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福島会長

 なお,この機会に一言申し上げておくことがある。
 前々から宇野委員の御発言のある法務省の民事行政審議会における人名用漢字の取扱いについて,会長としての考え方を申し上げておきたいと思う。これは過日の運営委員会にも御相談申し上げ,御了解をいただいたものである。運営委員会で御審議をいただいた結果,このように御了解をいただいたということで,総会においても,さように御了解を願いたいと思う。
 民事行政審議会においては,人名用漢字の取扱いについて,従来どおり制限方式を維持することとされたようである。これは「常用漢字表」の趣旨を十分に参考としながらも,民事行政の立場から慎重に審議してこのような結果になったものと考えられる。
 現在,このような基本的取扱いの方針の下で,その具体策を審議中の様子であるが,今後人名用漢字として使用できる漢字の字種,字数等の検討の際にも「常用漢字表」の趣旨が十分参考にされるものと期待される。
 このような考え方について運営委員会の御了承を得たので,今後審議会としては,民事行政審議会の措置に対して,特に申し入れ等は行わないということにさせていただくことを御報告申し上げる。
 この件に関して御了承をいただきたいのであるが,特に御意見のある方があったら,どうぞ。

宇野委員

 私が言わば火付け役であるので申し上げるが,人名用漢字の問題については,前文の4ページにいろいろ書いてある。「人名用漢字別表の処置などを含めてその扱いを法務省にゆだねることとする。その際,常用漢字表の趣旨が十分参考にされることが望ましい。」と書いてある。「望ましい」という書き方は昔はなかったと思うが,占領軍が来てからそういうような言い方がはやりになった。占領軍の場合の「望ましい」というのは,「そうしろ」ということなので,大体日本側の政府関係では,進駐軍から「望ましい」と言われると,すべて「そうしなきゃいかぬ」ものだというふうに了解した。そういう習慣がどうもその辺からあったように思う。
 ところで,我々の「望ましい」というのは,果たしてそれだけ強い意味があるのか,また仮に意味があったとしても,それだけの拘束力があるかどうか。それは大いに議論のあるところだと思うけれども,少なくとも私個人の考えでは,「常用漢字表」は目安であって制限ではない。私はこれが一番重要なポイントだと思っているので,そういう「常用漢字表」というものを日本の国語政策として取り上げたからには,人の名前についても,例えば「人名用漢字表」というのを仮に作ったとして,なるべくその字で書いてください,しかしそれ以外の字であっても,うそ字やなんかでない以上は認めますというような方向にいくべきだと思っていたのである。
 ところが,今,会長からお話があったように,民事行政審議会では制限方式というものに決まってしまった。私はその席にも出ていたので,よくいきさつは分かっているが,元東大総長の加藤一郎委員は,その際,法律的な立場から,それがはなはだ国民の──何と言われたか,表現は忘れたけれども,要するに,表現の自由の侵害だと,一言で言えば,そういう意味のことを言われて,やはり自由にすべきであるということをるる述べられた。
 私も,国語審議会の「常用漢字表」の趣旨が,まだそのときには今日のような正式の決定にはなっていなかったけれども,「常用漢字表」の性格について大体全員の了承を得ていて,そこに多少なりとも制限的な色彩を強く考える方々と,形だけやっておくけれども,何もそれに拘束されることはないという考え方と,両極端があって,必ずしも具体的な問題については意見が一致していなかったけれども,とにかく制限ではないことについては全員の了解があったものというふうに了解していたから,その席でそういう趣旨のことを発言した。前の昭和23年から行われた戸籍法施行規則のあの制限というのは,あのときは日本語から漢字をなくしてしまおうという大方針があったのだから,その線に沿って名前の漢字を減らそうとしたことは,私は不満だけれども,まあ趣旨としては分からぬことではない。ところが,今回は日本の国語政策──私は大変思い上がった言い方かもしれないが,この国語審議会というのは文部省あるいは文化庁に属してはいるけれども,私は日本国の国語政策を審議すべき場所だと思っている。だから非常に責任が重いのであって,もちろんそれぞれのお立場に応じて自分たちの考えはこうであるということをおっしゃることは当たり前であって,むしろそうあるべきであるけれども,全体の考え方としては,日本の国語をどうしていくかという問題を論ずべきところだと思っている。だから,そういう性格の審議会において漢字の制限はしない,漢字表は目安であるという方針が決まった以上は,人の名前を制限するというのは,はなはだ筋に合わない。事務的な能力とか何とかいうことをそのとき言われたけれども,それだって人の名字のほうは全然制限がないのだから,事務的な能力という点から言っても,それは全然私は筋が通らぬと思う。地名だってそうである。地名は時々変えているところがあるけれども,人名は余り変わらない。だから事務的な能力から言ったって,そういうことは理由にならぬということを随分強く申し上げた。そのほかにもいろいろ申し上げたけれども,私の意見は取り上げられず,誠に遺憾ながら,制限方式というものに決まってしまった。

