国語施策・日本語教育

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次第 改定現代仮名遣い(案)について(報告,協議)

有光会長

 続いて本日の議事に入りたい。
 まず,先般,全員協議会で御了承いただいたとおり,仮名遣い委員会でおまとめいただいた「改定現代仮名遣い(案)」について,これを仮名遣い委員会の試案として公表することをお諮りするわけであるが,全員協議会以後,皆さんの御意見等によって若干調整されたところもあるので,林主査から御報告をお願いしたい。併せて,この機会に必要な御説明があれば,伺っておきたい。

林(大)主査

 ただいまお話のあったように,1月18日に仮名遣い委員会を開いて,全員協議会で伺った御意見や,その後電話や郵便で御連絡いただいた御意見等を資料にして逐一御相談して調整した。その結果,多少文言を変えたところがある。最後には,松村副主査と相談して取りまとめたのが今日の印刷物である。それについて,たびたびお聞きいただいてはいるが,一応ごく概略,御説明を申し上げる。
 冊子の1ページであるが,これはこの前申したように,前文と本文と付表という三部からなっている。
 まず,前文の〔はじめに〕というところは,このたび,この仮名遣いの案をまとめた,という経過の概略を述べているが,その一番最後のところに,この前お目にかけたのでは「仮名遣い委員会試案として」という言葉がなかった。これは当然入れておいてしかるべきものであるから,最後の行に「このたび,仮名遣い委員会試案として,この「改定現代仮名遣い(案)」をまとめた。」というふうにさせていただいた。
 次に,〔仮名遣いについての認識〕として,一つは,仮名遣いの沿革についてどう考えているかということを,1ページの終りまで述べている。仮名で国語を表記するということがどのようにして始まったか。11世紀になって,既に成立していた平仮名,片仮名,そういうものの上に,いろは歌という形式の仮名表が成立した。その後に「いろは」47字というものの中に同音の仮名を生じたので,使い分けが問題になり,それが一つは定家仮名遣いというものを生んで,それが長く支配的であった。1700年ごろになって,契沖が,定家仮名遣いとは違った仮名の使い分けがあることを,万葉集の研究から発見をした,というわけであるが,前の案では,「「いろは」に当たる万葉仮名の使い分けに……」という文言があったが,そのところは「万葉仮名の文献に定家仮名遣いとは異なる仮名の使い分けがあることを明らかにし」と少し簡略にさせていただいた。なお,ここでは契沖に先立つ研究もあって,14世紀の初めであるけれども,万葉集の研究の上で定家の仮名遣いとは違ったものがあることを言っている人があるわけであるが,それは略して,契沖が「和字正濫鈔」という大きなものを立てたから,そこをまず書いたわけである。
 字音仮名遣いの問題であるが,「その後,中国の韻書に基づいて仮名表記を定める研究が進んだ。」として,前は「1800年代に」などと書いておいたが,そういう細かい年代のことは外したわけである。
 次に,明治新政府が成立すると,新政府が国家的な統一を図る意味において公用文や教科書に歴史的仮名遣いを使うようになった。それ以来,歴史的仮名遣いが基準になっていたわけである。そのところでは下から4行目に「字音については小学校教科書に表音式の仮名遣いが数年間」と前には書いてあったが,まあ,ざっと10年間と思うので,そう直した。
 あとは「その後40年近く」というようなところでちょっと文言を変えたところがある。
 次のページで「仮名遣い」という語の示す内容であるが,第2センテンスに「従来一般に」という言葉を入れて,「従来一般に,同音の仮名を語によって使い分けることが仮名遣いであると考えられていたのに比べると,広い見方である。」とした。これは趣旨としては変わっていないが,その後に,「同音の仮名の使い分けの問題は,その中に含まれることになる。」ということを注のように書き添えておいたのは,外すことにした。「広い見方である」と言えば,それで分かることであるというわけである。
 それから〔「現代仮名遣い(案)」の作成の経緯〕であるが,これは「現代かなづかい」制定以来いろいろ御意見があった。その御意見の中でいろいろの問題点がある。その問題点の並べ方をちょっと変えているが,全体の趣旨は全く前回お目にかけたとおりである。
 それから,〔「現代仮名遣い(案)」の性格,構成及び内容〕,これもほとんど変えていない。
 まず,1の性格であるが,現代語の音韻に従って書き表す,表記の慣習を尊重して一定の特例を設ける。これが(1)である。
 (2)は,適用の範囲であって,「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを示すものであり,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」
 (3)は,「主として現代文のうち口語体のものに適用する。原文の仮名遣いによる必要のあるもの,固有名詞など,改めがたくまた新たにこれによりがたいものは除く。」
 (4)は,特別の音の表記について,その書き表し方を対象とするものではないという趣旨。
 それから「ホオ・ホホ(頬)」という例を挙げて,発音をこれで決めようとしているわけではなくて,その発音それぞれに対して書き方を決めるという立場をとっているんだということを(5)に示しているわけである。
 2の構成は,第1と第2,それに付表が付いている。
 規則の立て方は,「現代かなづかい」では箇条がたくさんあるが,それを今回は簡略な数にした。
 3では,「内容」とだけしておいたが,やはり「(改定の要点)」というのを括弧で添えることにした。
 (1)は,本則,許容の問題であって,「現代かなづかい」では許容のあるものがあるが,助詞の「は」「へ」,それからオ列の長音については,その許容を省くことにした。そこで「オ列の長音」というところに御注意があって,「オ列の長音」へ「(拗長音を含む。)」という注を書き添えた。
 (2)は,「じ・ぢ」「ず・づ」の書き分けのことである。
 (3)は,付記の問題であって,「えいせい(衛生)」「けいえい(経営)」というような問題,「てきかく(的確)」「すいぞくかん(水族館)」というような問題,それについて考え方を示すことにした。そこに,「新たに付記を設けて」と「新たに」とあったが,「新たに」を外して簡単にした。

