国語施策・日本語教育

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次第 国語施策が持つべき根本理念等について(自由討議)

有光会長

 では,次の議事に移る。先般,木内委員から御提案のあった問題について,先日の全員協議会に引き続いて,自由にお話し合いをいただき,共通理解を深めてまいりたいと思う。まだ時間もあるので十分に御意見をお伺いしたい。
 木内委員の御提案は,ファイルの中にとじ込んである。全員協議会の際に御説明をいただいたが,当日御欠席の委員もいらっしゃるので,できたら改めて木内委員から御説明をいただけると,有り難い。

木内委員

 どうして私がこういう提案をするかということであるが,御存じない方もあるかと思うので,申し上げておくが,私は国語の専門家でないのにどうしてここで頻繁に発言をするかということを疑問に思う方もおありになるかと思う。
 私は国語問題協議会というものの会長をしている。国語問題協議会というのは,創設は昭和35年かと思うが,随分前にできたものである。これは小汀利得さんが作ったものであるが,小汀さんが亡くなられた次に,小汀さんが理事長だったが,私が理事長を引き受けて,そのときに林武という絵かきさんをお願いして,あの方に会長になっていただいて,会長,理事長でやってきた。林さんがお亡くなりになって,今は私が会長で,理事長なしという体裁でやっているものである。だからこれは多くのエキスパートの意見も入り,長い間討議しているから相当のバックがあるものだと思って,ここで私が代弁者を一人で務めるのは甚だ恐縮で,つまり,十分に役目を果たせないと思う心配を常に持っているが,とにかくそういうバックがある。その会が割合に有力だと私は自負しているのであるが,多くの方は,そこに,つまり我々の団体に任せておくような気持ちになっているのである。その点は大いに責任を感じて,うっかりしていてはまずいと思っているわけだ。
 我々の根本認識はどういうことにあるかと言うと,今,時世は非常に変わった。終戦直後は,旧来の日本では駄目だ,日本国というのは本当に駄目な国で,どうにもならんと,多くの人が思ったし,そう思わない人があっても主張はできなかった。のみならず早く経済能率を上げなければ食っていけないと思っていた。そういう考えの下に,司令部にローマ字論者がいたことも手伝っているけれども,新しい国語政策がワッとそこで誕生したわけである。
 あのときはああ思ったのは誠に無理がない。のみならず,私は,これは非常な行き過ぎがあったけれども,行き過ぎがあったおかげをもって,日本国はこのように復興したと思っている。これは私個人の見解に近いけれども。何となれば,国語政策に表れているような思い切った変革をやったことは,すなわち旧日本を捨てたということなのである。言い換えれば,なりふり構わずアメリカ一辺倒になったということである。そのおかげで今日の日本は誕生したのである。だから,戦後の国語政策は,理屈を言えば非常に悪い政策であるけれども,大きな功績を立てた。
 その政策でやってきたところ,今日は時世が一転して,日本は日本らしい日本に戻らなければいけない。これは日本としてもそうならなければならないが,同時に世界のためでもあるという認識が今どんどん出てきている。世界は,3年前,4年前は,日本の経済能率に感服したけれども,今は日本の国全体,日本の文化,文明というものに世界的な関心が集まっている。その文明の基礎になるものは日本の言葉なのである。つまり,日本の言葉というものが実に大事であるにもかかわらず,戦後はそのことを論じない。これは日本人の性質であって,何か悪いことがあったら,それを論じて,議論を尽くして直していくということを日本人はやらない。澄ましてどんどん直していく。つまり,理屈は後で付ければいいという態度で進んでいるからうまくいくが,今何が起こったかと言うと,漢字制限があれほどあったけれども,今漢字はほとんど自由に使っている。あのときに,自由にしたらまた元のように返るかと思って心配なさった方が,この会でも多くあったけれども,ところが実際には今「常用漢字表」を見て,これにあるから,ないからと考える人は恐らく日本中に一人もいないと思う。しかし,それで,漢字は難しい字を使い過ぎて何かまずいことが起こるということは全然ないのである。だから,しかるべき場合に面白い漢字を使っているだけの話であって,あとは実にうまくいっている。「常用漢字表」はどうしてそうなったかと言えば,これは目安である,制限するものではないという一言が,その転換を起こしている。
 これで漢字問題はうまくいっている。制限はだれもしない。常用漢字というのはあるけれども見ないでもよろしい。ただ,教育の場という問題がある。仮名もそうである。仮名も今これから起こるであろうことは,現に今度の案でも言っているとおり,法令うんぬんという,あの決まり文句である。その場合のことであって,そのほかのものには及ぼすことはないというんだから,ほかの場合には,旧仮名を使いたい人は,私なんかもそれをやっているけれども自由に使っている。それがだんだん強くなってくるに決まっている。新仮名を使わねばならんということをどこかで言わない以上は。つまり,この新しい案を世の中に問うのだが,その規範性ということが問われるわけである。それに対してどういう答弁があるかということもこの案の中にないから,それも考えてやったというようなことを書いてあるだけで,規範性というのはある方がいいのか,ない方がいいのか,そのことには言及していない。私は,言葉については政府が権力を使って動かすことはできないんだ,悪化させることはできるけれども,良くすることはできないと思っている。悪化させることは──と言っても本当に変えることはできない。ただ,政府としてやるべきこと,殊に教育の場においてやるべきことは,いい言葉とはどういうものだろうという研究をして,それを発表しておく,またどこにおいてもそれを強制するということはないということが,いい状態だと思う。だから私は旧仮名を使っているけれども,旧仮名を強制してくれとは少しも思わない。旧仮名というのは非常に立派であるので,私は旧仮名でものを書く。だから,およそ思想性,情緒等を含んだものは,旧仮名で書いた方が,通りがいいし,よく書けるのだ──と私は思っている。そう思う人は使うわけである。学校の子供だって旧仮名を使いたい者があれば使ったらいい。だから今度,この案が出るけれども,学校では,さっき私が問題にした「及ぼすものではない」という文言を,学校の児童に及ぼすものではないと言ってほしい。学校の児童で旧仮名を使う者があっても何の差し支えもない。

