国語施策・日本語教育

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次第 外来語表記委員会の審議状況について(報告)

坂本会長

 続いて,本日の議事に入らせていただく。
 3月2日の第1回総会で,前期と同様,外来語表記委員会を設置して,外来語の表記の問題点に関する検討をお願いしたが,きょうはまず,その後の外来語表記委員会の検討状況について,中間的な御報告を伺い,その後,御報告を巡って,協議という形で皆様の御意見を伺わせていただきたい。

林(大)主査

 ただいまお話しいただいたように,外来語表記委員会が,改めて3月以降,開かれた。今日までのところを,中間的であるが,御報告いたしたい。
 お手元の資料1にあるように,表記委員会を4回開き,また小委員会を4回開いた。
 表記委員会では,前期17期の検討に引き続き,外来語の音と仮名表記の問題について検討を行った。その参考資料が 今日の資料2「外来語の音韻と仮名表記─検討のための見渡し─」である。また,規則の立て方について,今後どのように考えていけばよいかということについて話合いを行った。
 これらの検討,話合いの中で出された主要な観点というものを申し上げようと思う。
 (1),まず音韻の面から考えてみる。
 この「まず」ということであるが,外来語の表記というものを考える条件としては,やはり外来語としての音韻というものが基本になろうかと思うので,そこを「まず」と申したわけである。そのほかに表記を決める上での条件としては,原つづり,元の原語におけるつづり方もあるいは考えなければいけないかもしれない。また,慣用ということは十分に考えなければいけないであろうが,仮名で表記をするということを考える上では,やはり音韻をまず見渡しておく必要があるというところから,音韻の面から考えてみることにしているわけである。
 和語,漢語を含めて,国語の音韻は,「現代仮名遣い」に仮名表があるが,それが現代国語の音韻を表しているものというふうに考え,そのほかに外来語の音としてどういうものが考えられるかを検討するということにした。
 昨日,運営委員会の席で林巨樹委員からもお話があったが,この青いファイルの後の方に,昭和29年の審議会の表記部会の報告が収められているが,その10ページ,11ページに,「外来語を書くときに用いるかなと符号の表」というのが載っている。その11ページの上から9行目,すなわち「チャ」「ニャ」「ヒャ」「ミャ」「リャ」「ギャ」「ジャ」「ビャ」「ピャ」というところまでは,「現代仮名遣い」の仮名表そのままであると考えてよろしいものである。その下に「ウィ」「ウェ」とか,ずっと来て「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」というのが載っているが,これが外来語の表記として使われる仮名であって,それがどういう音韻に相当するかということが問題になろうかと思うわけである。その下に「はねる音」「つまる音」「長音符」がある。これはもちろん国語の音韻の中で考えるものであるが,そのちょうど中間にある「ウィ」から「ヴォ」までのところが問題になるということである。
 しかし,我々はこの表からは出発せず,これから離れて,これに当たるようなものについて,どういうものがあるかということを検討してきたが,それは4以下で御説明する。
 こうして,音韻の面からまず考えようという立場をとり,(2),その上で,外来音と仮名表記との対応の仕方に応じて,規則の骨格を考えてみようとした。
 (3)は,一般の外来語と地名・人名とを併せて規則を立てるという方向で考える。これについては,既に総会でもいろいろ御議論があり,またアンケートでもいろいろ御意見があったが,一応地名・人名を併せて,同時に考えてみるという方向でやってきた。
 規則の立て方についても多少の論議をして,適用の仕方についての段階,それから例外としてはこう認めようという段階というようなことがあって,そういう段階を考える必要があるということを話し合ったが,一々の問題については,具体的な条項が論議されるときに,改めて話合いをしなければならないだろうということにしているわけである。
 特に,このたびの規則の立て方としては,「こう書いてはならない」とか,「こう書かなければならない」といったような方針は立てられないということは,既に総会の御意向でもあり,我々はそういうことは考えない,「目安」という考え方でいくことを了解しているわけである。
 次に,音韻の上から考えてみるということにしているが,(4),従来の慣用を改めるというようなことは極力考えないでおこう,慣用は尊重しようということを考えている。
 (5),語形のゆれの問題には立ち入らないでよいのではないかということを考えている。語形のゆれというのは,簡単な例で言うと,「ハンカチ」と言った方がいいのか,「ハンケチ」と言った方がいいのか,あるいは「コンピューター」と言うのがいいのか,「コンピュータ」がいいのかといったようなことであるが,その辺は一応我々の当面の議論からは外しておこうということにしている。
 (6)は,各外国語に特有な問題についてであるが,もちろん英語には英語特有の問題があり,ドイツ語にはドイツ語の問題がある。まず一般的な問題──どうしても英語が中心になろうかと思うが──を考え,各外国語に特有な問題については必要に応じて,別に言及することにすればいいのではないだろうかと考えている。
 次に(7),余り特殊な音の書き表し方については立ち入らないでよいのではあるまいかというふうに考えている。
 特殊な音と言っても,我々が平生聞いているような英語の音の中には,余り特殊というものはないのではないか。しかし,ほかの外国語になると,特殊な音があって,それを書き表すために非常に苦労なさっておられる向きもあるが,この際,我々はそういう特別なものには余り立ち入らないでよいのではないかということを考えているわけである。