林(大)主査

 〔その他〕のところでは,まず1の歴史的仮名遣いの取り扱いの問題であるが,これは長い間,社会一般の基準として行われてきたものであって,今日でも歴史的仮名遣いで書かれた文献を読む機会は多いわけである。その歴史的仮名遣いが,歴史や文化に深いかかわりを持つものとして,尊重されるべきことは言うまでもない。また,歴史的仮名遣いを知ることは,この仮名遣いの理解を深める上で有用である。今回,付表を設けて,この仮名遣いと歴史的仮名遣いとの対照を示したのはそのためである。ここは前回の案とほとんど同じであるが,文言の上で「と」というのを一字加えたぐらいのことである。
 2の学校教育では,これについては,「この「改定現代仮名遣い(案)」は,性格の項で述べたとおり,現代の一般の社会生活における仮名遣いのよりどころを示したものであるが」としてあったものだから,「しかしながら」というふうにとられてもいけないので,その「が」は外してしまって,「仮名遣いのよりどころを示したものである。学校教育においては,この趣旨を考慮して仮名遣いの教育が適切に行われることが望ましい。」と学校教育に対しての希望を述べることにした。なお,その次のセンテンスであるが,元は,「また,特に古典の指導に当たっては,歴史的仮名遣いの学習に適切な配慮をすることが期待されるところである。」とあったが,それを「なお,歴史的仮名遣いの学習については,古典の指導において適切な配慮をすることが期待されるところである。」というような文言にした。
 ただいま申し上げたようなところが,前回お目にかけてあるものを後で多少修正したところである。
 以上が前文である。次に本文については,これは一々ただいま読まないが,5ページの真ん中の,「1 直音」の例のところで多少語例の順序を変えている。
 6ページは変わっていない。
 「5 長音」とあって,これは拗長音を含むわけであるが,説明のところで加えているので,ここへはそのことを書いていない。
 7ページであるが,第2の1の例で「てにをは」の後に「をこと点」という語例を挙げてあったが,これは特別のものであるから,外している。
 「3 助詞の「へ」は,「へ」と書く」というところに,「なお,「さえ」は,この例にあたらない。」という一条を入れておいたけれども,これはもう当然のことであるので,こんなところへ書くには及ぶまいということで,これは一行外した。
 それから「この例にあたらないものとする。」という表現と,「この例にあたらない。」という表現があるかどうか,という御意見もあったけれども,これはこのままにさせていただいた。
 8ページでは(2)の用例で,「ことづて」の次に「はこづめ」というのを一つだけ,御意見があったので入れてある。
 9ページは,これらは,歴史的仮名遣いでオ列の仮名に「ほ」又は「を」が続いていたものであって,「オ列の長音として発音されるか,オオ,トオのように発音されるかにかかわらず」のところへ,「オ・オ,ト・オ」というように中黒を入れることにした。その方がトオ,オオであるということがよく分かるだろうということで,これを入れることにした。
 付記のところでは,例の中で漢字で書いてあったのを仮名にして括弧の中に漢字を入れた。そういうようなことだけである。
 本文は以上のとおりである。
 それから10ページ以下が付表であるが,付表については,多少語例について手を入れたところがある。しかし,一々申し上げないことにする。
 それから項目の中で,11ページの一番下に「ゴー」というのがあって,我々の仮名遣いでも「ごう」,歴史的仮名遣いでも「ごう」というのは,皇后という場合の「ごう」がこの例に当たるというのを,ここへ入れておくということにした。またほかにも入れようと思えば入れられることもあったけれども,加えたのはそれくらいであって,あとは12ページから13ページにかけて配列の順序を,原案のときにはちょっとうっかりしていて直しきっていないものがあったのを修正した。
 13ページ辺りでは,語例をちょっと加えたところがある。13,14,15ページと,別段趣旨の上では変わっていない。
 こういうふうに調整をして,これを委員会としては最終の案として今日お目にかけるわけである。
 以上で大体御説明をさせていただいた。