木内委員

 これは大問題を含んでいるから,今度の案についての意見を聞くのなら,またリアクションを求めるのなら,国民の中で十分に議論をしてもらい,それで学校ではどう扱うかということも入れた上で,それで結論を出していく。つまり,新仮名なるもの,「現代かなづかい」なるものは,21年に発表したときは,ただこうしろと言っただけで,理由もなければ何もなかった。今後の案の欠点は理由がないことであるが,理由をもっと付けるように改良した上で現代仮名遣いなるものは,こういうわけでこういうふうにあって,これはこう理解すればいいんだよというようにする。それを出した上で,それでさっきも申したとおり,旧仮名というのは,こういうわけで,こういうもので,こうなんだと優劣を国民が比較できるようにする。ある場合には新仮名の方がいい。旧仮名というのは要するに立派な着物を着ているようなものだから,どこかそこらへぶらっと遊びに行くときには立派な着物を着ていない方がいい。そういうことをちゃんと使い分けるのが日本人で,そういう複雑なことがあっても一向困らないでやっていくのが日本人だ。
 ところが,戦後の考えは,早く復興しなくてはならないと思ったから,何でも簡単簡単で,二通りあったらいけないようなことでできているわけだ。そういう点を全部お直しになったらいいだろうと思うけれども,私の主張の基礎にあるものは,政府の権力で強制はできないんだということであるが,それをお認めになると,あとは国民の手に移って,国民がどういう国語を作っていこうと,いい文章を書けば,それを人がまねするから,それに移っていくわけだ。そういう場面に移るのが当たり前であって,つまり,国語審議会みたいなものは要らないということに結局はなってくる。だけど今は要るのだ。戦後にまずいことをやってきたから,まずいことを清算するというファンクションは審議会が演じなければ,演じてくれるものはないのである。まずいことがいつまでも続くから。それを直すまでは国語審議会は必要だけれども,直してしまったら要らないのではないか。そういうことを全然論じないことに,私は不平を言っているのである。だから,私の意見が本当にいいかどうか分からないが,皆さん方にこれを論じていただいて,皆さんが責任を持って,日本の経済発展ばかりではない,日本の文化のためにどうするのがいいのだという意見を立てていただく。日本の運命を決める大問題だから,本当は皆さん,署名入りで意見を書くべきである。
 私は,戦後の国語政策は,日本の復興には大いに役に立ったけれども,今日となっては,このまま続くことは,日本を駄目にするゆえんだと思う。今のような国語政策が,これでいいのであると思っている限り,日本人の心というものはだんだん悪くなっていく。その一番いい例は,これのみが理由だととられると困るけれども,旧仮名を使うような,それを大事にするような気分であると,敬語というものが大事にされる。敬語というものを大事にしなければ,つまり,親と子は相対ずくで話をするときには違う言葉を使う。親は子に向かって「おはよう」と言う。子供は「おはようございます」と言う。それが日本の社会秩序の基礎である。「おはよう」と親が言うのに対して,子供が「おはようございます」と言う家庭なら秩序があるから問題はないのである。日本の秩序はそういうことで立っているのである。
 ところが,今の何でも簡単に書けばいいというアイデアに乗っている「現代かなづかい」は,私が今申している思想に対して,着眼に対して,弓を引くものである。これが今後通っていくようならば,日本人の心が乱れるから,日本の文化も乱れていくし,日本国というのは廃れていくのである。歴史というものは我々が作るものなので,それは日々の動作が作るのである。そういうところを考えて,私は国語政策というのは根本的な検討が必要だと思っているので,これはさっき申したとおり,私の意見ではない。私が国語問題協議会の会長を務めているが,25年にわたってだんだんにでき上がってきたものなのである。まあそういうことである。
 ついでに申しておくが,今度のこの案が世の中に問われたら,これはさっき申したことの延長であるが,それを大事に扱う。国民として国語に十分な関心を持ち,努力を払うということの一環であるけれども,現代仮名遣いを説明する説明としてはこういうふうにお書きになったらいかがか,という国語問題協議会案というものを私どもの手で作る。これは同じことをやるために作るのである。どうぞ大きな心をもって,我々が作る案を審議していただきたいと思う。そのほか,今申し上げたいろいろなこと,これを世の中で論じてほしいというのは,審議会において,今の「改定現代仮名遣い(案)」を一応国民に聞いた後,すなわち6月とかそれ以後においては,私が申している日本文化と日本語という問題を真剣に取り上げていただきたいと思う。敷衍(ふえん)をすればそんなことである。まだ言い残したことがたくさんあるけれども,6月以降に大いに議論をさせていただけるものと思うから,これだけにしておく。