林(大)主査

 次の4の(1)から(8)までについては,資料2を参照しながら御説明申し上げる。
 資料2は10枚まであるが,ただいままでのところの表記委員会,小委員会で第1読会的に検討をしたのは,3枚目の四角で囲んだ3の前までであって,それ以下のところは,小委員会では触れているが,表記委員会としては,今後続けられるべき検討に残してあるわけである。
 さて,その第1は,1枚目の上の方から申すと,ローマ字で書いてある「FA」「FI」「FE」「FO」であって,私が今発音したのは,英語の発音なのか,日本語の発音なのか,分からないが,そういう音が国語の中に入っている,取り入れられていると考えるかどうか。これは国語の中に入っていると考えてよいのではないかと考えている。
 昭和29年の「外来語の表記」では,原音における「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」の音は,なるべく「ハ」「ヒ」「ヘ」「ホ」と書く,ただし,原音の意識がなお残っているものは,「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」と書いてもよい,としてあるが,いわばこれを反対にして,国語の中に「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」は入っていて,それを書き表そうとするなら「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」というふうに書いておく,しかし,従来の習慣で「ハ」「ヒ」「ヘ」「ホ」と書いてあるものは,そういうふうに書いてもいいというように改めてもいいのではあるまいかという議論になっている。
 もちろん,この「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」については,欧米語では,歯と唇の発音の「f」だが,日本にそれを取り入れていると我々が認めるものは,ただ唇を近づけただけで,フーとろうそくの火を吹き消すような「フ」の音を「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」というふうに変化させて使っているのであって,耳にするものにも,書かれているものにも,例えば「ファウルボール」とか,「フォークボール」とかいうようなものがしょっちゅう使われているように思うので,これは入っていると考えてよいのではないかということである。
 したがって,「書いてもよい」ぐらいではなくて,これをもう少し表立てて「認知」してもいいのではないかということである。
 次に,その下の「V」の音であるが,「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」,これも,昭和29年においては,なるべく「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書く,そうあるので,29年の審議会の提案に従おうという方々は,従来,「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」で書いてこられたが,一方では,29年の表にも「ヴ」はあるのであって,「ヴ」に強い要求を持っておられる向きがある。それからまた,昔書いたように「ワ゛」「ヰ゛」「ヱ゛」「ヲ゛」といったものを用いることについてはどうかという意見もあるわけだが,「ヰ゛」「ヱ゛」のようなものは使わなくてよいというのが前回のアンケートの中では多数の御意見を占めているというふうに了解している。
