国語施策・日本語教育

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次第 協議(2)

木内委員

 これが戦後の国語政策の基礎にあった根本理念だと思うが,今にして思えば,この四つの根本理念は全部誤りであったことが事実によって実証されたと言っていいと私は考えている。果たしてしかりや否や,その点誤りであるかどうか,それを検討する場を作っていただきたい,こういうのが私の今日の提案である。
 右の私の認定が,今の四つの根本理念──その根本理念はそうではなかったとおっしゃる方もあるかもしれないが,そういう理念があったとして,それが全部事実によって誤りであったことが実証されたと私は思うが,そう思う私の認定が真実である程度に応じて,新しい国語政策の理念を構築する必要がある。
 私のように全面的に間違っていたと言うなら,新しい国語政策はどうあるべきか──それは,真っ先に,政府が余り干渉しないというところから来るであろう。とは言え,決して何もしないわけではなく,教育の場であることをするし,良き国語が育つように仕向けるということなのである。
 しかし,いじくるということはできないという意味で申しているが,一方,どうしたらいいかという新しい国語政策の理念を構築する必要があるのであって,これは今臨時教育審議会というものが誕生するような現下の情勢上,時を移さず取り組むべき問題だと思う。
 今まで仮名遣いの審議に入ってから既に2年以上経過したけれども,範囲を限っておいてその中で細かい研究をした,その研究は立派だったと思うけれども,範囲を限っていることがいけないし,根本理念を問題にしなかったのがいけない。これは戦後の国語政策の最後の大問題であるから,是非ともそれを問題にしていただきたい。これが私が今日申したいことなのである。どういうことかということは,もしその場を作っていただけるのなら,その場で論じたいと思う。
 これをやらないようでは,全くこの審議会というものは,世間からもほとんど忘れられてもしまう。国語審議会が何を言おうと新聞に出ない。それは理念を扱わぬからである。今の国語政策というのは確かによくない。日本の学校の問題にしろ,何の問題にしろ,そこに元があると思っている人間がいるのに,それをここでは取り上げないというのはいけない。審議会の審議もいよいよ最後の場が近づくわけだから,是非その問題を取り上げていただきたい。

有光会長

 ただいま木内委員の御提案になった非常に基本的な御意見に対して,皆様の関連した御意見があったら,是非お述べいただきたい。

寺島委員

 私は,木内委員のように根本から直さなくてはならないという考えではなくて,初めから今の「現代かなづかい」をもう少し分かりやすいものにする方法がないだろうかという考え方だった。御発言のそのことについては前にも申し上げたことがある。ただ木内委員が最初におっしゃった,これが何か今こういうことをやっているという中間の御報告なのか,又は何かを総会に問うていらっしゃるのか,そこが分からないということは私もそうなので,そこのところは木内委員のおっしゃっていらっしゃるのと同じ考えである。今日のお話は,こういうふうにやっているという御報告なのか。何かを問うていらっしゃるのか。そこが分からない。

林主査

 実は私言葉が足りなくて,最後に申し上げなければいけなかったわけであるけれども,こういうふうに我々は考えてきているけれども,なお審議をしなければならないので,それについて御意見を伺わせていただきたいということを,一言,言わなければいけなかったのである。それを忘れてしまった。付け加えてお願いをいたし,これらについては,どうか具体的なところで御意見を伺わせていただきたいというのが,仮名遣い委員会としてのお願いである。
 ちょっと付け加えさせていただきたいと思うが,ただいま木内委員がおっしゃったことについてである。木内委員はもっと根本にさかのぼってということをおっしゃったわけであるけれども,私どもとしては,「漢字表」「送り仮名」「現代かなづかい」というようなものが,一連の施策としてまとまりをつけなければならないというような点で,その一まとまりとして仮名遣いを考えていこうとするので,我々としては多少範囲を限定して,自分のやり場所を限って考えてきた点は御指摘のとおりである。
 それについては,戦後のやり方がいろいろ御批判があるわけであるけれども,一つは,正書法というものを考えていこう,正書法と言うか,標準的な表記,文字の使い方というものを明らかにしていこうという方向において,「漢字表」も「送り仮名の付け方」も「現代かなづかい」も決められてきたものと考えているので,その点で仮名遣いもその一つとして,最後になっているわけであるけれども,これを今後決めるということになったと考えている。
 「現代かなづかい」については,表音原則を立て,表音を建前にしたけれども,このたびの仮名遣いの論議に際してもその原理を踏襲するということにおいては,この総会でも大体皆さんの御同意を得ているものと私どもは理解してきている。今新たに表音主義に立つのではなくて,従来進めてこられた「現代かなづかい」の表音原理をここで改める必要はないという考え方の下で我々は進めてきた。そのことをちょっと御了解いただきたいことと,それからもう一つは,表音原理というものとは別に,これは仮名遣い委員会の中ではお話が出ていないわけであるけれども,新たに改革をしていこうという考え方を持つとすると,もう少し能率主義という方面もあると思う。一方では歴史主義,歴史へ戻る主義があると同様に,もう少し能率主義があろうかと思う。

