国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第3委員会における審議状況について

清水会長

 次に,第3委員会の方の御報告をちょうだいして,また全体についても御意見をいただくということで進めたいと思う。水谷主査,ひとつよろしくお願いする。

水谷(第3委員会)主査

 第3委員会の審議の経過については,配布されている「論議の概要−2」の冒頭の部分に,第3委員会は先の第3回総会以降,7月8日及び7月27日の計2回開催され,検討課題である「日本語の国際化を巡る問題」について更に論議を重ねたとあるとおりである。この2回の審議の内容,やり方は,委員会のメンバーでいらっしゃる委員の方々から,御専門の領域からテーマに関連する事柄を対象として御報告をいただき,それに基づいて議論を重ねるという形を採った。この委員会自体が今期出発したばかりであるので,広く問題をとらえるという段階から始めている。
 その委員の方々からの御報告に基づいて議論を重ねたわけであるが,このやり方自体はもうしばらく続けていきたい。年内ぐらい続くかと思う。そして,さらに委員の方だけではなくて,必要に応じて委員以外の有識者の方もお呼びして,意見の聴取を行いたいと考えている。
 それから,こういった意見あるいは発表などを踏まえて,日本語の国際化に関する問題のうちで特に日本語の国際的な普及に関する論点,あるいはその基本的な考え方について,来年の3月までには審議のたたき台となる素案をまとめていきたいと考えている。
 最初のパラグラフの次,1のところに,「第3委員会の検討範囲」とあるか,これの最初の○の部分,「第3委員会の任務は」とあって,「国際社会における日本語の在り方についての理念・哲学を確立すること」,それから,「具体的な指針を打ち出すこと」と書かれている。これに相当する,また,これに結び付けていくための理念構築を,この作業を通して進めたいと考えている。
 それから,今のもう一つ下の○,「20期の審議経過報告に挙がっているローマ字の姓名表記と外来語増加等の問題の2点について,例えば外来語の言い換え集のような具体的なものを出すようにしたい。」と,こういう形でそこに挙がっているけれども,実際どんな形でこれがまとめていけるかということは分かっていない。進め方としては,予想として来年の3月に,実は外来語や外国語の片仮名表記の実態に関する国立国語研究所の調査研究の結果がまとまってくるということであるから,それを踏まえることになると思う。
 それから,来年の4月から6月ごろにかけて,日本語の国際化に関するもう一つの問題である片仮名表記の在り方に関して,集中的な審議を行いたいと考えている。ただ,3月までは基本的な理念構築のようなところにだけ集中していていいかどうか,3月にその調査結果が出てこないと分からないということもあるけれども,心掛けとしては先行きをにらみながら,委員会開催時にも機会があれば,みんなで最終的な方向に向かっての指針について話し合う機会を用意しながら進めたいと考えている。
 2の「国際社会と言語」という部分以降に挙がっている内容は,第1,第2の場合と同じように前回のこの総会での報告事項も抱え込んで,その上に新しく前回以降委員会の中で出てきた意見を拾い上げて列挙したものである。その新しく出てきた部分を読み上げながら,どんなことを話し合っているかについての御理解をいただきたいと思う。
 2の(1),「国際社会の形成・発達と言語」。――この枠組みの事柄に関しては,前回はほとんど記述されていなかった。今回,これは広い観点から,時代の変遷の中で言語の交流といったものがどのような形で行われていたかということを,委員の報告を手掛かりにしてみんなで話し合った,その中から現れてきたものである。


 古代の世界においても国際関係があったと考えられている。例えば中華世界において中国とその周辺国には外交,貿易や軍事などの関係が存在した。ただし国境ははっきりしておらず,辺境においては人々かかなり自由に行き来し,通商等を行っていた。
 複数の言語圏にわたる人の交流は古代以来行われ,古くから国際語の役割を果たした言語があった。例えば,7世紀に仏典を求めてインドヘ旅をした三蔵法師玄奘は,ソグド語の通訳を伴って中央アジアを通過した。また,13世紀のモンゴル皇帝グユクからローマ教皇への親書はペルシャ語で書かれていた。
 近代には国民国家が成立した。近代国家において,言語は社会的コミュニケーションの基盤となり,国民統合にとって重要な役割を果たした。
 近代国家は明確な国境を持つことを理想とし,国境を守るために軍備を増強したが,核兵器が極限まで発達した結果,逆に「壁」としての国境のカが弱まった。また,交通通信網の発達による人・物・情報の国境を越えた往来の飛躍的な増大や,民族性の再発見とそれに伴う母語の見直しという動きも生じた。これらにより,1960〜70年代から,国際社会は国家を単位とする社会(society of states又は society of nations)から国家を越えた地球社会(transnational society又は global soceity)へと変化し始めた。
 新しい国際社会では,国家だけではなく地方や民間の団体,また個人も国際関係の主体となっている。また「国際社会」に代わって「世界システム」という語も使われるようになっている。このような変化の中で,今後は,世界の人々が複数の言語を使う能力を持つ方向に進むと考えられる。

