国語施策・日本語教育

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次第 外来語表記委員会の審議状況について(報告)

坂本会長

 続いて,本日の議題に入るわけであるが,前回の総会で,外来語の表記委員会の発足をお願いしたが,その後,その委員会は3回開かれ,外来語の表記の問題をめぐっていろいろ御検討をいただいているところである。今の村松委員の御発言も,恐らくそれとのかかわりがあると思うが,実は,先ほど総会に先立って運営委員会を開き,御相談したのであるが,今日はまず林主査から外来語表記委員会の審議の状況の御報告を伺って,その後で協議に入らせていただきたいと思う。
 なお,これも運営委員会で御相談申し上げたのであるが,外来語表記委員会の副主査となられた松村委員に,これからは運営委員会の方にも所属していただくというふうに考えたので,ひとつよろしくお願いしたい。
 それでは,林主査,どうぞよろしく。

林(大)主査

 それでは外来語表記委員会の審議状況について御報告申し上げる。
 「討議の概要」という刷り物に沿って,御報告を申そうと思うが,委員会の発足から申し上げると,前回の総会で,委員18名の御指名があり,第1回の委員会が4月28日に開かれ,その際,委員の互選ということで,私,林が主査に,それから松村委員が副主査に選出されることになった。
 委員会はそれを第1回として,5月29日,6月19日と合計3回開かれ,いろいろの問題について全く自由討議という形で進めてきた。討議に当たっては,ある種の方向を求めようとしたり何らかの結論をすぐに求めようとはせず,できるだけ問題の点について皆様方から御意見を出していただこうという方針でまいった。2回,3回目には多少柱を立て,既にお手元にあるような,柱について,いろいろと御意見をいただいたわけである。
 それについて,今日,だんだん申し上げようと思うが,資料の,第1ページに1として「外来語とは何か」というのが四角で囲んであるが,こういう囲みが4枚目までに六つある。第1回は全く自由に御意見の交換を行ったが,第2回以後,幾らか柱を立てて話題を絞った。枠で囲んだ六つの項目がその柱である。しかし,それぞれについて何らかの結論を出すということではなしに,できるだけいろいろな意見を出し合うことを主眼にした。
 大きく申すと,外来語とはどういうものか,我々の問題は何かということであるが,「外来語」とひっくくって,何が問題であるかと申すと,一つには一般社会での使用状況,いわゆる外来語の氾濫という現象に関することがある。この二つの大きな問題のうちで,大臣の御諮問になったのは主として表記問題であって,「表記についてある目安を立てること」ということであろうと思うが,関連して,基本的ないろいろな論点が考えられた次第である。
 以下,この刷り物に従って御説明をいたそうと思う。
1 「外来語とは何か。どのようなものを取り上げるか」。こういう問題について,枠の中に(1),(2),(3)とあるのは,このようなことがその話題になるだろうという項目であり,枠の下に@AB…と並べてあるのが委員会の中で出された御意見である。
 外来語の定義に関して,さきの総会でも,「洋語」というような言葉にしたらどうかというお話も出たわけであるが,なかなか定義というのも難しく,厳密な定義はできにくい。
