国語施策・日本語教育

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酒井副会長

 おかげさまで無事答申を終えることができた。
 この4年間の審議を振り返ってみると,大変長い道のりであったように思う。皆様におかれても,この際,いろいろ御感想がおありだろうと思う。きょうはまだ時間があるので,なるべく多くの方々から,そういう御感想などを伺わせていただきたいと思う。
 また,先日の全員協議会では,国語や言葉に関連して,日ごろいろいろお考えのことなどについて御発言をいただいたが,本日も,これからの国語審議会の運営,あるいは国語施策の在り方の上で,参考になるような御意見を伺わせていただいても結構である。この機会に,積極的に御発言をいただきたいと思う。どうぞよろしくお願いする。

紅野委員

 前回の全員のお集まりのところで発言しそびれたので,この場を借りて発言させていただきたいと思う。
 私たちも4年間いろいろやってまいったけれども,この会議そのものは,いろいろな形で御苦労くださった,特に国語学関係の方々,国研の方々,そういう方々の御苦労に私たち大変感謝申し上げているわけである。それとともに,今後の国語審議会のテーマがいろいろ考えられるかと思う。それはこの間のときにいろんな先生方から出されたわけだが,私の立場で申し上げると,一つはやはり大学教育の問題があると思う。
 今回も小・中・高といった教育現場というところに重点がおかれていたかと思う。それはそれでいいかと思うけれども,国語全体をいろいろ考えてまいると,今現在の大学の教育という中で,美しい日本語と正しい日本語,あるいは言葉を愛するということをどのような形で……。私は国文科であるけれども,大学生といえども,今日多くの人口を抱え込んでいて,極めて不十分なところが,不十分どころか,とんでもないようなところがあるわけである。
 一つだけ例を申し上げると,例えば「上越新幹線」と申しているけれども,国文科の学生に,なぜ「上越」という言葉がついているのかということを聞いてみた。これは「信越線」でもよかったわけだけれども,国文科の2年生の段階で聞いてみると,きょとんとする。
 幾つかは正解もあるが,出てくる言葉の中で一番お笑いぐさになったのは,何と「上野(うえの)を越えて行くんだ」と。これには笑って言葉も出なかったわけである。つまり,上州回り,上州を越えて越後へ行くという「上州」というという言葉は出てくるが,「上野(こうずけ)の国」というのは国文科では出てこなければならないんだが,出てこない。「下野(しもつけ)」はもちろんのことである。で,上野(うえの)を越えていくというので平気でいる国文科の学生がかなりいるわけで,旧国名ということについてもはっきりした認識を持たないまま来てしまっている。
 私たち近代文学の方では,日清戦争がいつであるか,日露戦争がいつであるか,満州事変がいつであるのか,二・二六事件がいつであるか,そういうことですら十分な認識を持っていない。そういう形で,偏差値がある程度高いといっても──私たちの入学試験の出題にもいろいろ問題があるかと思うけれども,ともかく一事が万事で,そういう状況が流布していることは事実である。
 そういう状況のもとに立って,美しい,きちんとした日本語,あるいは語源の正しい把握,そういうところまで踏み込んでいただく。これは特別に決めるということではないけれども,教育の問題として考えていかなければならないのではなかろうか。大学の現場は,事実そういう状況になっているというところで,一言申し上げさせていただきたいと思う。

