国語施策・日本語教育

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次第 学校教育との関連について

福島会長

 なお,もう一つ議題がある。本日で全部は片付かないかもしれないが,次の「学校教育との関連について」に移りたいと思う。これについては先般整理委員会でアンケートなどの資料をまとめたので,遠藤主査から御説明いただいた方がいいと思う。また学校教育の現状その他について,文部省の初等中等教育関係の方もおいでのようだから御説明いただくようにしたいと思う。

遠藤主査

 資料の各問いにはそれぞれ回答者の人数が書いてあるが,これはこの数によって判断しようという意味ではない。参考までに掲げてあるだけである。ただ,拝見すると,一番問題になっているのは,普通,教育漢字と呼んでいる別表の問題である。今回漢字表を検討するに当り,別表の扱いをどうするかである。別表のようなものはいらないとか,別表のような教育漢字は決めた方がいいとか,更に別表はいらないが基礎漢字表のようなものを作った方がいい,あるいはそれを段階的に分けたものを作ってはどうかなど,大きく分けるとだいたい三つぐらいに分かれると思う。

福島会長

 難しい問題であるから活発な御意見を拝聴したいと思うが,その前に文部省の初等中等教育関係の担当の方々の御意見を伺っておいた方がいいと思う。

林主任視学官

 どういう話をしたらいいか。

福島会長

 本日の審議に参考になるような,例えば学校教育の現状などがいいと思う。

林主任視学官

 それでは学校教育の現状について,漢字表に関係あることを簡単に申し上げる。
 学校教育では,現在当用漢字表及び当用漢字別表,それに音訓表,字体表を目安・基準にしてそれをどのように教育の面で取り扱ったらよいかを考えている。というのは,学校教育では文部大臣が学習指導要領を定め,それで指導の内容を決めている。そしてその中にこれらを取り入れていることと,もう一つは,教科書については検定基準があって,これによって漢字表の取扱いを決めているからである。学習指導要領についてはその抜粋がお手もとの参考資料という資料集の中に入っているので,それを御覧になるとだいたいのところはお分かりいただけると思う。小学校,中学校,高等学校に分かれているが,小学校については,この表では最終学年の第6学年のところだけを抜き書きしてある。第6学年では「読むこと」については1,000字程度というように示してある。この1,000字程度というのは,当用漢字別表の881字と別表外の当用漢字120字ぐらいということである。この別表外の当用漢字として,現在115字を指導要領に付け加えてある。俗に備考漢字と言っているものである。したがって指導要領では,具体的には996字を示しているわけである。「書くこと」については,別表の漢字を主として800字ぐらいというように示してある。小学校ではいわゆる学年別配当表というのがあり,1年ではどの程度,2年ではどの程度というように一応の目安として示し,996字を6年間に配当した形になっている。
 中学校では,学習指導要領で学年別には示さず,ただ字数だけを3段階に分け,1年では何字ぐらいまでというように示してある。「読むこと」については,当用漢字1,850字全部について読めるようにすることとしている。ただしここでは音訓のことをはっきり言っていないので,最小限度の一つの音訓について読めるようになればいいということになるかと思う。「書くこと」については,別表及び備考の漢字,すなわち小学校で読むこととされている1,000字程度が書けるようになることを求めている。
 高等学校では「読むこと」については,この度の音訓表改定に伴って増加した新音訓を含め,現在の高等学校の第1学年の生徒から,卒業するまでの間に音訓表の音訓がすべて読めるようになることを求めている。「書くこと」については,別表及び備考の漢字に加えてその他の当用漢字のすべてということになっている。したがって書くという点からすると,高等学校では1,850字を書かなければならないことになっている。
 教科書もこれに従って検定している。以上が学校教育の現状である。
 なお戦前からの沿革を少し申し上げると,「はた,たこ」「はな,はと」「さくら,さくら」というように何回か国定教科書の変遷があったが,これらの教科書では,6年間に1,360とか1,380という数の漢字が提出されていた。その内容については多少出入りがあったが,数としてはだいたい1,400字足らずである。終戦後は国語の時間数の減少という関係もあって,国定教科書が昭和22年に出たときには655字というか,700字足らずだった。この教科書が漢字の提出数が一番少なかった。その後検定教科書が出るようになってから,七百何十字,800字というように増加し,別表の881字になったのは昭和24年からである。昭和34年の指導要領の改訂で学年配当が決まり,それから昭和44年の改定で備考の漢字115字を加え昭和46年から実施した。次に授業時間数に対する提出した字数の割合であるが,戦前は非常に多かった。1字当たりに使う時間数あるいは,1時間当たりに覚える新しい字数の計算をしてみると,明治のころが一番時間をかけているが,その後段々時間数が少なくなり,1時間当たりの字数の割合が多くなっている。最後に,終戦間近の昭和18年か19年に出た「アカイ,アカイ,アサヒ,アサヒ」という教科書が時間当たりの漢字の負担が一番大きかった。その後多少負担が軽くなったが,現在の約1,000字は字数としては戦前より減っている。しかし授業時数からすると,終戦間近の教科書よりも幾らか緩まったという程度である。ただ単に授業時間と漢字の字数等の割合だけから問題にするわけではないが,その割合を比較すると,今の漢字の提出の度合は割合きつい方に属している。明治以降からでは,きつい方から2番目である。以上である。

