国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 資料について2

安永主任国語調査官

 資料2-5,8ぺージあるが,この「言葉遣いの標準の現状について(稿)」というのは,元来,国語課の中での勉強のために作ったメモである。それを先日の第1委員会に資料としてお目にかけ,そのときは手書きのままだったが,だんだん出世して,きょう総会にワープロで打ったものをお目にかけるということになった。大分時間も足りなくなってきたので,かいつまんで御説明する。
 全体に,まず「国が関与しているもの」というところから始まり,「国以外のものが関与しているもの」というのが6ぺージにあり,それから,変な題であるが,7ぺージの一番下に「自然に決まっているもの」というのがあって,この3部構成である。その間に,国が関与している中で,特に明治以来の学校教育の問題として,4ぺージに「明治以後の学校教育の中での言葉の標準化の一斑」と書いてあるが,そこにも大分紙幅をとっている。
 「国が関与しているもの」の中に,戦後,国語審議会の建議・報告等で言葉遣いに関するものが(1)から(5)まである。これはファイルの中の白表紙の「国語審議会答申・建議集」の中にそれぞれ入っているし,またこれは資料として以前お配りいたし,お手元にもお持ちかと思うので,後ほど御参照いただければと思う。
 建議・報告等のうち,「これからの敬語」という昭和27年の建議は,各方面,一般社会で参考にされてきたということで,その役目を果たしつつあるものであろうかと思う。
 それに比べると,(2)の「標準語のために」は,部会から総会に対する報告にとどまっている。これはそれなりに力作であって,よく読むと参考になるところもあるが,余り一般には知られていないものである。白表紙で申せば139ぺージにある。
 (3)の「話しことばの改善について」は建議であるが,非常に簡単なもので,白表紙で申せば164ぺージにある。ただ,これはその後の教育上の施策に多少具体的に反映されているということがある。
 (4)とか(5)になると,検討の対象もやや部分的な事項である。言葉遣いにかかわることではあるが,その影響は比較的小さなものである。性格的にも,建議というものではなくて,部会から総会に対する報告ということでとどまっている。
 2ぺージの2に「教科書用図書検定基準」というのがあるが,これについては省略する。
 3の「公用文,法令等」,(1)に「公用文作成の要領」とある。これは文字・表記に関するものが主であるが,中には文字・表記にとどまらず,文体とか用語に関する事項もあるわけで,直接は昭和26年10月の国語審議会の建議を受けたものである。「公用文改善の趣旨徹底について」という建議で,白表紙の80ぺージに載っている。
 公用文改善の事業は,戦後,これが皮切りということではなく,そもそもは昭和21年4月17日に新しい憲法の改正草案が内閣から公表され,それが口語体で平仮名書きで,句読点を用いていたというのを契機にして,法令なり公用文なりの平易化ということが戦後始まったわけである。種々段階を経て,昭和27年の「公用文作成の要領」というものが現在も生きているというわけである。
 (2)の「法令用語改善の実施要領」は,内閣法制局からの昭和29年の通知であるが,それに先立ち,同じ29年に「法令用語改善について」という国語審議会からの建議をちょうだいしている。それは白表紙の101ぺージに出ているが,それを基にして,採るべきものを採り,削るべきものは削って,法制局としての通知が出されたというものである。
 (3)は「文部省用字用語例」。昭和56年版が最新のものであるが,これにも若干用語の言い換えなどの問題が出ている。
 3ぺージの4「学術用語集」は,既に29分野にわたって出ており,それぞれの分野で参考にされているものである。
 これについて申すと,例えば「用語は,耳で聞いて紛れることがない」というふうな審査基準の細則がある。「波向」と言うと,波の高さのようにも聞こえるので,「波の向き」とする。それから,これは数学の方だが,「梯形」の「梯」という字は当用漢字になかったので,「台形」と言い換えるというふうに,文字の規制が言葉の改変に及んでいる例もある。似たような例で申すと,植物の方であるが,「喬木」「灌木」と言っていたものが,「高木」「低木」というふうに言い換えらたのもその例である。
 それから,「外国語で適当な訳語のないものは,仮名で表記する」ということについては,「わざわざ無理な訳語を作るには及ばないという趣旨である」という解説がある。「プラズマ」などは,訳語がないせいか私はいまだに何のことか分からない。「キャビテーション」というのも耳遠い言葉で,これは空洞現象,流体の中にぽかっと空洞が生ずる現象を言うようで,自然科学の各分野にわたって使う言葉のようである。もともとは「洞」という字が当用漢字になかったということも,「キャビテーション」のままでこの言葉を使う一因であったかと思われる。
 次に,5の「日本工業規格(JIS)」というのがある。JISというのは,ネジの寸法とか,自動車の部品の規格とか,無数にあるわけだが,用語に関するものだけでも2年ぐらい前の時点で463件ある。「規格票の様式」というJISがあって,これはJISを記述するためのJISであるが,そこに書き方などがいろいろ書いてある。「外来語を片仮名書きで用語として採用することは,それが一般的に受け入れられているものではない限り避ける」というふうに,外来語をなるべく生のまま使うのは避けるという方針がはっきり出されている。
 6「その他」には,各省所管のネーミングの問題,地名を所管するのはどこかというようなことを覚書的に記してある。
 次に4ぺージの「明治以後の学校教育の中での言葉の標準化の一斑」のところであるが,結局,国が関与すると申しても,明治以来,初等教育の中での標準語設定というのが一番徹底もし,また有効でもあったというふうに思われる。
 国定読本が明治37年から使われたが,その「編纂趣意書」の中に,標準語について,「東京ノ中流社会ニ行ハルルモノヲ取りカクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ」うんぬんという当時の政府としての方針がうたわれており,「オトウサン」「オカアサン」などという言い方が全国的に広まり,定着したということがよく言われるわけである。
 4ぺージの下の(2)は文部省が告示した「文法上許容スベキ事項」――これはそう長い文章ではなく,割に簡単な文章であるが,「伝統的文法の見地からすると破格叉は誤謬とされたものの中,慣用の広いものを挙げ,これを許容して在来の文法と並行せしむることとし」うんぬんということで,例の一に「「居り」「恨む」「死ぬ」ヲ四段活用ノ動詞トシテ用ヰルモ妨ナシ」とある。これは要するに,「居り」は「居る」でもいい。「恨む」は古典的には「恨みず」とか「恨むる人」というわけであるが,それを「恨まず」とか「恨む人」というふうに言ってよろしい。「死ぬ」というのは,いわゆるナ変であるから,連体形は「死ぬるとき」であるが,それを「死ぬとき」というふうに言ってよろしい。その類の許容である。

