国語施策・日本語教育

HOME > 国語施策・日本語教育 > 国語施策情報 > 第21期国語審議会 > 第1回総会 > 次第・議事要録

次第・議事要録 意見交換2

清水会長

 こういう標準を設けるというような議論になると,山川委員は,特にそういう面ではこれまでの御経験がおありになると思うが,いかがか。

山川委員

 非常に出過ぎたことかもしれないが, 委員に選ばれた以上みんな困るわけである。これを世の中で使ってほしいとか,使わなければいけないとか,そんなことを言う立場の者じゃないんで,それは今おっしゃったとおりだと思う。
 しかし,先ほど申し上げたように,今は迷いが出てきている時代だから,その迷いを払拭(しょく)したいという気持ちがとても強くて,これは決して押し付けではないけれども,国の方は一応こっちを採りましょうという,そんな感じで,できないかなというのが私の気持ちである。決して押し付けはしない。そこは非常に微妙なニュアンスで,それを緩やかな目安と言うのであるがー緩やかな目安という言葉がよく出てくるけれども,そうではなくて,もう少し踏み込んで,こっちを採るよというふうなぐらいは言ってもいいんじゃないかなと思うのである。

緑川委員

 今期初めて参加させていただくが,教育の立場から来たもので,ちょっと意見を述べさせていただく。
 私は,先ほどの「新しい時代に応じた国語施策について」という冊子の1ぺージにある「国語が平明で,的確で,美しく,豊かであることを望み……国民全体が国語に対する意識を高め,国語を大切にする精神を養う」という言葉は,非常に大事なことだと思う。今「ら抜き言葉」云々ということも出ているが,私たちがしゃべったり,聞いたりしたときに,国語に対する意識,国語を大切にするという気持ちから出ていればよいのではないか。例えば,前の期の報告を見ると,地方では「ら抜き言葉」は当たり前の話だという意見もあるが,私たちが聞いていて美しいなというふうに考えるものが一番いいものであって,この国語審議会では,そういう立場で一つの緩やかな基準を決めていただくということが大切ではないかなと思う。
 もう少し言わせていただくと,それでは今の若者たちの言葉は平明で的確で美しいかというと,決してそうではないと思う。電車の中で聞いている言葉, あるいは学校の中の生徒,学生たちの言葉というのは,非常に聞き苦しい言葉が多い。私たちは,やはりそういう言葉遣いはよくないんだよということを教えなければいけない立場ではないかと思うのである。ただ,それは決して押し付けではなくて,教えるということである。これは非常に難しいことだと思うけれども,そういうものを作り上げていっていただきたいなと思っているわけである。
 もう一つ,私も,最近,パソコンを使い出したのだが,パソコンで何をやっているかというと,ワープロとして使っているのである。先ほど情報化への対応ということでワープロ・パソコンの字体ということが出てきて,それについてもここに古い字体,新しい字体ということが書いてあるが,私,無学なものだから,初め第1水準とか第2水準というのは一体何なのかと思っていたら,これは字に番号を付けただけだということで安心したわけである。字に番号を付ける立場の者と正しい文字を使う立場の者とでは,やはり違うので,先ほど人名のこともあったけれども,人名というのは大事なものだから,こういう場合にはこうやって使いなさいということを決めていく必要があると思う。
 だから,今後の課題ということで二つ出たが,情報化への対応の方は,早くという言い方はおかしいが,簡単に出てくるのではないかと思う。言葉のゆれや敬語については,本当に慎重にやっていかなければならない。 もう一度言うが,そのときには,やはり「平明で,的確で,美しく,豊かである」という,これを私たちは強調していっていいんじゃないかと思っている。