宇野委員

 そこで既に決まったものはしょうがないけれども,前々から申していることをここでもう一度申し上げておきたい。と言うのは,昭和21年11月16日に「当用漢字表」が出たあと,昭和23年1月1日から効力が発生した「戸籍法施行規則」で,子供の名前に用いる文字は,「当用漢字表に掲げる漢字」及び「片仮名又は平仮名(変体仮名を除く。)」ということになった。ところが,これは蒸し返しになって恐縮であるが,「当用漢字表」の前文を見れば分かるように,人名など固有名詞については関係するところが大きいから別に考えることにしたということで,ここでは全然その問題については考えていないのだとはっきり書いてあるわけである。それにもかかわらず,それによって固有名詞を縛る,人名用の漢字をそれによって縛るということは,誠に言語道断であって,国語審議会は当然それに対して抗議を申し込むべきであったと,私は今でも思っているが,実は腹の中では,これはひょっとすると国語審議会から圧力がかかったのではないかということを疑っていたのである。ところがそのはっきりした証拠が出た。そのことは前々から申し上げているけれども,ここではっきりと文献を申し上げる。それは我妻栄先生の編さんに成るところの『戸籍』という叢(そう)書のようなものがあって,ジュリスト選書,昭和33年11月20日に有斐閣から出ているものである。これの第一に『出生』という本がある。その中の48ページから51ページにかけて「子の名」という項目があって,それは座談会形式で発言されているのであるが,そこで青木さんという方が──お名前の方はちょっとメモしなかったけれども──「施行規則の規定は,国語審議会や文部省の強硬意見をのまされた結果です。人名だけについて当用漢字以外に若干の文字を加えることも,当用漢字制定の趣旨に反すると,強い反対にあったのです。」ということを発言しておられる。同様な趣旨で平賀という方もそのように言っている。だから,これは私の下司(す)の勘ぐりではなく,私の推測はまさに正しい推測であったわけである。そういう事実がある。
 もう済んだことを私が今更どうすると言ったところで,それは,不可能なことだけれども,今回採択になった「常用漢字表」ははっきり目安ということになっている。更に言えば,これは,字体の問題とも関係してくるわけである。
 前文の3ページ,下から5行目のところに,「なお,人名など固有名詞にかかわる場合の字体の扱いについては,必要に応じて別に考慮される余地のあるものである。」とある。これは非常に含みのある言葉であって,どうにでも解釈ができるけれども,私は,当然正字,普通の言葉で言えば,康熙(き)字典体の字を認めるべきだというふうに思っているわけである。これはどうなるのか,今のところ分からないけれども,そういうことが書いてある。
 ただいま会長は,民事行政審議会において国語審議会の意向が十分に考慮されたものと考えるとおっしゃるけれども,私はどうも十分に考慮されたとは考えない。その場に出ていて私はそういうふうな印象を受けたのである。ただし,それは私の印象であって,民事行政審議会で委員の方々の言わば圧倒的多数で制限論が通ったことも事実であるけれども,私は,しかし国語審議会としてその決定は我々の「常用漢字表」制定の趣旨とはちょっと違う,はなはだ遺憾である,というくらいのことは,会長からおっしゃっていただきたいと思う。私の希望としては,国語審議会会長のお名前をもって,我々の趣旨とは反するので,大変遺憾に思うという意味の文書を出していただくのが一番よい。それがもしだめだとおっしゃるなら,今日は多分記者会見がおありだと思うから,その記者会見の席で,せめて談話ででも国語審議会としては法務省の民事行政審議会の人名用漢字を制限すると決めたことは,我々の「常用漢字表」制定の趣旨とはちょっとずれているので,我々としては遺憾に思うということをおっしゃっていただきたいと思う。
 そうしないと,今後もまたこれはどこかから法務省に圧力がかかったのではないかと勘ぐられるおそれがある。国語審議会から圧力をかけた──国語審議会と言ってはちょっと言い過ぎになるかもしれないが,まあ,そういう一抹の疑問が又わいてくるわけである。それは前にあったことだから,又やったと,こう思うわけである。一度もなかったのなら,そういうことを言うのは誠に下司の勘ぐりであって,失礼であるが,一度あったことは,もう一回やったかもしれぬと私は思うわけである。だから,そういう疑惑をきれいに拭(ふ)き去るためには,どうしてもここで国語審議会会長として,それは遺憾であった──遺憾であったと今更おっしゃったって,それは変わりはしない,変わらないことは私も分かっているけれども,そういう趣旨のことを言っておくということが私は大事だと思う。昭和33年の『戸籍』で昭和22年の段階の事実が10年以上たってはっきりしてくるのだから,今回のことだって,今から10年か20年たったら,実は……てなことになるかもしれない。私はそういうことがあってはならぬと思うから,くどく申し上げるのである。
 会長はなかなかこのことをお聞き入れにならぬかもしれない。運営委員会でお決めになったことだから,我々が幾らがんばってみたところで通らないかもしれないが,私はそれはどうしてもそうしていただきたい。それを強く希望する。

福島会長

 どうもありがとうございました。御意見は承った。記録にとどめさせていただきたいと思う。
 民事行政の立場もあろうと考えられるので,お申出の審議会として抗議するという措置はとらないことにすることを誠に遺憾ではあるが御了承願いたいと思う。

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