 御意見としては,まず,@外来語の定義に関しては,和製外来語も外来語の中に入れるかどうかという問題がある,という御指摘があった。入れてよいとは思うけれども,これが一つの問題である。
 それから,外来語の範囲であるが,外来語と外国語と二つの言葉で表すと,両極が出てくるわけだが,これがはっきりと二段に分かれるものであるか,あるいは三段,四段に分かれるものであるかという問題がないわけではない。そこで,それに関連しては,A「マージャン」のような語も外来語に入れてよいだろうという御意見があった。中国語や韓国語の問題である。
 それから,先ほどちょっと触れたように,「洋語」という言葉について前回の総会で御提案があったが,「外来語」でいいのではないか。「洋語」だと外来語と外国語の区別ができないという御意見があった(B)。
 それから,C外来語の定義そのものは今後つめていくとして,当面我々が外来語の表記として取り上げるのは,どの辺までの範囲とするかを決めていけばよい,という御意見。
 それから,D我々が取り扱うのは,日本語になっているとだれもが認めるような外来語についてその表記にゆれや混乱があるのをどうするかということであって,外国語をどう書くかという問題とは一応分けて考えるべきではないかという御意見があった。
 それから,E審議は外来語にとどめてほしい。外国語と外来語に分けたとして,外国語の表記法は,ここで論ずべきことではない。こういう御意見が出た。
 これに対して,F新しい外国語が入ってきた場合,新しく外国語を受け入れて国語の中に入れようとする場合に,それについてはこう書いたらよいという目安があると,報道機関などにとっては都合がよいということもあるのではなかろうか。外国音と仮名表記との対応を考えることも,必ずしも問題外とは言えないだろうという見方も述べられた。
 次に,G検討する対象の範囲として,現代語中心の小型国語辞典,5〜6万語を入れている,あるいは6〜7万,7〜8万というのもあるだろうが,そういう国語辞典に見出し語として登場する外来語は国語の中に入っているものとして,そういうものが外来語の範囲として扱えるのではないかという御意見。
 それから,H余り手を広げて「現代用語の基礎知識」に出ているような移り変わりの激しい語までも追いかける必要はないであろう。
 それから,I辞典に入っている語のすべてを外来語と認める理由はない。なるべく対象を絞った方がよいという御意見。「辞典に入っているもの」というのも,大体は1割よりは低い範囲で入っているように私どもは見受けているが,それも5〜6万語といえば,5,000〜6,000語片仮名の言葉が入っているということになるわけで,それまで考えなくても,もっと絞ってもいいだろうということである。
 Jは,Fと関係するが,マスコミでは新しい語,時事用語を毎日使わなければならないので,そういうものは論外だということになると困る。マスコミでは,時事用語で表れてくるものを何とか書かなければならないという問題があるわけである。日本語として定着した外来語だけでなく,現実に使わざるを得ない語についてもやはり基準が欲しくなる。それを片仮名で書くということについて基準が欲しくなるという御意見がある。
 K外来語と外国語の区別は,中間段階のものがあるので難しい。これは私が最初に申し上げた。