福島会長

 この学校教育との関連について活発に御発言願いたい。学校教育での取扱いについてはいろいろ意見が出ているが,だいたい別の機関の検討に待つことにしたらいいとか,これについても国語審議会で検討した方がいいのではないかというように意見が分かれているようである。

飯島委員

 御列席の各委員は戦前の教育をお受けになった方々ばかりで,戦後の制限された表記法を身に付けた方はまだこの席にはおられないと思う。私は毎日校長として一にも子供,二にも子供と,決断するときには子供の顔を思いながら決断を下している習慣が付いているので,この席でもそういう前提で申し上げる。主として漢字の量,つまり字数の問題であるが,これを少なくしたらいいか多くしたらいいかということを検討するに当たっては,今の義務教育の期間で子供がどういう生活をしているかということを認識した上で考えていただきたいと思う。私が考えているのは主として中学生である,中学の9教科の勉強の内容について卑近な例を言うと,戦時中私は小学校で音楽を教えていたが,万年筆1本持っていればたいがいの音楽の授業はできた。タクトの代わりにこれを振ると子供は軍歌を歌ってくれた。ところが現在の音楽は皆さん御存じのように非常に内容が高度になっている。そういうことはほかのいろいろな面でも言える。9教科とも非常に内容が豊富になって子供の負担が増えていることは疑いのない事実である。毎日学校に通う子供のかばんを持ってみると,子供の肩が抜けるほど重い。それはかばんの中に詰まっている知識の量に比例していると考えていいかと思う。なぜそのように外の教科の内容が豊富になったかというと,いろいろな理由はあるが,戦後子供の国語の学習量,負担量が少なくなっていることが非常に影響している。これは今までの国語審議会の努力の現れだと思う。これはもう間違いがない事実だと思う。もし根拠がないとおっしゃっるなら,現場の校長はとてもその資料はないが,文部省なり文化庁なり国立国語研究所なり,あるいは国立教育研究所で資料を作っていただけば必らず私の申し上げていることが裏付けられると思う。
 それから教科書の編集をかなり自由にしてはどうかという意見もあるようだが,これは都道府県教育委員会で教育漢字表に類するものを作ってはどうかという意見にも通ずると思う。しかし私はこういう事実を申し上げたい。それは,私の学校では1年間に両親の地方転任に伴って転校する生徒が大体5%いる。全国的に見ても大体そのぐらいだと思う。5%の子供が転校しているという事実は重大である。義務教育の中の5%の子供が転校し,そのほとんどの子供が違う教科書に当面すると考えた場合,義務教育期間中に覚えなければならない漢字のうちの相当の量を,両方の学校で教わらないでしまうという事実が現実にある。国語審議会だけでなく結構であるが,最終的には国語審議会で統一したものを出していただかなければ不安でたまらないと思う。最近生徒の入学受験先は非常に私立の学校が多くなっている。例えば国立の付属高校に受かっても,それをけっても行きたがる都立の有名校というのがあるが,今はその都立の有名校の超一流の学校に受かっても,それをけって,たまたま受かった私立の高等学校に行く者が私の学校で半分ほどいる。それほど私立の学校に多く行く現状では,その私立の高校の入試の問題が自由に出されたのでは生徒の立場としてたまったものではない。そのための試験勉強の量はばく大になると思う。それを押さえる意味からも,主として漢字表についてだが,それ以外の表記の面でもかなり強力な手を打たなければならない。これはとても教科書編集者とか都道府県の自由に任せておける問題ではない。したがって,国語審議会が長期政策としても責任を持たなければならないし,生徒の立場を考えても,やはりこれは強力な手を打っていただくのが一番いいと思う。