有光会長

 ただいまの御説明について,御質問なり御意見があれば,どうぞ御発言願いたい。なお,御意見は記録にとどめて,4月以降,各方面から寄せられる意見と併せて御審議いただくことになろうかと思う。どうぞどなたからでも御発言願いたい。
 御発言がないようであるので,ちょっとお諮りを申し上げる。特に御意見がなければ,この辺で,この「改定現代仮名遣い(案)」を仮名遣い委員会の試案として公表することについてお諮りしたいと思うが,いかがか。

木内委員

 たびたび申したとおり,これは「現代かなづかい」の一種の説明である。説明の仕方にも実は問題があると思う。しかしそれは,この案が決まるまで意見を言う機会がなかったから申さなかったけれども,私が賛成するのは,この案で国民に聞いてみるステップをとることは賛成である。しかしそれは,この案がいいと我々は思ったのではないので,委員会の中にはいろいろな意味で反対もあったという前提で聞いていただきたい,こう思うわけである。その点はよろしいか。私の反対は二つある。
 第一は,仮名遣い問題は,実は国語問題の一番重要な問題であるのだ。漢字を制限するということもあったけれども,この方は世の中が大きく取り上げたけれども,日本語というものをいいものとして保存していくには,仮名遣い問題が一番大事だ。そういうことは少しも論じられないでこの案ができたけれども,それは現状を肯定したものではないということを,あくまでも認めておいていただきたい。この間も申したとおり,一体国語政策の根本を考え直そうという提案を私はしているわけであるけれども,それはいずれお取り上げになるものと了解しているから,そのときでいい。
 だから,私の反対は,そういった意味の根本的な反対のほかに,もう一つ,この案がいよいよ決まった以上,申し上げたいが,現代仮名遣いを説明する案としても,これは苦心の作でよくできていると思うけれども,惜しいなと思うことがたくさんある。一例を申すと,おしまいの付表に,いわゆる旧仮名を対比してくださったのは非常に面白い。しかし,対比するという以上は,例えば一番分かりやすい例は,イというところであるけれども,「鶯」というのを「うぐひす」と昔は書いた。これが仮名遣いの一つのポイントであるけれども,対比するならなぜ「鶯」を「うぐひす」と書かなかったか。それにもし参考に付けるなら漢字を書いてくださった方がよかった。これは単に表を書くテクニックである。表を書くテクニックの問題であるけれども,いきなり「鶯」があり,「貝」があると,これは旧仮名では「ひ」と書いたんだなということを知っている人はいいけれども,知らない人は訳が分からない。だから,国民に聞くというなら,殊に新仮名が使われて30年もたった今日としては,こういうところはもう少し考慮があってもよかった,惜しかったなと思うことである。
 それからもう一つ,これは種類の違った問題であるけれども,2ページの上に,今回の審議に当たっては,同音の仮名を語によって使い分けることが仮名遣いであると,今までは考えていたのを,広い見方に変えたと言うが,変えたのはいいようには思うけれども,例えば棒引きで,──引っぱるときに棒引きというのは,仮名で表すときの一つのやり方である。棒引きは今までいけないということになっていたのが,この表は棒引きを使っている。今回の付表にそれがある。それから棒引きというのは,例えば外国語を仮名で書くときには棒引きを使わなかったら書けない。しかし,現代の仮名遣いの場合を広くおとりになるなら,いかなる場合には棒引きにするんだということも言っておかなければまずかったと思う。これはこの表についてのテクニカルな私の疑問であって,そういうこともある。
 だから,これを世の中にお問いになった暁には,私は,国民の一人として,この表に対するテクニカルな批評もするが,もう一つ別途の批評もするつもりだということを申しておきたい。