酒井副会長

 貴重な御意見を伺わせていただいた。そのほか何かないか。まだ時間があるので,この際,どんな御意見でも結構であるから,どうぞお出しいただきたい。

広瀬委員

 今まで,思えば4年という長い時間をかけて,殊に表記委員会の皆様には大変御苦労さまというか,敬意を表しているが,今日の答申ができたわけだ。
 ただ,今までの国語審議会で,取りこぼしというか,透き間に入っているような問題が一,二あるように思う。今後,それを国語審議会で扱うか,扱わないか,どう扱うかという問題があるが,私の全く個人的な考えでは,今までのように全員が参加して周知を集めるということももちろん大事だが,殊に造詣(けい)の深い専門の方が,アドホック委員会というか,そういう委員会を作って,しかし最終的には総会にかけるという今の運営方法がいいんじゃないか。全く試みの考えとして申し上げているわけだが……。
 そういうことに関連して,私の気付いている問題,テーマとしては,例えばローマ字の表記が不統一で,今まで歴史的な経緯もいろいろあったが,何方式,何方式とあって,同じ一つ駅の名前でも,人の名前でも,書き方が違っているということで,日本に来ている外国人は大変困っているということを聞いている。殊に字引,和英辞典での日本語のローマ字表記にある基準を設ける必要があるんじゃないか。それができれば大変多くの人が便利に思うんじゃないかと思う。
 二つ目に気付いていることは,この間の全員協議会にもお話が出たが,ワープロ等の表記の関係で,問題がいろいろ出ているんじゃないかと思う。これもワープロの専門の方の指導がなければできないが,ワープロと新しい表記の関係について,何らかのよりどころのようなもの,それからメーカーの立場で,ある統一基準というか,JISでやるかどうか知らないけれども,JISのようなものを作っていただけると大変いいんじゃないかと思う。
 それから,国語を美しく,よくするため,それから国語の乱れということに関連して思うことは,さっきおっしゃった「上越線」の言い方,考え方についても言えることだが,最も大きく乱れているのは,やはり敬語である。敬語の標準というか,細かく厳密に言えば,大変多くの問題が入っているけれども,日常使う敬語の例示──私,野元先生の大変親切な御本を愛読しているんだが,ああいうようなものを,国語審議会の立場で,あるよりどころを示すということは,必要なことじゃないかと思う。
 そのほか,日本語の難しさで,例えば数詞の言い方である。「ワン,ツー,スリー」じゃなしに,「一人,二人」であったり,「1匹,2匹」であったり,「一つ,二つ」であったり,それについても知らない部分,気が付かない部分がある。しかし,全く単純化して,最近の大学生は何でも「1個,2個」で言うようだ。1時間目,2時間目というのも1個,2個と言うし,「1個下の学年」などという。あれはどうかと思うんで,この辺についても必要で十分な数詞についてのある基準が示されると,日本語のためにも,また教育のためにも便利じゃないか。
 思い付いたまま雑駁(ぱく)に申し上げたけれども,以上である。

酒井副会長

 今,広瀬委員から,ローマ字の問題,ワープロの問題,敬語,最近の若い人の数字の表現の問題など,いろいろ御意見があったけれども,これらについて何か御意見があったら,どうぞ。また,別の御意見でも結構であるが,お出しいただきたいと思う。

渡辺(光)委員

 このごろよく流行語のことが気になるのだけれども,去年も「ファジー」という言葉がちょっと出たら,いつの間にか,あっという間に流行語大賞までとって,家電製品の名前にまでなってしまった。何か正式な語源があいまいなままに──あれは「あいまい」とか何とかいう語源らしいが,ああいうふうな間違った使い方をしてしまうのも気になる。
 きょうも,実は新聞の広告に,「フォーグレインで考える」と書いてあった。「フォーグレインで考える」というのは,私は横文字に弱いものだから,よく分からないけれども,あっという間にそういう新しい言葉がはやってしまう。
 若い人は,そういうのを平気でそのまま使ってしまうけれども,こちらは気になって気になって仕方がない面がある。
 ただ,流行語を取り上げた場合,この国語審議会が4年もかけてじっくりと検討しているうちには,流行語はどっかへ行ってしまうから,この点はだめだろうなと私は思っている。
 それから,今皆さん方からお話があった美しい日本語については,この間もテレビの「現代ジャーナル」で,澤地さんと能狂言の方と作曲家の三善晃さんの「美しい日本語を考える」という番組があったけれども,話す言葉の美しさというのは,その人の心の問題とか,いろいろな問題も影響しているのではないかとは思うが,ちゃんとしたきれいな日本語というのが私たちにとってはとても大事だと思うので,私は,こういったことはじっくり時間をかけても大丈夫だと思うので,ぜひ一度やっていただけたらいいなと思っている。

酒井副会長

 今,渡辺委員からお話があったように,それから先ほどの御意見にもあったが,「美しい日本語」という問題が,最近かなりいろいろな場所で話に出てくるように思うが,国語の専門の方から御意見があるか。

