国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 意見交換3

菊池委員

 私も今回から参加させていただいて,しかも門外漢なもので,皆様のお話を伺っていて,どこから切り込んだらいいのかなと考えていたのだが,今加藤委員から「国語審議会」と言わないで,「日本語審議会」というふうにという御言葉が出たので,それなら私でもいけるのではないかなと意を強くして,今申し上げるわけである。
 と申すのは,国際化が次第に進んできて,今までの,外国人から見れば「日本語」,私どもは「国語」と申しているけれども,それは,世界的に見たら「日本語」という立場で,特に話し言葉については,今後進められていくものではないだろうかという感を持つわけである。
 先ほど正しく美しい日本語というお話があった。確かにそのとおりなのだけれども,私どもが立場を逆にして考えた場合に,私どもが英語その他の外国語を学ぶ場合に,その外国語の標準語を辞書,教科書で学ぶわけであるが,これが現地に入ってほとんど使いものにならない。これは皆様も経験していらっしゃるかと思う。
 私の経験を申し上げると,実は10年近く前になるが,スウェーデンのストックホルム大学に客員教授として2年ほど勤めてまいった。その就任が決まったときに,私はスウェーデン語を標準語で学んだのだが,スウェーデンという国は各地域の出身者が方言を非常に誇らかに生涯を通じて話していくところなのだということを伺って,就任の前1か月早く出掛けていって,南から北まで一人で全部旅行して,いろいろな階層の人たちの話し言葉を聞いて歩いたわけである。通訳を連れると,何も苦労なくいってしまうのだが,自分で聞いて自分で答えられなければ,教壇に立った場合に,学生の質問も言い分も何も分からない。学生の言い分というのは真っ向から方言のままで出てくるわけである。これは標準語とは発音も違うし,アクセントも,場合によってはイントネーションも違うけれども,教師たる者はそれを全部聞き分けて応答しなければならないということで,大変苦労であった。
 英語圏その他の国へ参っても,決してすべての国民がみんな標準語では話していないわけである。みんな幅広く言葉を許容し合いながら,どこの出身であるかということで郷土色を持ちながら,文化交流をしているのだということが分かった。
 それでは,私どもは日本語は標準語だけを学校で教えて,テレビ,その他の報道機関も,それを正しい美しい言葉として今後も伝えていけるだろうかということを考えるわけである。
 国際化に向かって,こういった方言の問題とか,地方の方々の言葉というものは,文化のシンボルと考えられるが,その背後にある文化をどのようにその言葉を通して伝達していくのだろうか。これがもし「日本語審議会」であれば,そういうところが十分問題になるのかなと思ったわけである。
 もう一点は,正しく美しい日本語という目で見ると,今使われている日本語,国語は,非常に崩れてきていると言わざるを得ないと思う。先ほど中学の先生から御発言があったように,今の中学生の言っていることが日本語かどうか分からないというふうに,私ども大人から見ればかなり違った形態で出てきているかと思う。
 例えば,テレビなんかでもよく聞くけれども,会話の中で「元気していますか」「青春しましょう」,そういう言い方が若い人たちの話し言葉の中で平気で会話として行われているのをこれからどう扱うか,大きな問題ではないだろうか。そしてそれを外国人に伝える場合に,どのような形で許容したり是正したりしていくのだろうか。これは一つの議題になるのではないかということを,気づいたままに申し上げた。

坂本会長

 今の御発言も,なかなか現実に議論するとなると難しい問題を含んでいるかと思うけれども,おっしゃるところは大事な視点ではないかと思うから,今後の審議会の進め方の中で大いに議論していただくことにしたいと思う。それでよろしいか。

菊池委員

 結構である。

三次委員

 今回新規に入った三次である。
 私は,情報機器,ワープロとか,そういうものに近い立場であって,字を書くのに肉筆が苦手なもので,よく自分でもワープロで手紙などを出す。使ってみると,横書きの場合と縦書きの場合とでは,でき上がった文面のやわらかさが違うような感じがしている。
 ただ,私どもはそういう機械ができる前に育った年代であるが,最近はその機械が最初から在る状態で育ってくる子供たちもたくさんいるので,そういうことから考えると,情報機器の使い方というのは便利な面は大変なものであるが,そのマイナスの面も考えなければいけないのではないかと思っている。
 私は言葉というのは,できれば実体全体を伝えたい,そういうのがいい言葉ではないかと思う。ちょっと変な例だが,「ごましお」という言葉を英訳すると,多分「セサミ・アンド・ソルト」か何かになるのだろうが,そうすると,全く記号化されたような感じで,ごましおの背景にある湯気の立つ御飯に乗った芳しい香りとか,そういったイメージが伝わってこない。日本語の中でもそれに類したような使い方が増えてくるということは避けなければならないだろう。
 ただ,情報機器のネガティブな面としては,やや記号化する方向を促進する傾きがあるんじゃないかと思うので,この辺を注意していかなければならないかなと思っている。情報機械はツールであるという認識を持っているが,ツールというのは,実体にかなり影響を与えてくるのではないか。
 長官からもお話があったけれども,ワープロを使うと,どうしても漢字が多くなってしまう。そういう影響などをどういうふうにしたら,本当に役立つような形で社会的な受け入れができるのか,その辺に関心を持っているので,そういった点で皆さん方と御意見を戦わせていきたいと思っている次第である。

