国語施策・日本語教育

HOME > 国語施策・日本語教育 > 国語施策情報 > 第13期国語審議会 > 第104回総会 > 次第

次第 国語問題・国語政策について(自由討議)国語問題・国語政策について

志田委員

 国語問題・国語政策といった問題で少し申し上げたい。
 一つは,当局へお願いしたことである。新聞や放送のニュースによると,国立大学協会は,教育系の大学学部の改革充実について意見をまとめ,文部省と話合いを進めたいと考えているということである。国語審議会の「国語の教育の振興について」という建議の中で,国語問題についての教養を,教員養成の場において考えてほしいという意味のことに言及してあったと思う。それが,今日まで,免許法その他に反映するような形になってきてはいないので,両者の話合いの場で,「国語の教育の振興について」の中にそういうことが要望されているということをお考えいただければ,実を結ぶことが一段と強化されていくのではないかと思う。何かの形でお取り上げ願うことができれば幸いである。
 もう一つは,プリントのC番の問題に当たるかどうか分からないし,また,審議会としては,漢字表問題の後には更に現代かなづかいの問題等を抱えているので,これから述べるようなところへ進めるかどうかも分からないが,国語審議会の遠い前身である臨時国語調査会という時代から,調査会・審議会が,いろいろな国語の問題を取り上げて,ある場合には許容の形というものを示したりしている。
 そういうことを前提にして今日の国語の状態を考えてみると,国語が混乱しているという考え方を持っている人も随分いると思われるが,一部には,それは混乱だけと考えるよりは時代の変化だというふうに考える人もいる。審議会としても検討してみていい問題がたくさんあるように思う。例えば,かつて取り上げられた活用の問題を一つ考えてみても,私どもが学校教育を受けた時分には,サ行変格活用が非常に有力な一つの柱であったように思うが,現在それは片すみの存在になっていて,今の若い人の多くは五段活用として使っているという事実がある。
 このような場合,五段の形をどこまで標準的な形として考えるか,あるいは考えないかというふうなことが,やはり問題になり得ると思う。また,現在の若い人には,「食べれる」とか「起きれる」がむしろ普通の形になってきているような気がするが,こういうものも認めていいのか悪いのかということもある。
 あるいは,テレビやラジオのコマーシャル,新聞の広告等で,「お求めやすい」という言い方が一般化している。これはこれまでなかったものだと思うが,一般化しているから認めていいのかどうかということもある。また,例えば,コンピューターというような語を,今更,漢字を使って表すということは時代錯誤であろうと思うが,そうかといって身体に関する語彙(い)を仮名書きにして得意になっているという状態も,好ましいとだけは言い切れないように思う。
 そういうような仮名書きのはんらんについて,そのままにしておいた方がいいのか,あるいは何かそれについて発言した方がいいのかという問題を拾っていくと,かなりあるように思う。以上のような問題をどういう方法で話し合ったらいいのか,考えが具体的にまとまっていないが,一応の結論がでるようであれば国語審議会なり,あるいは文化庁なりの国語白書のような形でまとめるという方法もあろうと思う。文化庁でも,「ことば」シリーズといったものを出しているようであるが,今,挙げたようないろいろな観点から総合的にまとめたものにはまだなっていないように思う。
 また,こういうことについては,国語審議会も無関心ではないので,取り上げてしかるべきではないかという気がする。

福島会長

 特に最後の問題は審議会として取り上げる方がよいと思うので,御相談をしてみたいと思う。

倉沢委員

 今の志田委員の御発言に少し関係しているが,本日の資料のCにある「漢字問題だけでなく,国民が国語について広く関心や不安を持っている云々」の箇所の表現であるが,「広く関心や不安を持って」いないのではないかという立場から見直すと,我々が察するほどは一般の国民には日本語に対する関心とか,尊重とか,自覚とかいったようなものがないというふうに心配される。そこが一番の根源的な問題で,学校教育の,特に国語科の教育の中で,「国語を尊重せよ」とか「愛護しよう」とかという目標をいくら掲げても,やはりそれは学校教育だけにとどまってしまうという心配がある。本審議会としては,国民の国語意識の向上のために何か総合的な施策をしなくてはいけないのではないかと思う。
 それが先ほどの木内委員の御発言にもあったように,まず先に教育の問題として考えて,それから具体的な問題に入っていくべきだという趣旨ともかなうように思う。今の志田委員の引用にもあったように,昭和47年の建議の精神を何か具体化するような方法はないものかと考える。あの建議をあのままにしておいていいのかという危惧(ぐ)を私も感じている。次回でも次々回でも結構であるが,そういう問題について少し巨視的な視点から一般的な討論を願えたらと,強く希望している。

福島会長

 御指摘の点については,しかるべき相談をして,御要望に添えるようにしたいと思う。

馬淵委員

 資料のFであるが,これは私が提案したものと思われるので,簡単に趣旨を説明させていただきたい。
 左横書きが大分普及していることは確かであるが,実は私の学校で卒業証書を左横書きにするという件が持ちあがった。卒業証書は縦書きでなければまずいのではないかという気がしていたので,これにはちょっと抵抗を感じた。
 なぜ横書きにしなくてはならないかということを考えると,余り根拠がないのではないか。資料にあるように,昭和26年の「公文書の左横書きについて」という建議から出ているようであるが,左横書きというのは,洋数字とかローマ字をまぜて書く場合には確かに便利であるが,公文書にはそれらがほとんどない。なぜ横書きにしなければならないのかというところに疑問を持ったので,一応検討いただければと思って提案したのである。

福島会長

 これも重要な問題であろうと思う。
 特に御発言がなければ本日の会議はこれで終わりにしたい。(意見なし。)
 次回総会も,全般的な問題についての意見を伺うことにしたいと思う。その際の問題点などは,運営委員会ないし問題点整理委員会で御検討いただくことにしたらどうかと考えている。
 次回の総会は1月20日(金)の予定である。それでは本日の会議はこれで閉会とする。

トップページへ

ページトップへ