国語施策・日本語教育

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次第 協議

坂本会長

 大変きめの細かい御検討をなさっていることを伺ったわけであるが,ただいまの御報告について御質問があれば,御発言いただきたいと思うし,また表記委員会の委員の先生方で,今の林主査の御説明に対して,また付け加えるようなところがあれば,御発言いただけたらありがたいと思うが,いかがか。
 御質問とは別に,御意見のようなものがあれば,同じく御発言をいただきたい。

江藤委員

 実は,昨日の運営委員会でも林主査にお尋ね申し上げたというか,林主査の前で意見を申し上げたことでもあるが,きょうの御報告が中間的な御報告であるということと,それから今の審議状況についての大きな3番の中に「規則」という言葉が2度出てくるが,この「規則」なるものが,「ねばならない」というものではなくて,「目安」であるというお話があったので,そのことを含んだ上で申し上げさせていただきたいと思う。
 私,これを拝見したときに,非常に素朴かもしれないけれども,やや根本的な疑問を感じたので,それを記録にとどめる意味で繰り返させていただきたいと思う。
 その疑問と申すのは,3の(2)に,「外来音と仮名表記との対応の仕方に応じて」とあるけれども,この認識は果たして正しいかということである。「外来音」と「仮名表記」ということであって,「外来音」は外国語の原音ではないと言われてしまえばそれまでであるけれども,外来音を仮名で表記し得るのかどうか,仮名というのは,そもそも外来音を表記するようなシステムであるのかどうかという問題が,まずあろうかと思う。
 そのような問題を感じつつ,4の(1)以下を見てまいると,そこに何度か「……という外来語の音は,取り入れられていると考えてよいのではないか」という表現が出てきて,したがって,「改めてもよいのではないか」という御提案があるわけである。外来語の音と言うけれども,これは「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」と書いてある。ところが,これは「fa」「fi」「fe」「fo」なのかどうか。国語が表記できるのは,「フア」「フイ」「フエ」「フオ」であって,「fa」「fi」「fe」「fo」ではないのかもしれない。「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」という表記を見るときに,我々はそのもとになっている外国語の「f」で始まるつづりを思い浮かべて,それとの間に対応関係を想定して,こう言っているのではないか。同じようなことが,(2)以下についても言えるのではないか。
 と考えるならば,さっき「ファーストベース」とおっしゃったけれども,「ファーストベース」という英語はないわけであって,「first」であるから,この音は日本語にはない。それは音を表記しているのではなくて,それらしきものを「ファ」という表記法で表すことにしているにすぎないわけである。だから,それは「ハ」と書いてもいいわけだ。
 これは,もちろん一方を排除して,一方を取るというのではないという御趣旨であれば,それはそれで結構であるけれども,外来音を仮名が表記できるのかどうか,音を表記するのではなくて,外国語のつづりと仮名表記との対応関係が1対1になっているか,1対セヴェラルであるかという問題なのか。
 だから,この議論だけで,すべてこの審議が進むと,そういう問題点は全く閑却に付せられたままになってしまうのではないかというのが一つの問題点ではなかろうかと私は考えるわけである。
 それから,これは揚げ足を取るわけではないけれども,4の(6)の「スィ」「ズィ」について,これは「国語の中にはほとんど取り入れられていない」という御指摘である。これはきのうも申し上げたけれども,大野晋さんが御指摘になっていらっしゃることであるけれども,現在,首都圏,東京もそうなのかもしれないが,埼玉,神奈川,千葉あたりの17〜18歳から24〜25歳ぐらいの若い女性,女子大生なんかの間で,「シ」を「スィ」と言う傾向が非常に顕著に出ている。これは,会長や遠藤委員の前であるけれども,NHKのアナウンサーやニュースキャスターの女性の方も──どういうわけか,これは女性に多いのであるが,「シルクロード」ではなくて「スィルクロード」と言ってしまう。それは「silk」と英語で言っているのかというと,そうではない。ちょっと誇張して言うと,「オイシイ」というのを「オイスィイ」と言う。
 そういうような音韻現象は現に存在するわけであって,それは外来語に起因するか,あるいは外来音に起因するかどうかということは,私は国語学者じゃないから,突き止めたことはないけれども,私どもが現在話している現代日本語の中で,「スィ」「ズィ」という音がないというのは事実に反すると私は考える。
 また,(8)の「トゥ」「ドゥ」であるが,例えば,英語の「t」という音を表記するといっても,これは音を表記しているのでも何でもないんで,「ト」は「TO」であるし,それに半母音の「ゥ」をくっつけたと考えると「トォゥ」というような音になる。これは音を主体に考えると,「t」の表記としては全然成立しない。
 昔,イギリスに大変華やかな芸風で知られた「Sir Beerbohm Tree」という俳優がいて,漱石が留学中にこの「Beerbohm Tree」の舞台を見ている。彼は「ビアボム・ツリー」と書いている。「ツリー」と書いてある理由は,「Tree」は「トリー」ではあり得ない。「鳥居」になってしまうじゃないか。お社の「トリイ」じゃなくて,「ツリー」だというので,「ビアボム・ツリー」と書いているわけである。
 そのような書き方にはいわれもあるし,英文学者であり,英語に熟達していた漱石の耳の許容し得る表記法としては,「ツリー」も当然あるわけで,漱石が英語ができなかったから「ツリー」と書いたわけではないので,「トリー」ではあり得ないと思ったから「ツリー」と書いたのであろう。
 というようなことを考えると,つまり日本人の耳が英語に慣れたがゆえに,「ティ」「ディ」や「トゥ」「ドゥ」という音を書き分けられるようになったと考えるのは,どうもおかしいのではなかろうか。
 したがって,これは私は大変意地悪く読んでいるのかもしれないけれども,議論のまとめられ方が,仮に結論においては大して変わらないにしても,このような理論付けだけで行われるとするならば,それは随分一面的ではなかろうかという意見を私は強く抱いている。
 毎回,外来語表記委員会には,私は委員ではないけれども,ほかの先生方と同じようにお招きを受けているので,出席して,そこで参考意見を述べさせていただければよろしいのであるが,いろいろ公務繁忙であって,せっかくお招きいただいたときに出席できないことが多いもので,総会の機会を借りて意見を述べさせていただき,かつ記録にとどめていただきたいと思う。