坂本会長

 ワープロの問題も確かに大きなテーマになろうかと思うので,御協力をお願いする。

渡辺委員

 今までの国語審議会は,主として表記の問題を取り上げて,かなり整理していただいたのだが,先ほどの斎賀委員のお話にもあったように,まだ表記の問題で幾つかの問題が残されているということもさることながら,音声言語の問題をぜひひとつ中心に取り上げていただきたいと思う。
 先ほど幸田委員もお話しになっていたが,日本語のリズムとか日本語の響き,そういう美しさというものが日本語にあるわけで,国語教育,あるいは社会における言語環境は,どうもそうしたものから遠ざかっているような気がする。あるいはマスコミ関係においても,テレビの放送などを見ても,そうしたものが余り目に見えてこないという問題があるわけである。
 そういうことで,できればこの期としては,話し言葉についてどういう問題があるのかということで詰めていただいて,その問題を一つ一つ,提言としてまとめられるのか建議となるか分からないけれども,ある一つの指針を示していただけると非常にいいのではないか。
 特に話し言葉の問題で,先ほど来「ゆれ」の問題が出ていたが,まさにそうであって,例えば,女の子が最近「僕」という表現をしている。これは幼稚園から小学校,中学校,最近は高等学校の学生などもそういう表現をしている。「僕」に対して「おまえ」なのである。そういうような問題も少し取り上げて整理していただいたらいいのではないか。
 特に,敬語の問題は,29年の建議だったと思うが,出されているわけであり,そういうものを少し見直しをしていく。敬語の問題は,日本語の問題の中では非常に大事な分野を占めているわけである。そういう意味でも,ある方向づけができれば,日本語教育の面でも非常に役立つし,あるいは言語環境という点を先ほど中西(朗)委員がお話しになったが,そういう面からの見直しということもあるのではないか。
 また学校教育において,今回私も学習指導要領の改訂に携わったわけだが,特に今回は小中高一貫教育の中で,「音声言語」と「文字言語」という領域区分の中で,例えば領域を「表現」と「理解」に分けて,それに言語がどのようにかかわって表現されていくのかという研究ができる方向で教えることができる,そういう方向で検討を加えてきたわけである。
 そういう意味で,幸田委員の言われる朗読,音読の問題を非常に大事にして,小学校の低学年からそういう教育ができるようにしていこう。私たちが小さいころは,学校の中から声を立てて音読する声が聞こえたものであるが,最近は余りない。こういう音読をすることは非常に重要で,耳から入れるという教育が非常に大事なのである。
 そういうことで,音声言語の内容を少し整理していただく。例えば学校教育ではどの分野を担当できるのか,あるいは社会教育においてはどういう問題があるのか,あるいは家庭教育においてはぐくまれる言葉が非常に重要であるが,そういうものへの提言というか,指針,どこにどういう問題があって,それをどう改善することが日本語教育に役立っていくのかというような提言ができればいいのではないか,こんなふうに思っている。

竹田委員

 何人かの委員から御発言があったことと重複する点もあるかと思うが,これから審議に参加する者として,一言感想を述べさせていただきたいと思う。
 冒頭に中西(進)委員がおっしゃったように,日本の国の国語をどういう方向に持っていこうかなどという方向づけをすることは,およそできないことだと思うし,そうすべきでもないと私は思う。
 言葉というもの,特に話し言葉の場合には,自然淘汰(とうた)というか,それが時には揺れて悪い方向に行くこともあると思うけれども,大きな歴史の流れの中では,残るものは残り,消えるものは消えていくのだろうと思う。
 ただ,私ども委員としては,従来長い間この審議会で検討されてきて,その結論めいたことが幾つか出ており,それが日本の国語の政策に非常に大きな影響を及ぼしている,それについては,責任があるのだろうと思う。
 私は中国文学が専門であるので,その専門に引き寄せて申すと,当用漢字,常用漢字の枠というものは,何年か置いて,この審議会で見直していく,常に検討を加えていくべき問題だろうと思っている。
 先ほど斎賀委員がおっしゃったような交ぜ書きの問題は,私も非常に気になっていて,表記上の美学の問題でもあるし,言葉として使うからには,やはり文字が伴うわけで,「補てん」という例をお出しになったが,例えば「拉(ら)致」という言葉の「拉」がない。新聞では「ら致」と書いている。これでは言葉になっていない。なお,私が調べたところ,「名誉挽(ばん)回」の「挽」がない,「抜擢(てき)」の「擢」がない,あるいはよく使う「人生の伴侶(りょ)」の「侶」がない。
 そういう例などは,先輩の委員の方々が苦労して積み上げられてきた中の積み残されたというか,落とされたというか,これは単なる一例であるけれども,そういうことについては,やはり審議会の委員として今後の責任があるのではないかと思っている。

坂本会長

 大変御意見をたくさんいただいたが,お約束の4時という時間になったので,今後の日程について御確認をお願いしたいと思う。
 運営委員会はなるべく早い時期に開いて,本日伺った御意見も参考にしながら,今後の審議会の運営の仕方,問題の取り上げ方について御相談していきたいと思う。それを次回の総会に御報告して,御了承を得た上で,審議を進めることにしたいと思う。
 したがって,次回の総会の日取りは10月28日,月曜日,午後2時から4時あたりを予定させていただきたいと思っている。会場は平河町の都道府県会館である。開催の通知は追って事務局から差し上げるということである。いろいろお差し支えの向きもおありかと思うけれども,御協力をお願いできたらと思う。一方的に申し上げて恐縮であるけれども,よろしくお願いする。
 本日の総会は,大変宿題をいただいたけれども,これをもって閉会させていただく。

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