国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 審議状況2

井出(第1委員会)主査

 丁子委員,組織の中にいらっしゃる方として,この点についてはいかがでいらっしゃるか。

丁子委員

 山口委員の御意見もなるほどと思うけれども,ここに書いてあるのは一番分かりやすい例じゃないかという感じがして,一つの例としていいのではないかと私は思っている。

井出(第1)主査

 一時,これが「ファイルしておいて」じゃなくて,「しといて」という例であった。それでは丁寧さが足りないということで,「しておいて」に直したわけである。これはかつては上司と秘書との間,全く同じレベルの使い方の例も出していたことがあるが,委員のお一人から,「これは現実に起こっていることと違うよ。」というコメントもあって,こういう例になったという経緯もある。
 何か御意見があったらお願いする。

小林(第2委員会)副主査

 山口委員が御指摘くださった11ぺージの「上司,部下」というところについては,私もざっと読んだ時に大変気になったところである。相互尊重という考え方をとるならば,こういうところの記述の仕方として,「上,下」というような言葉が入るような用語を使う説明の仕方は避けるべきではないかというような気持ちが,読んだ時に直観的にした。「上司と部下」と言うと,つまり「上,下」という言葉が入ってくると,どうしても従来型の上下関係,身分関係という影が付きまとうような印象が出てくるということを,私も読んだ時に思ったということをお伝えしたいと思う。

清水会長

 ほかに御意見はあるか。

浮川委員

 前回やその前と同じように感じる部分がどうしてもあって,また,あえて申し上げさせていただく。これを答申の案として最初から全体を拝見したところ,2点気になることがある。
 一つは,ここで非常に重要な言葉の乱れということに対して,こういう答申をされるということについては,皆さんの努力によってこれがなされているということはもちろん重々知っているけれども,一つ申し上げるとすれば,この答申の根拠としての調査が余りにもなされていないんじゃないかということがすごく気になる。
 この中で,今,こういう状態ではなかろうかとか,そういう状態であるというような記述の中で,4ぺージの下の方に,世論調査の平成何年によればというのが一つあるが,そういう何かの調査によれば何割であったというようなことが,この中に重要な項目がたくさんあるにもかかわらず,せいぜい4か所出てくるだけなのである。例えば若者言葉云々(うんぬん)であるとか,この答申の中にもっともっと深い,現状がどうであるということをもっと調査しなければ,結論など出ないようなことが非常にたくさんあるようにどうしても感じる。
 例えば,先ほどの上司と部下の云々ということもあるし,また,男性言葉,女性言葉に対しても,多くの一般の人たちがどのように感じているか。ここにアンケートがあって,これは前後どういうことのアンケートの中の一つの言葉か分からないが,例えば,アンケートの一つで「男女平等社会を目指している中でどうですか。」的なことを聞けば,この結果とは全然違う結果が出るように思う。したがって,もしもこのような調査を継続的にできるチャンスがあれば,こういうものを答申するにはそれなりの調査に基づくべきであろう。国勢調査から始まって,国の状態を調べる多くの調査があると思うけれども,国語審議会という,国語の教育から始まり,コンビュータ機器に至るまで,これから非常に大きな影響を与える最初のきっかけを作るとすれば,その辺りは非常に気になるところである。
 もう一つ,その観点とは変わるけれども,これをずっと拝見したところ,現代社会はどんどん複雑になってきているので,コンピュータ機器が入ったりとか,外国人が入ったりとか,いろいろな面で言葉が多様化していると書かれている。多様化し,なおかつ地方の方言までも認めましょうという非常に大きな状態を含みながら,しかし,そこではコミュニケーションが大切で,そのためには,敬意表現が円滑にコミュニケーションをとれる唯一の手段であるというふうに書かれているが,本当であろうか。もっとシンプルにしていった方がいいという議論はないであろうか。
 例えば5ぺージを見ると,相手や場面に応じた配慮に基づいて,相手に何かを伝えたいとか,社会が複雑になるから,相手に自分が考えていることをより正確にちゃんと伝えたい。そのためには,いろんな言葉の多様性を認め,相手や場面に応じて使い分けながら,自分の考えていることを正確に伝えないといけなくなってきている。社会が多様化しているから。そのためには敬意表現が必要だという結論に突然なっていると読めるところがあるが,本当にそうなのであろうか。つまり敬意表現ということをこれからより強化しましょうではなくて,どういう立場であっても,どういうふうに多様化した中でも,コミュニケーションや人と人との関係をより円滑にするには,言葉はシンプルにしていく方向を目指すべきじゃないかという議論はないであろうか。非常に大きなテーマであるけれども。

