国語施策・日本語教育

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次第 協議

坂本会長

 格別御質問がないようなら,御意見を承るということにさせていただきたいと思うが,いかがか。
 おかげさまで,所属外の先生方からも,アンケート,その他に御意見をいただいたり,また御出席いただいたりして,表記委員会としては大変ありがたいということであったが,今日は総会でもあるので,ぜひ一つ御自由に御発言いただけたらと思う。

関口委員

 今,林主査から縷々(るる)御説明いただき,一番最後のところで,1月にアンケートを実施し,3月に総会を開く,そして,その前に委員会を開くと伺ったが,委員会はどういうテーマで何回ぐらい開催するのか。

坂本会長

 それは事務局の方で……。

近藤国語課長

 委員会は3回ほど開催される予定で,具体的な語例に当たりながら,少し詳しく問題点を検討されると伺っている。アンケートについては,主査から御説明いただく。

林(大)主査

 アンケートについては,まだ表記委員会で具体的に御相談をしていないので,この15日にお集まりのときに御相談しようと思っているが,一応,地名・人名の表記の取扱い方とか,取り上げる手順とかいうこともあるし,それから,最後に申した学校教育や外国語教育との関連とか,そういった方面に関する御意見も伺わなければならないのではないかということは考えている。いずれこれは15日にお諮りして,そこで具体的な項目を決めさせていただくことにしたいと思っている。

関口委員

 そうすると,まだテーマは決まっていないわけか。

林(大)主査

 そういうわけである。委員会そのものの作業は,もう少し具体的な問題について,語例について当たっていこうということを考えている。何か御意見があれば,今伺っておきたい。

関口委員

 そうではなくて,ただ段取りのことをお聞きした。

江藤委員

 実は,これは運営委員会のときにも申し上げたのだが,総会で発言しておかないと,議事要録に残らないので,もう一度申し上げたいと思う。
 今御説明いただいた資料の1の(2)であるが,「片仮名で書く場合を対象とし,アルファベットやローマ字つづりで書かれている語の取扱い方の問題については,外来語の表記ということでは対象外とするという方向が出ている」と記されている。これは一応問題点を整理する上で,こういうふうにお書きいただいたということについては,運営委員会でも林主査から御説明をいただいて,それはそれで私は一応了承いたしたが,このアルファベットやローマ字つづりで書かれている語というのは,例えば「JR」,先ほど林主査のおしまいの方の御説明にもあったが,こういうものは大変顕著な言語現象であって,昭和29年当時にはこういうふうな使われ方はほとんどなかったと思う。
 それで,漢字と平仮名の混淆(こう)によって国語を表記するというのが現在のシステムであるから,外来語は当然従来は片仮名で表記されてきたのであるが,そこへアルファベットが非常に恣(し)意的に入ってきていて,これを氾濫と言ってもいいのであるが,やはりこれは表記そのものの問題ではないか。日本語の表記体系に著しい変化が生じ始めているのではないかとも考えられないことはないわけである。
 「E電」については,幸い国民各層だれもお使いにならないので,もう消えかけているし,石原運輸大臣も「E電」というのはよくないと申したが,「JR」というのも同じようなもので,これも恣意的と申したのは,別に慣用が固定して「JR」になったという種類のものではなくて,国鉄が民営化されて分割されるときに,「国鉄」と言うのは意味がそぐわなくなってきたので,英語の略称をそのまま「JR」と勝手にくっつけて,一方的に「JRでございます」と名乗りを上げたわけだ。
 現在は民間会社かもしれないが,かつては公社であった公共的な営業主体を持っているところが,こういうことを勝手にやっているわけであって,それを押しつけられているという現象なので,国語の表記体系が著しくゆらいでいるというか,今変わりつつあると考えると,これはやはり表記の問題として表記委員会でもお取り上げいただいた方がよろしいのではないかという感じがする。もちろん総会で問題にして,これは表記の問題ではない,氾濫の問題であるという考え方をとることもできるが,私はそう考えている。
 きょう,こちらへ参る前に,日本文芸家協会の会報が届いたが,その中で,会員であるフランス文学者の白井浩司氏がこの問題を取り上げて,「JRのE電に乗って上野の山でパンダを見れる」というような国語を書いているのを新人類であるとすれば,これは全く恐るべき現象であると言っておられる。
 そんなこともあるので,この問題はやはり国語審議会がこれを取り上げたということが報じられると,旧国鉄側も大分どきりとして,またまずったかと思うのではないか。それが良い悪いということを結論付けるのではなくて,ここで議論したということだけでも,やはり国語審議会の権威からして相当の社会的なインパクトがあると思うので,ぜひ総会及び表記委員会で継続してお取り上げいただきたいと思う。