 しかし,これらは表記上の問題であるか,音韻の問題であるかということになると,まだ議論をしなければならない点があり,「B」の発音のほかに「V」の発音を立てるかどうか,音韻として考えるという段階では,これはまだ議論が尽くされていない。小委員会でも,表記委員会でも,その点はなかなか難しい議論があるので,更に議論を深める必要があるとして保留にしている。そのヴァ行になるべき語例は,ここに挙げたとおりである。
 なお,この資料にSとか,Gとかいう符号が付けてあるが,これは凡例にあるように,この言葉を取り出してきた資料の記号である。
 次に,2枚目の「TS」のところ,資料1の方では(3)であるが,「ツァ」「ツィ」「ツェ」「ツォ」についてである。「ツァ」「ツィ」「ツェ」「ツォ」という外来語の音は,国語の中に取り入れられていると考えてよいのではないかと考えている。ただし,「ツィ」については若干問題があるだろうというわけであるが,国語の中に取り入れられていると見てよい。国語自体についても,標準語としては取り入れられていないが,発音ができ,また聞き取れるという音であろうかと思う。「ゴッツォウ」とか「ゴッツァン」とかいうことが新聞に書かれていても,それを不思議と思わずに,我々読んでいるので,入っていると見てよいのではないか。
 この音については,29年では,原則の中では取り扱っていないが,先ほど申した「かなと符号の表」には括弧に入れて「ツァ」「ツェ」「ツォ」を掲げている。括弧というのは,「一般の外来語にはあまり使われない」という印である。確かに,英語では「ツ」はしばしば出てくる。Tの後の複数形であるとか,所有形であるとかいうときには,「ツ」が出てくるが,「ツァ」「ツェ」「ツォ」は余り出てこない。
 英語の辞書を見ると,ロシアの言葉から取ってきた「ツァー(皇帝)」とか,「ツァリーナ(皇后)」を挙げている。また,「ツァーリズム」というものを採っている辞典もある。あとは「tsetsefly」,虫のハエの一種であろうか,それに「ツェツェ」が出てくるといったような程度であって,英語では余り出てこない。しかし,ほかの言語,例えばドイツ語では割合にこれが出てくるわけである。
 次に,資料1の(4),資料2の方の2枚目の中段から下のところにあるが,「シェ」「ジェ」について。
 これも昭和29年の原則では,原音における「シェ」「ジェ」の音は,なるべく「セ」「ゼ」と書く,ただし,原音の意識が残っているものは「シェ」「ジェ」と書いてもよい,としているが,今日では「シェ」「ジェ」の音も,原音に近い形で我々は既に取り入れているのではなかろうか,こう考えているので,あるいは29年の書き方を逆にするようなことになるのではないかと考えるわけである。
 同様に(5)の「チェ」という外来語の音は,国語の中に入っていると考えていいのではないか。これも29年の「かなと符号の表」には載っているが,原則の中ではこれは取り扱っていない。