江藤副会長

 ここに座っていると発言を封じられるおそれがあるかもしれないので,実績を作っておこうと思う。
 私は新米の副会長であるけれども,4期8年委員を務めたので,その間に――今日も何人かの委員の方々から御発言があったし,山川委員からも,中西委員からも,最初に提起されたと思うけれども,つまり本字があって,略体があって,全部やったら漢字は2倍になってしまう。そんなばかなことをどうしてするのか,どっちかにしたらいいじゃないかとおっしゃる。今,山川委員が話し言葉でおっしゃったのも,同じようなことだと思うのである。
 8年間やっていて,私はいつもいらいらしたことがある。例えば「目安を示す」と言えばいいのに,その上に「緩やかな」という修飾語を付ける。 「目安」自体が,実は緩やかなもへったくれも,これでなければいけないというものではないので,御参考までにこうしますというのが「目安」だと思う。
 例えば,「当用漢字表」を「常用漢字表」にした時に「目安」という言葉を使ったんで,そこに相当政策的な配慮があって,押し付けるのではありません,参考にしてください,したがって,「目安です」というのがあった。いつの間にか,それに「緩やかな」という修飾語が付くのである。この「緩やかな」を付けて安心するというメンタリティ一は一体何だろう。これは国語審議会だけの話ではないのである。
 実は,大臣にいていただきたかったけれども,日程がおありになって帰ってしまった。恐らく次の大臣になっても,「緩やかな」にしておいた方が無難だよということで,このままずっと行くんじゃないかと思う。そのうちに,更にもう少し緩やかになるというと,「いとも緩やかな目安」ということになって,どうなってしまうのか,分からない。このずるずる,ずるずる,責任は取るんだけれども,取らないんです,押し付けないんだけれども,こうしてほしいということを続けていてよろしいのであろうか。
 そこで,フランスの話を見ると,実はフランスについては私も一般委員で参加させていただいているときに大分言ったのだけれども,柏倉氏が随分いい参考の意見を言っていらっしゃるようなので,是非新任の委員の方々に配布資料の4をお読みいただきたいと思う。やはりフランスという国の在り方というのか,フランス文化に対する国家の責任の取り方というのはこういう形をしている。今の日本の国,政府は,日本の文化の非常に重要なというか,それ自体が文化である国語に対して,そういう責任の取り方をしているか。これは長官に申し上げても,ちょっとおっしゃりにくいことで,お立場が違うと思うので,やっぱり大臣に聞かなければならない種類のことで,この次,こういう議論をするときは,大臣は日程を何時間か取って,わずか2時間ぐらいのことなのだから,お繰り合わせいただいて,こういう話をお聞きいただきたいと思う。
 私は,副会長の立場を離れて,第21期国語審議会委員の一人として是非文部大臣にお願い申し上げたいと思う。

清水会長

 大臣にひとつよろしくお伝えいただきたいと思う。

杉本委員

 この審議会が始まる直前に,NHKがおう外の「おう」の字,冒の「」の字の,ワープロ字(鴎,涜)と本来の字(,)について,私に意見を聞いてきた。
 その時に,急にマイクを差し出されたものだから,ちょっと慌てて,大変舌足らずな発言だったので,少し補足したい。
 私は,今混乱過程を生きている小説書きなので,ワープロ字と本来の字の両様を使ってしまっていることを申し上げた。先ほどおっしゃったような渡邊さんという字は「辺」を書いてしまうこともあるが,それでも人のお名前の場合などは,いつも困ってしまって,その方がお書きになっている方を書かなければ,とは思っている。ー例えば円地文子さんが「円」を「圓」とお書きになっていたときに,略字の「円」を書いたら絶対にいけないと思ったりした。
 それから,作家であり文藝春秋の社長でもあった佐佐木茂索さんという方は,「佐々木」と書くのを嫌がられて,「佐佐木」としなければいけないということだった。ところが,その後,佐佐木茂索夫人がお手紙などを下さってお返事を書くときに,必ず「佐佐木」と書いたが,佐佐木夫人のを見ると,「佐々木」となっていて,一軒の家という小さな区域の中ですら,主人は「佐佐木」と書き,奥様は「佐々木」と書く。国となったときに,これはどうなることなのかと思ったことがある。
 いまだに兵庫県竜野市の知人に手紙を書くときに,難しい方の「龍」にするか「竜」にするか,あて名ですら,その人がもし難しい方にこだわっている方であれば,失礼だと思って,迷ったりする。
 そのくせ,自分では,目下の渡辺さんのときには,構わず「渡辺」を書いてしまったりして,非常に混乱している状況なのだけれども,ワープロ字というものがやがて定着し,かつての難しい「邊」を知らない人たちが,「渡辺」という字が本当なんだと思い込むことは恐ろしいとも思う。ある種のワープロ字による文化の圧殺ということになり,明治の文学も,それ以前の文学も,読んだ場合に,それを知らない人たちは一々文字でつっかえるということになると,古典も読めなくなる。
 しかし,では両様を教えるかとなると,幾つかの御発言にあったように,2倍ということになる。別に簡略字が悪というわけではなく,簡略字には簡略字のプラス面があるわけで,であるからこそ,私のような,横着な人間は両様使ってしまうのだけれども,かつてその元字だったというものがなくなっていくことがいいのか。その点を危惧(ぐ)している。