安永主任国語調査官

 5ぺージの(3)は,国語調査委員会で音韻の調査などをしたこと。そして,『言海』の大槻文彦さんのお書きになったものだが,「ロ語法」というものを出している。その「ロ語法」が基準としたのは,明治末年ごろの東京における「専ラ教育アル人々ノ間ニ行ハルルロ語ヲ標準トシ」ということで,方言についても「或程度マデ之ヲ勘酌シ」ということがうたわれているわけである。
 (4)の「文法について」とあるのは,いわゆる「橋本文法」がなぜ「学校文法」として現在も定着しているかという来歴を記したつもりである。これはお読みいただければと思う。
 (5)はアクセント。アクセントについても,割に早く,大正8年に文部省から「アクセントとは何か」という文書が出ている。
 それから,私はちょうど国民学校の最初の1年生だった世代であるが,当時,話し言葉教育の重視ということが盛んに言われた時代であった。また,ラジオ放送で学校向けの放送なども始まった時期であって,割に発音について留意させたということがある。ここにあるように,ガ行鼻濁音についての指示を細かく出した。「ソラガハレタ」「ウシガナク」というふうな教材があったかと思う。
 (6)の敬語に関する事項についても,戦争中と申すか,昭和16年4月ごろのものであるが,主として中等学校にけおる礼法教授の資料として編纂されたものがある。その中には,6ぺージの上の方にあるように,「自分の近親に就いて他人に語る場合には,敬称・敬語を用ひない」というようなことが出ている。
 それから,「国以外のものが関与しているもの」というところでは,まず「放送」のことを記してある。放送が始まったのは大正末年であるが,ラジオが普及して,放送協会の中に放送用語に関する研究委員会などができた。昭和10年ごろがその時期だったわけであるが,こういった研究は現在に及んでいるわけである。
 下の方には,「新聞」のことが書いてある。新聞各社が用字用語のハンドブックをお持ちだということなどを書いている。
 7ぺージには,「書籍,雑誌(付 辞書)」ということで,割に当たり前のことが書いてあるわけである。
 4の「作家,著述家等」。どこの国でも,一国の言語の醇(じゅん)化発展に最もカがあったのは,また,あるのは,作家や著述家等である。日本では,明治維新以後の話で申せば,何と言っても福沢諭吉とか,徳富蘇峰とか,おう外,漱石といったような名前がすぐ浮かぶし,中国で申せば胡適とか魯迅,もっと古く申せば,ヨーロッパでは,ゲーテとか,ルターとか,シェークスピアとか,もっとさかのぼればチョーサーとか,ダンテとか,幾らでも名前が浮かぶわけである。
 それから,下の方に「企業等」とあって,企業内でも言葉についての教育をいろいろなさっているということが書いてある。
 一番下の「自然に決まっているもの」というのは,人間社会の言語文化として,自然発生的にあるいは慣用的に伝えられているものというほどのつもりで,変な理屈がこねてあるが,御笑覧いただければと思う。
 以上である。

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