坂本会長

 今の江藤先生の御意見も含めて,何か御意見はないか。林先生から,何かお答えになる部分がるか。

林(大)主査

 きょうは,委員の皆様方からいろいろ御意見を伺っておきたいと思っているので,一々御返事するのもどうかと思うが,実は昨日も一応の申し開きはしたわけである。そして,きょうの報告の最初にも,きのうのお話から申したわけであるが,外来語の表記ということは,外来語の音形に対して,日本語でどのようにそれを受け入れるかということだと思う。
 例えば,「handkerchief」という言葉を「ハンカチ」と入れるか,「ハンケチ」と入れるかということがあるが,ともかくその音形について,「ハンケチ」と書こうかということがあるということを考えて,まず音韻の面から考えてみる。しかし,表記を考える上ではその他の考慮が必要であるということは,きのうの御注意に従って,きょうの説明の中でも付け加えさせていただいたわけである。
 つづり字の問題を考慮しなければならないことも出てくるのではあるまいか,その他の考慮があるいはあるかもしれないということを考えた上で,まずただいまのところは音韻の方から攻めていってみて,そこでぎりぎりのところまでいけないかということを考えているわけである。
 それから,「シ」と「スィ」の問題については,「スィ」の発音が,日本人の中にできるようになっていることは認めなければいけないけれども,若い女の人たちの間で,「スィ」という発音が聞かれるということは,「シ」と「スィ」との区別において「スィ」の発音をしているというのではなくて,本来,我々年寄りどもが「シ」と発音しているものを「スィ」と発音するということであって,そういう例は,西の方へ参ると,「セ」の発音に対して「シェ」と発音する人たちがいるわけである。これは若い方ばかりではなしに,年配の方でも「シェンシェイ」と言われる方があるので,「シェ」の発音ができるじゃないかという議論も出てくるわけである。しかし,その場合は「セ」と「シェ」との区別として「シェ」を発音しているのではなくて,「セ」の発音に当たるところを「シェ」と言っているわけである。
 だから,「スィ」と「シ」という問題も,今のところ,日本人の中でしているのは,区別の意識がなくてそうなっているということだろうと思うので,ここの例ではちょっといただけないと思っている。

