国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 意見交換2

平野委員

 例えば,先ほども使われた青い表紙の報告書の7ぺージ「外国人との意思疎通と言葉遣い」というところの最終行の表現が,「言葉遣いをする配慮が必要である」というふうになっている。そのほかの項目も,「望ましい」とか「必要である」というふうになっているが,これは一体だれがだれに向かって言っているのかということである。先ほどの別の文脈での御質問,お話の中に,我々も国民の一人であるということで審議に参加すべきだろうというお話があったかと思うけれども,こういう表現をするのも,国民の一人として仲間の国民に向かって言うという表現になっているのか。文化庁の方からも御説明があると思うけれども,先輩の委員の方々のお考えも伺いたいと思う。

鎌田国語課長

 形式的な話で申し上げさせていただくと,この報告は,国語審議会の会長から文部大臣あてに出した報告という形になっている。形の上ではそういうことになっているが,ただ表現としては,審議会として,どのようにお考えになったかという認識が書かれているものだというふうに理解している。

清水会長

 私は古いことは知らないが,かつては,例えば常用漢字表などは内閣告示・訓令とされたわけで,答申はそういった意味では公式的なもので,こうあるべきだという感じのものというふうに,この審議会のスタンスとしては,そのつもりでやらなければいけないんじゃないか。22期に審議する言葉遣いその他については,これが標準であるというか,例えば,義務教育の教科書などは,ある程度影響を受ける。あるいは表外漢字字体表などについて,公用文書などは完全にそれに従うことになる。そういった意味では,非常に重要な役割,責任を担わされているなというふうに感じているわけである。

鎌田国語課長

 今までの国語審議会の関係でちょっと申し上げたいと思う。お手元に会議用の資料があるが,実は国語審議会は昭和24年から始まり,今期,第22期になっているが,従来は主に表記の関係について御審議いただいてきた。したがって,表記の関係で申し上げると,例えば常用漢字表とか,現代仮名遣いとか,送り仮名の付け方とか,そういうものについて最終的な御審議をまとめていただき,答申をいただいたものについては,すべて内閣告示・内閣訓令という形になってきた。例えば一般社会における漢字使用に関して,あるいは仮名遣いに関しての目安・よりどころという形で内閣告示されて,内閣訓令ということで私どもの官公庁においては拘束的な役割を持っていたわけである。それらはいずれも表記の関係ということで,そうなっていた。
 ただ,第20期以降においては,今後における新しい国語の問題について御検討いただくということで,今までの表記の問題だけに限らず,情報化の問題,国際化の問題についても,新たに御審議いただいているという状況である。

林田文化庁長官

 したがって,これらの表記に関すること以外のことに取り組み始めたのが20期なわけである。かなり幅広いことを議論していただいているので,今御審議いただいているものの中でも,表外漢字字体表試案については,答申をいただければ,今までの表記と同じような性格付けを持たせることも想定されるわけであるけれども,敬語に関することについては,場合によっては,どのように使うべきかということも含めて御議論いただいて,そういう発表をする。併せて,参考資料をいろいろ出版して幅広く理解いただくことによって,国語表現がより良くなっていくことを期待するとか,手法はこれまでとは違うことがあり得るだろうと思うわけである。
 それらを含めて,どうあるべきかを御議論いただくということで,これまでよりも少し幅広い御議論をいただいているということである。

清水会長

 言葉遣いまで訓令でやるというわけにも行かないので,長官のお話のようなことになるかと考える。

三次委員

 私もこれまでの審議会に何期か出させていただいているが,今のお話に関連して言うと,表記については一般に「目安・よりどころ」という言葉が生かしやすいと思うが,字体となると,「目安・よりどころ」では済まないところもある。つまり,議論の局面によって,大まかでいい場合ときちんと決めてもらいたい場合とが混ざっているんじゃないかと思う。だから,なかなか一括的に申し上げにくいけれども,そういうものが混在した実態について討議をしなければならないというように私は理解している。

宇治委員

 意見というより要望なのであるが,前回やらせていただいて,役に立ったのは世論調査である。言葉というのは,時代とか,地域とか,性別とか,世代とかによって受け止め方が非常に違うので,専門家の御意見を伺うのもいいけれども,一般に広く,人々がどういうことを考えているかということを私たちは知っておく必要があると思う。世論調査は,今までなさっていたのは年に1回だったと思うが,予算の関係もあるだろうと思うけれども,少なくとも半年に1回ぐらいやっていただいて,今の若い人たちが,言葉遣いとか,表記とか,そういうものについてどういう受け止め方をしているのかというようなことを正確にというか,できるだけ知るような機会を増やしていただければ,それを受けて,その後の審議に非常に参考になるんじゃないかと思う。
 もう1点は,こういう総会もいいけれども,皆さん方はどうしても硬くなっているし,緊張しているので,もっと懇談会的に自由に御意見を言える,特にテーマを決めないで話し合える場を設けていただくこともお考えいただきたいと思ったりする。

