国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 意見交換2

坂本会長

 確かに何もかもといって,さらけ出したのでは,事務局の方も大変だろうし,我々も対応に苦しむかと思う。
 今,たまたま敬語の問題をおっしゃったけれども,日本語ほど敬語が多い国語もないんじゃないかと思うくらい,敬語の使い方が問題になるかと思うので,そういう意味では確かに考えなければいけないんじゃないかと思っている一人ではある。
 自分の家のペットにまで敬語を使っている奥様方がいるのを見て,それは別の意味の,愛情みたいなものを表現するという表現の多様性に通じるのかもしれないけれども,こっちはたじたじとなる。

石綿委員

 国語審議会では,これからの国語の方向を決めていくというふうに考えられるわけで,どういう方向を打ち出すかということは非常に大事な問題かと思う。
 「ら抜き言葉」にしても,それが出てきた理由があるわけで,国語審議会はそれも考えながら,国語の全体の動き,大きな流れというものを見定めて,むだなあつれきを生じないような方向に考えていかないといけないのではないか。
 これについての一つの例として,昔,フランスのアカデミー・フランセーズが文法の本を出した。このことは私の言語学の先生である小林英夫という先生から伺った話だが,アカデミーが文法の本を出した最初の日は,売り切れになるほど大勢の人が文法の本を買いに来た。ところが2日目にはその本がたくさん返されて,本屋に山積みになったということである。だから国語審議会の意見がそういう方向に流れるのは非常に危険だと思う。
 今,意見を吸い上げるということについて,いろいろな意見が出ており,私もそれは大賛成であるが,今まで出たいろいろな意見,例えば先ほど御説明があった4地区でのいろいろな御意見の集成があったけれども,そういうものをどういうふうに整理するか。整理をする場合は,小委員会などで扱う方がいいかもしれない。このような総会で全体の意見を聞きながら,小委員会でも更に問題点の在り方を細かくはっきり分析して,その後,外のいろんな人,国民の多数の意見がどこにあるのかということを聞いていくというふうに,問題点を絞り,かつ聞いていくという過程を繰り返す方がいいのではないかという気もする。
 だから,両方のやり方を交互にやっていくようなアプローチはどうだろうかという提案である。

坂本会長

 今の御指摘も,今後の運営の中で,事務局ともよく打ち合わせながら,考えさせていただくことが大事ではないかと思う。

輿水委員

 新しく入ったもので,とんちんかんなことを申し上げるかもしれないが,私の感想というか,意見を述べさせていただく。
 私,大学で中国語を教えているが,今諮問の中に出てきた第1番目の言葉遣いについては,日ごろ接している学生から,先ほどの文部大臣のお話にもあったとおり,たくさん吸収して,毎日驚くようなことばかり経験している。
 ただ,こういう学生は,いつまでもそういう言葉を使っているわけではなくて,どこかで一つのよりどころを求めているというか,例えば1年生のときは,今の高校生に言われているように,乱暴な言葉遣いだが,いざ就職を控えると,いろいろ気にして,何かよりどころを求めてくるということがある。
 私は一つのファッションのようなものと思っており,例えば最近は帽子をかぶったまま教室に座っている学生が多いのだけれども,テレビを見ていると,夕レントさんたちが野球帽のような帽子をかぶったまま出演しているから,注意はするけれども,いつまでもそういう格好をしているわけではないので,こういう人たちのまねなんだなと思っている。言葉の方も,そういうことで,ひどいときには教えるけれども,余り目くじらを立てて言うこともないと思っている。
 ただ,傍観しているだけでは困るわけで,何らかの「よりどころ」 「目安」というものは必要だと思う。その際に,先ほどもお話があったが,各放送や新聞社の中でも「よりどころ」 「目安」を持っていらっしゃると思うが,そういうところに対しては,もっと大所高所に立ったというか,全般的な大きな広がりを持ったところからの目安を示すことも必要なのではないかと思う。
 ここで,ちょっと話がそれるかもしれないが,私の専門のことを申し上げる。中国で漢字の改革をしたが,余り知られていないことに,言葉の方の改革もしている。例えば,ーつの字で幾つかの読み方がある場合に,どれかに統一しようということをしているが,これは言葉だからなかなかできない。御存じのように,中国語は,四声と言って上がり下がりの調子があるが,これを変えようというのである。私は東京の者だけれども,東京の者に,あしたから,例えば「先生センセイ」はだめで,「先生センセイ」と言いなさいという。こういったことをしているわけだが,これはとてもうまくいかない。
 初めのうちはアナウンサーも守らなかったのだが,現在ではアナウンサーはきちんと守るようになった。そういったことで,一般の人はなかなかついてこないが,長い目で規範は示しているわけである。だから「規範」という言葉もよくないかもしれないが,こういうものが一つのよりどころになるんだということは示すべきだと思う。
 特に,先ほど申し上げたように,それぞれが持っている何らかの「目安」「よりどころ」がばらばらでは困るわけで,特に2番目の事項の「情報化への対応」で言うと,私たちが日ごろ使っているパソコンやワープロでも,私などは日ごろ漢字と付き合う機会が多いものだから,なるべく平仮名を多くしようと思っても,使いたくない漢字がいや応なくどんどん出てくるということで,漢字に変換しない機械があった方がいいんじゃないかと思ったりすることがある。こういう点も,メーカーの方は「目安」 「よりどころ」を基準にしているのだろうが,もう少し大きな視野に立ったものも必要だと思う。
 具体的な方法と言っても,なかなか難しいが,私などは,昭和50年代からであったが,文化庁が「ことばシリーズ」で出された問答集とか,ああいったもので自分の知らないことを随分教えられたり,どうしたらいいかというときに目安にしたことがある。
 そういうものを出すということは,またいろいろ問題があるのかもしれないが,具体的には,大きい総会では全般的な話し合いしかできないと思うので,小委員会,グループ的なところで問題を絞って話し合って,話し合いのまま終わらずに,「目安」 「よりどころ」というものが出てくるのが望ましい。また,ふだん言葉のゆれや乱れの中にいる人たちも,そういうものをよりどころとして求めているんじゃないかという気がする。