坂本会長

 江藤委員,よろしいか。御発言を記録にとどめてほしいという御主張であるので,ここで侃々諤々(かんかんがくがく)やるということにはならないのかもしれないけれども,考えようによっては大変基本的なところを突く御発言でもあるので,今後の御審議の中で,もう少し煮詰めさせていただくというふうに考えてもよろしいか。よろしければ,そういう方向で……。

林(大)主査

 ただいま私は,発言の機会を与えられたので,反論みたいなことを申し上げたけれども,なお,江藤委員の御意見のような,あるいはそれに関連するかしないか,またいろいろな御意見があったら,ぜひ伺わせていただきたいと思っているので,よろしくお願いする。

坂本会長

 ところで,審議の経過の中で,新聞協会とか,雑誌協会とか,そういうところから一つのまとまった御意見をいろいろ承っているわけであるが,今回は文芸家協会から,やはりまとまった御意見としての伝達があって,それはそれぞれ先生方にお届けしてあると思うが,江藤委員の御発言のよりどころは,文芸家協会の御意見にあるというふうに考えてよろしいか。

江藤委員

 今私が申し上げたのは個人の意見である。
 協会の要望書については,もしお許しいただければ,簡単に説明させていただきたいと思う。

坂本会長

 もしよろしければ,せっかくの機会であるから。

江藤委員

 私ばかり立ち上がって,大変恐縮だが,これから簡単に申し上げるのは,私個人の意見ではなくて,社団法人日本文芸家協会が,去る平成元年7月5日の理事会において,満場一致で採択した「外来語表記に関する要望書」というものについての御説明である。
 これは各委員に事務局からあらかじめ配布していただいているので,あるいはお目通しいただけたかと思うが,念のために幾つかの点を指摘させていただく。
 まず,いずれ今年度末に,国語審議会の外来語表記に関する試案というものが一応まとめられてくるわけであるけれども,その際,いかなる根本方針によってその試案が作成されるかということについて,明示していただきたいということを期待しているというのが一つの点である。
 そして,「外来語」という概念であるけれども,文芸家協会としては,他言語から借り入れた言葉の中で,固有の日本語に同化しているものを外来語と考えるという立場をとっていて,このように外来語の概念を規定するならば,現在氾(はん)濫しているものは,いわば片仮名洋語というものであって,いわば外国語からの便宜的借用語とでもいうべきものが非常に氾濫している。その中には,「SDI」とか,「ODA」とか,「OA」とかいう種類のアルファベットを用いた略語,それから「BG」とか,「OG」とか,「OL」とかいうような和製英語の略語,「JR」「E電」のごときもの,こういうような日本語をむしろ劣化させるような言語現象が頻出している。言語現象としてそれが大変おびただしいものであるということを認めた上で,これらの処理について,これは外来語表記の当面の問題そのものではないかもしれないけれども,国語審議会としてある立場をお示しいただくことを期待したい。それが次の点である。
 それから,外来語表記にはある種の目安は必要であろうけれども,目安はあくまで目安であるべきで,いかなる意味においても強制的な意味合いを持つ規範の性質を持っているものとしていただきたくはない。言語表記,特に外来語表記は,ゆれを含んでいるのがむしろ健全な状態であって,「ヴァイオリン」であるか,「バイオリン」であるか,あるいはワ行の中で「ヰ゛」という表記もあるわけであって,これは考えてみれば,古くは新井白石の『西洋紀聞』から明治初年の久米邦武の『特命全権大使 北欧回覧実記』あるいはおう外,漱石等々の先達によっていろいろな外来語の表記が試みられていて,それらはすべて文化遺産になっているわけであるから,そういうものを包含し得るようなゆれをむしろ正常な形としてお認めいただきたいというのが次の点である。
 それに関連して,義務教育期間中に児童・生徒に教える外来語表記の方法というものは,何がしかの統一的な目安の示し方は必要であろうけれども,しかし,これは目安であって,これしかないよという教え方をしていただくのは大変に困る。既に文芸家の間では,一人一人の文筆家,文芸家が,自分の文学的な立場,信念に基づいて作品を書いているわけであるが,義務教育段階でそのような表記法に対するアフィニティーが失われるような教育がなされると,これだけが正しいものであって,これ以外は正しくないというような教育がなされると,非常に不利を被るという現実的な問題もある。
 自己の作品について不利を被るだけではなくて,もう少し広い見地から申すと,過去の文学作品の正しいテキストの読み方というようなものが著しく阻害されてきているということを表明される方々もおられて,この辺のことは,特にこの際,国語審議会に強くお願いしておきたい,そういうような趣旨のことが述べられているわけである。
 今後の御審議に当たって,このような要望をも御勘案の上,なるべく角を矯めて牛を殺すというようなことのないように,ひとつ柔軟で幅の広い目安をお示しいただきたい,かように考える。