坂本会長

 今の江藤委員の御説明に,ここでまた侃々諤々(かんかんがくがく)やるのも,少し短兵急かと思う。また皆様方にいろいろ御検討いただいて,御議論いただく場がまだあるのではないだろうかと思う。
 ほかに何か御意見はないか。
 事務局の方から何かお聞きしておきたいということはないか。

近藤国語課長

 御意見を頂ければ幸いであるが,私ども,これから表記委員会でアンケートを出して,御意見をお伺いするということがあるわけである。先ほど林主査の方から地名・人名のことを取り上げるかどうか,あるいはどういうふうに取り上げるか,それから学校教育の問題等のお話があったが,なおこのほかにも,この際,こういうふうなことをアンケートしておいた方がよいのではないかということがあれば,承らせていただければ大変幸いである。
 なお,将来も必要に応じてアンケートによるお願いをすることになるかと思うわけで,例えば具体的に「ヴ」という表記をどうするかというようなことは,もっと議論を詰めてからだと思うが,次回のアンケートで,更にこういうようなことを現段階でやっておいた方がいいんじゃないかということがあれば,お伺いできればと思う。

坂本会長

 さっき江藤先生が「JR」の話題などをお出しになったが,私も国語審議会に席を置くようになったということを機会に,外部の先生方から一,二の御意見を拝聴している。
 それで,これは国語審議会,外来語表記の問題と直接かかわりがあるかどうか分からないが,例えば,我々が外国へ渡航する場合とか,あるいは名刺にローマ字で名前を書く場合に,日本人は自分の名前を先にして姓を後にする。坂本朝一を,「TOMOKAZU SAKAMOTO」というような表記をするけれども,例えば中国で介石とか胡耀邦とか,そういう人たちが姓と名を逆に呼称するということはしないじゃないか。日本人だけが外国人に対して姓と名を逆に表示するというのは,いささか不見識ではないだろうかというようなことをおっしゃられて,思ってもみなかったもので,答えようがなかったわけである。
 そういうことは,必ずしも外来語の表記ということと直接つながりがあるかどうか,分からないが,少なくとも国語審議会としての御見識を問うという意味では話題になるんじゃないかというようなおっしゃり方をされているので,そういう御意見をお持ちになって,国語審議会に対して期待されている向きの先生方があるということだけ一言御紹介しておきたい。
 なお,多少私なりに調査もしてみたが,法務省とか文部省とかいうところでは,どっちを先にするかしないかは当人の見識で,後にしても先にしてもいいということで,規制はないようであるが,ただ法律的というか,現状では──私も実はこの8月にイギリスへ行く用があって旅券の申請をしたが,旅券申請の手続の上では,外務省の旅券課では,私の場合は「TOMOKAZU SAKAMOTO」というふうに書かないと受け付けてもらえないということで,かなり厳しい規制が旅券についてはあるようだ。
 ただ,最近は,持参する旅券そのものの氏名のところに,日本字で「坂本朝一」と書くことは許容されているようだ。だから,私は「坂本朝一」と日本字で書いて,旅券を持って行った経験があるが,そんなことも話題の一つになるのかと思うので,御紹介しておく。