 既に,これらの中の幾つかの事柄からも想像されるかと思うが,日本の中,国際社会の中での日本語というとらえ方では済まない,しかも,国単位あるいは言語単位だけでも済まない,新しい世界の在り方を基盤とした日本語の有りようというものを考えなければならないなということを感じさせられている。

水谷(第3委員会)主査

 (2) 国際語としての英語


 これも余り今までに触れられていなかったのであるが,当初から英語の問題を横に置いて,日本語のことを考えることはできないという認識は持っていたわけである。それに関連して出てきている新しい意見が,三つある○のうちの一つ目と三つ目に相当する。


 近代の国際社会において,外交上の共通言語としてラテン語やフランス語が使われた時期があったが,現在では英語が最も広く用いられている。
 英語が国際語になり得た主な理由としては以下の2点が指摘できる。
@  英語国であるイギリスやアメリカが,それぞれ19世紀,20世紀に国際関係を主導する大きなカを持ってきたこと。
A  英語自体が持つ言語的寛容性が,国際語になるためのプラス要因として作用したこと。

 通常,よく言われていることであるが,一応意見として出てきていて,やはり押さえなければならない事柄なので明記しておくという形でここに載っている。ここの部分だけではないが,すべての項目について挙がっている意見,まだ狭い道から入り始めているので,違う観点からの御意見が多くの方々から出るのではないか,今日の総会でもこういった枠組みの中で,ここに挙がっている事柄以外の情報が得られたら大変有り難いと思っている。


 3 国際社会における日本語の在り方

 (1) 日本語の国際化

 ○が三つあるうちの,前の二つが新しく現れてきた意見である。

 「日本語の国際化」の内容として,以下の2点が考えられる。
@ 国際社会の中で,第2言語,第3言語などとして日本語を使う人が増えること。
A 日本人による日本語の表現が,国際的なコミュニケーションに堪えるものになること。
 日本語の国際性を高めるためには,@日本語を論理的で明快なものにする,A話し言葉においては外国人が使う標準的でない日本語も認める,――寛容であるということであるが――という2点に留意すべきだと思う。書き言葉は日本語の文化力につながるものであり,きちんとしたものであるべきだと思う。正書法の確立も望まれる。

 この辺りも更に拡大させなければならない部分だと思う。


(2)日本語の国際的な広がり

 これについては,かなり前回の報告の中でも御報告した。最初の三つの○の部分は報告済みであるが,四つ目のところ,

 国立国語研究所で開催されたシンポジウム「東アジアにおける日本語観国際センサス」で,韓国,中国,台湾では年配者よりも10代,20代の若者の方が日本や日本語に好感を持ち,学びたがっていることが分かった。今後,東アジアでは日本語の学習者が増えていくと考えられる。

 最近のテレビなどを見ていても,例えば韓国の報道にかかわる中で,韓国の若い人たちが非常に日本や日本語に対する強い関心を示している例を目にし,耳にすることが多くなっている。やはり,時代の流れというものを国別に的確に押さえておく必要があるだろうと思う。
 次のぺージヘ行く。「(3)日本語の国際的な広がりと日本文化」という枠であるが,最初の○の部分は前回御報告した事柄そのものである。二つ目の○,三つ目,四つ目,五つ目,この四つほどの多くの部分が新しく現れてきた内容である。二つ目の○,

 現在の日本語学習動機の多くは就職や仕事上の必要性に関係していると考えられる。したがって,日本語を学ぶ外国人が増えるための条件の第一は「日本の経済力の強さ」であると言えようが,次には「日本の文化のカ」を指摘することができる。一例として,日本が翻訳大国であることが,世界の人々を引き付けていることが挙げられる。古今東西の非常にマイナーなトピックでも日本語に訳されており,中国や韓国の留学生は,ヨーロッパの文献が日本語で読めることを喜んでいる。