清水会長

 さっきの大臣のごあいさつの中にも,文化という言葉が出てきたが,その辺のところの日本の貴重な文化をどう残していくのか, その上での言葉というのは大変難しい問題だと思う。

西尾委員

 先ほどからパソコン,ワープロの問題が出ており,今期21期では,特に字体の問題が重点的に取り上げられるというお話であるが,私は,パソコン,ワープロというのは,学校教育の中でますます徹底して普及され,定着していくと思っている。
 私は,この審議会に是非ともお願いしたいというか,要望として申し上げておきたいことは,単に字体をどう決めるということのみならず,情報機器,機械の発達によって日本語そのものにどういう影響が出てくるか,機械の発達,あるいはインターネットの問題,Eメールで通信を交換する時代になって,日本語そのものの表現,あるいは運用にも,相当な影響が出てくるのではないかと思うが,その辺りのことを文明の変化というところまで広げて,広い視点で議論のできる審議会であっていただきたいということを,お願い申し上げておきたいと思う。

輿水委員

 先ほどから漢字の問題が出ているが,私は前期20期の審議会の時に,字体に関するワーキンググループという作業グループに属していた。かなり欠席も多かったりして,十分にお役に立てなかったが,今期も引き続き漢字の問題が大きな問題のようであるので,今,感じたことをお話しする。
 前期のワーキンググループでは,括弧付きかもしれないが,混乱した状況というものを認識するということで,ヒアリング,聞き取り調査をして,いろいろな問題があると理解できた。私自身,ふだんパソコン,ワープロを使うが,自分自身が感じていること以外にいろんな問題があるということが十分分かったが,私自身は非常に単純で,それなら現状に合わせた直し方が考えられるんじゃないかと思うのだが,そうすると,また,これは教科書,辞書,その他大きく影響するものがあるということも認識して,これは大変な問題だと思ったわけである。
 ただ,先ほどからお話のある言葉の問題,特に話し言葉の問題になると,「目安」とか,「緩やかな目安」とか,いろいろお話があったが,こうしろと決めても,やはり全体の流れがあるから,なかなかそうなるものでもないし,また,決められるものでもない。
 しかし,漢字の方は,こうしろと言えることだし,また,そうなると言葉よりは非常に簡単に直せることでもあるわけである。つまり,教育面なり,ワープロ・パソコンのソフトなりを直せばいいことである。それだけに慎重にやらなければいけないところもあるが,私自身は,ワープロ・パソコンがなくても,漢字は,速さの違いはあるが,やはりどんどん乱れていくというか,変わっていくものであるから,漢字の長い歴史の中では,漢字はどんどんいろいろな変体,俗体ができるわけなので,どこかで見直しをしていかなければいけないものだと思う。だから,もちろん後追いになる。
 結局,私なんかは,国語審議会に加わる前は,国語審議会がみんな決めればいいじゃないかと思っていたが,いろいろお話を伺うと,JIS漢字の通産省,あるいは戸籍,人名用漢字の法務省,いろいろと管轄があって,それがてんでにと言うと少し言い過ぎだが,先ほど乖離しているというお話があったが,そういうような状況を一体どうやってバランスを取るのか,分からないが,国語審議会として,別に後追いでも構わないので,適宜というか,適時そういったことをきちんとしていかないと,話し言葉はある意味では流れに任せなければいけないところがあるが, 漢字の方はそうは行かないんじゃないかと思っている。
 ただ,全面的に何か見直すというのは,なかなか大変であるし,さっき渡辺さんの「辺」という字の問題があったが,必ずしも2倍になるものでもないので,どの程度の範囲の漢字がこういったことにかかわってくるのか,今度はヒアリングなどを基にして, 調査研究ということもしないと,また世間の誤解を生むような面もあるかと思う。
 今期は,私自身も前期から引き続きなので,これは大変なことになったと思っているが,漢字については,こちらの方が正しいという言い方はできないにしても,こちらか,あちらかというようなことは言わざるを得ない。私自身は教室で教える立場にいるが,漢字だと,こっちが正しいというふうに言わないと,どっちでもいいのだと言うわけには行かないので,言葉の方は,場合によってはどちらでもいいとしか言いようがないことがあるが,漢字については,何らかの結論というか,方向がはっきりしないといけないのではないかと思っている。

トップページへ

ページトップへ