林(大)主査

 次が,(6)の「スィ」「ズィ」である。これは資料2の方の3枚目である。これについては,我々が英語を学習するときには,やかましく「シ」と「スィ」との違いを指摘されるわけであって,「seasick」の「スィ」と「ship」とか「sheep」というときの「シ」とは発音が違うんだ,こういうふうに教わるわけであるが,従来の慣習では,「シ」と「スィ」との区別をせず,すべて「シ」と書いているのが普通ではあるまいか。発音としても,「シルクロード」と言って平気でいるわけである。
 実はゆうべもテレビで「ディーシーテン」(DC10)と言っているようなわけで,「D」のところは「ディー」になっているが,「C」のところは「シー」と言っている。「スィ」と言う場合もないわけではない。「エー・ビー・スィー」と言う人もいるし,「エー・ビー・シー」と言う人もいる。それから「輸血を200cc」というところを「200スィースィー」と放送されたこともあるように思うので,「スィ」という発音がないわけではないが,「シ」と「スィ」とを区別しなければならないということが,どれほど一般化しているかということは問題であって,国語の中には「スィ」の音は外来語音としては取り入れられていないのではないかというふうに考えるわけである。
 ただし,人名を書き表すときに若干問題があるという例は資料2の3枚目の上の方に,アラビア系,ペルシア系の人の名前などを取り上げているが,「スィ」とか,「ズィ」を書いている例がないわけではない。多少問題があるかもしれないということである。
 それから,(7),「ティ」「ディ」については,国語の中に取り入れられていると考えていいのではあるまいか。29年のときの「なるべく」という言葉の意味も大変問題があろうかと,実は思うのであるが,「なるべく」というのは,原音で「ティ」であるものがここに500語あるとすると,500語の大部分は「チ」と書いておくんだというようなことになるのか,500回書くうちで,なるべく「チ」と書いておいて,ある日は「ティ」と書いてもいいということになるのか,そこのところはちょっと問題かもしれないが,29年は「チ」「ジ」と書くのを「なるべく」といって勧めているわけである。
 ただ,今日になってみると,もやは「なるべく」と言われても,「チーパーチー」と書く人はいないし,そう発音する人もいないと思う。「プロスペリチー」ということを言う方も余りいないのではなかろうか。それで「ティ」「ディ」は正当に認めておいていいのではあるまいか。しかし,「チ」「ジ」で習慣ができてしまっているものもあるわけで,例えば「エチケット」とか,「ゼラチン」「プラスチック」などのたぐい,それから「ジ」の方では,「スタジオ」とか「ラジオ」とかいうものは,習慣が固定していると考えていいかもしれない。そういうものがあるが,一般的には「ティ」「ディ」という方を原則としては認める方向でよいのではあるまいかということである。
 それから,(8),「トゥ」「ドゥ」については,資料2の3枚目の中ほどから下にあるが,実はこの欄のローマ字で書いてある「TU」「DU」には2種類のものがある。片仮名で「トゥ」「ツ」「ト」,「ドゥ」「ズ」「ド」とあるが,この「TU」のところには,「タ,ティ,トゥ,テ,ト」という発音をするときの「トゥ」に当たるものについての問題と,原音では後に母音がついていない「t」の問題とが両方入っている。
 余計なことを申さない方がいいかもしれないが,「トゥーアウト」と読めるような書き方と,「ツーアウト」と読める書き方とがある。もう一つは,「トリー」と書くか「ツリー」と書くか,「クリスマスツリー」と言うか,「クリスマストリー」と言うかということである。
 「DU」の方も同様で,普通名詞の方では余り例がないが,例えば「ヒンドゥー教」なのか「ヒンズー教」なのか,「ボロブドゥール」なのか「ボロブドール」なのかというようなことがある。「ドライバー」「ドレス」「カード」のように,原音では母音の付かない「d」については「ド」と書くというのは,大体決まってしまっているようなものだと思う。
 ただ,フランス語の「ド・ゴール」の「ド」は母音がついていて,元来は,「ウ」という母音ではないけれども,これを「ウ」という母音の仲間に入れて「ドゥ」とするか,あるいは「ド」というふうにするか。今日までの習慣では「ド・ゴール」,「フェルディナン・ド・ソシュール」というふうに,「ド」で書くのが普通で,また,そう普通には呼んでいるのではないかというふうに考えている。
 この辺のところまでを議論してきて,先ほど申したように,ある程度国語の中に取り入れてよかろう,29年の際には書いてもよいという程度であったが,これをもう少し正当な位置に認めてもよいのではないかということを考えてきたというところである。
 これ以下に続くものについては,今後表記委員会で御議論を願っていく予定である。
 当面の日程については,8月上旬に小委員会のお集まりをいただきたいと思っている。9月5日には,外来語表記委員会を予定していただいている。
 私から御報告するのは以上のようなことであるが,ここに書いてあること以外に,私の口から申し上げているので,多少行き過ぎだの足りないところがあろうかと思うので,その辺はまた,副主査や委員の先生方から,修正あるいは補足をお願いいたしたいと思う。以上である。

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