 会議では出なかったが,私個人としてもアメリカ人の学生たち,中国や韓国,アジアの 研究を志向している学生や研究者たちが,日本の中にある中国関係の文献などを手掛かりにして研究を進めているという例をたくさん見てきている。確かに,こういった日本語を学ぶことの意味というのは,更に掘り下げて考えておく必要があると思う。


 日本文化の魅力は,海外での日本語学習動機に影響していると思われる。フランスでは日本語学習者が増加傾向にあるが,近年,日本文学のフランス語への翻訳が非常に増えており,宮沢賢治の作品は多くの人に感動を与えている。アニメ映画の「となりのトトロ」も大変な評判を呼んだ。アジアでも,アニメーションや,ファッションの三宅一生など日本の新しい文化が注目されている。そういう分野にもっと自信を持って,世界にアピールしていくべきだと考える。
 日本人が歴史的にはぐくんできた「和をもって尊しとなす」というような,対立の構図を作らない生き方を21世紀の世界に売り出してはどうか。自己主張するばかりでなく,その反対の考え方を持つことも世界にとって必要である。「和」を国際語にしたいと思う。
 日本語の会話に使われる「相づち」を,アメリカやフランスにも輸出したい。相づちに見られる「分かろうとする姿勢」は「和」と重なるものである。

 本当に見付け出せるかどうかは分からないけれども,日本語ないしは日本文化を人類全体に貢献できるものとして,その意義付けというものを積極的に探しておかないと,こういう点は悪くはないというような言い方では,きちんとしたアピールはできない。その意味で,全人類を救うために,日本人が培ってきた知恵が役に立つ,言葉が役に立つというような言い方ができたらすごくいいなと,個人としてはひそかに思っているが,裏付けがちゃんとできるかどうか,あるいは役には立たないものなのかどうかということを,短期間の間で苦しみながら見付け出さねば,説得力を持った報告にならないなと感じている。

水谷(第3委員会)主査

 (4)の「国際機関などにおける日本語の使用」。この部分は前回すべて報告済みである。ただ,この問題は非常に慎重に考えていかなければならない。その中の三つ目,四つ目の枠にも出ているが,国連の公用語にするということがいいのか悪いのかということは分からない。まだ分からないが,この問題に対しては,謙虚でなければならないだろうと思っている。
 4番目の「国際化時代の日本人の言語教育の在り方」であるが,「(1)国際化時代の日本人の言語能力像」,この部分についても前回ですべて御報告済みであるので,飛ばす。
 次の4ぺージの,「(2)国際化に対応する日本人の言語教育の在り方」。これも,ほとんどの項目に挙げられていることは前回御報告している。四つ目のTOEFL関係のお話なども出ていたし,下から二つ目の世界中の外国語教育の問題なども話題としては出ていたが,更に追加されたこととして,はっきりした形で新しく出てきたのは,上から五つ目の○,


 英語教育の充実のためには,@基盤としての母国語教育,A小学校から大学までが連携した体系的な英語教育(会話力ではなく,根本的な基礎力としての外国語能力を養うもの),の二つが重要である。

 これは似たような意見が前にも出ていたのであるが,やはり明記して加えておいた方がいいということでここに入っている。
 次のぺージヘ進ませていただきく。5ぺージで,「5国際社会における言語情報の交流」の,(1)は既に前回御報告済みである。
 (2),ここの部分は全部新しく加わってきたことである。「通訳の位置付けと通訳教 育の重要性」。委員からの報告を受けて,話し合ったことを包み込んでいる。


 通訳は,高度の母語能力,外国語能力,言葉の文化的背景を含む幅広い教養など高度な能力を必要とする職業であり,欧米では専門職と認識されている。しかし,日本では歴史的に,通訳を補助的なものととらえ,外国語ができれば通訳もできるだろうと簡単に考える傾向がある。日本語と外国語の接点となる領域が社会の中で持つ意味について,しっかりとした位置付けを行い,通訳についても再評価を行う必要がある。