坂本会長

 今度新しく委員になった先生方の中で,御発言があったら,ひとつお願いする。

西尾委員

 私は前回から委員を務めさせていただいているが,その前に手を挙げていたので,発言させていただく。
 半分は質問の形になるかと思うけれども,私は日本語教育が専門なので,国際化と日本語というところで,ふだん,いろいろと考えているわけである。
 現在,御存じのように,いろいろな国からいろいろな目的で外国人が国内に来て,日本語を使って仕事なり何なりをするという時代になっている。海外では,特にオーストラリアあたりでは,最近の傾向として,中等教育から,更に初等教育の段階でも日本語が選択科目の中に入るところが多くなってきた。こういうふうになってくると,先ほど長官が言われたように,日本語が日本人だけが使っている言葉でなくなってきたということを踏まえて,今後,日本語の在り方を議論していくときに国語審議会の議論の範囲と申すと恐縮だが,例えば日本語と国際化ということを考えるときにどうしても避けて通れぬことは,言語政策あるいは言語教育政策という問題である。どのぐらいまで範囲を広げて論議されていくものか,なるべく範囲を広げて自由な討議をしていきたいと思っているが,その範囲はいかがなものか。

坂本会長

 これは諮問する文部省の問題かと思う。

韮澤国語課長

 今の御質問であるが,実はそのあたりから国語審議会で御審議いただければというふうに思うところであり,大変重要な問題だと思っている。
 結局,国語審議会の検討テーマは何かということが最初の出発点であり,私どもとしては,基本的には,国語と言うか,日本語と言うか,そういったことに関するいろんな事項を審議していただく場だというふうにとらえているわけである。前期の報告においても,国際社会への対応ということを今後の検討課題として挙げ,その中で,日本語の国際的な広がりへの対応とか,日本語教育とか,そういったことも含めて検討事項として御提示いただいている。優先順位の問題はあるかと思うけれども,そういったことも含めて,いろいろ御検討いただくということもあり得ると思っている。

山口委員

 新しく参ったので,何か言わなくてはいけないのではないかという恐怖感にかられて,3点ほど申し述べさせていただきたいと思う。
 まず第1に,先ほどから問題になっている「よりどころ」を示さなくてはいけないんじゃないかということに賛成であるが,石綿委員がおっしゃっているように,むだなあつれきを生じない方向でという希望を持っている。
 例えば,ガ行鼻濁音というのは,発音できなくなっている人が多いわけだから,鼻濁音を守れという規範の示し方でない方向が有り難い。つまり,「よりどころ」を示すのは賛成だけれども,できるだけ現状に即したものをという感じ,これが第1点目である。
 第2点目は,言葉遣いに関して,幾つか項目を立てて議論した方がよかろうと渡辺委員がおっしゃったけれども,本当にそのとおりだと思う。その中の一つの項目として,ぜひ差別語の問題を取り上げていただきたいと思っている。
 結局,これがいけない,あれがいけないというのではなくて,差別語というのは,例えば住井すゑさんが「えた」と言ってもだれも怒らない。なぜかと言ったら,差別の精神とか,意識とか,そこら辺の問題にかかわってくるわけで,基本的に相手を認めていたら,どんな言葉を使ってもいいわけである。そういう精神とか意識の点を改革することなく,言葉だけいじってもしようがないんじゃないかということで,ぜひ差別語も取り上げていただきたい。
 もう一つ,敬語の問題なのだけれども,ここには北原委員など敬語の専門家がいらっしゃるが,施策懇談会のときに申し述べさせていただいたことをもう一度繰り返させていただく。敬語は,今まで上下関係としてとらえられていたが,そうじゃなくて,人と人との距離を作るものであるという意識でとらえると,初対面の人に敬語を使わないと失礼に当たるのは,上下があるからじゃないんだ,まだなれていなくて距離があるからなんだとか,そこら辺から掘り起こして,話し合いをしていただけるとうれしいなと思う。

