国語施策・日本語教育

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次第 今後に審議の進め方について〔その1〕

福島会長

 それでは本日の議事にはいる。本日の会議は,開会が定刻より少し遅れたが,終了はできるだけ予定の4時30分ごろにしたいと考える。発言が続くようであったら,次回の総会に譲ることになると思う。できる限り4時30分閉会のめどで会議を進行させていただきたい。
 昨年の11月24日に第81回総会が開かれたが,その際,運営委員会の設置が決まり,12月22日に運営委員会を開催した。念のために申し上げておくと,運営委員会は会長,副会長のほか岩淵,植松,岡村,木内,木庭,小林,真田,安居の各委員,合計10名である。運営委員会では,今後の進め方について相談をしたが,その結果意見の一致をみた点を申し上げる。今後の審議会の進め方として,できる限りこのようにしたいという意見である。
 第1に,「審議会の審議を総会中心の審議にしたい。」これは,総会中心の審議ということを強めたいのである。次に,「できる限り総会は一月おきぐらいに開会したい。」これは,従来あった部会は当面設けないことにしたいというのである。また,「全委員の意見をなるべく多く吸い上げるためには,いきなり部会を出発させないほうがよろしかろう。」という考え方である。総会を開くのは,いろいろと事務上の手間もかかるが,できる限り,総会をしばしば開き,総会での審議に中心をおきたいという考え方である。総会での審議はもちろん,全員の自由な発言によって問題点を掘り下げていくわけであるが,総会のつどあらかじめ主題を選んで意見を交換することに努めたい。
 また,「総会の審議の能率をよくするために,運営委員のほかに問題点を整理するための委員会をもう一つ別に設けることにしたい。」すなわち毎回の総会審議のあと各委員が述べた問題点を整理して,次回の総会に報告し,総会審議の進行を図るという趣旨である。運営委員会としては,問題点等整理委員会という名称は必ずしも上等といえないとも考えるが,はっきりしていていよいというので,一応「問題点等整理委員会」と仮につけてある。この委員会に12名ほどの委員をお願いして,次の総会に備えるための御検討をお願いしたいのである。要するに運営委員会とは別の委員会を設けようという提案である。運営委員会で相談した結果,この問題点等整理委員会でおほねおりを願いたいと考えたかたがたを,敬称抜きで申し上げある。岩淵,植松,宇野,遠藤,倉沢,黒羽,佐々木(定),田中,築島,松村,水谷,渡辺の各委員,この12名のかたがたにお願いしたい。
 この問題点等整理委員会と総会とを併用しながら,総会での審議を重ねていきたい。適当な段階で問題点ごとの基本方針について審議会の御意向がまとまったときには,細部の具体的な検討を促進するための小委員会の設置ということも,その時点で考えるようにしたらどうかというわけである。
 従来設置していた部会は,今後の総会審議の状況にもよるが,実際上の必要が起こるまで設置を待ちたいという考え方である。
 以上が運営委員会として一応とりまとめた方針である。この方針についてこれでよいかどうか御意見を伺いたいと思う。また,御質問があれば,御発言願いたい。(発言なし。)
 特に,いけないという御意見がないのなら,途中でまた審議の方式を検討することも,すべては総会の意思しだいなので,とりあえずただ今述べた方式で発足したらいかがと思う。特に意見がないようなら,一応,そういうことで審議を進めさせていただきたい。
 さて,当面の審議事項であるが,従来のいきさつ,ならびに当面の要望などをいろいろ考え合わせて,第11期の審議会としては結局,字種,字体の問題に取り組まないわけにはいかないのであろうと思う。「当用漢字表」,「当用漢字字体表」を取り上げるという意味である。さらには,当面「当用漢字表」から始め,適当な時点で「当用漢字字体表」の問題を取り上げていくということが適当であろうかと思う。この方式についても,進め方の問題として意見をお聞かせ願いたい。
 お手元にある資料,「「当用漢字表」・「当用漢字字体表」関係審議状況について,実質的に御意見を承る前に,事務当局から御説明願いたい。