村松(定)委員

 大変小さいことだが,1の「外来語とは何か」という項目の(2),「片仮名で書く場合を対象として」うんぬんとあって,そのほかの外来語の表記は対象外ということだが,地名の場合は,例えば「パリ」というのを「巴里」と書くような表記,これは文献的にも定着していて,例えば「巴里みやげ」とか,「巴里を旅して」とかいうような本を見れば,外国の人が日本に来て勉強する場合にも,日本人は「巴里」と書いた伝統がかなり長かったというようなことが分かると思う。これは国語審議会の問題からはちょっと逸脱すると思うけれども,例えば国語教育の上で,そういうものを残すというか,むげに片仮名の「パリ」だけにしないでもいいんじゃないか。「印度」というのも長いこと日本で使われている。そういう言葉を温存するというと,また聞こえが悪いかもしれないが,無理に変えるほどのこともないというようなニュアンスをどこかでうたっておいた方がいいんじゃないか。ここには「対象外とする」となっているが,発音と合わせたような漢字の表記──「倫敦」とか「紐育」ということになるとちょっと別かもしれないし,「ケンブリッジ」を「剣橋」と書くのはもう死語になっているけれども,「巴里」というのは残したいような気がするので,私のセンチメンタリズムで,ちょっと申し上げたい。

坂本会長

 その問題は,この間の運営委員会でも御意見があって,例えば「倫敦塔」というのも,片仮名表記にするということになって,漱石の作品の題名まで変えなければならないということになると,多少問題があるんじゃないだろうかというようなことで,そう一概にはいかないという御意見もあった。もちろん結論を出してはいないのだが,問題点の一つだという認識は,委員の先生方もお持ちになっていただいているようである。

広瀬委員

 まず質問だが,4の(4)に,「シェ」「ジェ」と「セ」「ゼ」,「ファ…フォ」と「ハ…ホ」,「ティ」「ディ」と「チ」「ジ」,これらは区別する方がよいという意見が出ていると書かれている。こういう意見の方が強いということだと思う。それからヴァ行については,バ行と区別する方がよいという意見と,バ行で代用させる方がよいという意見が出ているというふうに書かれている。この区別する方がよいというのは,「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」を表記の文字として残す,存在させるという意見だと思うが,バ行で代用させる方がよいというのは,要するに,「ヴ」の字はもう使わないという意見だと了解してよろしいか。
 と申すのは,私,外来語の表記で恐らく実際的に一番問題になるのはやっぱり「ヴ」の音をどうするかということだと思う。「バイオリン」を「ヴァイオリン」とするかどうかというのが,一番の代表的な例として挙げられてくるのだが,バ行で代用させる方がよいというのは,要するに,「ヴ」はもう公式には使わないということなのか。

林(大)主査

 これは,本則的に29年の書き方を踏襲しておけばいいんじゃないかという御意見ではないかと私は思う。「ヴ」は絶対に使わないという御意見ではないだろうと思う。29年の報告の場合には,原音における「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」の音はなるべく「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書くというふうにあって,原音の意識がなお残っているものは,「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」と書いてもよいというふうにしてある。それに従って,報道関係では従来本則的な「バ」の方を主として採用していた。だから,その伝じゃないかと思う。その程度で,絶対に「ヴ」は使わないというわけでもないんじゃないかと思う。あるいは「ヴ」は使わないでいいじゃないかとおっしゃるのかもしれないが,その辺はよく分からない。

広瀬委員

 私は「ヴ」の字を残して,必要に応じて使うべきだという意見を持っているが,バ行で代用して,それが完全に近いほど固定しているという言葉がある。例えば「ビタミン」というのがそうだが,あれを「ヴィタミン」とすべきか,または「ヴァイタミン」とすべきかという議論,これは大変難しい議論なので,その辺はどうなることかと内心はらはらしている。
 もう一つ,全く別のことだが,江藤委員の言われた「JR」のことについては,私自身も大変気に入らない言葉で,無くしたいし,使いたくないが,しかし国語審議会の,殊に総会の議題からは対象外とするという感じである。ただ,議題の対象外であっても,この総会で「JR」について大変不愉快だという意見があったというようなことを,例えば文部省の記者クラブでの発表でおっしゃっていただけると,新聞はそれを大きな見出しに付けるだろうから,議題外として,こういう議論があったということを公表して出されたらどうかと思う。希望である。