林(大)主査

 理論的にはここで委員会の試案として世の中に出すことを,今日お決め願うということであって,これが総会の意見になるということは,必ずしも我々も考えていないけれども,しかし,内容的には従来の総会での御意見,あるいはアンケートに対する御意見などから,全体の御意見に乖離(かいり)しているものであるとは私どもは考えていない,ということをちょっと付け加えさせていただく。これを世間にさらした上でいろいろ御意見が出たときには,また改めて考え方を考慮することがあろうかとは思うけれども,ただいまはそういうふうに考えている。それが一つ。
 それからもう一つ,細かい点で御指摘があったが,付表の書き方であるが,これは,例は漢字を使えるものは漢字を使っておいて,それを仮名で書くときは現代仮名遣いではこの仮名遣いのように,歴史的仮名遣いでは歴史的仮名遣いのように,というふうに了解していただこうと思ったわけであって,一方では,例は歴史的仮名遣いの例というのではなくて,語の例であるというふうにお考えいただきたいので,もし書くとすれば,漢字で書けば「鶯」,現代仮名遣いで書けば「うぐいす」,歴史的仮名遣いで書けば「うぐひす」と,三種類の書き方を書いておけば一番はっきりするかと思うが,それを簡略にしているということが一つ。分かりやすくするためには,そういう手間をしてもいいわけであるが,これは簡略にさせていただいたということを御説明いたしたい。
 それから,棒引きの棒のことであるけれども,我々の現代仮名遣いとしては棒は使わないということは明瞭に本文の第1で示しているつもりであって,付表に棒を使ったのは,ここで音韻を表すために特にそれを使ったということである。また,外来語の問題は,我々の当面の問題の範囲にしていないものだから,棒の必要は全くないというふうに考えたわけである。ここで棒を使っているのは,仮名遣いとして棒を書いたのではなくて,音韻を表記するためにそれを使ったというわけである。だから,本文の方では全く棒に触れていない。現代仮名遣いとして,この範囲の,外来語その他を除いた現代語の表記としては,棒を使う必要はないものというふうに考えているというわけである。

木内委員

 せっかくそのお話が出たから申し上げるけれども,今の音韻を表すためには「現代かなづかい」ともうちょっと違う仮名遣いが必要ということになってくるのではないか。今のお言葉だとそうなる。例えば「広辞苑」は音韻で引けるが,「広辞苑」では棒引きを使っているか。

林(大)主査

 外来語と,ちょっと覚えていないが擬声語みたいなもので使っていたかもしれない。ちょっと覚えていない。

木内委員

 だから,要するに,仮名プラス棒を使えば,音韻のとおりのものはまず表せるのではないか。日本人は英語を使っているから,「ファ」であろうと,「ヴァ」であろうと,両方の発音があるわけだ。しかし,その仮名が今ないから,それは何とかしなくてはならんという問題があるけれども,とにかく「現代かなづかい」というのは音のとおりに書けばいいという建前であるにもかかわらず,音のとおりには書いていないし,また書けないのである。だから,そこのところなんかは吟味を要するので,もっと親切な説明をしないと,これだけではいけない──いけないというよりも十分でない。日本の将来のためを思って言っているので,この案の悪口を言っているのではない。これは大変よくできたものだと思うけれども,もうちょっと考えたらよかったと思うし,これから国民に聞く以上は,こちらから追加して説明してもいいかと思うので,これは説明不足というか,つまり,官庁文章的なのである。突っ込まれれば弁明はあるけれども,見たときにさらっと分かってはくれないということで,そういうのは私としては,この委員会としては残念だと思うわけだ。
 もう一つついでに申しておくけれども,これは大事なことなのであるが,たびたび出てくる言葉であるが,2ページの終わりから3行目「科学,技術,芸術,その他の各種専門分野や個人の表記に及ぼそうとするものではない。」と言っている。
 ここに二つ問題があるが,科学,技術,芸術と言うならば,なぜ文学を入れてくれないか。文学も芸術かもしれないが,それに入っているんだとおっしゃれば,それはいわゆる官庁的な答弁だ。国民に分からせるには,文学という言葉を一つ入れておかなければまずいと思う。
 もう一つ,これはこの前にも申したかと思うが,及ぼそうとするものでないなら,その人たちはなんで書くのかというと,現代仮名遣いでなければ歴史的仮名遣いしかないのならば,歴史的仮名遣いで書けということである。それならば歴史的仮名遣いは何だということをもう少し説明してほしい。それが今混乱しているので,国民は分からないのだ。これが現代仮名遣いの説明であるように,歴史的仮名遣いの説明をもう一つ,この委員会は作るべきである。それと比べてみて,いかなる場合には歴史的仮名遣いを使ったらいい,いかなる場合には現代仮名遣いがいいという議論ができるのだ。そういう努力をしなければいけない。
 今度の「改定現代仮名遣い(案)」と称する説明は,そういうものとペアでいかないと完結しないと思う。それを申し上げておく。