林主査

 そういうふうにして考えてみると,ただいま木内委員の方からはハ行の活用語尾のお話が出たように,ここでは問題にされていない書き方についても,能率主義の観点からすると,問題になるところがまだあるように思う。例えば,これはつまらない例を引くかもしれないが,仮名が多くなってしようがないということが一つあって,オ列の拗長音などは,「しょう」と書かなければならない。「もんぶしょう」「ぶんかちょう」と,仮名では書かなければならない。それを昔のように言うか,昔の電報のように,「ぶんかてう」「もんぶせう」「ようございませう」と,こういうことにすると,実はワープロとかカナタイプなんか打つときには非常に楽になると考える。そういうような能率主義の問題もあるかと思うわけである。
 しかし,ここではどうも我々は全体において,先ほどから申しているように,慣例主義,旧套(とう)墨守主義と言われると困るけれども,従来の習慣を保存しようという方へ向かったというわけである。しかし,その中でもいろいろ改善しなければならない点でお気づきのことがあろうかと思うので,その辺はどうか御指摘をお願いいたしたい。

木内委員

 根本問題を論議する場を作っていただいたらと思うが,その場を作っていただいてから根本問題は何だと言ってやっていくのも手がかかるので,もう少し簡単にいった方がいいと思う。それで私なら根本問題を一体どう思っているか,既に3分の1か5分の1言ってるわけだけれども,それはそう難しいことではないので,それを書き物にして出すから,それを御覧になった上で,討議する場を,いきなりこの場にかけてもいいと思うが,そういう場を作っていただくのが一番いいかと思う。
 それから,今言い落としたが,「おとこ」「おんな」というときは「を」がいいんだと申したけれども,「おどり」も「を」である。面白いのは,「おもしろい」というときは「お」で,「おかしい」というときは「を」なのである。だから,「おもしろをかしい」という場合,片方はア行で,片方はワ行である。そこを書き分ける。同じ仮名で書いてあっても,そこに違う仮名があるのであるから,そこを分けているところに,日本語の複雑な,微妙な,極めて繊細なる味わいというものがあるのである。
 だから,一つの音ならば同じ仮名で書いたらいいと言うのは,簡単化ということでポンとそこへ飛んでしまったからいけないので,そういうことは簡単にしようがすまいが,大したことではないんで,せっかく使い分けているならば,使い分けた方が分かりやすい。見てポンと分かる。そういうことを論じようということなのである。
 それから「経営」というのが難しいアイテムとして一つ書いてあるけれども,「経」という字は「けい」なので「けえ」ではないから,それを「けいえい」と書くのはいいに決まっている。それを「ケーエー」と読む人があるのは一向に差し支えない。したがって,「けえええ」と書く場合があっても差し支えないということになってくるので,規則の立て方はそのように簡単であればいい。
 だから,私どもの理念と言うと,いかにも難しいようであるが,それは国民の精神問題としては実に大事である。だから国語のいわゆる規則を作る。規則と言っても,押しつける規則は不可能なのであって,単によりどころを示す。あるいは,この方がいいのではないかというものを示すにすぎないのである。
 「何々をしよう」というように,意志を表すときには「よう」と書く。「花のようだ」というときは「やう」と書く。その方がいいのではないかと言うだけであって,「花のようだ」というときは,「やう」と書かなければいけないとか,「よう」と書いてはいけないとは言わない。
 そういう極めて気楽な規則の方がいいのである。国語というものは強制できないから。結果において極めて楽なことになるのだけれども,これを国民の精神問題として考えると,非常に非常に大きいので,そのことに気がつかない方も世の中に多いのだけれども,気がついてみれば,これはたまらない。今の占領憲法下に生きているくらいの苦痛を私などは感じている。
 今の国語政策の在り方,このままで教育が流れていったら,それこそ日本という国のよさというものが本当に失われていく。そこまで考える。そこは非常にやかましい問題であるから,この場で論ずべきどういうよりどころを立てるべきかというのは,存外簡単だということを今から申しておくから,またそういう書き物も書くから,どうぞそれで議論していただきたい。

有光会長

 ただいま木内委員のおっしゃったお考えを書き物にして出していただければ,皆さんにそれをお送りして,よく御覧いただいて,これを総会にかけるなり,全員協議会のような形で皆さんの御意見をよく伺って,そして国語政策の一連の手直しが今行われていて,最終に近づいているところであるが,そこで我々はどういうことをここで考えるべきか,全部のやり直しを今更やれと言われてもこれは困るが,しかし今までのやり方そのままで大事なことを見落として,それで審議を終っていいものかどうかということにも関係があるような気もするので,御意見をひとつ書面でお出しいただき,それを皆さんにも御覧をいただいて,そして皆さんの御意見も十分伺って,最後の機会をできるだけ皆さんの御納得のいくような線へ持っていきたいと思う。