村松(定)委員

 今,渡辺委員から流行語の問題が取り上げられたわけだ。これは大変言いにくいことだが,テレビを拝見していると,タレントの人とか,クイズなんかによく出ていらっしゃる有名な人たちの使う言葉が非常に耳障りな場合が多い。それは,そういう表現をした方が親しみやすいという意味でなさっているのかもしれないが,正しい日本語を自分でしゃべろうという意識が薄いんじゃないかと危ぶまれるような気が時々する。
 これは大変ゆゆしき問題だと思うのだが,外国では,テレビとかラジオの番組について,民間の審査委員のようなものができていて,それを番組の担当者が取り上げる。それをそのままにしておくと,かなり厳しく審判するということを耳にした。
 日本ではたしか渡辺委員なんかが,そういうようなことを個人的にやっておられるが,公的にそういうのがあるということは聞いていない。そういうことについて,今後,国語審議会が意見を出していくというようなこともおやりになってはいかがかと思うので,ちょっと申し上げた。

酒井副会長

 非常に貴重な御意見だと思う。そのほか,どうぞ……。

寺島委員

 放送については,放送審議会というのが,機能しているかどうかは知らないけれども,一応ある。もちろん,国語の問題だけやっているわけではないけれども。
 実は国語課で,「美しく豊かな言葉をめざして」というビデオを毎年作っていて,私もお手伝いさせていただいている。せっかく作っているのだけれども,国語審議会の委員の方にすら,余り知られていないのかなと,さっきからがっかりしながら伺っていた。
 国語課では,そういうビデオとか,「ことばシリーズ」という小冊子も出していて,なかなか面白いときもあるけれども,そういう活動しか……。今出ていたローマ字の問題とか何かは別として,私は,敬語の問題も,国語審議会で,これが正しくて,これが美しくなんて言えないんじゃないかと思う。
 ましてマスコミやなんかで,聞きづらい言葉とか,流行語とかいうのはわっと出るかも知れないけれども,これは何もNHKのために弁護するのではないけれども,NHKでも,何というタイトルをつけていらしたか分からないが,「ことばシリーズ」みたいなものを番組の間に随分やっていたり,3チャンネルの「現代ジャーナル」なんかでもやっている。
 もちろん,そういうことがより増えるようにということは言えると思うけれども,これは美しくないとか,これは正しくないとか,ましてこれは使ってはいけないなどということは,国語審議会だってできないのではないかと私は思う。
 例えば,敬語の問題なんかでも,もう少し大きな枠にして,話し言葉の問題を取り上げるとか,そういうことならできるんじゃないかと思うが,国語審議会が敬語を取り上げるということは,おやりにならない方がいいように私は思う。私は,敬語は嫌いじゃないし,なるべく正しい敬語を使いたいと思っているけれども,世の中には敬語なんてなくていいという意見の人もいるわけだし,この敬語をこういうふうに使いなさいというようなことはちょっとできないのではないかと思う。
 だから,豊かな──豊かなとも言わない方がいいのかな──話し言葉について研究し,世に問うというようなことはできるような気がするけれども,先ほどから伺っていると,それは審議会でやることなのかなと疑問に思う。

酒井副会長

 ただいまの御意見は,現代の一つの代表的な御意見だと思うが,寺島委員の御発言に対して何か御意見はないか。

広瀬委員

 寺島委員の御意見は,私もそのように思う。
 敬語の問題,数詞の言い方,もっと広く話し言葉について,国語審議会としてある法規のような形で出すというのは,全く大反対である。
 そういう意味では,今日の「外来語の表記」にしても,「送り仮名」にしても,「常用漢字」にしても,極めて謙虚に,目安とか,よりどころとかという表現をして,人々に訴えるというか,話しかけるというか,そういう態度,姿勢を持っているから,私はそれほどきつい規制には決してならないんじゃないかと思う。
 だから,国語審議会がこう決めたとか,政令で流したとか何とかということになる前に,例えば,国語審議会の懇談会という形があるのかどうか知らないけれども……。先ほどの「ことばシリーズ」というのは大変いい内容を持っていて,何年も取っておきたいものなのだが,商品としては大変みすぼらしくて,人前で開いて見るには何か寂しいようなものなので,ああいうものにもっとお金をかけて,商品としても売れるようにやっていただく。文化庁の所管でしょうけれども。また,ある時期にまとめて体系化して,もう少し立派な本にするとか何とか工夫する。それらを含めて,国語審議会で懇談するなり,ある考え方を出すなり,それぐらいはしてもいいんじゃないかと思う。
 かなり重なっているけれども,私の気持ちはそういうことである。