石田国語課長

 この資料は,運営委員会で,準備してはどうかという話があって,わたしでもで準備したものであるが,なにぶんこういうわくの中で書いてあるのでふじゅうぶんな点,あるいは,厳密さを欠く点があるかもしれない。また,従来から専門に研究されている委員,あるいは審議に加わっておいでになる委員にはもの足りない点もあろうかと思うが,一応,御説明する。
 まず,「当用漢字表」について。「当用漢字表」は御存じのように,1,850字を掲げてあり,現代国語を書き表すために日常使用する漢字の範囲を定めたものであって,当時は,勅令による官制の国語審議会であったが,審議会が議決答申したものである。次の実施状況の欄にあるように,昭和21年11月16日に,内閣訓令,内閣告示で実施されているものである。
 また,「当用漢字表」は,「当用漢字表」の中の881字を選び,これを義務教育の期間中に読み書きともにできるように指導すべき漢字の範囲ということで決めたもので昭和23年2月16日の内閣訓令・内閣告示で実施されているものである。こういうふうに内閣訓令・告示で実施されたあと,国語審議会としては,昭和24年6月以降,「当用漢字表」の改定についていろいろな議論を重ねた。そのおもなものを便宜的に三つに分けてしるしてある。
 まず,「内閣訓令・告示の実施から『当用漢字表の補正資料』の報告まで」,これは,昭和21年6月から昭和29年4月までである。
 そこで第1期というのは,国語審議会が勅令によるものから文部省設置法に基づく政令によるものになってから委員の任期の第1期という意味であって,昭和24年6月から昭和27年4月にかけてである。この第1期の審議会で,「当用漢字表」の補正について,当時の漢字部会で検討したが,具体的に案をまとめるところまでは至らず,漢字の使用状況とか,漢字の習得能力とかに関する資料を整理して解決を図るべきである旨を総会に報告して終わっている。

石田国語課長

 次の第2期になって,「当用漢字表の補正資料」を漢字部会でまとめ,昭和29年3月15日の総会に報告している。これは「当用漢字表」の1,850字について,28字の出し入れをするということなどを中心とした補正を図ろうとするものである。しかし,この報告は,総会で「将来当用漢字表の補正を決定する際の基本的な資料となるものである。」というようなまえがきをつけて発表されたにとどまり,内閣告示の「当用漢字表」の内容の改定に至らず教育上の取扱いも変更されなかった。一方,新聞・放送などの報道界では,その後,すぐに,「当用漢字表」を補正して使っているようである。この「当用漢字表の補正資料」の内容は,「現行の国語表記の基準」に収めてある。
 次に,この補正資料が出た以後,昭和41年の文部大臣の諮問に至るまでの間のことを三つ掲げてあるが,まず,第5期,すなわち昭和34年から昭和36年にかけては,当時の第1部会で「当用漢字表の補正資料の取り扱いについて」を検討した結果,補正資料の内容はほぼ妥当とみられるが,「当用漢字表」を修正する場合には,周到な準備によって再検討に取りかかる必要があり,これは今後の修正の際の重要な資料であるということを確認し,社会一般もその趣旨を尊重することを希望しつつ,従来どおりの取扱いをしばらく続けるということになり,その旨を総会に報告している。
 それから,次の第6期では,具体的な国語施策を打ち出すことをやめ,大局的な立場から国語問題の全般的・基本的なあり方の検討を行った。この期には,第1,第2,第3と三つの部会を設けたが,そのうちの第2部会で,これまでの国語施策を検討し,「当用漢字表を改めて検討する必要がある。」旨を「国語の改善について」という全体の報告の中に盛り込み,文部大臣に報告している。
 次の第7期には,第1部会で「当用漢字表」の性格,字種の選定などについて検討し,一応の審議結果を総会に報告している。しかし,これは最終的な結論にはなっていないということである。このとき,「当用漢字表」の性格が特に問題となったようであり,「当用漢字表」のまえがきを修正しようとして相当議論したようであって,「当用漢字表は,普通に使用される漢字の基準を示すもの。」というふうに直してはどうかという案が出た。しかし,これについては批判もあったということである。
 また,字種については,いろいろな資料に基づいて検討した結果,削ってもよいものとして31字,加えてもよいものとして47字を具体的に考えたようである。ただ,この字種の増減についても,さらに検討を加えるべき問題が残っているということで,結局,最終的な結論ではないが一応の考えとして総会に報告している。
 次が,今回の昭和41年6月の諮問以降である。第8期から第10期までの漢字部会では,主として「当用漢字音訓表」の審議に力を注ぎ,「当用漢字表」の字種そのものについては,第8期の漢字部会の中の小委員会で1回,第9期の漢字部会で1回それぞれ懇談的に意見の交換をし,そのことを漢字部会の審議経過報告の中に織り込んで総会に報告した。そこでは,漢字表の構成とか,あるいは補正資料,都道府県名に用いる漢字,大都市名に用いる漢字の取扱いとかが議論されたようである。
 それから次に,去年6月の答申の「当用漢字改定音訓表」の前文には,「改定にあたっては,昭和23年内閣告示の当用漢字音訓表の持つ制限的色彩を改め,当用漢字改定音訓表をもって漢字の音訓を使用するうえでの目安とすることを根本方針とした。……従ってこれは運用にあたって個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである。」と述べており,改定音訓表が目安であることをはっきりだしているわけである。また,ここに至るまでの間に,「当用漢字表」の性格についても,第8期の小委員会,これは部会のほかに設けられた小委員会であるが,ここで国語施策の改定の方向を検討し,その報告に「当用漢字表および音訓表については厳格に制限的なものとしない。」ことがよいという報告をしている。また,「当用漢字音訓表」の審議にはいる前に,第8期の漢字部会で「当用漢字表」の性格に関する議論を9回重ねている。このような小委員会ないし漢字部会の審議の上に立ち,改定音訓表の目安という性格がだんだんと具体化されていったというふうに考えられる。したがってこの「当用漢字改定音訓表」の目安という性格は,今回これから審議の議題にもなる当用漢字表の性格にも適用されるべきものと考えられるということである。
 それから「人名用漢字別表」は,昭和26年5月に国語審議会から建議したもので,「当用漢字表」とは別に92字の人名用漢字を定めたものである。これは子どもに名をつける場合の特殊性とか社会慣習とかを考慮して,当用漢字表に掲げる漢字のほかこの92字を使うことができるというもので,昭和26年5月25日に内閣訓令・告示として実施されている。これは戸籍法と関連があって,具体的には,戸籍法施行規則第60条で用いてさしつかえない字として定めてある。
 それから「当用漢字字体表」であるが,この字体表は昭和23年6月に議決し,昭和24年4月に内閣訓令・告示となり,実施されているものである。これについての実施後の審議状況としては,まず,先ほど「当用漢字表」のところで申し上げたように,第2期の漢字部会で「当用漢字表の補正資料」を検討し,28字の出し入れをすることを報告したのであるが,その際の報告の中に,「燈」→「灯」のように字体の変更をしたいものも含まれていることである。
 次に,第6期には,現在社会である程度行われている略字体・簡易字体のうち,次の例に示すようなものを採用することを考える必要があると報告しており,お手もとの資料に掲げてあるような例があげてある。