有光会長

 ただいま木内委員から重ねて御意見の御説明を伺ったわけであるが,何かそれに関連して御質問なり御意見なりがあれば,ちょうどいい機会であるから,お話し合いをしていただきたいと思う。どなたからでもどうぞ……。

つじ村委員

 私ども,木内委員のおっしゃることがよく分からないのであるが,私は,仮名遣い委員の中の更に小委員も務めていて,この案がまとまってくるまでの間に,全体の総会のところでは意見を申し上げたことはないけれども,小委員会,それから仮名遣い委員会などでは,私の個人的な意見もいろいろ申し上げたわけである。それで,もちろん今日発表された案がすべてにわたって私が賛成するものであるというわけではなくて,部分的にはいろいろ,私だったらこういうふうにしたいというようなこともあるけれども,会議体としては,多くの方がいろいろ議論をなさって,大方のところがこういうところに落ち着いていくということになったらそれに従っていくというのがルールではないかというふうに思っているわけである。
 それで,木内委員がいろいろ意見をおっしゃったが,昭和58年12月に委員全員にアンケートをおとりになって仮名遣いの功罪についても聞いているわけで,そのとき回答をなさった方は38人であって,細かいことをいろいろ問題にされたが,それは今置いておいて,一番問題になる「現代かなづかい」の功罪について問われた部分を,改めて昨日読んでみたのであるが,38人の委員の方のうち大半というよりほとんどの方と言っていいかと思うが,「現代かなづかい」の功罪の功の方をおっしゃっているわけで,したがって,今ここで改めて歴史的仮名遣いに戻そうというようなことは,ちょっと現実の問題としては考えられないのではないかというふうに思う。国語問題協議会を代表していらっしゃる木内委員が,この案が発表された後で国語問題協議会としてこういう案があるというのをお出しになるのは,これは一向差し支えないことであって,そういうものをお出しになったら私ももちろんそれを拝見して,これから1年かけて更に細かいことについて討議されるのだろうから,その場合にも参考にさせていただきたいというふうに思っているが,本日の案に関しては,私は,先ほど申したように,細部については異議がないわけではないけれども,これは案として全面的に支持したいというふうに思っている。