坂本会長

 今,おっしゃったような形の要望書が文芸家協会から寄せられていて,やはり今後の審議の中で十分御議論いただきたいと思うけれども,昨年,全委員に行ったアンケートの結果によると,いわゆる規範ということについては,目安,よりどころ,緩やかな規範と考えたいという御意見が多くを占めていた。適用する分野ということになれば,「常用漢字表」「現代仮名遣い」のように,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活として,そういうふうに考えておくのがいいのではないかという御意見が多数であったので,今の文芸家協会の御要望とのつながりは,今後の審議の中で,また御議論があるかとは思うけれども,よろしいのではないかというふうに,この段階では考えられるかと思う。
 それから,外来語の氾濫については,前期の審議会でもかなり多く御発言をいただいたわけであるが,この方についても,今,江藤委員が御心配になった,文芸家協会の御意見とある程度ドッキングするところもあるのではないかというふうに思わないでもないけれども,余り先走った言い方をすると,またお叱(しか)りを受けるといけないので,その程度にとどめさせていただきたいと思うが,せっかくの機会であるので,どなたか御質問,御意見,御発言はないか。

広瀬委員

 全く不勉強で,十分研究も考えも進んでいないけれども,今までの定義に応じての「外来語」を片仮名で表記する場合の表記方法について,あるルールなり法則なりを立てるということ自体が,私,大変無理なことではないかという気がする。
 外国語を日本の文字で表現することがスタートから無理な話で,その無理を承知で片仮名で表記しているのだから,そこには何のルールのようなものも,文法のようなものもないまま,片仮名に移されていると思う。
 例えば「fa」「fi」「fe」「fo」という音は,「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」と表記できるけれども,「f」という,つまり母音のない子音だけの発音が,外国語には非常に多いので,その場合には日本語では表記する方法がないわけであって,そのこと一つを考えても,本来外来語を片仮名で表記することは不可能なことだと思う。
 それをやっているわけなんで,したがって,何らかの法則を立てて,レールを敷いて,それにたくさんある外来語の表記を当てはめていく方法よりも,むしろ現存する外来語一つ一つについて,この表記を目安とするという形で議論を進めていった方が実際的ではないかと思う。
 ただし,もちろんそれはあくまでも目安であって,どちらにしたらいいかと聞かれた場合に,こちらの方に国語審議会では印をつけている,しかしそうでなくてもいい,間違いではないという程度の目安を立てていくことが,むしろ現実的ではないかと思う。
 その場合に,外来語の数は物すごくたくさんあると思うけれども,しかし,三つなり,四つなりの辞書が同じ表記をしている語は,既にそれは慣用として定着しているから,それをいじらないということにすれば,かなり数は減るんじゃないかと思う。大変面倒な作業だが,それも一度通過しないと,根元からたどっていくと枝葉が分かれて仕方がないから,私は,結果の方から,枝葉の方から決めていった方が楽ではないかという気がする。
 十分に考えた末のことではないけれども,私の意見としたいと思う。

坂本会長

 話が多少堂々巡りしがちなテーマで恐縮であるけれども,新聞協会のお立場でもいろいろとお決めいただいていることは伺っているわけで,そういうところを,今御指摘のようなところも踏まえて,やや頭が痛くなる嫌いなしとしないけれども,逐次やっていくということになるのかと思う。