林(大)主査

 それから,L,M外来語を定義するときに,アクセントの枠の取り方が日本語流になっているものは,外来語としてもよいのではないかという見方に対して,一方,それは一つの手掛りだが,それだけでは判定の基準になりにくいという御意見があった。なお,外来語としての形式的な性格としては,和語や漢語と結びついているもの,それから切断されているもの,「プロ何々」という語を省略して「プロ」だけで言い表すようになっている場合,その「プロ」というのは外来語として日本語の中に定着していると考えてよいのではないか,そんなような問題もあろうかと思うわけであるが,これはまた具体的な問題として後の御議論になると思う。
 それから,N以下は上の(3)の問題であって,「JR」とか「NHK」のようなローマ字表記が目につくが,これについてはどう位置づけるか。我々の外来語の中に入れるかどうか,これらをどう発音するかは問題になるのではないか。ローマ字で書いたものを日本語として発音するのにどうするかという問題がある。それについては,O「A」から「Z」までの文字を片仮名でどう書くか。「エイ」と書くか,「エー」と書くかということを決めておけばよいのではないかというような御意見が出た。
 P「オフィス・オートメーション」を「OA」と略したり,「Computer-aided design」を「CAD」という略語で表すということについて,基準は立てられないものだろうかという御意見が出た。
 それに対して,Qローマ字で書く場合のことは我々の検討の範囲には入れないでよいのではないか。仮名とは別の体系だから,必要があれば別途に審議すべきであるという御意見が出ている。そのことは,外来語は片仮名で書くことを原則とするかという問題があって,また後ほど御意見が出てくる。
 次に,資料の2枚目の四角の中の2であるが,外来語,外国語と言っていると,それにつけて地名・人名の表記の問題が出てくる。それについてどうするか。地名・人名の表記についても我々の問題とするか。それから,取り上げる場合,一般の外来語と一緒に扱うか,別に取り扱うか。別に取り扱うとすればどちらから先に取り上げるか。そして地名・人名という中に,ローマ字国だけでなく漢字国の地名・人名の問題点が,一つまた別の問題としてありそうに思うが,それについてどう扱うか。こんな問題があって,それについてはここに十ばかりの御意見を挙げている。
 @地名・人名の表記はどうしても取り上げる必要があると思う。ただ,一般の外来語の表記と一緒にやるか,別に取り上げるかの問題だろうという御意見。
 A地名・人名と一般の外来語を一緒に扱うのは非常に混乱すると思うので,できれば一般の外来語の方から取り上げることにしてはどうか。これは順序についての御意見である。
 それから,B地名・人名から先に取り上げてはどうか。これは反対に,一般の外来語よりも地名・人名の方が当面の問題としては重要だということである。ただ,外国の地名・人名はかなり自国風の発音でよいのではないか。自国風というのは,日本語流に直した発音,日本語風の発音ということだろうと私は承っているが,かなり日本語風の発音になったものでよいのではないか。原音主義,なるべく原語の発音によろうというのは,やはり限界があるであろうという御意見。
 それから,C一般の外来語に比べると,地名・人名は外国語そのもののような面があり,問題が大分違う。外国語そのものであって,日本語の中に取り入れられた外来語とは性質が違う。地名・人名を取り上げるにしても,順序としては後回しにして,まず国語化した外来語から手をつけるべきではないかという御意見。
 それから,D外国の地名・人名でも,例えば「イギリス」のように十分日本語化しているものは,外来語と一緒に取り扱ってよいと思うという御意見も出た。
 E外来語の表記について昭和29年の国語審議会の報告の中の「外来語表記の原則」のようなルール的な示し方がしてあれば,地名・人名もある程度これに基づいて書くことができるのではないか。これは,一々の地名について一々固定していくのではなくて,ルールとして発音と表記との問題を考えておけばそれが応用できるのではないかという御意見である。
 F地名と人名も分けて考える方がよい。地名は割に限られているが,人名は次々に新しいものが出てくるし,慣用の固定したもの以外は外国語そのものだと言ってよい。人名より地名の審議を先にする方がよろしい,こういう御意見も出た。
 それから,G人名は後回しにしてもよいが,「ゴーガン」と「ゴーギャン」のように二つ表記があると,やはり混乱するので,歴史的な人物の場合はどちらかに統一するなど,検討してほしいという御意見も出た。なお,これは3枚目の枠の中の4の問題に関係してくる。
 次に,中国・韓国の地名・人名の問題であるが,中国・韓国の固有名詞の場合,原音読みということが説かれていて,中国人は日本流の読み方を余り拒否しないが,韓国の方々は,韓国流に読んでほしい,日本流の読み方はしないでほしいとしきりに言われる。そういうところで問題があるわけだが,Hの御意見は原音読みを古典にまで及ぼすことは──孔子とか,孟子とか,李白とか,白楽天というものまで原音読みを主張するというようなことはやめてほしいものであるという御意見である。漢字国の地名・人名は,そういう意味で別に考える方がよろしいという御意見である。
 それから,I漢字圏の地名・人名の原音読みの問題は新聞協会でも長年の懸案にしてきた。最近は,韓国の要人の名前の原音読みなど,現実の方が先行している。現実の方が先行しているというのは,原音読みをマスコミあたりでは既に使っているということを指しておられるわけだが,そこで,国語審議会でも,ほかの問題と同時に取り上げるのは無理であるとしても,何らかの形でこの問題に触れる必要があろうと思うという御意見である。
 次に3の問題は,「外来語の表記における慣用とゆれについて」であって,「慣用が固定しているものには,どのようなものがあるか」「慣用が固定せずゆれているものには,どのようなものがあるか」「ゆれているものについてはどこまで統一できるか」,また,一般用語と専門用語との違い,専門分野ごとの違いというような「分野による慣用の違い」の問題がある。