木内委員

 今の御意見,別に私に対しての反対論と私は受け取らない。私は何も旧仮名に戻そうと言っているわけではない。旧仮名をこの委員会もちゃんと研究なさいと言っているわけである。戻すも戻さないも,旧仮名というものはなくならないのである。それは現在も学校では古典を教えているからであるが,それも古典を教えるのは高等学校から中学にも少し下がってきた。
 そうなると,中学でも旧仮名を教えざるを得ないのである。だから,新仮名に対して旧仮名の説明が付表にある。この説明は,さっき申したとおり改良の余地が大いにあると思うけれども,そういう説明があるように,旧仮名にもそういう説明書を作ってほしい。旧仮名とはこういうものだと。今日の案の中にも,旧仮名は何世紀のころどうして,という説明があるけれど,あれだけじゃ足りないから,ちゃんと分かるようにしていくべきだ。単に旧仮名とはこういうもの,という説明ではなくて,日本語というものは,こういうふうにして,こういうふうに発達してきた実に世界に珍しい言葉なんだと分かるように説明するのが本当なのである。
 そういうふうなことをこの委員会は扱わなければ,国民に対して相済まんことになると思っているだけで,別に私がそういう意見を持っていることに,あなたは反対されるわけもないと思うし,6月から議論しようということを認めておられるのだから,それで結構だ。別に私は,答弁の必要を認めなかったわけである。

村松委員

 木内委員のおっしゃる御信念やお考えについては十分に拝聴していたが,1か所だけ,私の聞き方が不完全だったのか,ちょっと飛躍があると感じたのは,親が「おはよう」と言ったときに,子供が「おはようございます」と答えるのが,言葉遣いとして非常に礼儀であって,それは敬語だと。それはいわばしつけとか道徳教育の問題にまでなるわけだが,木内委員は,新仮名によって,敬語とかそういうものがおろそかになるのだ,能率的なものが新仮名であるから,非道徳的だとこういう御意思なのか。

木内委員

 今の敬語の問題は,言わない方がよかったかもしれない。直接にそうつながるわけではないから。言わない方がいいかと思ったけれども,背後ではつながっている。思想としてつながっている。

村松委員

 そういう懸念が起こりやすいという御意思で,新仮名は非道徳的な言葉だとおっしゃるわけではない……?

木内委員

 そうではない。

村松委員

 ちょっとそういうふうに受け取れたので……。

木内委員

 そう聞こえたなら,ほかの方もそうかもしれないが,それは私の説明がまずかったというわけだ。

古田委員

 先ほど木内委員は,教育のことについておっしゃったけれども,例としてお出しになったのは,中学の場合にも歴史的仮名遣いが行われるようになっているということであるが,小学校の場合にも必要だというふうな御意見なのか。例えば「現代かなづかい」と旧仮名遣いと両方のことについて。

木内委員

 そこまでは具体的に私はまだ考えていないけれども,理屈としてはそうである。私の意見書にも書いていたけど,問題は学校における負担の問題である。難しいことを教えるのは負担だという意見があるけれども,いいタイミングで難しいことを教えると,かえって子供は励みになり,利口になるということがある。私はさっき申し上げたときに,小学校でもある程度の旧仮名を教えろという結論をもって申したわけではないが,問題提起をすれば,恐らく教えた方がいいと思う。
 世の中に石井式漢字教育法というのがある。石井さんは,我々の国語問題協議会の仲間であるが,3歳児くらいから漢字を教えると,非常に覚えがよくて,それで頭がよくなるということである。石井さんの発見したもとは,世の中にこれは随分知れ渡っていることであるけれども,ちょっと知らない方もおいでになると思うから,申し上げておくと,「鳩」という字は子供はすぐ覚える。難しい格好をしている方が覚えやすいのである。それは鳩というものがあるからである。「鳥」という字は難しい。鳥というのは抽象性があるからである。すずめも,つばめも,鳩も,鶏も,鳥であろう。だから,抽象的な頭ができるまでは「鳥」という字は覚えにくいそうである。「鳩」は一番いいのだそうである。そういうことが実験上分かってきて,それで上手に漢字を教えていくと,頭にも非常にいいし,子供は面白がって覚えるし,何の問題もない。だから,今の学校教育で言えば,漢字の配当表というのは全くいけない。あれは完全に直すべきものだという意見が出てくるのである。
 実は,二,三日前にも石井さんに偶然会ったものだから,その話が出たが,私が聞いてみたのは,あなたは3歳児に漢字教育をして非常にいい結果をあげておられるということだけれども,旧仮名はどうですかと聞いたら,旧仮名もいいと思う,と言う。大きな実験的データはまだ握ってないかもしれないが,旧仮名を教えて悪いことはない。子供というのはそういうものだと言う。だから,そこを詰めていけば,恐らくは旧仮名というものは,小学校の下の方から既に,いやしくも文字を使い始めるときに教えるべきだという結論が出るであろう。だから,この会に石井さんを呼んでヒヤリングをやることをお勧めする。

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