坂本会長

 私,NHKの会長だったんで,そういうことを言うと,NHKもそうだと言われそうだから。(笑声)
 冗談はともかく,そういう問題はかなりまじめに考えないと,一事が万事ということもあると思われるので,御意見として考えさせていただきたいと思う。
 前段の「バ」か「ヴ」かに似たことでは,我々の仕事の「ラジオ」というのも,昔は「ラヂオ」だったのが,今は「ラジオ」である。先輩に,「ラジオ」はどうも余り感心しない,「ラヂオ」にすべきだと,私ども現職のころからよくしかられたものだけれども,憎まれ口を利いて,そんなら「レイディオ」だと言ったら,生意気言うなと怒られたことがあった。原音主義かどうかということと,日本語の言葉遣いとして「ジ」か「ヂ」かということのニュアンスというのは,お立場,お立場でかなり微妙だから,一概に申し上げられないと思うけれども,さればといって,ほうっておいていいということではないと思うので,引き続き検討させていただくということで,本日のところはよろしいか。

広瀬委員

 ついでに,さっき「ビタミン」と申したけれども,「テレビ」というのも同じような例だと思う。

林(大)主査

 ちょっと補足させていただくと,「JR」や「OL」といったような問題は,総会の問題ではないというふうに私が申したとすれば,それは誤りであって,表記委員会ではそこは論じなくてもいいだろう,それは総会で議論していただいていいものだろうというふうに考えているわけである。
 そのついでに,主査の立場ではなくて,一人の委員として発言させていただくと,今の「JR」や「OL」の氾濫の問題であるけれども,そういうことを国語審議会はやっぱり取り上げていただきたい。国民の国語意識というか,国語を尊重するというのはどういうことか,国語を愛護するというのはどういうことかということについての議論はどこでなされるべきかと考えると,やはり国語審議会なのではないかと私は思っている。そういうところで,何が愛護になるのか,何が尊重することになるのか。ただ単に外来語を排斥することだけが愛護であるのか,いや,純粋なる日本語を育てるのが尊重であるというふうな御意見もあるかもしれないが,そういう議論を闘わせる場は,国語審議会よりほかに今ないのではないかと思っている。
 私から見ると,世間の風潮,外国語濫用の世界というものを何とかしなければならないと思うが,そういう風潮に対する何らかの提言をやはり審議会は考えていただいていいのではないかと思う。
 それで,表記委員会に戻ると,表記委員会では,当面表記の問題を扱うので,そういう議論には時間をかけるわけにはいかないだろうと思っている。

関口委員

 「討議の概要」の中の4の(5)のところに,先ほど会長がおっしゃった「ラヂオ」の「ヂ」,「ヂ」「ヅ」などの復活についても検討すべきだという意見も出ているということが書いてあるわけだが,これをお書きになった方は一体どういうおつもりなのかなという感じがするわけである。
 それで,ここに書いてあるけれども,「一方,外来語の表記というものも全く表音主義ではなく,語意識の上からの書き分けがあってもよく,その意味で,「ヂ」「ヅ」などの復活についても検討すべきだ」ということだけれども,もしよろしければ,できればもう少し詳しくその御意見を伺いたいということと,国語審議会で討議されることは,国民一般に使ってもらうということを前提に討議されていると思うが,これを言われる方はやはり一般国民にも「ヂ」「ヅ」を使ってもらいたいのかどうか,その辺をちょっとお聞きしたい。