石田国語課長

 それから,第7期では,第1部会の報告の中に,字体を変更したいものとして,補正資料のときと同じく,「燈」→「灯」を含んでいる。
 次は,今回の諮問以降である。第9期の漢字部会で字体表について3回懇談的に意見の交換をし,総会にその内容を口頭で報告している。その中で,いわゆる表内字と表外字との関連の問題,略字の検討,活字の字体と書写の字体との関連の問題,あるいは中国の簡体字と日本の略字体との関連の問題というようなことが話し合われたようである。

福島会長

 それでは審議にはいるが,先ほど申し上げたように第11期の国語審議会としては「字種」・「字体」に関連する「当用漢字表」および「当用漢字字体表」の問題を取り上げることにあると思う。順序としては,「当用漢字表」,つまり「字種」の問題から始まればつごうがいいと思う。これから意見をお述べ願いたいが,できる限り,さしあたり,「字種」の問題,「当用漢字表」の問題に絞って発言をお願いしたい。いろいろな問題について,いろいろな意見があるであろうということはよく承知している。問題をやたらに絞ることには,また問題があるということも承知している。できれば適当な機会に議題に縛られない国語問題全般について自由討議の機会もほしいと思う。審議会の全員による懇談会のようなものも,適当な時期には考える必要があるのではないかと思う。
 そういうことも可能であるが,総会自体としてはなるべく間口を広げないで進行させ,次の問題に移りたいと希望している。当面,「字種」の問題について,すなわち,「当用漢字表」の問題について,どの字とどの字を入れて,どの字を削除するかというような具体的な細部の点については,小委員会も必要であろうと思う。それ以前に「当用漢字表」の性格とか,字の数をふやすとか減らすとか,変更しないとかというようなことなども決めておかないと,小委員会に移すのにつごうが悪いというようにも考えられる。そこで「当用漢字表」全般についての意見ということで,まだ1時間30分以上2時間近く時間があるから,できるだけ大ぜいのかたの御意見を伺いたいものと考える。そして,問題点を整理委員会に整理してもらい,その整理の結果をもう一度この総会で御検討いただくことになると思う。主として「当用漢字表」について,あるいは直接・間接に関連する事項も当然けっこうであるが,自由に,御発言いただきたい。