林(大)主査

 御意見は,@現に日本語として受け入れている形がどうであるか,どういう慣用が成り立っているかということが第一の問題で,慣用が定着せず表記がゆれている場合に原音に近い方を採るかどうかというようなことを考えるのが第二の問題であろうと,問題を段階づけてお考えになった。
 A新聞等が昭和29年の国語審議会の報告を踏襲したために定着した表記も多いだろう。つまり,慣用の定着というのが29年以来のことであるというものも多いだろう。「ツアー」なども初めは気になったが,今は定着している。こういう定着しているものを元へ戻すかどうかが問題だ。「ツアー」を元へ戻すというのはどういうことになるか分からないが,こういう問題もある。
 それから,B元へ戻せそうな語と定着しきっている語とがあるようだ。「ゲーテ」などは定着しきっている例であろう。定着しているものまでひっくり返して原音主義で書く必要はない。それをしていたら,きりがないという御意見。
 C以前はDDTを「デーデーテー」,PTAを「ピーテーエー」などと言う人が多かったが,現在はよほど「ディー」「ティー」などの発音が普及したと思われる。ローマ字の読み方も時代とともに動くわけだという御意見。
 3枚目へまいって,D昭和29年に国語審議会の報告が出て以来,新聞,放送,出版,学校教育などでは,大体それに準拠した表記が行われてきた。そういう影響を受けて育った40歳以下の若い世代の外来語の表記や発音に対する意識はどうであろうか,その実態を調査する必要があるのではないか,こういう御意見が出た。これについては49年に一度NHKの放送文化研究所で調査が行われているので,そういうのをもう一遍ここで見る必要もあるのではないかと思われるが,具体的なお話はここでは出ていない。
 次に,Eは,統一という考え方に立つと,「コンピュータ」か「コンピューター」か,「フローレンス」か「フィレンツェ」かというような問題がある。化学の世界だと,化合物など統一志向が強いが,例えば「レアリスム」と「リアリズム」をどちらかに統一するというのは無理なような気がするという見方。これは呼び方のゆれの問題である。
 それから,F自然科学系の各専門分野のように,既に取決めのあるところでは──例えば化学界の方では既に取決めがあって,文化庁の資料集にも転載してあるが,既に取決めのあるところはそれを余り動かすわけにはいかないだろう。同じ語でも,専門用語として使う場合と一般用語として使う場合とで表記の仕方が違い,それが新聞の紙面で隣り合って出てくるようなこともあり得るわけだという御意見。なお,専門用語については,特に自然科学系の方では,学術審議会学術用語分科会というような機関で学術用語の制定が進んでいるが,領域ごとに不統一があると考えられており,これに対する統一の要求もあることは事実である。
 G専門分野のことは,「常用漢字表」や「現代仮名遣い」の例にならえば,「科学,技術,芸術その他各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」ということになると思うが,そうなれば学術用語と一般用語と違っても構わないことになるという御意見もあった。
 次に4の問題は,「外来語の表記について,どのような表記原則を立てるか」であって,これは,(1)から(18)まで細かい問題に分けてあるが,これが具体的な問題として今後いろいろ議論をされることになるだろうと思う。