長岡委員

 私は義務教育における教科書は国定でなければならないということをずっと前から思っている。何のための教育かということを考えると,国家の独立ということが一番の大問題である。国民としての教育を義務教育でもって根底付けるなら,教科書はすべて国定教科書でなければならないと思う。そうすると,ただ今飯島委員の言われたことと私の念願が一致しているのではないかと思う。

古賀副会長

 会長が一時中座されたが,差し支えなかったら引き続いて御発言願いたい。

飯島委員

 教科書検定の在り方というと,これは抵抗が多くて教育の現場はとても大変だと思う。むしろ国語審議会が突き放した場合,ある種の教師の集団が自由に字種・字体を使うとか,そういう方面に走る恐れがある。国語審議会ではこの程度をやっておくのがちょうどいい。私は教科書検定までは発言できない。

長岡委員

 飯島委員の希望されていることは国定教科書であってこそ初めて実現されるのではないか。国語審議会は国語それ自身の問題を審議することになっているが,その根底においては,やはり国家という立場から国語の論議をしなければならないと思う。その国語を教育に対する場における教科書は国でこれを統一しなければならないというのが私の主張である。

古賀副会長

 ただ今まで伺った御意見は,漢字表を検討するに当たって,学校教育との関連をどういうふうに考慮すべきかについて,これを考慮することとなった場合に,それを具体的にどうするかという突っ込んだ議論に属しているのではないかと思う。そこで今の問題をもう少し広く取り上げ教育との関連をどうするかという点についてほかにも御意見を承りたい。

宇野委員

 先程の林視学官の御説明では,国語の時間が大変減っているということだが,私は一時よりは少し増えたように聞いていた。先程も意見が出ていたように,ヨーロッパでは26のアルファベットだから易しい,日本は漢字が4万字もあるから難しいと言うが,4万字というのは字引にある字数であって,実際にはそんなに使わない。私は漢字は易しいという考えを持っているが,仮に難しいとすると,そういう難しい国語を教えるのに外国の諸国の国語よりも時間数が少なくていいという理由は成り立たないと思う。難しいことを少しの時間で教えろというのはおかしい。日本の国語は漢字が沢山入っていて易しいから少ない時間で済むというなら話は分かる。その点もっと国語の時間を増やし,少なくとも小学校では,最小限度戦前ぐらい国語の時間数はどうしても確保するよう努力していただきたいと思う。中学校,高等学校はともかくとしても,小学校は極端に言えば読み書きそろばんであって,国語と算数と体育,それに音楽ぐらいをやればそれでいい,余り難しいことはやらない方がいいと思う。国語は学問の基礎であるから,国語の力がなければ幾ら難しいことを教わろうとしても,また字は読めても中身が分からない。中身が分かるためには国語力が必要であって,国語力が基本となる。
 私の個人的な話を申し上げて恐縮だが,私の長男が小学校へ入り,2年か3年ぐらいのとき,昔は応用問題と言い,今は文章題と言っている算数の問題を解答させた。ところが計算式がある問題はできるが,いわゆる文章題が分からない。ところがこれは何でもない問題である。例えばりんご1個20円のものを5つ買い,15円のなしを4つ買ったとして200円でおつりは幾らかというような問題だったと思う。それが分からないという。ところが問題をよく説明するとよく分かる。つまり分からないというのは,文章の意味がよく分からないわけである。これはやはり戦後の国語教育の重大な欠陥だと思う。これは国語の時間が減ったためかもしれないし,あるいは教育方法の欠陥であるかもしれない。どこに欠陥があるのか私には分からないが,とにかくそういうことであっては困るから,国語力の充実ということをしっかりやっていただきたい。中学校,高等学校になると事情が違うかもしれないが,少なくとも小学校では国語力の充実に全力投球していただきたいと思う。

宇野委員

 それから学校教育との関連に関するアンケートの中で,何人かの方が漢字を念頭に置いて,小学校の教育あるいは義務教育は易しくしなければいけない,だから漢字を増やしては困る,児童に過大な負担を掛けては困る,漢字を現在より増やすと児童・生徒にとって混乱支障を招く原因になるという御意見があるが,私はそれはおかしいと思う。やりようによっては決して難しくないと思う。むしろ漢字は易しいという実験報告がある。このような実験を踏まえた上で言われるならいいが,そういうものは問題にせず頭から漢字は難しいと決めているなら,それは大変古いからにこもっていることになる。いろいろな研究が進んでいることをよく研究された上でおっしゃっていただきたいと思う。
 これは学校の先生方に伺いたい。別表の存在についてはほとんど疑義が出ていないという意見があったが,私の知る限りでは,当用漢字別表は問題にならないというのがむしろ世論である。その証拠には,先程視学官から話があったように,115字のいわゆる備考漢字を加え,更に小学校において約1,000字の漢字を教えるようにしなければならないということになったものと思う。どういう根拠があって別表の881字に対してはほとんど疑問が出ていないとおっしゃるのかしらないが,国語審議会は日本の文化というものを考え,日本全体の過去から将来を見渡してもっと気宇壮大な御審議をお願いしたいと思う。