木内委員

 大体書き物は2週間くらいでできると思う。

広瀬委員

 木内委員の御意見,大変気持ちに響くところがあるし,また仮名遣い委員会に参加していて,ここに報告されたことに賛成する立場で今日出ているけれども,それをちょっと離れて,私個人の感想を申し上げると,言葉というのは,おっしゃるように優れて文化の問題であって,文化そのものの側面を持っているということは,全くそのとおりだと思う。しかし,反面,社会生活の能率に非常に影響するものであって,私,新聞社の立場で発言するならば,なるべく簡単に,なるべく統一して,議論の必要なしというくらいに完全に統制した方が,能率的には結構だという立場があるわけである。林主査の言われた歴史主義と能率主義という二つの極を持っていて,その間に問題が発生して揺れているのではないかというふうに思う。
 その二つを踏まえて私自身納得していることは,この国語審議会での議論は,適用分野を「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など一般の社会生活」とするというふうに限定している点である。この一般社会生活に関係のないこと,これは能率に関係のないことはないのだけれども,能率を第一義としない,例えば文芸とか文学,そういう学術や文芸に関係すること,詩歌に関係すること,これは適用を受けないということで始まっているわけである。
 そういう意味で,ここにも書いてあるUの法則及び運用上の問題の1の(4),「科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」ということに私も賛成しているし,ここに一つの救いと言うか,ここにまた一つの文化の世界が展開できるということで,決して文化全体を能率主義で覆うということではないという説明ができると思う。
 ただ,仮名遣い委員会のときにも発言したけれど,やはり皆さんの御意見もお聞きしたい。ここの「科学,技術,芸術その他の各種専門分野」という表現に多少の不自然さがあって,仮名遣いが,科学,技術ももちろん関係があるけれど,「科学,技術,芸術」という三つの分類を,例えば「学術,文芸」としたらどうかという意見が委員会でも出て,私もできることならその方がいいのではないかという考えを申し上げた。ただし,「その他の各種専門分野」ということになっているので,論理的に間違っているとは言えないけれども,表現的にはまたいい表現があるかもしれないけれども,「科学,技術,芸術その他」という言い方を変える余地はないものかということを今なお思っている。
 それから,繰り返しになるけれども,私は新聞の立場と全く別に,個人的に俳句の勉強をしている。俳句の世界ではこれまた,人によって多少の違いはあるけれども,やはり歴史的仮名遣いを墨守する立場でやっているので,そういう意味で例えば歴史的仮名遣いの表記が載っていない字引は,本物の字引ではないと思っている。
 木内委員のお考えに敬服しながら,また国語審議会の立場にも同調しながらいる私の立場,考え方はそういうことである。

木村委員

 私は,木内委員のおっしゃることもよく分かるし,さりとて今歴史的仮名遣いに戻るということはとても不可能であるし,そして今の御意見を伺っていて,大変納得できるところがある。しかし,日本人にとって新しい言葉はどういうことを心理的に精神的にもたらしたのかということを一度きちんと洗い出しておくことは,大変必要なことだと思うので,それをする場がやっぱりここしかないとすれば,言葉を元に戻すとか,変えるとかいうこととは別に,新仮名遣いとかそういうものがどういう意味を持っているのかということは一応押さえておく時期が来ているのではないかという気がする。

有光会長

 今期の国語審議会の審議の方向としては,大体終戦後の国語政策の基本的なものの見直しが行われて,その最後のところに仮名遣いの問題があったというように了解して,皆様とこの審議の状況を確認してまいったような次第であるが,ただいまの木内委員の御発言はその点も含めて,もう一度皆さんの御意見を深めて,そして共通の理解の上に立って戦後の新しい国語政策の正しい手直しと言うか,在り方を見出したいというのが,この審議会の使命だろうと思うので,せっかくの木内委員の御発言を我々は十分尊重して,その御意見を書面で出していただき,そしてそれによって皆さんの御意向も十分伺い,そして仮名遣いについての結論を出してまいりたい。
 また,この結論の出し方いかんによっては,これから先の国語問題のこれが布石にならないとも限らないと思うので,そういう点から申せば,木内委員の御発言は常に尊重されていいことだと思うし,我々は常に考えていかなければいけない。しかし,先ほど広瀬委員などからもお話があって,大方の方の御意向の一致しておる線というものもあるようであるので,そこらも次の全員協議会なり,総会なり,適当な機会に皆様の腹蔵のない御意見の交換をいただいて,審議を進めてまいりたいと思う。
 ほかに何か御発言は……。

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