国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第1委員会における審議状況について2

阿辻委員

 「ためロ」とは何か。どういう意味のものか。ちょっと分からないので。

井出(第1委員会)主査

 「ためロ」とは何かという御質問であるが,この中で「ためロ」を御存じない先生方はどのぐらいいらっしゃるか。〔6〜7名挙手〕
 ありがとうございます。
 実は,徳川委員も私もこの審議会の委員になりつつ学習した新しい単語なのであるが,若者たちの間で先輩の人が後輩に対して「ためロでいいよ。」と言うと,「敬語抜きでいいよ。」という意味になるのだそうである。「あいつ,俺(おれ)にためロをききやがる。」ということは,自分の方が先輩のはずなのに同等のロをきくことになるという意味で,若い人の中で使われている言葉だそうであるが,敬語抜きのやりとりということである。もともと,仲間内であれば敬語抜きは承認されているわけであるけれども,仲間内であっても年齢等に差がある場合にそれが一種の上下差になって,本来なら敬語を使わなくてはいけない先輩などに,使わないで話すということが「ためロ」ということになるそうである。よろしいであろうか。

阿辻委員

 それでは,6ぺージの上から2行目に出てくる「友達言葉」というのとは違うのか。つまり,「先生にためロをきく」という言い方はあり得るのか。

井出(第1委員会)主査

 「先生にためロをきく」というのはあると思う。私の先ほどの説明でよろしかったであろうか。

清水会長

 どうぞ,何か補足していただければ。

浮川委員

 例えば「ためロ」をきく友達というのは男の友達という感覚がある。女の友達同士が使っているのは「ためロ」というふうなイメージでは余りない。やや乱暴な雰囲気があるが,どうであろうか。一般的にはそんな感じを私は抱いている。

井出(第1委員会)主査

 内館委員,どうであろうか。

内館委員

 もともと言葉遣いだけではなくて,「ため」というのは年齢が同じというところからどうも来ているらしい。「俺とおまえはためだ。」と言うと,同い年だということが若者たちの間ではごく普通に言われている。「あいつと俺,ためでよ。」と言うと,最初は驚いたのであるが,同い年だというらしい。そういうことから考えると,「ためロ」というのはまさしく友達――敬語というよりは,むしろ非常に友達言葉に近いものがある。それは,今,井出主査がおっしゃったように,本来ならば尊敬語,丁寧語なりを使う,敬意表現をすべき関係であるところに,「だからさあ」と言うのはこれは「ため」なわけである。つまり,本来はそうすべきではないのに「あいつはため口ききやがる」というときの「ため」というのは,自分と相手が同じラインに立ったロのきき方をするということである。
 あるいは,ほかの例で言うと,例えば,非常に有名なだれかがいて,「あいつと俺はため口の関係でさあ。」というふうなことも言う。そうすると,それは昔で言うなら,俺・おまえの関係であるということになる。「あいつは今すごい立場にいるけれども,俺とはため口なんだよ。」ということは,一つの在り方としてアピールするという人は結構いる。だから,むしろ非常に友達言葉に近いものだと思う。
 「何々を召し上がりますか。」と言わないまでも,「何々食べますか。」というが,それさえも言わない。「食う?」と言う。「行く」とか「食う」とか,「だからさあ,言ったじゃん。」という,そういうラインの対等というか,親しい友達言葉というのを,「ため口をたたく」とか「ためロをきく」というふうにして一般的には使われているようである。
 したがって,テレビドラマなどを書くときでも,そのときにせりふをため口で書くか書かないかというのは,その登場人物のキャラクターに非常に大きく影響してくるので,そこはかなり気を付けて,わざとため口をきかすとか,ため口にさせないとかということはやっている。こんなところでお分かりいただけるか。

清水会長

 はい,どうぞ。山口委員。

山口委員

 そうすると,今話題になっている「ためロ」のところであるが,3ぺージ目の下から三つ目の○である。その項目の文章を読むと,「仲間内での円滑なコミュニケーションには,ためロもまた有効である。ためロは敬語ではないが」とあるが,ここまではとってもよく分かる。その後,続いて「広い意味の敬意表現に入ると思う。」という文になってくる。ここで分からなくなる。この場合の広い意味の敬意表現というのは,一ロで言うと円滑なコミュニケーションという意味でよろしいか。
 そうすると,第1委員会で敬語を扱う場合には,今までの敬語の範囲とはすごく違っていて,「正しい言葉遣いの在り方」みたいな大きな枠組みで話を進めていくというスタンスとなってしまうが,それでよろしいのであろうか。

