の音を忘れている。何年か前から和楽器の授業が音楽の中に取り入れられましたが,これまでは中世のイタリアの楽器であるリコーダーをみんなで一生懸命吹いていたわけですね。これはおかしいという意見があって,新たに取り入れられることになったのですが,笛づくりから踊りの振りつけから何から,そういうものを学校教育との連携の中でやっていっているということですね。以上です。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 それでは,これから自由な討論に移りたいと思います。
 どうぞ,河井委員,よろしくお願いします。

○河井委員 米屋委員と佐野委員のご発表について,1点ずつ意見を述べさせていただきます。
 文化振興を話すときに,よくプロの表現者と観客という二極の議論になりますが,私はその中間項といいますか,最も大事なところの議論が抜けがちと思っております。そこの部分を国がもっと支援すべきというふうに思っております。
私が申し上げたいのは,地方で表現活動をすることを支援せずに,国レベルでの長期的な文化の発展はないということです。能楽がなぜ続いているのか,頂点だけでは続かないはずです。地方に素人の演じ手がいる,セミプロもいる。そういうすそ野があって頂点が成り立つ。その意味において演劇でもオーケストラでも,地方での表現活動,表現者の支援がこれから大事になると思っています。日立の例で言えば,十数年前に日立市と芸団協で「オペラづくりと郷土芸能の普及について,芸団協のノウハウを生かす。」という文化協定を結び,その際に知り合った方が,いまも関係をつなぎ日立市の文化づくりに尽力くださっているようなことです。
 それから,佐野委員は民俗芸能について学校に対する期待を述べられましたが,学校での伝承には一定の限界があると思います。その学校の校長先生の考え方もありますし,授業時間数の限界もあります。それから,郷土芸能に関しては,仮に市町村合併で市域が広がっても祭礼と関係しますので大字から出ることはない。幅広く子供たちに郷土芸能を体験させようと思うと,地域社会が受け皿になる必要があります。
 日立市では,文化庁の文化体験プログラムの補助を受けて,能楽,華道,日本舞踊,囲碁,将棋まで,高齢者が指導しますが,子供たちを集めて体験させて,それを組織化して今年の2月に文化少年団を発足させています。地域主体の取組に対し,学校は子供を送り込む,募集の手伝いをするという補助的な役割をしています。

○青木部会長 それでは,伊藤委員,お願いします。

○伊藤委員 米屋委員が述べられた芸術の振興を中心に,3点意見を述べます。
 一番目は,文化政策という点から,すべてを国が行っていくことは不可能ではないかということ。特に,きめ細かい鑑賞機会の提供といった活動は,地方自治体でする仕事ではないかと思います。国としては,波及効果のあるもの,目指すべき方向を提示していく中で,それに向けてさまざまな団体が動き出すのを応援し,インセンティブを与えていく形の政策が中心になると思います。アーツプランはその意味で高く評価できるのではないか。
 二番目はそういう前提の中で,広い意味での文化にかかわる制度を,もう少し固めていく必要があるのではないかということ。アーツプランの考え方の中に,特に芸術創造の分野において,創造団体に対する支援と,それから文化施設,特に芸術拠点という形での拠点づくりを図っていく政策があると思います。私自身は基本的な制度づくりの観点からは,この拠点形成ということが大きな柱になると考えています。
 理由は,文化施設というものを,社会が文化芸術の成果を享受,共有,継承していく仕組みとして発展させるべきと考えるからです。文化を生産し享受する基盤になることです。
 そこにおいては特に,人材が大きな問題になる。例えば公演,芸術等々における保存というのは難しい問題です。そして,それを保存していくのが,まさに人であるということ。そして,人から人へ伝えていくことがポイントになる。その意味で芸術拠点の重要性がある。また,人を雇用して安定した活動の供給ができるのも大きな要素です。
 拠点形成のもう一つの役割に地方分散がある。創造団体は市場依存から東京に集中するので,地域の文化拠点形成のためには,創造団体支援より拠点形成が柱になると思います。
 制度の場合に拠点形成のみならず,少し違った形として,アートフェスティバル的なものについて今まで余り検討されていません。芸術祭や,さまざまな形でのフェスティバルが各地で行われていますが,民間任せ地方任せです。これに一定の仕組みを持たせて発展させる必要がないか。美術の世界では,国際展と呼ばれるビエンナーレなどと関係します。こういった形の拠点形成も重要であろうということがひとつです。
 三番目は,だからといって創造団体に対する支援なしでいいわけではないということ。基本的には,創造団体に対する支援というのは,行政でもなく,従来の創造団体でもない,言ってみれば制度化された文化施設と,個々の創造団体と,享受者である市民,この中には文化的なマイノリティーといいますか,子供,高齢者,障害を持った人たちも含めた広い意味での市民をつなぐ中間支援組織が必要になるのではないかと思っています。これについては,既に何度かアートNPOという形で,この会議でも上がってきています。熊倉委員が中心になった「ドキュメント2000」という企業メセナレポートがありますが,ここに登場するさまざまな活動,こういったものをもう少ししっかり把握し,活動がもっと発展できる仕組みをつくることによって,創造団体に対する支援が成り立つのではないかと思っています。
 それは,フィルムコミッション,文化コーディネーター等のさきほどから話題の事項すべてにかかわってくる。その意味で,国の視点と,制度の確立,それにかかわる中間支援組織といったものを大きな柱として考えていくべきです。

