国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 第1委員会における審議状況について

清水会長

 続いて,本日の議事に入りたいと思う。今,御紹介があったように,第1委員会から第3委員会までそれぞれ2回の委員会を開いて,議論を進めていただいている。その御報告をちょうだいして,総会としていろいろ御発言,御質疑をいただければ有り難いと思うので,どうぞよろしくお願い申し上げる。
 第1委員会は,先ほど御紹介があったように,徳川委員に主査としてお願いをしてあるので,徳川委員から第1委員会の審議状況についての御報告をいただきたいと思う。どうぞよろしくお願いする。

徳川(第1委員会)主査

 それでは,御指名により第1委員会の論議の概要を御報告申し上げる。
 資料1を用意してあるが,それに先立って,初めに,なぜ国語審議会が敬語を議論するようになったかについて,今期から御参加の委員も多いと思われるので,御説明申し上げる。
 国語審議会は,昭和27年(1952年)に敬語についての建議「これからの敬語」を出した。四十何年も前のことである。これは民主主義の高揚期に決められたもので,それまでの上下関係に根ざした煩雑な敬語をやめて,相互尊敬の立場に立った簡素な敬語を使うことを提唱したものであった。その後の国語審議会は主に表記の問題を審議してきて,敬語は扱ってこなかった。期を重ねて19期になった時に,現代の国語をめぐる諸問題全体を見渡して,今日の現実に即した敬語の在り方について検討が必要であるということが報告されたのである。それを受けて,20期,21期,殊に21期の場合は特別の委員会を設けて議論してまいった。
 現代社会の状況の変化とともに,敬語に対する国民の意識が変化して,それが実際の使い方にも反映されている。それは,とらえ方によっては「言葉の乱れ」というふうにも受け取られるようになり,今後の言葉遣い,敬語の在り方が気になってきて,何らかの方向付けをしてほしいという世論が沸き上がってきた。国語審議会はそこを踏まえてやっているわけで,21世紀,将来に向けて何か発言したいと考えているわけである。
 第1委員会としては,先ほど御紹介があったように,2回の会合を開いたが,新しく加わられた委員も多いので,そこで審議のかぎとなるような幾つかの概念について,殊に21期を中心に議論してきたことを復習しながら,更に議論を重ねてきたわけである。
 そこで,お手元にある資料1であるが,3枚ほどになっている。これは論議をしてまいったことをまとめてあるものであるけれども,一応読み上げて,御理解をいただくようにしたいと考えている。
 「第22期の審議について」ということであるが,今期どのように審議を進めていくかということを議論する前に,まずは21期の審議経過報告を復習する必要があるという御意見が出された。今までの流れを尊重しつつ,再吟味を加えて審議を続ける。前期の報告は審議経過報告であるから,当然議論を更に掘り下げるべき問題が残っている。
 先ほどもちょっと申したように,今期の審議は,21世紀に向けて,敬語について具体的な指針を出すということを目指したい。
 次に,「現状認識の必要性」であるが,これからの時代にふさわしい敬語を論ずるためには,現状認識に基づくことが大切である。そのためには世論調査が有効である。世論調査のことについては,後の議題のどこかに出てくるのかもしれない。配布資料4などがその例であるが,そのほかに,国立国語研究所の調査報告なども参考にしたい。敬語について,今問題になっている事柄を出し尽くしたい。
 21期における審議経過報告には,「敬意表現」という余り耳慣れない言葉を取り上げている。その「「敬意表現」という言い方」についてであるが,21期で敬語と言葉遣いについて広い視野から見渡し,「コミュニケーションを円滑にする」ための言語表現について考えた。コミュニケーションを円滑にするためには,「鉛筆を貸してくれないか」のように敬語を使わない場合でも,「申し訳ないんだけど」とか「書くものを忘れたので」などの言葉を添える配慮が行われるが,このような配慮の表現は従来敬語を論ずるときには対象から落ちていた。そこで,そういうものも視野に入れていこうという考え方が21期にあったわけである。

徳川(第1委員会)主査

 本文に戻る。また,日本の敬語は従来上位者に対して使うもので,弱者という言葉が適当かどうか分からないが,病気の人とか年配の人などは対象外である。21期の報告では,敬意表現の中に上位者に対する「下位者への優しい配慮の表現」もあるとしているが,これなどは従来の敬語とは違う観点である。このように,従来の敬語だけでは配慮にかかわる様々な表現をすくい上げることができないため,新しい器が必要となり,「敬意表現」という言い方を採用したわけである。
 具体的に,「敬意表現」という言い方の適否については前期でも議論があったところだが,敬う意味合いが強く感じられ,また,地位などの上下という概念が入るので今の時代と合わないのではないかという問題が残る。現代の敬語は上下以外に親疎やウチソトなども影響している。前期には「丁寧表現」としたらどうかという提案,あるいは「配慮表現」ではどうかという意見もあった。
 国語学,言語学,あるいは日本語教育などの分野では,「待遇表現」という言葉を使っている。これがいいんじゃないかという声もあったが,ただ,一般の人にはなじまないようである。
 気配りは日本独特ではなく,グローバルなものである。欧米でもポリティカルコレクトネスというようなことが言われ,性差別等を避けるようにしている。様々な配慮の表現は国際化時代における日本人の言語運用能力の問題ともかかわってくる。
 敬語は配慮や気配りと関係ないところでも使う。ちょっと補足すると,礼儀作法として使うとか,相手との距離をとるために使う。それも広い意味では配慮と気配りかもしれないが,そういうことでTPOにいかに対応した表現を使うかということである。
 「敬語」という言葉があるが,それは「敬う」という字が付いている。その「「敬意」と「敬語」との関係」はどうか。
 現代の敬語は知らない人と距離をとるために使うことが多く,その場合は尊敬(・謙譲)の原義から外れるのではないか。前期にも,尊敬語・謙譲語・丁寧語などの言い方そのものが現代の用法から見て不適切ではないかという議論があった。
 敬語を悪用することもある。しかし,敬語の働きをそこまで予想して広げて考える必要はなかろう。善意というスタンスにとどまってよいのではないか。敬語を使って相手に接近して,何か悪いことをたくらむとか,そういうようなこともあり得るというようなお話が出たかと思う。
 「21世紀に敬語は必要なのか」という見出しの下に,○で掲げられた個々の御意見がある。


