国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 意見交換1

清水会長

 私,初めてなので分からないが,パソコンとかワープロとかに使われている常用漢字以外の字体の問題というのが大きな話題の一つになっているわけである。パソコンなどはどんどん変わっていく時代であるから,そういう意味では.何かはっきりした標準みたいなもの,扱い方に対する考え方みたいなもの,そういったものを今期の審議会ではできるだけ早くまとめておきたいと思うわけである。
 前期以後の御議論の中で,いろいろな問題が出ているけれども,今期は特にこの点についてやった方がいいんじゃないか,話し言葉の問題もあるけれども,そのようなことについて御意見があったら,伺わせていただきたいと思う。今日は第1回であるので,御自由な発言でひとつお願いを申し上げたいと思う。
 いかがであろうか。

山川委員

 20期の国語審議会の最後にも申し上げたのだけれども,言葉の「ゆれ」とか,「乱れ」とか,そういうものについて審議会が今までどうだこうだと意見を交換し,建設的な意見も出たけれども,やや遅いという感じである。実は「乱れ」とか「ゆれ」というのは,本当に小さい時.非常に感受性の強い時の子供の教育とか,子供の環境というものが非常に大きく左右するわけで,特に小学校の教育とか,あるいはそれ以前のお父さんやお母さんの言葉遣いとか,きょうだいの言葉遣いというのが非常に大きな影響を持っているのである。それがしっかりしないと. どんどん果てしもなく,幾ら止めても止められないというほど大きく日本語も変わっていってしまう。その辺りを国語審議会は一体どういうふうに考えるのか。個々別々の言葉の取り上げはあるけれども,そういうことを総合的に,建設的に,審議会で何かできたらなということを私は要望,切望する。

清水会長

 お話のように,言葉遣いというのは,子供の時にどういうような使い方をしてきたか,結局,周辺の地域社会の影響を一番受けるのではないかと思うけれども,関連したお話でも結構であるし,また,ほかのことでも結構である。今日は問題提起というような意味で,どうぞ御自由に。

中西委員

 今のお話にも関連するかと思うが,今日御紹介いただいた前期の新聞のコメントに関してである。配布資料には入っていないけれども,国語審議会が「ら抜き言葉」を現時点では認めないというのを出した,それに対するコメントで,「だから何なのよ。」というコメントが新聞に載っていた。名前は今申し上げないが,大変著名な作家である。その作家が,そういうことを言っておられた。
 私は,これが国語審議会の一番の問題ではないかと思ったのである。つまり国語審議会というのは国民にとって何であろうか,そういうところの認識がまるでない。それが,我々がここで何をやるのかというようなことに一番かかわるのだと思う。確かに今までずっとそうであったように,緩やかな規制というものをいつも心掛けてやってきたし,私もそれにある程度賛成だけれども,しかし「緩やかな」ということは,「だから何なのよ。」というふうなことも,もちろん起こりかねないわけである。
 「緩やかさ」というようなものは,さっきのフランスの罰金を取るなどというのとは全く違った考え方になるわけで,もちろん,こちらからこうだというふうに決めてかかるわけではないけれども,日本にとって国語審議会がどのような役割を担い,その権限がどれくらいあるのかということをきちんと議論していただきたい。運営委員の方々がお決まりのようだから,そういう基本のところできちんと考えていただいて,その方針で,先のディテールを議論するというようにならないと,割合に徒労が多いのではないかと思う。
 さっきパソコンの両方の字体を認めるとかということがあったけれども,そんなものは混乱するばかりで,例えば,「」か「鴎」かなどというのは,我々両方知っているからそう言うのであって,「鴎」しか知らない人間はこれがその字だというふうに思うわけである。
 私が一遍唖然としたのは,「絲」を学生が「先生,これキヌという字ですか。」と言ったことである。我々は「絲」も「イト」だと知っているけれども,「イト」は「糸」一つだと思っている人間には,これは別の字に思えるわけであるから,そういうところをもうちょっときちんとするべきではないか。
 今の山川委員の意見にも関連すると思うけれども,私はそれを強く期待,要望する。