鎌田国語課長

 世論調査の関係で,ちょっとお答えをさせていただきたいと思う。
 私ども文化庁では,平成7年度から,「新しい時代に応じた国語施策について」ということで,国語審議会で御審議いただいているのと並行して,毎年1回世論調査をやってきている。今年度,平成10年度については,既に作業に入っており,来年の3月ぐらいにはその報告がまとまる予定であるが,来年度以降については,審議会において先生方の御意見などもいただき,調査項目等も考えた形での世論調査を考えていきたいと思っている。

津野委員

 先ほど国語審議会の答申の言わば規範力というか,拘束力みたいなお話があった。私は政府の立場というか,法制局で法律の審査とか,いろいろやっているわけであるけれども,法令あるいは公用文等に関しては,従来の国語審議会の答申に基づく告示あるいは訓令は,かなり厳格に守って仕事をしてきているわけである。したがって,今回の字体の問題になると,国の機関等では問題はないと思うが,もしも各方面にまで影響を及ぼすとなると,かなり大変だなという感じがする。それは今後どういう扱いになるかという,その行方を見てみたいと思う。
 それから,規範的な意味でちょっと気になるのは,教育の面は私は専門家ではないので,よく分からないけれども,国語審議会の答申というのは,教育界ではそれなりに尊重されていて,国語教育がなされていくのであろうと思うので,そちらの方の御意見も伺えたらいいんじゃないかということが一つである。
 もう一つ,これは全然別な話であるけれども,前期,私も委員をやらせていただいて,ずっと出席させていただいた。総会を欠席したことも若干あったけれども,総会の運営として非常に気になったことは,私はたまたまというか,先ほどどこかに属すように言われて,私はどこにも属していなかったので,余りロ幅ったいことは言えないけれども,総会である程度の詳しい説明がされるかなと思ったのだが,結論的な,割と上澄みだけのお話が多かったような気がする。途中で非常に詳しいことを言ってくれたのがJIS規格の話であった。これは非常に興味があって,面白かったのだけれども,あれだけの説明をする必要があったのかどうかというのは,私自身は疑問に思う。
 したがって,各委員会でいろんな意見があって,委員会でどんな争点があって,それに対して委員会としてはこういう意見が大勢であったとか,こういう意見も有力で,両方とも五分五分ぐらいだったから総会の意見を聞きたいとか,総会において,そういう争点となるべき事項をきちんと明らかにしていただけると判断しやすいのではないか。途中のフォローをしていない私が悪いのだけれども,総会の議論としては,余りいい意見が出にくかったのではないかという気がしている。

鎌田国語課長

 学校教育の関係について,ちょっと御説明をさせていただく。
 この報告の中の22ぺージ,「4 その他関連事項」の(1)に「学校教育との関係」というところがある。「学校教育との関係」で申し上げると,「また」以下の二つ目の段落であるが,「また,学校教育用の教科書に使用される表外漢字は,常用漢字表の制定以前から,人名漢字は別として,基本的にいわゆる康熙字典体が用いられている。」という実態があるので,今回,この字体表によって現行教科書の漢字字体が変更されることはないということで,今回の表外漢字字体表と教科書の漢字の字体の話とは直接は関係がないということになる。

津野委員

 敬語の話などはどうか。

鎌田国語課長

 敬語の関係についても,この報告の中の9ぺージに,「付1」として「敬意表現の教育」の「(1)学校等における敬意表現の教育」とある。敬意表現の教育が学校教育においてどう行われているかというのは,一番最初の段落のところにある。「学校教育においては,敬意表現に関する教育について,国語科においてのみならず,学校生活全体を通して行われているところであり」ということで,現在においても,もちろん全体としての学校教育活動として,敬語を含めた敬意表現的な教育が行われていると考えている。
 ただ,今期の国語審議会で,いわゆる各論的なものをいろいろ御審議いただいていく中で,それらのものが更に学校教育活動にもより良い形で反映されていくことになろうかと思う。