林(巨)委員

 これは,多分,私の意見が出ているのだろうと思う。
 お手元に,昭和29年の「外来語の表記について」という報告がある。その10ページから11ページにかけて,「外来語を書くときに用いるかなと符号の表」というのがあって,そこでは,ダ行のところで「ヂ」「ヅ」の文字は省いてある。これは,現代の日本語では「ヂ」と「ヅ」の音は区別できないのだから,表音の立場に立てばこれは要らないというので,省いた表を作ったわけである。これは報告にすぎなかったから,実際の拘束力はなかったはずだけれども,新聞や学校の義務教育段階の表記では,これに準じて,先ほど会長のお話にあったように従来は「ラヂオ」であったものを「ラジオ」に変えて,そしてこれが固定したという形になってきた。
 もう一つ,同じような例を挙げると,この周りにも幾つか残っていると思うけれども,旧来の「ビルヂング」というのは今でも標識としてはかなり残っている。それも今のような事情で,現在では,「ビルディング」を採用するという形で変わってきた。
 そこで,「復活」ということを言ったのは,これだけ裏側にある外国語の,つづりと言っていいかどうか問題だが,知識がこれだけ進んでくると,頭の中には「レイディオ」の「ディ」であるということが残っている人口が増えているわけで,「ジ」と「ヂ」は現代語の発音で一つになってしまっているからといって,それを表から除いて一切使うなというようなことをするのはいかがなものかと,そういう意味である。
 根本になると,文字,それから今の場合には仮名のつづりというものは,音を伝えるものであるのか,意味を持った語を伝えるものであるのかというところにさかのぼる。今,関口委員から,御指摘のことから言うと,私は,つづり字はそれ自身言語であって,意味を持った語を伝えているのであって,発音だけを表しているものではないという立場に立っているので,こういう意見を申したわけである。
 で,国民を対象としてそれを復活をするのがいいか悪いかという問題であるが,さっき林主査のお話にもあったけれども,易しくするということが,国語の愛護,国語を育てていく正しい方向であるかというと,国民全般は易しいことによって向上するのではなくて,語のつづりにしても,やっぱり伝統というものをちゃんと踏んでいくことによって,だんだん国語の愛護の心も高まっていくのだというふうに考えているので,繰り返しのようになるけれども,その立場で発言したのが,ここに載っているのだというふうに御了解いただいていいかと思う。

関口委員

 今の御説明で,何となく分かるような感じもするけれども,正直申し上げて,よく分からない。私としてはそういう印象を持っている。
 私としては,これに関する限りは,昭和29年に報告された「外来語の表記について」の立場の方がいいのではないかと思うので,ここに書いてある「ヂ」「ヅ」の復活については反対である。
 それから,外来語の氾濫の問題について御意見があったので,私も日ごろ思っていることをちょっと申したい。外来語の氾濫については,私も快くは思わない。
 官公庁,特に中央の官庁に申したいのだが,文部省はそういうことはないと思うが,率先して新しいネーミングを付ける。しかも片仮名の,内容のよく分からない,一般の人がこれを読んで一体どういう印象を持つんだろうかと思われるようなものがかなり出ている。これから予算編成の時期になると,特に通産省あたりが多いと思うけれども,片仮名をやたらに出してきて,何か物新しい事業であるかのように印象付けて予算を要求してくる。それから地方の役所でも中央をまねて,やはり同じように片仮名のネーミングを付けているけれども,こういうことはやめていただきたい。もっと分かりやすい,一般の国民によく分かるような,そういうネーミングにしてもらいたい。もしどうしても使わなければならない場合は,日本語でどういうものなのかということを注記するようにしてもらいたい。
 私,それを意見として申し上げたいと思う。

坂本会長

 確かに,最近はそういう意味での横文字の言葉が多いというふうに私自身も考えているので,これはやはり国語審議会の問題であると同時に,日本の国としての,国民としての見識の問題かと思うから,折に触れて,そういう点については発言していくべきだと考えている。

石井委員

 先ほど林主査から外来語の氾濫の問題が出たけれども,私も,さっき江藤委員が提起された「JR」にしろ,「E電」にしろ,腹の底から腹立たしく思っている一人だが,50人からの審議会の先生の中には,それもいいじゃないかとお思いの先生もいらっしゃるのではないかと思うので,国語審議会の総会の決議というか,大げさなものとしては難しいだろうけれども,国語審議会には,かび臭い議論ではなくて,こういう生々しい話題も出ているんだよということで,あしたの朝刊用に,文部省の記者クラブの人たちにしっかり聞いていただいて,箱ものみたいな形ででも出していただきたい。外来語の氾濫の問題というのは,私も苦々しくは思っているけれども,恐らく総会の決議の形としては出ないのではないかという気がするので,今のうちに,腐らないうちにこういう新しい話題,こういう議論が雑談の形で出たということを,どんどん国民の皆さんに知らせていただきたいと思う。