井出(第1委員会)主査

 最初の,調査を行っていないのではないかということについては,国立国語研究所の専門調査員の先生にお答えいただいた方がよろしいであろうか。それとも調査官の方がよろしいか。かなりの調査はしていて、載せなかったのは,紙面が長くなるのを避けているのであり,これの附帯説明として入れていけるものは大量に用意されてある。ちょっと説明していただけるか。

浅松主任国語調査官

 それでは,御説明する。
 文化庁では,平成7年度から毎年「国語に関する世論調査」を実施しており,その中で,その時々に国語審議会で議論されている事柄に関連した項目について3000人の方に聞いている。それで,今回は引用は三,四箇所であったけれども,そのバックデータとしてそれなりに持っているということを申し上げさせていただく。

井出(第1委員会)主査

 その資料は,国立国語研究所の方で,この3月であったか,「問題別分析報告書」としてまとめ上げてくださり,それには正にこういうことを書いていく上で必要な項目に関する結果が出ている。それをいつもにらみつつ,それから,ワーキンググループに杉戸専門調査員にお入りいただいて,このようにまとめたものである。
 第2点は大変大きな問題だと思うが,どなたかお答えいただけるであろうか。第1委員会の牛島委員,上野委員,いかがか。シンプルにしなければいけないという議論はなかったのかということであるけれども。

上野委員

 いろいろ議論は出たと思うけれども,言葉というのは一朝一夕に変えようとして変わるものではないということが一つある。
 ここで議論したのは,つまり過不足なくということが主査の報告の中に出てきていたと思うが,つまり私たちが言葉遣いをするときにはいろいろな条件が周りにあって,その条件に見合った過不足ない表現を選んでいくということが,相手に的確な情報の伝達をする上で大変重要であり,また自分を表す表現という意味においても大事だということで議論してきた。シンプルとおっしゃったけれども,一言でシンプルと言っても,どういうことがシンプルなのかということが非常に大きな問題となるということは浮川委員もお感じになっていらっしゃると思う。そのシンプルということを,我々は,立場であるとか,相手との関係であるとかにおいて過不足のない,つまり言葉の用い過ぎも必要はないけれども,足りなければまた情報の伝達に支障が出るというような,そういう視点で事を進めてきたように私自身は解釈している。

浮川委員

 基本的に敬意表現をしようとすると,相手の立場とか,そういうことを理解してやりなさいということが絶対必要となると思う。ところが,多様化するということは,相手の立場を理解する,相手がどういう立場であるかということ,切りロとか,いろいろなものが多様化して,どんどん複雑になっていくということなのである。相手がどういう立場の人であるかというのは,従来は年齢で、例えば年が上であればどういう人であろうが敬語を使えばシンプルで良かったけれども,社会が多様化していることを大前提に議論をするのであれば,相手の人がどういう立場であるかを理解して,それに的確な言葉を選択すると言っても,それがいかに難しいことになっていくのか。社会がもっとこういう方向で多様化するということは,それを教育の現場やいろいろなところにこれから進めていくのか。私はそれは非常に難しい議論をされているというふうにしか思わない。そうとしか見えないのである。

井出(第1委員会)主査

 先ほど私が説明したものが,9ぺージの「敬語と敬意表現」というところに書かれている。下から二つ目のパラグラフであるが,本を借りたいときに,「その本,貸してくれない↑」というのをまず最初に出しているわけである。これは今までの「敬語」という概念にはなかったものである。シンプルな形を例として出してきている。シンプルなものと,場合によっては「御本を貸していただけますか」というのと両方あるんだよということである。今までは「その本貸してくれない↑」といったものは敬語表現の中に入ってこなかったのではないか。当たり前のものを入れつつ,でも場合によっては変えていくんだよと。「その本貸してくれない↑」だけでどこでも通用すると思ったら,やはりコミュニケーションは円滑に行かないこともある。
 新しいことと言えば,「その本貸してくれない↑」というのを一番最初にまず持ってきた。浮川委員がこれをシンプルとおっしゃるかどうか分からないが,私どもはこういうシンプルなものをまず大事なものとして出した。ものを借りるときに,いきなり言って相手を怒らせないように「悪いけど」というのを入れてみる。これも簡単だけれども,ふだん私たちがやっていることじゃないか。相手の立場を読めなければいけないというのではなくて,円滑にするには,相手の立場をいつも思いやろう。それは大事なものとして残していきたいというもので,思いやるときに,別に「敬語」というものは使わなくてもいいんだよということを示したつもりである。
 これは大事なポイントであるし,国際化とのすみ分けということもあるので,私どもは,日本人の,日本語を使っている言葉遣いについての領域を考えさせていただいて,それで国際化の中での言葉遣いということもまた,日本人の言語能力として出てくるものかとは思う。