井出(第1委員会)主査

 正しいだけではないと思うが。

山口委員

 的確というか,そういう感じで,いわゆる敬語という狭い言語表現には限らないで敬意表現をとらえていくということなのか。

井出(第1委員会)主査

 そうである。

山口委員

 もう一つ伺いたい。4ぺージ目の一番下の○である。「敬語の機能の一つとして,21期報告に「親しくない人との距離」とあるが,「親しさを表すための敬語という観点もあるのではないか」と書かれている。「親しさを表すための敬語」というのは,具体的にはどういうふうに考えればよろしいであろうか。よく意味か分からないのであるが……。敬語というのは本来,親しくない人と距離を置くために使うと思われるのだが。そうではない逆転の発想なので,「親しさを表すための敬語」なんて本当にあるのだろうかと驚く。
 この辺りを御説明いただけると有り難いと思っている。

井出(第1委員会)主査

 距離を持っている人同士が,話ができないから,親しさを表す,敬語を使うことで近づいて話すことができる。それで親しさを表すというのもあると思うし,親しさというか,優しさというか,乱暴でない敬語で丁寧に言うことで親しいんだよ,あなたのことを思っているんだよという表現もあり得るということである。これについては,特に具体例で話し合ったわけではない。

山口委員

 難しいところだと思う。

井出(第1委員会)主査

 地位が違うとしゃべれない。まず,相手の地位が上位であったら敬語をどんなに使っても近づけないということもあるが,多くは敬語を使うことでそこへ近づいて話すことができるという一面もあるわけである。そこで,敬語を使いつつ,距離を縮め,相手と話す前よりはやや親しい関係になるということもあろう。

山口委員

 ということであるか。

井出(第1委員会)主査

 具体的なことについては,余り話し合っていないので,御指摘を拾い上げて更に検討したい。

浮川委員

 どのぺージでも,どこを拝見しても,私は非常に相対する矛盾が常に含まれているように思う。例えば,ある人は上下関係であったり,距離を保つことがいいんだというような背景で話されているような感じもするし,ある人はそれは非常に良くないんだと,より距離感をなくす方がいいんだというふうな背景で話されているように思う。基本的なところ,一番最初の定義のところというか目的で,コミュニケーションを円滑にするために敬意あるいは敬語というものがあるんじやないだろうかというような形で進んでいると思うが,コミュニケーションを円滑にするというところでいろんな考え方が出てきてしまって,ある人はその距離感をしっかりすることが,私の方が上位であるからとか,あるいは自分より上の方に対してとか,距離感をそのままちゃんと表現することがコミュニケーションを円滑にするんだというふうに思うし,またある人はそれが壁になるんだと思ったりしている。この定義そのものが非常に問題を含んでいて,私にとってみたらこの定義でいいのだろうかというのが実感である。ここをしっかりさせなければいけないと思う。
 それで,その後にコミュニケーションを円滑にするための言語表現についての考えが述べられているが,コミュニケーションを円滑にすることを考えるに当たり,当事者の上下関係か常に敬語には付きまとうと思うが,それをどうするのか。近づけることがコミュニケーションを良くするのか,その距離感を維持するのがいいのかという根本をある程度ちゃんとしておかなければ,これが結果としてまとまったときには非常に分かりづらいものになるというような感じがする。