○青木部会長 どうもありがとうございました。根木委員,お願いします。

○根木委員 米屋委員の芸術団体の分類は,基本的に団体助成,団体補助のことを念頭に置いていると思いますが,これについては難しいところもあるのではないか。団体に対する3つの分類で,一つ目の多機能・高機能の芸術団体,二つめの一定の志向性の作品創造に特化した団体,三つ目の実験性に富む活動や新しい公演に挑む団体というものですが,この中に言う水準の高い低いといった価値判断はどこで,どう考えるのか。そこが欠落しているのではないか。頂点とすそ野については,構造的な枠組みとして一応考えておかないと,プロとアマ,それからアマチュアの中での多機能・高機能団体の存在もあって,支援に当たりごちゃごちゃにならないか。それから,個人の創造活動に対してはどうなのか。そこもこの分類では欠落するのではないでしょうか。
その点は別として,先ほど伊藤委員の言われた中間支援組織という,ここはやはりこれからいろいろな芸術文化活動,あるいは創造活動の地方分散という観点から国もとらえるべきではないか。その延長線上に芸術拠点の形成も当然あるべきだと思います。その意味で団体本位とは別の観点から物事をとらえた方がいいのではないでしょうか。

○青木部会長 どうもありがとうございました。どうぞ,田村委員。

○田村委員 佐野先生がお話の民俗文化,伝統文化に関して,私が非常に大切だと思うのは,現代文化の可能性とか創造性を支えていく一つの栄養剤としてとらえているところです。
 問題は,これはもう本当に支えないとなくなるものが非常に多いことです。そこは,不可逆性なので,幾らこれから創造といったって根元がなくなったら何もならないということを大切にしたいと思います。その意味では,いろいろな可能性があるけれど,絶対的な価値としてこれを見ていくぐらいの厳しさが必要だと思います。例えば気仙沼の言葉。それから,上越地方の棚田,福井にある田楽能,それから倉吉にある倉吉絣とか。いろいろなものがイメージに浮かんできますが,これらを支えていかないと本当にだめになる。一方で,全国を回っていて,野ざらし民具というか,せっかく元気のいいときに民具をたくさん集めたのにほったらかしで,アブラムシとかネズミが走り回っているのをたくさん見てきています。
 ともかくこれから可能性のある世界のサポートも必要ですが,消えていく世界というか,まずはその原点をどう保存するか,保全するかが大切です。
 その点において学校も,小中学校ではなく特に地方大学は,これを義務として担っていけるパワーを持っていなければならない。そこから,コーディネーターがもっと出てくるべきです。
 伝統文化の日といって,1日すべての人が一定の行動を制限しながら,昔の生活に戻るぐらいの日をつくってもいいと思います。そういう厳しさのようなものが全然ないままに,何か守れと言っても無理です。少し値段は高くても自分の町の商店で物を買うぐらいの話がないと,守れない状況に来ている。先ほど有形文化,言語芸術,心意伝承とありましたが,これは三つが一体になって語られるべきなので,入り方はどこからでも結構ですが,消え行くものに対して,我々はもっと強くならないといけない。私は,文化の世界ではあえてグローバルリズムを拒否するぐらいの,ローカルであるナショナルなものを失っては,この国の文化はだめになると断言していいと思います。

○真室委員 私も今のご意見に賛成,共感しております。特に美術の伝統を踏まえた現代のアートをどれほどの現代作家,アーティストがやっているかという点で,疑問を持っています。
 先ほど映画のお話がありましたけれども,特に日本の場合,アニメーション,漫画といったものも伝統の上に現代的な感覚をつけ加えて出てきているのではないかと思います。

○山西委員 私の前任は小学校で町部の学校で,そこには越谷市の木やり保存会という,いわゆる労働歌の木やりがあり,これを学校に位置づけようと,学校の中に子供木やり保存会を設置して,地域の方にご指導に来ていただく形での地域連携を図りました。
 今は,中学校におり伝統文化部というクラブの中でお茶と箏曲を,外部の先生方にご指導をいただいております。授業では国語での平家琵琶や,音楽での能楽の活動も取り入れています。
 課題としては,学校の役割は何かということが一番大きいです。本来やるべき仕事と余業,手間暇のときにやるべきは何なのかが問題だろうと思います。どの領域で取り入れていったらいいか,学習指導要領にも明示されていませんので,これを一般化させるのは難しい状況です。どういうアイデアで,特徴ある学校づくりをし,地域との連携を図っていくのかに努力しているのが現状です。