浮川委員

 私ばかり発言してちょっと申し訳ないけれども,今,井出主査もおっしゃったように,非常に重要なところであると思うので……。
 例えば,この「審議のまとめ案」の一番最初の方に,敬語の使い方や言葉遣いが乱れているというふうに多くの国民が感じていると書かれている。それは確かである。そして,若者はこういう言葉を使っている,マスコミはこうなっている,コンピュータやいろいろなものが入ってきて外来語が入ってというふうに言っているが,その認識が,従来,こうあるべし論に立っている感が非常に強い。そういうふうに教育されてきたから。私たちの世代もそうである。敬語はこう使うんだと小学校や中学校でも言われてきたし,そういう社会ではなかろうかと思ってきた人間なのであるけれども,今はそれではまずいと考えている人たちもいるはずである。
 そして,それに対して,先ほど言った多様化――一杯いろんな形が生じている。外国の方も来られている。例えば外国の方が,いろんな人がいるが,ちょっと乱暴な言葉,ちょっとぶっきらぼうな言い方をしても,直観的に,この人は外国人だから,初対面だけれども,私にどんなに乱暴な言い方をしても,何か命令するようなことを突然言っても,それはしようがないだろうと容認する。
 例えば一つの案であるが,多様化するのであれば,こうあるべし論というストライクゾーンというか,それをもっと広げていくような方策でコミュニケーションが円滑になるという,そういう認識を広げるという案はないものであろうか。
 今の議論でずっと感じていることは,敬意表現も含めて,よりこうあるべし――先ほど変えようとしているわけではないと言われたが,恐らくここで出ていることは,今の実態をすべて100パーセント是認するのではなくて,ある方向観を出そうとしているのではないかというふうに私は感じている。その方向観が,狭めていってこうあるべし論で行くのか,社会はより多様化するのであるから,若者がそう言っても,それはそれなりに受け止めるべきではなかろうか,こういう表現もありますよ,こういう表現もありますよ,こんな言われ方をする場合もありますよ,でも,それは人にこういうことを言いたい表現なんですよというふうに,ストライクゾーンを広げていくような方向観はないであろうか。

井出(第1委員会)主査

 そのようなことを書いてある。先ほど私も説明の時に寛容に受け入れるべきだということを申したつもりであるが,それが聞こえてこないような文面であるなら,私どももまた再考しなければいけないと思う。13ぺージを御覧いただきたい。「敬意表現についての留意点」「基本的な留意点」の最後のパラグラフであるが,「他方,相手の用いる言葉遣いに対する寛容さも必要である。」――これは児童生徒や外国人の場合を言っているが,それでなくても,最後の方に「それぞれの相手の状況や立場を思いやり,寛容な態度で受け入れる姿勢が求められる。」と書いてある。
 例えば,今回の案には出ていないが,6月の総会でお示しした案には,若者が「いいっすよ」と言ったときに,若者が好意を持って言っているものであったら,それは自分の言語のレパートリー,ストライクゾーンに入らなくても,相手の気持ちも思いやって理解すべきだというくだりもあったかと思う。今回は紙面の都合で,長くなったので取ったが,そのようなことはストライクゾーンを広げたことと私どもは認識して書いているつもりである。いかかであろうか。

山口委員

 浮川委員のお考え方に私は基本的には大賛成であるけれども,こういう敬語の問題を考えるときには,簡素化をするか,伝統を守るかのどちらかの立場をとらざるを得ないわけである。そうして,どちらかの立場をとるというときに,浮川委員とか私たちの簡素化路線は敗れたのである。つまり簡素化の方向というよりは,伝統の方をできるだけ守っていこうじゃないかという方向で審議会は流れてきているわけである。敬語の問題は,突き詰めていくと,二つの対立する立場に分かれるものだと私は思う。私は簡素化がいいよ,いや,私は伝統を守る,――そのどちらかしか方向としてはないわけである。両方を折衷することは非常に難しい。であるから,私は第1委員会の行き方を認めて,それでもできるだけ。国際化・多様化に合わせられるような文面に改良していく努力をする。それ以外にないんじゃないか,そう思っていつもこの会議に出ている。
 以上,申し添えである。

浮川委員

 13ぺージに書かれていることはよく承知した。

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