井出(第1委員会)主査

 御指摘ありがとうございました。
 そういう点について,我々委員一同よくよく感じているところである。今まで,4回の委員会で自由にいろんな角度からいろいろに言っていただき,それによって落ちていた点を拾い上げるという意図の下に話し合ってまいったので,御指摘のとおり,例えば「敬語」と一言使っても,「敬意表現」と使っても,その発言者の概念の把握が少しずつずれており,後の方に「簡素化」という語も出ているが,その簡素化というのは何を意味するのかというところがずれてしまっている。そのまま来ているので,今,浮川委員の御指摘にあったようなことも含めて,それから山口委員の御指摘になったようなことも含めて,しっかりと作業部会としてワーキンググループが問題を整理する。そして矛盾するようなもの,それから距離を置くということをどうとらえるのか,そういうことについて一つずつ検討できるような議論をしてから委員会に諮るという形で,もう少しすっきりした形での議論に持っていく,そのようなことが必要だと,これからの議論の道筋を考えている。御指摘は誠にごもっともで,正にそれを整理しなければいけないと思っているところである。
 今までの議論の概要がもっとすっきりした形のものにならないと,具体例が出せないわけである。そこの具体例に行く前に,理念をまとめ上げる議論を次の委員会からやっていきたいと思っているわけである。そういう意味で,いろいろ不適切な表現とか矛盾していること,その他たくさんはらんでいる報告を申し上げたわけであるが,御指摘を歓迎したいと思う。

清水会長

 これからワーキンググループを作って,また今お話があったように更に深めていって,テーマをはっきりさせようということかと思う。

井出(第1委員会)主査

 そういうことである。

清水会長

 例示がきちんとできるようにしようということで努力してまいるわけであるが,何かそのことなどについても御発言があれば,どうぞ。

甲斐委員

 先ほど出た「ためロ」であるが,私は,これはまだ市民権を得ているようには思わないのである。もう御覧になっている方もいるかもしれないけれども,例えばインターネットで日本語の質問箱という所を開いてみると,「ためロ」が主題になって,何十人かの人が「ためロとは何か」ということについて,いろいろと意見を述べている。その中にも幾つかの説があって,例えば「「ため」というのは「溜(た)まる」である。」とか「牢(ろう)屋を表す。」とか,そういったような説もその中に紹介されているわけである。どうもある部分ではよく使われるけれども,まだ一般の用語になっていないような気がする。論議の概要の中に,突然に「ためロ」ということが出てくるので,別のいい用語がないかなと思う。
 それと同じようなことで言うと,「PC」というのも見出しに出てくるが,やはりこれも分かりやすい日本語で,それが前面に出るような形にしていただければというように希望する。以上である。

清水会長

 ありがとうございました。まとめるときの用語の問題である。はい,どうぞ。

平野委員

 浮川委員の御発言に賛成して伺っていて,更に考えたのであるが,私のように学術論文を書くことをやっている人間からすると,円滑なコミュニケーションをとらないと言いたいことが相手には伝わらないわけであるが,ここで言われているような敬意表現を学術論文に入れると,かえってコミュニケーションが疎外されるということさえあるわけである。すなわち,まずここで第1委員会が主に考えていらっしゃるのは,話し言葉であるということがあって,しかし,書き言葉でも小説とか手紙には敬意表現が様々に出てくるということがあるので,そういうことも考えて,浮川委員がお出しになった定義の問題にもう一度取り組まれるといいのではないかと思った。以上である。

千野委員

 また「ためロ」の話に戻るが,今,甲斐委員のお話を伺って私は安心した。私は新聞記者であり,新聞記者はやはりどういう部署であれ,もっと世相を知らなくてはいけないと思っていたのだが,実は「ためロ」という言葉を今ここで初めて知った。私の知り得る限りでは,新聞にはまだ自然な形でというか,登場していないんじゃないかと思う。したがって,ここで突然出てきたときにやはり「おや?」というふうに思って,使われているところでは確かに使われているのかもしれなけれども,一般的ではないという御指摘には同感である。
 それからもう一つは,簡単な質問みたいなことなのであるか,このPCということも,確かにアメリカなどでPCが本当に猛威を振るったというぐらいの表現をしてもいいかと思うが,そういうことがあった一方で,そのことに対する反省というのも実は出てきているのではないかと思う。つまり,言葉狩りになってしまって,実態は変わらないけれども,PCだけで使えない言葉等が決め付けられていくという,そういう反省も出ているということは,分科会の方でもお話しなさっているのだろうかということをちらっと感じた。

井出(第1委員会)主査

 PCについては,ここの議論のところで書かれてあるとおりで,日本ではまだ一般的ではないから慎重にしようじゃないかという意見もあって,まだ結論は出ておらず,この言葉を出した方がいいのかどうかということを議論している状態である。

清水会長

 今のお話のように,アメリカの場合には反省が起こっているというようなことも少しお考えをいただくということだろうと思う。ほかに,何か御意見はあるか。

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