石井委員

 寺島委員の,美しい日本語の「美しい」とは何なのかという目安,それこそ何が美しくて,何が美しくないかというのは区別がつかないんじゃないかという御意見には,私も同感である。
 日本語を話し言葉と書き言葉に大ざっぱに分けると,今の若い人たちの話し言葉の特徴の一つに「とか」言葉というのがあって,「映画とか見にいかない」とか,「お茶とか飲もう」というような「とか」言葉がある。
 それはどこから来るのか。私なりの見方えは,ぼかしの精神というか,はぐらかしの姿勢というか,脱線するけれども,例えば日本の湾岸危機への対応と同じようなもので,はっきり言わない。ぼかしてしまう。斜に構えてしまう。そういうような若い人たちの姿勢というのがだんだん出てきている。言葉でも,これからの若い人の日本語も,そういうぼかしというか,はぐらかしみたいなものが大手を振って通っていくんじゃないか。
 だから,国語審議会というようなもので,どれが正しくて,どれが正しくないかとか,どれが美しくて,どれが汚いかというのは,なかなか決められない時代が来るんじゃないかという予感がしている。

村松(定)委員

 先ほどの私の発言に対して,寺島委員から大分厳しい批判をいただいたが,ちょっと話が食い違っているような気がするので,弁明させていただく。
 私は,何も国語審議会が放送の言葉とか内容について掣肘(せいちゅう)を加える,戦争中の軍が国民を威圧したようなことをしろと言っているわけではないんで,むしろ私が非常に残念なのは,かなり教養の高い経歴をお持ちであろう芸能人とかタレントの方が,わざと俗悪にこびるような表現をしばしばすることで,それは青少年への影響が非常に大きいと思う。
 例えば,うちの孫が「先公」なんていう言葉を平気で使ったことがあるので,だれがそんなことを教えたんだとたしなめたことがあるが,テレビの番組に「先公が来たぞ」というのが出てくる。そういうのは今の一つの風俗を描いているつもりらしいんだが,ちょっとふざけて言うような場面があってもいいとは思うが,「そういう言葉はおよしなさいよ」というもう一つ別な人を出してきて,日本の言葉を美しく,正しくするという方向へ向けていただくような配慮を,テレビやラジオの放送に関係する方々,台本を作る人も考えていただきたいという希望を申し上げたのである。
 前にテレビで野元委員が担当していた中で,たしか「桃太郎さん」の歌で,「一つきび団子を下さい」と猿か犬が言うと,「やりましょう,やりましょう」で本当はいいんだ。動物は人間より下だからだ。だけど,「上げましょう」という表現もあってよろしい。敬語というのは,目下の者にも使っていいんだという意味のことを言っておられたが,そういうことが日常語として流布していることが,日本の言葉を美しくしていく方途ではないか。そういう意味で申し上げたわけである。

中澤委員

 一般の社会生活において,国語の実態,在り方というような面で様々な問題がある。国語教育の面でも様々な問題がある。それらをにらんだ国語施策の面でもいろいろな問題がある。今いろんな問題が出されているわけだが,どのような面で,どのような問題があるのか。今までの国語審議会がやってきた経緯も踏まえて,今後はどのような面でどのような問題があるんだろうかということの全体像が分かって,国民もその問題意識を共有していくということになれば,非常によろしいのではないか。
 そして,例えば今回の「外来語の表記」の問題を4年間かけてやったように,一つの問題だけをやっている,国語の実態がどんどん先へ進んでいって,多面的な問題に対応できないような状況になって,また後を追っかけていくということになる。事実を追認するということも大事だけれども,それよりも,問題を多面的に明らかにして,これは国語審議会がやるべき問題であろうか,これはどこかにゆだねてやるべき問題であろうか,優先順位から見て,これは先に検討していく問題であって,その次にはこれが検討していくべき問題であろうというような,問題を検討する優先順位とか,これとこれは今後並行して検討していく必要があるだろうとか,現在の問題,課題を明らかにする。
 もちろん,それは押し付けであってはまずいんだけれども,そこのところを配慮しつつ,全体にわたってどんな問題があるだろうかということ自体を検討することも非常に有益であり,ある意味では国民がそれを知りたいということかもしれないと思う。