清水会長

 敬意表現とか言葉遣いについては,標準的なものを示すというぐらいで,漢字のようには細かいところまで審議が進んでいないけれども,これから御審議いただく中で,きちっとした形がだんだん生まれて,一般的に普及すれば,言葉が大変乱れていると言われている時代なので,世の中に良い影響を及ぼせるのではないかと思う。
 どうぞもう少し御自由に御発言をいただければ有り難いと思う。
 漢字の方はワーキンググループ等々を含めて40回近くもやっていただいたが,その経緯を含めて,主査が総会で説明するというのはなかなか難しいということがあって,多分そういうふうにならざるを得なかったのではないかと思う。
 先ほど来お話があったように,委員会は割に懇談的な雰囲気であるので,そういった意味では,できるだけいろんな委員会に顔を出していただけるようにお願いできれば有り難いと思う。

徳川委員

 新聞を見ていたら,ニ百幾つかある政府の審議会が行政整理で減らされるということが書いてあった。国語審議会も,今は開いているが,そのうちになくなって,私どもは御用済みになるのであろうか。

鎌田国語課長

 御案内のとおり,現在,政府全体の中で行政改革について検討されている。その中の一つとして,行政改革会議の最終報告,あるいは行政改革基本法の中で,審議会等についても検討されている。例えば,審議会の活動として不活発なものについては廃止していくとか,時限の付されているものについては廃止を検討するとかいう話もある。それから,政策審議的なものについてはどうしていくかという検討も行われている。今現在,結論は出ていないが,そういう全体の行政改革の中で,審議会の在り方が検討されている。現在政府に置かれている審議会全体が検討対象になっているので,そういう意味では国語審議会も検討対象にはなっている。
 いずれ,来年には,中央省庁等改革推進本部の決定というものがあろうかと思うが,そういう中で扱いが決定されることになろうかと思う。

林田文化庁長官

 なぜああいう議論が行われているかについては,必ずしも御説明が行き届いていない面があるのかもしれないが,今の議論としては,政府が自分たちでもっと責任を持って決めていく必要があるのではないかというのが背景にあるだろうと思う。つまり,一般的な政策方針を決めていくについて,審議会が隠れ蓑(みの)的に使われているケースが多いのではないかという意識がかなり強くあったのではないだろうかと思うわけである。
 しかし,私どもとしては,この審議会の検討事項は国民生活に幅広くかかわる大事なことであるし,我々だけが限られた範囲で決めていくということは非常に問題が大きい事柄だろうと思っている。したがって,どんな形になるにしろ,このような形で審議が続けられるように最大限努力してみようと思っているし,もし仮に政府全体の方針としてそれが難しいような状態になったとしても,何らかの形で幅広い御意見を伺いながら決めていく作業ができる形が採られるように,――もちろん政府の方針の中でということになるけれども,私どもとしては最大限努力していきたいと思っているわけである。

徳川委員

 了解した。

井出委員

 21期から加えさせていただいている。第1委員会と言って,言葉遣いの委員会でワーキンググループその他を通じて作業に加わらせていただいた者である。先ほど平野委員からスタンスの問題について御発言があったが,そのことについては,私も,作業している間,それから終わった後も一番気になっていることである。20期の白い報告書の10ぺージから11ぺージにいわゆる「ら抜き言葉」のことが出ているが,20期の報告の後に,マスコミの報道によると,国語審議会が「ら抜き言葉」を容認しかねると言ったということが大分報道されたわけある。もちろん,ここをよく読めば,それは短絡的な言い方だということは分かるけれども,一般の人たち,また学校の関係の方が,国語審議会が言葉を取り締まるとか,基準を示すとか,そういうことを要求しているという一般的なとらえられ方があることは否めないと思う。
 しかし,21期においては,取り立てて議論する時間はなかったが,そういうことはできないという認識の下に仕事をしたわけである。したがって,先ほどの平野委員がおっしゃったような上からこうあるべきだというのではなく,国民の一人として言葉遣いを考えるときに,目安となる考え方を示したというスタンスをとったというのが結果である。こういうスタンスで書かれているので,マスコミでは,字体のようにはっきりとした形で,これはいい,これは悪いと言えるものについて反響があったわけであるが,言葉遣いについて書かれたものは「ら抜き言葉」のような批判の対象になるものはどこを探してもないので,マスコミから無視されたような状態であったわけである。果たしてこれでよかったのか,教育関係者たちが不満に思っていらっしゃったのかどうかということも含めて,それこそスタンスそのものを議論しつつ,これからの三つ,特に言葉遣いと国際化の問題を扱う委員会では,そこが一番大事なポイントで,そこからスタートすべきであったと反省を込めて思っている。

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