坂本会長

 大分応援団が出てきた。(笑声)

野元委員

 皆さんもそう思っておられると思うが,「JR」と「NHK」は全く違うものであって,一つに扱ってはいけないと思う。つまり,「NHK」の方はローマ字にしたものを略しているので,ローマ字論者の立場からするならば,むしろこれは非常にいい言い方であって,決して抹殺すべきものではないと思う。
 ただ,「NTT」というのもあって,これはぬえ的であって,どっちが主体なのか分からない。外国を相手にするのにもかかわらず「KDD」というのが一方である。それを,日本の中しかやらないのに「NTT」というのはおかしいような気がするし,雑談ということで申すと,例えば「あいつはエッチだ」というときは,どうも「変態」の「H」らしいので,これは外来語ではないだろうという気がするわけである。(笑声)

坂本会長

 今日は,文化庁の方で記者発表があるようなので,そこのところを間違いないようにひとつ御発表を。(笑声)

鈴木委員

 外来語というのはかなり範囲が広くなるから,私,最初は地名・人名も扱った方がいいんじゃないかということを申し上げたのだが,「討議の概要」の2の(2)の取り上げる手順としては,イの御意見に賛成したい。まず一般の外来語について考えて,地名・人名は後にする。ただし,一般の外来語について考える場合でも,ウにあるように,地名・人名の可能性も考えながら御発言いただけたらと思う。
 それから,2の(5),中国と韓国の問題。中国の場合は,ソ連圏を除いて考えると,ヨーロッパの倍以上の地域があって,漢字で統合はしたけれども,音声は実は地方によって自由である。このごろ香港の問題がいろいろ話題になっていて,ところがびっくりしたのは,北京に行ったら,北京大学の学生たちが北京音で発音して,「シャンカン,シャンカン」と言っている。それでも通ずればいいわけだ。
 韓国は小さな国だが,NHKなんかで聞くと,非常に注文が多くてうるさいと言う。だから国際的な関係もあるから,韓国のことについては我々も気をつけた方がいいと思うけれども,中国は恐らくそういうことについてはとやかく言ってこないと思う。したがって,中国と韓国とは別にした方がいいと思う。

坂本会長

 そういう御意見をもとにしながら,検討させていただきたいと思う。

関口委員

 一つだけ,これは私の意見としてアンケートにも書いて,重ねて言えばくどくなるが,地名・人名については,新聞用語懇談会で今外国の地名について討議をしている。11月に全国の総会があったが,その際にも,やはり国語審議会の審議の模様を注視していて,そういう意見が出たので,やはり地名を先にしていただきたい。この一点をお願いしておく。

坂本会長

 今の御意見をもとにして,また表記委員会で引き続き検討させていただくということで,よろしいか。

近藤国語課長

 先ほど今後の日程等について事務局からというお話があって,主査からの御説明にもあったけれども,ただいまのところ,3月に総会をということで進んではどうかということで動いている。日程等については,会長,副会長の御意見を伺って,決めさせていただきたいと思う。それまでに,外来語の表記委員会は具体的な語例に当たって3回ほどやる。それから,アンケートについては,本日の総会での御意見なども踏まえて,この12月15日に外来語の表記委員会が開かれるときにまた御検討いただいて,1月中にアンケートをお願いをする,そしてそれをまた3月の総会に御報告をするというふうな運びになろうかと思う。
 それから,「JR」等のことについて,この総会が終わったら新聞発表があるやに会長先生の御発言があったけれども,この審議会は公開であって,文部記者会所属の記者はこの会に出て来られることになっている。案内も差し上げている。そういうふうなことがあって,一々の記者発表等はいたしていないので,御了解をいただきたいと思う。

坂本会長

 残念ながら記者発表はないそうだから,委員の先生方の中にマスコミ関係の方がおいでになるわけだから,それぞれお帰りになったら,一つおっしゃっていただいて,よろしくお願いする。
 それでは,当面の日程としては,明年,63年の3月ごろに第5回の総会を開催する。総会の具体的な日時,場所等については,追って御通知申し上げるということにさせていただきたいと思う。
 本日はこれをもって閉会とする。

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