林(大)委員

 私ちょっと申し上げてみたかったことは,今中澤先生がおっしゃったようなことなのである。実はこの前にも野元委員から「国語問題要領」というようなものを考えてもいいんじゃないかという話が出たわけであるが,それが一番必要ではないか。今後の審議会が展開していくのには,一度この辺で全体の見通しを立てて,そしてその問題の位置づけを行って,どれをやっていくかということを検討される機会を審議会は持たれることが必要ではないかと思っている。
 私はもはやこういう席で物を言う必要はないわけであって,長いこと国語審議会に籍を置かせていただいたわけであるけれども,もうそろそろ年貢の納め時という言葉を使っていいかどうか分からないが,そのことだけは申してみたいと思っていた。
 問題を大きくとってみると,国語に関する問題というものが広くあって,国語審議会だけが国語の問題を扱っているのではなくて,既に学術審議会の方には学術用語の分科会があるとか,通産省の方にも標準に関する委員会があるとか,その他いろいろあるから,国語審議会だけではないけれども,しかし,国語の問題としては何があるのかということを,もう少し広い目で見てもいいんじゃないか。
 そうすると,国語審議会が今までやってきたような,私の言葉で言うと,標準化という問題であるけれども,標準化の問題と,この間出た機械化に対応する問題,国語教育の問題,それから国際化の問題も含まれてくるだろうと思うのである。それだけでないと言われれば,それをどんどん増やしてもいいわけだが,全体を見る必要があるだろうと思っている。
 私はその中で標準化ということを今までやってまいって,その標準化については,どのような原理を立てて,どのように進めるべきかということをちょっとお話しできたらと思っていたけれども,もしできたらば,覚書のようなものを後でお目にかけることができたらと思うが,今日は時間もまいったから省略させていただく。
 今のはいわば賛成演説のようなことである。

酒井副会長

 林先生から今貴重な御意見があったが,松村先生からも何か御意見はないか。

松村委員

 時間だから,もう林さんの今ので……。

諏訪委員

 今のお話に関連すると思うが,私,新聞で毎日原稿を書いていて,一番自分で困ること,欲しいことは,日本語にレフェランスが必要だと思う。松村先生の字引やほかの字引も使わせていただいているのだが,単語の意味は分かっても,前後のつながり,この言葉とこの言葉がくっついたら果たしていいのかどうかということがよく分からない。
 用例がいっぱいある字引,例えば小学館の字引にしても,用例,引例がまだ不足であるから,十分と言えない。とにかくこの外来語もその一つの目安であるが,日本語として何か一つのレフェランスが今必要なのではないか。
 例えばフランスだったら,アカデミー・フランセーズがこつこつ字引を作っているし,例えば話し言葉であれば,コメディー・フランセーズの言葉が一番レフェランスになる。日本は,例えば話し言葉なら,NHKの放送が昔はそうだったけれども,今はどなたかから御指摘があったように,それは必ずしも基準にはなり得なくなっている。だから,何か日本語のレフェランス,よりどころが欲しい。この外来語ばかりでなく,もっと全体のよりどころが欲しいということ。
 それから,その中で一つ,話し言葉に関することから言えば,アクセントが分からなくなってしまった。私は東京生まれなんだけれども,NHKのアクセント辞典もあるし,字引によっては一応ついているのもあるが,今,非常にアクセントが乱れている。
 例えば,昭和の初め,大正,明治,筑摩の「明治文学全集」を読んでも,単語は分かるけれども,これはどういうアクセントで言ったのか,それはもう今調べられなくなってしまった。分からなくなってしまった。それは国語研究所でなさっているのかもしれないし,国語審議会がやることではないかもしれない。だけれども,これからの国語審議会は,そういう全体の日本語のレフェランスができるような目配りをしていただきたいと私は思う。