○青木部会長 どうもありがとうございました。松岡委員。

○松岡委員 米屋委員と永井委員のおっしゃった支援の問題で,団体支援から事業支援に移ったことは,非常に大きな変化だと思います。これからはその両方を併用する形で,芸術文化振興基金との差別化を図る形で支援の方向を見ていくということが一点。
 それから米屋委員のおっしゃった助成対象のこと,永井委員のおっしゃった支援における一種の矛盾。そのあたりも条件をもう一回見直す必要を強く感じました。

○富澤委員 芸術文化といっても非常に幅広いので,どう振興しているのかという点において国のリーダーシップの果たす役割には大きなものがある。それは方向を示すというか,火をつけるというか,そういう形での役割です。ただ,国にも予算の限界があります。となるとやはり,国と地方,あるいは国の中でも各省間の連携,企業との連携などのシステムづくりを考えていくということが肝要なのではないかとの結論を持ちました。

○青木部会長 どうもありがとうございました。嶋田委員。

○嶋田委員 佐野先生のお話を伺いながら,企業ができることはと思ったとき,地域貢献が一つのテーマになっています。これまでどちらかというと欧米の芸術寄りになりがちでしたが,ここ数年,日本の芸術,文化を見直していこうという傾向があるので,文化コーディネーターの方々のお仕事の中にも,そうした形で企業との橋渡しができる資質も加えていただくといい。中間組織という方々は,これまでも支援がない分そういったところはかなり進めてきていますが,そうすると地方のかなり小さな企業でも手を貸すことができるので,そんな方法も探れたらと思いました。

○青木部会長 どうもありがとうございました。では,最後になりましたが,ご発表の委員から一言ずつお願いします。米屋委員からどうぞ。

○米屋委員 たくさんご意見をいただきましたが,まず根木委員がおっしゃった団体助成を想定しているのではないかという点。あくまで事業助成の積み上げで構わないと思いますが,選定する場合に団体の成り立ちをきちんと見ることで,世間的に水準がどう認められてきたかということと不可分の関係にあるので,団体を見ろということです。参考資料の昨年度文化庁の委嘱調査研究で行った自己評価と活動成果の情報公開に向けての中で,14ページあたりに団体の総合性が専門性を高め継続していくためにいかに大事かという観点で述べた箇所があります。
 いろいろ分類しましたが,欧米の芸術支援の考え方と日本のそれを比較した場合に,日本にはお稽古ごと文化とか日本古来の伝統芸能とかがあるので,必ずしも欧米風の支援の仕方がそのまま適用できない部分があるということが大きい。逆に欧米風にきちんと集団創作しているところに支援の考え方がきちっと成立しているかというと,永井委員のご指摘にあったように,自己負担すると,公演を主たる活動とするのに,なぜそこで赤字ができるのかというところは,継続性を考えたらあり得ない話で,本当はそこから分析して立案していただきたいところです。

○青木部会長 では,永井委員。

○永井委員 自分のところがもらえる可能性がないということで言いますが,団体支援は必要だと思いました。事業助成というのは赤字を出さない限りできない。でも,団体だと違う考え方ができるということです。

○青木部会長 では横川委員,お願いします。

○横川委員 先ほど田村先生から地方大学の地域での積極的参加ということがありました。これは映画も同じことだと思います。地方の大学で学生諸君も映画,あるいは映像に対して大変興味を持っていると思います。そういった人たちが社会に向けてそのあたりをフィードバックしていただくと,大変ありがたいと思っております。

○青木部会長 どうもありがとうございました。では佐野委員,お願いします。

○佐野委員 私は,国際化といわれる中で,民俗文化は非常に大事だと思います。つまり,自分のピボットフットがない限り,人の生き方として国際人にもなれない。田舎に行っておばあちゃんが外国人に言葉も通じないのに自分の漬けた漬物を出す,それが私は民俗文化だと思っています。お互いに言葉は通じないけれども,そのほうがより理解できる部分もある。それがすごく大事ではないか。
 先ほど,田村委員が言いましたが,気仙沼語訳のタイレンが出ましたね。あれはまさに,グローバルな世界宗教であるキリスト教とローカルな宗教として仏教,そういうあり方。ここは国ですからナショナルな部分のレベルが当然議論になるわけですが,私はそういうことをちょっと今考えています。

○青木部会長 どうもありがとうございました。
 イギリスのブレア政権が発足したときに,イギリスの対外イメージをよくするというクールブリタニア政策という文化政策を大々的に打ち出しました。そのときイギリスのイメージを何でいくか,ドラマだ。イギリスの売りはドラマだというので,ドラマを中心に世界じゅうにイギリスのイメージアップを図ったということがあります。そういう点では映画も,イランのイメージが変わったのも映画ですよね。というわけで,時間ですので,これで終わることにします。それでは,事務局から次回の日程についてご連絡をお願いします。

○吉田政策課長 次回は,9月16日(金)でございます。文化芸術活動の支援方策の続きですが,6人の委員の方にご発表いただきますので,時間も2時間半を予定し,14:30から17:00まででございます。場所は,同じ東京會舘です。よろしくお願いいたします。

○青木部会長 次回は,今日ご発言をお控えになった方はよろしくお願いします。問題はすべて継続しておりますので。どうも,ありがとうございました。

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