清水会長

 確かに私どもは両方知っているが,子供たちはワープロでぽんと出てくると,それが本物だと思っているから……。
 ほかに,いかがか。

山川委員

 私がNHKにいた時に,三通りも,二通りもあるけれども,これは一体どっちなのという問い合わせが,視聴者からいろいろ来る。例えば,「極め付き」か「極め付け」か,あるいは「付け人」か「付き人」か,相撲放送では「付け人」と言っているけれども,芝居の方では「付き人」じゃないか,どっちが正しいんだということをよく聞かれた。
 アクセントにしても,NHKは二つのアクセントを両方認めるということがあるわけで,両方認めます,どちらでも結構ですということになると,これは確かに緩やかな標準,基準,目安である。ところが,それではますます困ってしまう人も多いのである。どっちか一つにしてもらいたいという,今の中西委員のお話ではないけれども,緩やかな目安は分かるけれども,厳しく言ったらどうなんだということを本当は一般の人たちは知りたいのである。
 そこで,国語審議会が,国語審議会では皆さんこっちを採っていると言うと,そういうことで納得するのだけれども,国語審議会もまた二通りあるというと,非常に混乱が起きる。私の経験上,今,中西委員がおっしゃったように,これはどっちかに決めてもらいたいということもあるわけである。

清水会長

 確かに,私も,何かはっきりした言い方,基準,標準がないと,混乱してくるんじゃないかと思っている。

細見委員

 言葉というのは,時代によって変わるし,時代のフィーリングによって新しく作られる言葉もあって,本当に今すごく大きく変わってきていると思う。そういう点で,ルーツを訪ねて,新しい言葉を採用する,そういう作業に参加させていただくということで,非常に楽しみにしている。
 私なども,森おう外の「おう」はいつも間違うのだけれども,一回,これは間違いだよと言われると,絶対二度と間違わなくなるので,やはりルーツを示しながら基準を紹介していくということは,これから必要だというふうに思う。
 もう一つは,今日ちょっと気になったのだけれども,「審議会の傍聴等について」という資料3があって,6,7については別に異存はないけれども,1のところに「会長は,特殊な場合を除き云々」とある。新聞などをやっていると,このごろは「特別な場合を除き」というような形でやっているので,ここで違和感というか,アンテナがピピッとなったわけだけれども,こういうこともやっぱり考えていった方がいいんじゃないかと感じたので,話させていただいた。

清水会長

 先ほどの説明にあったように,これは第7期であろうか,39年4月の時以来,使ってきた。多分そうだろうと思うのだけれども,そこから引き継いでいるのであろう。

大島国語課長

 先生方にお決めいただくものであるので,一部改正予定というのは原案ではアンダーラインのところだけであるが,それ以外の部分を直すとか,そういうこともまたお決めいただくことができるものである。

清水会長

 これも時代が変わったというのがあるのかもしれないけれども,39年と言えば,もう32年前になるわけである。よろしかったら,議事がまた戻るような感じになるが,「特別」というふうに直しておいた方がいいんじゃないかと思う。いかがか。
 それでは,「審議会の傍聴等について」は,「特別な場合を除き」という言い方に変えさせていただくことにしたいと思う。

宇治委員

 私は,新聞社の人間だけれども,常日ごろ一番問題になるのは人名である。例えば龍彦ちゃん事件などで,龍彦の「龍」を易しい字(竜)で書いているのだが,それに対して,なぜ本字を使わないのかという電話が読者応答室というところへしょっちゅう掛かってくる。橋本龍太郎さんの「龍」という字も,簡略字を使っているのだけれども,ある読者の方が,小学校の試験の問題で「日本の総理はだれか」,「橋本竜太郎」と書いたんだけれども,先生がバツを付けた。それは略字の方を使ったので,バッテンになっていたということで,それはどうしてでしょうかという問い合わせなどが来たりするのである。
 私どもも,人の名前であるから,それを大事にして,できるだけ難しい方を使いたいと思うけれども,実際問題として,選挙の名簿のときにはなかなか難しい問題になってくる。ここに共同通信の林委員もいらっしゃるけれども,通信社原稿を使うときもあるし,一番典型的な例としては,名前を出して何だけれども,出雲の元市長の岩國さん御自身は,「国」という字は難しい方を使ってほしいとかねてからおっしゃっていたのである。しかし,選挙の終盤の段階では,略字の方でもいいということで,最終的には略字をお認めになったのである。
 今,ワープロの発達に伴って,確かに難しい字が簡単に出るようになっているので,テレビなどでは,例えば橋本さんの名前のときもそうだし,龍彦ちゃん事件のときも難しい方を使っていらっしゃる。であるから,その辺の基準みたいなもの――持って生まれた名前だから,できるだけ忠実に表示したいと思うし,それを助けるのがある意味ではワープロだと思うが,ただ,ワープロも小平さんの「」などは出てこない。これは補助漢字には入っているのだけれども……。そういう意味では,機械の方が追い付くことも必要だと思うけれども,できるだけ統一基準的なものを出されて,機械の進歩がそれを助けていくという形で,それを先導する役割を国語審議会ができたら有り難いことだというふうに思っている。