村松(定)委員

 先ほど,ここにとじてある昭和29年3月15日の審議会の表記部会の報告の中の表のことで,主査の御報告の中で引用ふうにお話があったが,そのおしまいの注記のところ,11ページのところに,「国語審議会総会で,この表が発音を明示していないことが論議された」と書いてある。過去のことを蒸し返しても仕方がないみたいだが,この時期では,発音を明示していないということが非常に抵抗があったのか。
 「ツァ」「ツェ」「ツォ」が括弧に入っているとか,「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」とかは発音を明示してないということになるのか。つまり,私が申し上げたいのは,当時の国語審議会の在り方というものを我々は踏襲すべきなのか,そのことは無視してもいいのか,それともそれを尊重しながら考えていくのかという心構えの参考のためにお尋ねしたいと思う。

坂本会長

 昭和29年の歴史的な事実であるから,私がとやかく言うわけにもいかないと思うけれども,今,我々の立場とすれば,そういう過去の一つの実績があるけれども,それは自由な立場でよろしいのではないか。事務局で何かあるか。

河上国語課長

 29年当時の審議の状況について詳しく承知しておる者がいないので,後ほど調べて,それを表記委員会の方に報告をさせていただいて,御審議をしていただくということでいかがか。

村松(定)委員

 もう少し付け加えさせていただくと,この記載に矛盾を感じるのは,「外来語を書くときに用いるかなと符号の表」というのが10ページから11ページにかけてあって,注記に「この表が発音を明示していないことが論議された」とある。発音を明示していないというのだったら,初めからその表に挙げなければいいのに,挙げておきながら,この表が発音を明示していないという論議があったというのは,そのころの審議会の人々の中に,発音を明示していないような符号の表は必要ではないんじゃないか,もっと縮めてしまっていいんじゃないか,「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」は「バ」の方だけでいいんじゃないかというのが有力であったのか,それとも半分ずつぐらいだったのか,「ヴ」を残そうというのもかなりあったのか,そういうことを知っておきたいと思ったので,質問申し上げたのである。

林(大)主査

 私も29年のときは外にいて,そのときにどういうふうにしてこれが決められたか,存じていないけれども,この29年の表は,規則を見ると,何は何と書くということだけ書いてある。どういうふうに発音するから,こう書くとかいうふうには書いていない。あとは,仮名はこう使うと書いてあって,仮名がどういう発音に当たるのかということは明示していない。そこが問題になって,大分議論があったというふうには伺っているわけである。それで,結局,これが採用にならずに,ただ報告の段階でとどまったんだというふうに聞いている。
 私は,きょう,この表のことを持ち出したもので,これが問題になったわけだが,私どもはこの29年のものを踏襲して議論を進めているわけではないので,結局のところ,比較してみると,29年のときのこれに当たるというようなことが私の頭にはあるけれども,これに縛られて我々は議論しているわけではない。
 殊に,批評のあったような音韻と仮名表記との関係,これは江藤委員の御意見にもあったけれども,音韻と仮名表記との関係というところをまず議論してからでないと,こういう表もできないだろうというふうに考えて,議論を進めさせていただいているところである。
 だから,結局のところ,同じような結果になるかもしれないけれども,29年のそれに従って,そこを出発点にはしてはいないわけである。

坂本会長

 ほかに,何か御発言,御意見,いかがか。
 きょうのこの会でいろいろ御発言いただいたことも,また議論の対象にさせていただくということで,今後進めるというふうに理解してよろしいか。
 それでは,きょう出された皆さんの御意見を考慮に入れながら,今後更に外来語表記委員会等で引き続き御検討いただくということで,よろしくお願いしたいと思う。
 この次の総会は大体11月に予定をしている。そのときには,規則の立て方などについて,更に進んだ段階での御報告がいただけるのではないだろうかと思う。
 これから8月の暑い盛りに,誠に恐縮であるけれども,小委員会を開き,更に9月以降,表記委員会が開かれるということで,これは従来どおり,所属外の委員の先生方にも開催通知の写しをお送りするので,御関心並びにお時間のある先生方には御出席いただきたい,こういうことである。
 ほかに,この際特に御発言がなければ,きょうはこのくらいで終わらせていただくということでよろしいか。
 これで閉会にする。

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