 こういった具体的な通訳という領域を通して日本語について考えるということは,収穫が多いというのが個人的な実感であるが,日本語と外国語の接点となる領域,そこから日本語のことを見るということは,残念ながら,今,日本の社会では実は余りやっていないのではないか。私たちの仕事としては,意味のあるものにしたいと思っている。


 コンピュータ技術の進歩により,将来は一定の分野で機械翻訳が活用されるようになるであろう。しかし,言葉の背景にある文化を踏まえて訳すことは,機械には難しいと思われ,言葉の微妙なニュアンスの訳出や,交渉における駆け引きを含んだやりとりの翻訳も困難だと考えられる。通訳にはこれらの点を踏まえた訳出が求められるのであり,将来においても通訳者の必要性はますます増大すると思われる。
 通訳のうち,法廷通訳は理論・実践ともにアメリカが進んでおり,コミュニティ通訳は多民族社会のオーストラリアで発達している。通訳理論や通訳者の養成はヨーロッパが進んでいる。
 海外では通訳教育を大学院レベルで行っていることが多い。日英,英日の通訳教育が大学院で行われているのはフランスのパリ大学,アメリカのモントレーインスティテュート(大学院大学),オーストラリアのモナシュ大学,クイーンズランド大学などである。
 日本における通訳教育は,語学校,専門学校,民間企業,大学など様々な機関がばらばらに行っている。大学院では数校に通訳教育に関する科目が置かれているが,現在のところ通訳研究科はない。大学院における通訳教育の充実が望まれるところだが,現役として通用する通訳力と研究者としての能力や資格を併せ持つ教員の該当者が極めて少ないのが実情である。
 ある国の通訳者が,外国語から自国語への通訳を担当するのがよいか,自国語がら外国語への通訳を担当するのがよいかという問題については議論のあるところだが,現状では,日本人の通訳者は両方ともやっている。将来は,日本語教育を受けた外国人が,日本語から母国語への翻訳を担当できるようになることが望ましいと思う。

水谷(第3委員会)主査

 次の「6 外来語増加への対応」については,前回に御報告したそのままの内容である。ただ,一番最後,次のぺージのところは新しく話し合った中身から持ってきたものである。6ぺージの一番上,○のところから読ませていただく。

 言葉を守るための自覚的な努力の一つとして,以下のフランスの事例は我々の参考になる。
(ア)  フランスでは1992年に,「フランス共和国の言語はフランス語である」という文言を憲法に書き加え,94年には,フランス国内の国際会議や,放送,広告などでフランス語の使用を原則的に義務付けるという内容の「フランス語の使用に関する法律」(いわゆるトゥーボン法)を導入した。また,フランスの小学校では授業時間の60パーセント以上が国語(フランス語)に割かれており,ラ・フォンテーヌやビクトル・ユゴーの作品など,模範になるフランス語を徹底的に暗記させている。言葉は変化するものでありフランス語も変わらざるを得ないが,変えない努力が強力に行われている。
(イ)  トゥーボン法導入の背景には,フランス人が使うフランス語の乱れや,国際語としてのフランス語の地位低下に対する危機感がある。今やフランスでもアメリカ文化は排除し難い。米資本のファーストフード産業がどんどん進出し,テレビではアメリカ映画が花盛りである。新プロ「日本語観国際センサス」のフランスにおける調査で,「世界で英語が優位な言語になっていることについてどう思うか」という問いに対し,「よいことだ」という回答(44.2%)が「よいと思わないが仕方がない」(22.4%)を大幅に上回った。幾らフランス語以外は使うなという法律を作っても,この実態は動かし難いのではないか。

 ここには書いてないが,フランスの中のフランス語についてはもっともっと学べることがあるように思う。小学校では授業時間の60%以上ということだけ示されているけれども,その授業の内容,例えば国語にかかわる部分だけではないが,丸暗記,徹底的な暗記主義を中学生に至るまでやらせている。それがいいか悪いかということも含めて,これはやはり考える手掛かりになるので,もう少し追究したいと思っている。方言に対する扱い方の状況,これも実は大きな問題,お話の中で大きな問題になっているんだということ,日本の場合とは違う激しい強い問題として,フランスの国内でのバスク語などをはじめとして,大きな問題になっているようである。
 かなり広く,まず枠組みを決めて,第3委員会では議論を開始してきているけれども,どのような方向へこれを絞っていくかということが,これからの2か月ぐらいの課題になっていくだろうと考えている。以上である。

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