 これについては,まず@の御意見は,29年の国語審議会の報告には,外来語は原則として片仮名で書くとある。片仮名で書くことを原則にする。これを今後も踏襲するかどうか,それを明言するかどうかという問題である。
 次に,A「ガス」を「瓦斯」と書くような漢字表記には触れる必要がない。
 それから,B外来語は片仮名で書かなければならないなどと言う必要はない。片仮名で書く場合の書き方を問題にするだけである。だから,「たばこ」を「煙草」のように書くのは自由でよい,こういう御意見も出たわけである。
 Cは,一つ一つの外国語の音とその表記を決めるのは非常に難しいが,29年の案でも,また「現代仮名遣い」でもそうしたように,使用する仮名とその組合せを示す表を作ることで,ある程度解決できるのではないかという御意見。使う仮名の表を作っておけば,ある程度,問題の解決になるのではないかということである。
 D29年の国語審議会の報告では,「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」についてなるべく「ハ」「ヒ」「ヘ」「ホ」と書くこととし,ただし原音の意識がなお残っているものは「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」と書いてもよいとしている。このように,ルールは決めておくが,個々の語については例外や許容を認めておくやり方がある。こういう御意見。
 それから,E「フィルム」か「フイルム」かは語形の差であり,若い人たちはどちらの語形を使っているかというようなことを調べる必要がある。「スムース」か「スムーズ」になるように,原音的な語形が有力になっているものもあるという御指摘。
 F「現代仮名遣い」では,語形としてゆれているものは両方認めておくことにして,一方に統一することはしなかった。それを踏襲すれば,「フィルム」と発音する人は「フィルム」と書き,「フイルム」と発音する人は「フイルム」と書くことになる。ただ,「現代仮名遣い」の場合と同じでよいかどうかはこれから考える問題である。こういう御意見もあった。
 Gは,例えばVならばVの音が言い分けられるかどうかという話が出て,それに対して,言い分けられるかどうかということの前に,聞き分けられるかどうかという問題がある。音韻論的に言えば,むしろ聞き分けの方に重点を置きたい。──これは,日本人として聞き分けられるものというのが国語の音韻として考えられるだろうということであるが──音韻として確立していないものを仮名表記で書き分けることはしないでよいと思うという御意見。
 それに対して,Hは,音韻の認識に基づいて表記するという出発点に立つかどうかは,これから考える問題である。現代仮名遣いの審議の際も,「じ・ぢ」「ず・づ」など音韻として区別できない仮名の書き分けを認めているという御意見である。現代仮名遣いは表音原理に立ってはいるが,「じ・ぢ」「ず・づ」については書き分けを認めている。
 I外国語的なものでなく外来語の表記を考えるということになると,いわゆる原音主義の論議は一応棚上げにしてもよいのではないか。なるべく原音に従うという主義は棚上げにしてもよいのではないか。それに対して,Jは,外来語の定義にもよるが,ものによっては原音主義がやはり問題になるのではないかという御意見。