坂本会長

 大変重要な御指摘だと思う。殊に敬語の使い方,それから大きなテーマとしては差別言葉の問題だが,何を取り上げるかということは,今後十分検討するべきだと思う。

山崎委員

 19期の報告書を拝見すると,その中に,今の中学生の言葉は分からないというような御発言が散見されるが,私,38年間,中学生の真っただ中にいて,逆に,そうだろうかというふうに思うことがある。言葉が乱れているとか,ゆれているとか,乱暴な言葉遣いをしているというのは確かに事実だと思う。その中には,さっき大臣もおっしゃった「しかとする」とか「ダサイ」とかいう言葉も入ってくるわけだが,よく分析すると,新しい言葉とか,新造語的なものとか,乱暴な言い方とか,外来語的な言葉とか,いろいろな言葉が入ってきている。そういうふうによく見てみると,そんなに通じなくはないんじゃないか。
 また,私は余り危機感を持っていない。そういうと大変失礼だけれども,ちょうど方言と同じような感じで,私どもが熊本あるいは鹿児島の言葉を聞くと,よく分からない。中学生の言葉がよく分からないというのは,一種の村言葉なわけである。村言葉だけれども,片や,だれとでも通じ合える共通語の訓練ができていれば,一つも怖いことはないわけである。
 そういう点では,今ごろ,高等学校入試の直前になると,中学3年生が私のところに面接の練習に参り,そして一人一人と話し合うと,私の前では,立派な言葉,共通語を使っているんで,これは大丈夫だと。ところがいったん教室ヘ帰ると,「よう,先生」となる。これは先生に対して甘えているわけで,教室の中で授業をやっているときの先生に対しては比較的共通語を使っているというのは,学級をずっと見て回ると,すぐ分かる。だから子供たちは上手に使い分けているなというふうには思う。
 しかし,その中で,後々まで残って話題になるような,例えば「ら抜き言葉」とか,平板な発音とか,幾つか挙がってくるわけで,そういったものを取り上げて,ある程度「目安」とか「よりどころ」を作ると,有り難いなと思う。
 国語の文法の時間に,「れる,られるの言葉」という助動詞の授業がある。そして五段活用の未然形には「れる」が付く,それ以外は「られる」だよという形で,「見る」に何が付くかというと,「られる」で「見られる」だよという授業をして,終わって,すぐ後の給食の時間に「先生,これ食べれる」という言葉が出てくるわけである。これは私ども現場の教師のトレーニングの足りなさだと思うけれども,「ら抜き言葉」が多く使われているという社会的な事象としての乱れとかゆれという中に,子供たちは生きているわけだから,その辺も含めて「目安」 「よりどころ」──当用漢字はかなり規範性が強かったのが,常用漢字になって「目安」になってきたけれども,ああいった形で広く許容できるような,しかも教育にはある程度しっかりした規範的なものがあるといいなというふうに思う。

坂本会長

 私なんかも,「耳ざわりがいい」という言葉はないと思ったら,最近字引に「耳触りがいい」という字が出てきて,ああ,そうかというような,こっちがまいってしまうような言葉の変遷というのか──-あれはちょっとおかしいんじゃないかと思う。
 それから,日本語特有の女言葉・男言葉も,中には「うちの主人」とは言わないという奥さんがいるそうである。そういう言葉のニュアンスみたいものに抵抗感をお持ちになることもあるようなので,難しいものだなと思う。
 言い立てると幾らでも出てくるような問題であるけれども,きょうのところは,そういうことを前提に,今後の段取りを進めていくというふうに事務局の方に理解してもらうということで,よろしいか。

小池委員

 山口委員がおっしゃった差別語の問題は,簡単な問題ではないであろうと気になっていたが,前期,この問題は議論の対象になっていたのか。

韮澤国語課長

 今の件であるが,前期2年間,総会あるいは問題点整理委員会等でいろいろ御審議いただいたわけであるが,そういった中で,今御指摘いただいたような問題も議論としては出てきている。そういった経過も含めて,適切な言葉遣いの在り方というのが検討課題として挙げられたわけである。

小池委員

 今ちょうど時期的にいろいろ話題になっているし,考えると,そう簡単に議論が進む問題でもない。テーマとして本当に取り上げるとすれば,調査,その他が必要な部分が相当出てくるのではないかと思う。

坂本会長

 私の体験から言ったら,この問題は,現実論になると,いい悪いは別として,非常に難しいというふうに思う。

小池委員

 つまり,この審議会で一応検討していくというふうに理解していいわけか。

坂本会長

 この段階で,そういう御発言があったことを,私が,それはと言って拒否するわけにはいかないだろうと思うから,言葉の問題として議論をする場は持つべきだろうとは思う。

小池委員

 僕も重要な問題だと思うから,そういうことを申し上げたわけである。

坂本会長

 ほかに御発言がなかったら,今のような御発言を基に,審議を進めるということにする。
 次回の総会の日取りであるが,平成6年1月18日の火曜日,午後2時から4時を予定している。いろいろお差し支えの向きもあろうかと思うが,よろしくお願いする。会場は,きょうと同じ東條会館を予定している。開催の正式な通知は追って事務局から差し上げることにするが,あらかじめ御予定の中に入れておいていただけたら幸いである。

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