佐々木(定)委員

 今宇野委員の言われたことは私の発言というか,アンケートに書いたことに触れていると思うのでお答えしたいと思う。一つは別表について,私の書いたことが誤解を招いているのではないかということである。別表があることによって,義務教育では漢字の問題については安心して指導できる。この字種や字数などについては検討の余地があるが,これがあることによって,現在の義務教育を行っているものは大変安定している。
 第2点は,先程から国語問題を漢字の問題とすり替えておられるのではないかということである。漢字問題は確かに国語の問題の一部ではあるが,国語の問題即漢字の問題ではない。したがって,漢字を増やすとか増やさないということが即国語の力が付くか否かということに結び付くかどうか疑問である。
 それから第3点は,学習指導要領での漢字の取扱いに関して,小学校6年間,中学校3年間,それに高等学校で履習する字数を示した表があるが,その中では,小学校の6年間で読むこととする字を1,000字としてある。そこでこれまでの指導要領で881字であった字数が1,000字になったため,指導要領でも漢字を多く教えることが一つの傾向になっているとお考えになるのは早計だと思う。というのは,この1,000字は読む字であって同じ6年で書ける字数は800字と押さえている。前の指導要領では,読み書きともに880字程度ということになっているので,むしろ負担は軽くなっている。これは指導方法と指導計画の問題だと思う。すなわち低学年から早く文字に触れさせ,繰り返し読むこと書くことによって漢字を身につけていく,定着させていくというのが今度の指導要領のねらいだと思う。したがって,1,000字という字数だけを見て,小学校で数える字が増えてきた,あるいは一時は減っている時代もあったが,現在は増えているというようなことを基にして,今の指導要領の字数から考えて今後はもっと増やすべきではないかというのは一考を要すると思う。
 先程飯島委員が,中学校などでは学び取るものが非常に増えたということ,これに対して宇野委員は,小学校では読み書きそろばんさえやっていればいいという御発言があったが,これは恐らく比ゆ的に多少誇張されたことと思う。今の子供,今の日本の教育のことを考えると,読み書きそろばんでいいというようなことはうなずけない。

志田委員

 アンケートでは,どこまで立ち入って学校教育と関係付けるかというふうに伺えるようなお尋ねであったので,それに対して私は技術的な答えをしたが,各委員の中からもそういう答えが沢山出ているように思う。前回の音訓表を審議する過程で考えたことにややこだわっているかもしれないが,学校教育との関係をどうするかについては,高等学校との関係,中学校との関係,小学校との関係というふうにそれぞれ違う。そこで我々が最終目標としてここで決める漢字表を,一部の方がおっしゃるように初めから3通りにし,それは高等学校程度を超えたものだという考え方であれば別として,そうでなく,前の音訓表と似たような趣旨で,要するに義務教育を終えてある程度の社会生活になじんだ者とか,高等学校の教育を受けた者若しくは受けている者という辺りに一応の大きなねらいを置いていいのであれば,それと我々がこれから検討し直す漢字表とは余り掛け離れたものにならないように,絶えず注意しながら審議を進めることが一番基本的に必要だと思う。しかしそういう努力を払いながら審議したにもかかわらず,結果においてそのわくというか,幅というか,量が従来のものに比べて非常に多くなったというような結果が仮に出れば,そこでその距離をどうするかとか,あるいは別の表を高等学校目当てに作る必要があるかとか,それとの関係で,義務教育においてはどうなるかというふうなことを考えた方がむしろいいのではないか。我々としては大きくどの辺で押さえるというか,学校教育との関係を全体としてどの辺で押さえるかということをできればもっと論議し,後は一通り出てきた案について,学校教育との関係からそれに更に考慮を払うか,あるいはそれはそれとして認め,学校教育との関係を別にどのように考えるかというふうなことを,その段階になって私としては考えたい。

福島会長

 この問題はかなり重要な問題であり,また別表の取扱いについては字種の検討が進んだ段階でも検討できるので,次回もう一回引き続いて学校教育との関連なり,あるいは具体的に言えば,別表の取扱いなりについて更に御意見を伺う方が適当だと思う。

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