林(大)主査

 Kは,「現代仮名遣い」の場合は外来語を対象としていないので,ファ行を取り上げていないが,外来語を書き表すためにはファ行も認めることになるのだろう。外来語の表記のために,原音にどこまで近い音を国語の音韻として認めるかという問題だという御意見である。
 L「ヴ」を生かすのは,国際化していく中で外国語を覚えるために必要であり,非常によいと思う。新しい仮名の工夫も考えられるわけであるが,それに関連して,RとLの区別もできればする方がよいのではないか,こういう御意見も出たわけである。
 Mは,Vについては,総会の発言にもあったように,語頭にある場合はよいが,語中,語尾にある場合はVは発音しにくいという御指摘である。
 Nは,Vについては,明治以来「ウ」や「ワ」に濁点を付けて表記してきたのを,戦後になって「バ」にしてしまったのだから,これは元に戻すだけの話だという御意見。
 なお,これは注であるが,必ずしも戦後に限らず,国定教科書を見ると戦前から「バ」が表れているように思う。
 Oは,新しい仮名を作ることには問題がありそうだが,既存の仮名の新しい組合せや,濁点「゛」や半濁点「゜」の用法をもう少し広げることなどは考えられないことではないという御意見で,Pは,29年の国語審議会の報告の中の仮名表には「ヂ」「ヅ」は含まれていないので,戦前多かった「ラヂオ」は「ラジオ」になってしまった。新しい仮名について考える前に,もともと五十音図にあったものを戻すかどうか,考えてよいのではなかろうかという御意見である。
 Q今の表記法では「サウジアラビア」や「ロスアンジェルス」のような語を書くのに「・」(なかぐろ)を余り使わないが,そのために分かりにくくなる場合がある。アラブ人の長い名前などは「・」を入れないと分からない。この問題も外来語の表記の中で取り上げるべきであるという御意見が出た。
 その次は,5の「外来語の表記についての取決めをすることについて」という問題である。これは基本的な問題で,(1)(2)(3)の項目に分けてある。
 意見としては,まず,@国語審議会の役割としては,やはり標準を立てる。標準と申すか,目安と申すか,ある種の決まりを立てておくということがあろうと思うということである。その標準を厳格にするかどうかということは,また別の問題だと思われる。
 Aは,国語審議会が従来やってきたのは「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活」においての「目安」「よりどころ」を示すことであり,今後ともその延長だろうと思うという御意見。これは,外来語の問題もやはり「目安」「よりどころ」ということで,考えることになるだろうという御意見である。
 それから,Bは,「常用漢字表」「現代仮名遣い」など,国語審議会が従来示してきたものは,「科学,技術,芸術,その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」と明記してあるわけで,今回もその辺のところをどう考えるか,確認しておく必要があると思うという御意見。
 Cは,教科書の場合,各社の表記がまちまちなのは,特に低学年において問題が大きい。そこで,二通りの書き方があるような場合,教科書協会としてどちらか一つに決めざるを得ないということも生じるわけだという御意見である。それを国語審議会がやるかどうかということが問題になるのだろうと思う。
 Dは,専門分野を別扱いにするのも一つのやり方だが,専門分野と一般社会の区別が立てられるかどうかということが問題であるという御指摘である。
 それから,E専門用語は基になる語がラテン語か英語かというようなことでも変わってくるし,学会ごとに違っても当然であって,それを統一しようとしても無理である。国語審議会がやるべきことでもない。国語審議会としては,やはり「目安」「よりどころ」でとどまるべきだろうという御意見があった。この「目安」「よりどころ」でとどまるべきだろうというのは,上の「一般社会」というのを受けてのお話と伺った。
 最後に,6の問題で,これがいわゆる氾濫の問題である。
 @として,外来語,外国語の氾濫やその使用の混乱の問題に関連して,国語審議会から学校教育に対して,日本文化の伝統を尊重すべきだというような期待を述べておきたいところである。こういう御意見である。
 Aは,総会でも術語の翻訳について話があったが,明治以来,我々が日本語で論文が書けるのは訳語のおかげである。こうも外国語がはやると,今に専門の論文は外国語でないと書けなくなるのではないか。コンピューターに入れる語も皆英語であるが,これらはどこかで歯止めをかける必要があるのではないかと思うという御意見。
 Bは,「ハイテク」や「ワープロ」のような省略語を余り早く採用してしまうことも一つの問題で,これは外来語の氾濫の問題にもつながるように思うという御意見。
 それから,Cは「ヴァンサンカン」という名の雑誌があるが,あの種の名称も今後増えるのではないかという御指摘。ある方の統計では,こういう横文字名前の雑誌が30種近くも出ているそうであるが,今後も増えるのではないか。
 Dは,外来語が氾濫するのは困るが,外国語が氾濫するのは仕方がないのかもしれない。この御意見の意味を,私は,ちょっと取りかねているが,こういう御意見もあった。
 Eは,アルファベットやローマ字で書かれる語は──先ほど出ていたJRやNHKなどの問題であるが──外来語の表記の検討からは除外するとしても,氾濫の問題につながるところがあるという御意見。やはりこういうものが氾濫しているということについては,何らか考えるところがあってもよかろうという御意見であろうと思う。
 以上で,一通り資料について申し上げた。この資料は,事務局と主査,副主査においてまとめたもので,今日はこれに私自身の注釈を多少加えて申し上げた点がある。もし委員会での各委員の御発言の趣旨が通っていないような点があれば,それぞれ今日御修正,補足をお願いいたしたいと思うし,また今後,委員会ではだんだん具体的な段階に入って審議を進めることになるので,今日の総会において表記委員会の方向について十分に御意見を承っておきたいと思う。何とぞよろしくお願い申し上げる。
 ひとまずこの辺で御説明を終わらせていただく。

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