酒井副会長

 坂本会長が御欠席であるけれども,特に坂本会長からきょうの総会で申し上げたいということの御連絡があったそうであるので,事務局から御紹介をさせていただきたいと思う。

河上国語課長

 今朝ほど電話で坂本会長から御連絡があったときに,記録にとどめる意味で御紹介をお願いしたいというお話があったので,申し上げたいと思う。
 このことは17期の総会でも会長から御発言があったことであるが,日本人が外国へ渡航する場合だとか,名刺にローマ字で名前を書くときに,日本人は自分の名前を先にして姓を後にする。引っくり返すわけである。こういったことは例えば中国なんかではやっていないではないか。日本人が外国人に対して姓と名を逆に表示するのはいかがなものかという御意見を外の方からお聞きしたので,こういった問題も審議会の検討事項の一つとして考えていただいていいのではないかという御伝言であった。
 それから,先ほどの庶務報告に追加したいのだが,机の上に「会長談話」という一枚紙がある。これは後ほど文部記者会の方に配布する予定のものであって,前例によって,会長,副会長と御相談の上用意いたしたものである。御了解いただきたいと思う。

酒井副会長

 そろそろ時間が来ているけれども,何か更に御発言を……。

永井委員

 私,素人で4年間務めさせていただいて,大変勉強になって,ありがとうございました。
 一言だけ。「美しい日本語」ということが出たものだから,それに関連して,「易しい日本語」ということにもう少しこれからいろいろ我々気を付けていきたいなと思う。
 私は民間の新聞社にいる。我々も努力しなければいけないが,特に官庁からいろいろいただく文書が極めて難しいということをはっきり私は申し上げたいわけだ。たしか3年ぐらい前だが,イギリスでサッチャーさんが首相のときに,彼女自ら筆をとって官庁の英語は非常に難しい,もっと易しい英語を書こうじゃないかという運動を起こしたことがある。私は日本で別に総理大臣にやれとは申さないが,我々として,もう少し易しい公用文書を作っていく必要があるんじゃないか。特に最近はそろそろ確定申告のシーズンだが,税務署から来るのは何回読んでも私は理解できない。
 その意味で,今この「会長談話」を私拝見いたして,非常に易しく書かれているので,安心したところである。

関口委員

 私も4年間外来語の審議をさせていただいたけれども,私も一つ申し上げたいことがある。
 ただいまのいろんな意見を聞いて思うのだが,要するに,国民が国語に関心を持つということは非常にいいことだと思う。けれども,この「外来語の表記」があしたの朝刊に出るわけだが,一体どのくらいの方々に読んでいただけるのか。私も通信社の人間だけれども,これを一般の人がそしゃくしてどの程度分かっていただけるのかということについて,いささか危惧(ぐ)を持つ。
 例えば「ヴ」にしても,この機会に「ヴ」は随分氾濫するのではないかなという懸念も持つし,様々な考えを持つ。そのほか敬語とか,いろいろな問題が出たけれども,私たちは国語について日常いろんな疑問を持つ場合があるわけだ。表記についても,発音についても。
 今こういう時代だから,なるべく早く結論を知りたいと思うわけだけれども,これを一体どこへ相談していいのか,よく分からない。これは私,たしか前の期の総会でも申し上げたけれども,これは平たい言葉で言えば,直(ちょく)に相談できるところが欲しいということである。
 余り難しいことを考えなくてもいいわけだが,例えば私たちが考えて国語についてつまずいた場合には,辞書を引く。辞書のどこを見ればいいのかという問題が出てくるわけだ。簡単にそれが分かればいいけれども,なかなか分からない場合がある。そうすると,国語研究所に聞くのか,国語課に聞くのかということになるのだけれども,それぞれ敷居が高くてなかなか聞けないということになるわけだ。
 やはりどこか気軽に聞けるような常設の機関が欲しい。子供たちもいるだろうし,青年もいるだろうし,新聞社の人もいるだろうし,専門家も素人もいるだろう。いろんな人の対応は難しいけれども,やはりどこかまとめて聞いていただけるところが欲しい。できたら年配の方にやっていただけないかという感じがするわけだ。それは,正しい日本語だか美しい日本語だか分からないけれども,それを残す意味でもそういう機関が何か欲しいなという考えを持つ。

酒井副会長

 本日は非常に貴重な御意見をたくさんいただいた。それでは,この辺で4年間にわたる審議を滞りなく終わらせていただきたいと思う。
 今までの各委員の御協力に対して,心から感謝を申し上げたいと思う。
 本日の総会は,これをもって閉会とする。

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