小林委員

 今の御発言を伺って,21期の名簿を拝見すると,谷委員,川委員,渡邊委員,「」「」「邊」の字が,旧字体というか,康熙字典体というか,それをお使いになっていらっしゃる。実際に「神」の字や「辺」の字は「常用漢字表」の表内字であるから,学校の生徒は略体の方を身に付けているということになるけれども,日常生活では,戸籍上に登録されている漢字の字体を皆さん大変大事になさるから,こういう形でお使いになる。「常用漢字表」の表内字でも,康熙字典体をお使いになるということは,人名では多くの方がそういうことをなさっていらっしゃるわけである。
 私は,このことについて,学校教育では,字体の「渡り」という言葉を使っているけれども,渡りの考え方ができれば,異体字であっても同一の字であるという認知ができるという教育を行っていけばよろしいわけで,表外字についても,御議論の場で「鴎」と「」の問題が一つ象徴的に出ているけれども,これもやはり渡りの考え方を採っていけば,整理して認知できるというふうになる。だから,審議会の審議の中では,ここから話が移るが,前期の審議経過報告の18ぺージ,ちょうど真ん中辺りのところに,先ほど国語課長から縷(る)々御説明をちょうだいした,字体の問題について,「なお,この問題については,今後,更に論議を進め国語審議会としての考えをまとめることとしたい。」とか,そのぺージの最後の辺りの4行ほどに,康熙字典体を本則とか,JISの許容とか,いろいろ書いてあるが,やはり前期で御審議くださった字体問題を今期に継承して,論議を深めて,整理をきちっとして,文化遺産を継承していく一つの在り方というものを作っていったらいいのではないかなというふうに,今のお話を伺いながら思っていたので,御披露する。

松岡委員

 「ら抜き言葉」のことがずっと長くテーマになっているようだけれども,私個人のスタンスとしては,使っている人にやめなさいと文句は付けられないけれども,自分は使わない。恐らくこのスタンスをもうちょっとパブリックにすると,国語審議会のスタンスになるのではないかというふうに直観的に思う。というのは,私は,翻訳を仕事の一つにしており,その仕事の多くは戯曲である。戯曲を翻訳すると,プライベートに書いた言葉が俳優さんの声に乗るという形でパブリックなものになるわけである。そうすると,例えば「ら抜き言葉」は翻訳では使わない。だから俳優さんにも使ってほしくない。
 もう一つ,「ら抜き言葉」と同時に,最近,私がとても気になっているのはイントネーションの問題で,言葉がどんどん平板になっていく。例えば,「美人」という言葉も,今みんな「びじん」というふうに言うようだが,「びじん」と言われると,ちっともきれいに見えないと私は思ってしまう。その言葉を「ロミオとジュリエット」の翻訳の中で使ったときに,世の中一般の人は「びじん」と言うかもしれないけれども,俳優の皆さんは「びじん」と言ってくださいというふうに注文を付けるわけである。それが恐らく緩やかな規制のポジションじゃないかと思うのである。
 つまり,パブリックになる可能性を持っている部分,俳優さんの声に乗るとか,アナウンサーの方がニュースでお読みになるとか,書いた言葉が活字になって多くの人の目に触れるとか,そういう時点,パブリックなものになる過程で規制をする。つまり国民一般の皆さんに向かって,「ら抜き言葉」はやめましょうというのは絶対に出過ぎたまねだし,そこまでやっても効果はないし,反発を招くだけだろうし,繰り返すけれども,正に出過ぎたことではないかと思う。
 だから,今申し上げたようなパブリックになる一歩手前のところで,何らかの基準を設けるとか,これはやめましょうという形にする方が緩やかな規制というー形というよりも,規制の一つのプロセスとして考えたらいいことではないかなというふうに思っているのである。

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