石川委員

 私は,木内委員はじめ多くの委員のように,国語について専門的な知識を持っているものではない。生まれて成長するにつれて,言葉を身に付け,自分の意思を発表したり,あるいは相手の発表した意思を読み取るということを辛うじて全うしてまいった。そして今,社会の一員としての務めを果たしているわけである。そういう立場から申し上げると,このたびの仮名遣い委員会の御検討は,現行のものに比べてより分かりやすく,簡明なものにするという方向で慎重に進められ,そして先般,全員協議会で御説明を承ったように,「現代かなづかい」の大幅な改正でなくて,「現代かなづかい」をより一層受け入れられやすく,使いやすいものとしての改定案であるという御説明を承った。資料を拝見すると,その構成も大変簡明になっていると私は思う。そういうことから,これまで表記についていささか苦労してきた一般の社会人の一人としては,この試案を公表して世に問われることについて,大きな同意と申したらよいか,賛意を表したいと思う。以上である。

林(大)主査

 先ほどの木内委員のお話の一つは,表音主義をとったということについての説明の仕方が不十分であるというお話であるけれども,これはどのようにしたら十分お分かりいただけるか。その辺我々の配慮が少し足りないかもしれないけれども,一応は我々は「現代かなづかい」でこの40年やってきた上で,これは理解していただけるものというふうに考えたわけである。それでも理解できないとおっしゃれば,私としては致し方がないのであるけれども,そういうことである。
 それから,「科学,技術,芸術その他の各種専門分野」という文言については,委員会でもいろいろ御意見があって,もう少しはっきり文学も入れたらいいではないかという御意見も確かにあった。実は,このセンテンスは「常用漢字表」のときの文言をそのまま使っているので,それを特にここで変えなければならないということもあるまいということから,こうしているので,趣旨としては芸術という中に文学も含めて考えていただきたいというふうに考えているわけである。
 それから,及ぼそうとするものではないというならば,それならば代わりは歴史的仮名遣いか,というお話があったけれども,これでなければ歴史的仮名遣いであるとも実は考えていないので,我々の標準としてはこれを立てようということだけ申して,その他の人がどういう仮名遣いをお使いになるか,ならないかというようなことは,ここでは一応問題にしていないわけである。ここでは,それならば歴史的仮名遣いはどう扱うべきかということについては,我々は問題にしない。それは個々人がお考えになればいい。あるいは定家仮名遣いを使おうという方がいらっしゃらないとも限らないし,もう少し発音主義に徹底した書き方で自分はいこうという方もおられるかもしれないわけであって,その辺のことには我々はくちばしを入れないで,とにかく我々の標準としてはこの仮名遣いを使うようにしていただいてはどうだろうか。こういうふうに考えている次第である。

有光会長

 ほかに特に御意見がなければ,この辺りで「改定現代仮名遣い(案)」を仮名遣い委員会の試案として公表することについて御了承を得たことにいたしたいと思うが,よろしいか。
 (「異議なし」の声あり)

有光会長

 それでは,この案を仮名遣い委員会の試案として公表することを総会として御決定いただいたものとする。
 説明協議会の開催や,資料の配布,意見収集等については,事務局の方でよろしく取り計らっていただきたい。また,林主査には,説明協議会での御説明等大変お骨折りいただくわけであるが,よろしくお願いする。

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