倉沢委員

 いま国語課長から説明があった資料の2枚目にかかわることであり,また,審議の進め方にもかかわることと思うが,「したがって,以上の考えは,『当用漢字表』の性格にも適用すべきものとして考えられたものといえよう。」というところは,前回,遠藤委員の発言にもあったように,まず「漢字表」の性格を明確に全委員で共通理解してかかる必要があるであろうということに同感なので,そのことを確かめ,かつ,提案めいたことをするわけである。
 ここには,「したがって,これこれにも適用すべきものとして考えられた」とあり,あとに「いえよう」とあるから,そのへんの読み取り方であるが,これをもし「いえる」なら「いえる」と考えるべきだと各委員が御判断になるのなら,やはりいくらか時間をかけてこれを確認する必要があるのではないかと思う。つまり自体・字種の問題を論ずるときに,音訓表の審議の状況から引き出してきて「したがって……」というのは,まだちょっと飛躍があるような感じもする。解釈のしかたによっては,別に異議の申し立てをするわけではないが,やはり「漢字表」の性格を少し自由に話し合っておいて,共通理解ができるものならば共通理解をして審議にはいったほうがよいということである。

福島会長

 この点がどうやらこの期の審議会の主要議題の一つではないかと考えているが,おそらく事務当局もその意味でこの部分の最後に「いえよう」と書いているのだろうと思う。この点はこの審議会で審議するということにしたらどうかと思う。

志田委員

 ただいまのところ,「改定音訓表」について考えられた「目安」という性格は,やはり「当用漢字表」にもあてはまえるべきだと思う。音訓表も「当用漢字表」も同様であるという考え方でこの前の答申をしていると思う。できればこれを全委員が確認をしてこの方向で「当用漢字表」をおそらく手直ししていくことになるのであろうし,また,手直しをすべきだということになってほしいと希望している。そして,それを第1に審議しなくてはならないと思う。答申の前文からの引用にあるように「漢字の音訓を使用するうえでの目安である。」ということであって,さらに前文の別のところでいえば,「書くための音訓」といっている。したがって,「書くための目安である。」ことを,「当用漢字表」にも,できれば拡大して認めてほしいという意味になっているのだろうと思う。
 「書くための音訓」というのも,いろいろな考え方があろうと思うが,前回までの議論では,一時は「書くためのもの」と並んで「読むためのもの」を考えてもいいのではないかということで,ある程度の検討が進められたと記憶している。読むほうは,これも考え方がいろいろあるだろうが,現実的には,個人差というようなものがおおいにあっていいわけで,それが多ければ多いほど,「多々益々弁ず。」ということになるし,また,そういうことを希望してもいいのではないかと考える。ここで公共生活と打ち出しているのは,一般の人々に,読むものとして法令をはじめ,いろいろ提供するものを,できるだけこの範囲の漢字で書くように努めれば,読む側にとって適当であるということになるのであろうと思う。したがって,そちらの側から,読むことをさらに別に考えるということは必要がないのではないか,あるいはそういう考え方自体に問題があるのではないかというふうなことの論議があったと思う。

志田委員

 したがって,それをどう考えるかということはまだいろいろな論議があるだろうから別にしても,少なくともその結果出てきた「音訓を使用するうえで」というのは,別の言い回しで言えば「書くための音訓」といったような,公共生活で書くことに責任をもつ人々ができるだけこの字種の範囲で書くように努めるとでもいうか,そういうふうな意味のものであるということを音訓表について述べているのであろう。だから,ここで,いろいろ御検討願う場合は,性格は書くための字種であるとでもいうか,そういうふうな意味であるというようなことを,できればやはり御検討願いたい。確認するように検討願いたいということが一つである。
 さらについでにほかのことも申し上げたい。