 今の世の中では,人々の対等意識が強くなり,上下関係を中心とする敬語が廃れている。上下関係を意識させるのが敬語だとすれば,敬語はない方が良いという考え方をする向きもあろう。
 会社などでは,上の者が下の者との距離を近づけようとしている風潮がある。そのためだろうか,若い人は敬語を使うべきところとそうでないところの区別が分かっていないようだ。
 もしかすると,敬語は商売のとき,客に対して使うという形で残るのではないか。

 この辺は,現代の流れというのはどうなっているのかということに関する問題である。
 次に,「敬意表現の目的は「コミュニケーションを円滑にする」だけか」について。


 敬意表現の目的が,コミュニケーションを円滑にするということだけであるとすると,相手に失礼にならないように,傷つけないようにという多少ネガティブな感じになる。しかし,例えば「春らしいスカーフですね」のように積極的に発言して相手を喜ばせるのも敬意表現の一面である。良い人間関係を作るための言葉遣いとして,前向きに考えていきたい。
 円滑なコミュニケーションには敬語が必要とは限らず,かえって仲間内では「タメぐち」の方が有効なこともある。「タメぐち」というのは無敬語表現ということで,仲間内で敬語を使うのは,かえって円滑なコミュニケーションにならない場合があるということである。
 一方で,敬語は組織内の人間関係を円滑にする。後輩たちが尊敬語・謙譲語をきちんと使ってくれると気持ちが良い。

徳川(第1委員会)主査

 「学校現場における敬語」について

 中学校では先輩に対して敬語を使う習慣があり,先輩は怖い存在であった。そのため,最近は先輩がそのような存在にならないよう指導している。
 私の学校では,平等意識で敬語を使わない教員が多い。また,生徒が先生に対して友達言葉で話し掛けても,平気だというふうにしている方が生徒との関係がうまくいくと思っている教員も多い。しかし,社会に出るとやはり上下関係がある。その時困らないように知識を与えるべきである。
 若い人は文学作品を読まず,また,周りに年寄りがいないため,尊敬語・謙譲語を見聞きするチャンスに恵まれていない。これからの子供たちが敬語を使える大人に育つべきだということであれば,それなりの工夫が必要になる。

 最後に,「多様性と個人の選択」として,次のような御意見があった。


 前期の経過報告で,現実に世の中で行われている敬意表現の多様性を認め,その中から適切なものを選択するのは個人の判断にゆだねられているとしたことについて,「多様の中から選択するのは大変だ」という意見もあるが,一つに決めず,選択できる方が良い。
 ガイドラインを出すときは,例えば年配者と若い人とでは敬語表現の基準が違うらしいので,それぞれの年代に応じて,複数のものを用意してはどうか。スタンダードは一つではなかろう。

 限られた時間の中で概要を御説明申し上げた。○が付いているのは,ある特定の方の言葉をそのまま示しているのではなくて,場合によってはお二方の御発言を統合しているものもある。それから,実はもっと大事なことがあったのに抜け落ちているところもあろうかと思う。第1委員会の先生方に必要なら補足していただければと思っている。
 論議の概要ということで御報告申し上げた。

清水会長

 第1委員会の委員の先生方も,今,主査からお話があったように,ただ今の御報告の趣旨についての補足等があれば,御自由に発言していただきたい。また総会であるので,この委員会に御出席でない先生方は,どうぞ御質疑等いただきたいと思うので,よろしくお願いする。

井出委員

 清水会長と目が合ったので,今,ちょっと頭の中にあることを1点だけ申させていただきたいと思う。
 2ぺージの「21世紀に敬語は必要なのか」というところに三つ○があって,これをお聞きになった皆様がちょっと首をかしげていらっしゃるのではないかと思って補足させていただく。第1委員会で話し合っていることをまとめたこの文章は,「〜向きもあろう」とか,「〜分かっていないようだ」とか,「〜ではないか」とか,全部反語的なニュアンスを残した言い方をしているが,最も若い中島みゆき委員も「社会に出たら敬語は必要である」と発言なさっていらっしゃるように第1委員会では敬語の存在意義を認識していると思う。したがってこの反語的な表現の余韻をしっかり読んでいただかないと,言葉じりで誤解を受けるのではないか。老婆心的な書き方をしているというふうにお読み込みいただければ,正確なところが伝わるのではないか。そういうふうに補足させていただきたいと,思う。

徳川(第1委員会)主査

 ただ,敬語というものはどういうものだというふうに受け取るか。明治の敬語が最も正しいとすると,大正は崩れ始め,昭和はもっと変になった。あの明治の敬語が必要か。もしそうだとすれば,21世紀は,本日の報告にも気配りなどはグローバルなものであるという言葉もあるように,敬語が全くなくなってしまうということはないに決まっているとは思うが,どういうものが残るのかという辺りが検討の課題だろうと思っている。結論みたいなことを言ってはいけないとは思うが…。

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