福島会長

 どうぞ。

志田委員

 補正資料についても,これは現在新聞等では,先ほどの説明のように既に取り込んでいるのだから,国語審議会は,方向としては,そのうちの加える字は,一度検討しなおしても良いのであるが,特別な問題が出てこなければ加えてもいいというような資料になるのではないかと思う。しかし,削除する字は,いろいろ問題がある。憲法に用いられてる漢字であるとか,その他いろいろな問題があったであろうと思うので,慎重のうえににも慎重を期するという形で持ち越されているのだと承知している。そこで,改めて国語審議会として考えていく必要があると思うが,しかし,一方からいうと,補正資料は、ただいま言ってるように広く使われ,利用されているわけであるから取り込んでよいものは取り込むというような方向で考えてもいいのではないかという気がする。
 それから,もう一つは別表であるが,性格自体は今日といえども変更されていないたてまえになっていると思う。学校教育の中での取扱い方は,しだいに事実上進展がみられると思う。したがって,別表は,いらないという考え方になるか。あるいは,もし,いるとすれば,いまの教育で,既にここまで来ているということを踏まえて考えるほかはないと思う。また,それが適当であると考えられる。「別表」という語については,「人名用漢字別表」のように,「当用漢字表」の外にあるものもあるし,いわゆる教育漢字のように「当用漢字表」の中のものを分けているものもあるが,後者のような別表については,論議のしようによってまだいろいろ考えてよいものがあるよう気がする。義務教育,もしくは学校教育のわくの中で考えた別表と,さらに,違った範囲の別表もいろいろ論議すれば出てくるように思う。
 したがって,学校教育でどうするかということについて,この審議会でどこまでやるか,ということもまたこれからいろいろお話し合いがあるのだろうと思うが,わたしとしては,別表の問題はいまのような点で,思いきって考え直す必要があると思う。これは全体の字種が表として決まった,もしくは,ほぼ見当がついた段階から始めてもおそくはないと思うので,いまの「当用漢字別表」はいますぐお取り上げ願わなくても事足りるのではないかというような気がする。

福島会長

 ありがとうございました。どなたかどうぞ。

小谷委員

 わたしは,国語学にあまり通じていないので見当違いのことを申し上げるかもしれないが,われわれの前にあるこの字種の問題というのは,非常にむずかしい問題で,ある意味で,われわれ,あるいはわたしはある板ばさみのところに立っているような感じがする。それは一方において,この前の期の国語教育に関する建議の中に「われわれは国語が平明で,的確で,美しく豊かであることを望む」ということがある。この「豊富」とか「豊か」ということは,その前の期にも総会で発言があったと思う。特に,この「美しく豊か」ということがどういうことであるか,この点についてはこれまであまり立ち入った審議はなかったように思うが,特に,それが表記の美しさであるのか,それとも話すことばも入れた日本語そのものとしての──表記を離れての日本語の美しさであるのか豊かさであるのか,そういう点にまでは全体が一致した見解が少しかけているのではないかと思う。それは,委員によって考えが違うのではないかと思う。
 それでわたしたちはどちらかというと,表記というよりは日本語そのものの美しさ,豊かさが重要と考えるが,そういう意味では基本的には日本語に豊富にある語彙(い)が自由に使えるようにということが,美しさ,豊かさの基本的な条件だと思う。一方において,漢字を当てて書くときにその漢字が当用漢字表にない,あるいは,特にその漢字2字以上で書き表す語の場合に,一方の漢字が当用漢字表にないと,その語を使うことがなにか抑圧されることになり,自然にそういうことばを避け,別の,普通の意味でいってちゃんと漢字で書けることばを持ってきて代用するという傾向になりがちである。わたしが文章を書くときもそういうことがある。こういうことは漢字を制限するのではなくても「当用漢字表」というようなものをつくると,それが結局は,使われる語彙に影響を及ぼすということは事実あると思うので,それはよほど注意しないと豊かさ・美しさを消すことになるのではないかという気がするわけである。
 ところで,またそれでは「当用漢字表」を非常に拡大していくということになると,別の点で,たいへん困る問題がたくさん出てくる。そういう意味ではいま言ったような場合──その漢字が「当用漢字表」に見当たらない,あるいは一方はあるがもう一方は見当たらないような場合はどうするのか。そういうことばは使わなくなってもいいと判断するのか,あるいはそういう場合にもそのことばはできるだけ適当な場所には使ってもらいたいと思うのであるのか。あとの場合だと,当用漢字表に入れることができなければふりがなをつけるのか,あるいは漢字とかなとで書いてもそれはなにか不完全なものというふうに見えるのではなく,りっぱな書き方であるのだという理解を徹底させるか,なにかの立場が必要だと思う。そういう点で,まず「豊かさ」,「美しさ」とは,どういう意味であるかということを,多少掘り下げていただきたい。それともいま言ったような場合に,どういう方針をとるのかということを,ある程度共通理解をもたないと,どこまで「当用漢字表」に入れるのかという判断の基準が,たいへんまちまちになってしまうのではないかという感じがする。
 それと並んで,音訓表についてわたしが,まだじゅうぶん心の休まらないような感じがするのは,やはり異字同訓の取り上げ方である。同じ訓の異なる漢字,これは中国語と日本語との本来の差から避けがたい問題であるが,われわれが,元来は同じ日本語に対して異なる感じを使うという場合に,その使い分けが教育上でもはっきりできるような形で取り上げないとたいへん混乱を起こすようにわたしは思う。それでそういう点についてもなにか共通の方針といったものを審議の前に決めておくことができれば有益ではないかと思う。

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