国語施策・日本語教育

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次第・議事要録 審議状況3

松岡委員

 私は,敬意表現ということをこういう形で提唱するのが,敬語その他の言わば定型,そういうものの簡素化と抵触するものではないというふうに思っている。というのは,もしも完全に伝統固持あるいは維持で,それを強固にするということだったら,何もさんざん議論して「敬意表現」などという非常につらい言葉を用いるというか,それを提唱することはなかったと思う。「敬語をきちっとしましょう。」――その方がよっぽど簡単なわけである。
 それこそ,これだけ多様化したときに,だれに向かって,どういう敬語を使ったらいいかということの判断が日々難しくなっているわけである。そこで,それならばその場に応じて簡単に言おうよというのが,それこそ「これ貸してくれない↑」というもので,やはり相手への配慮,場への配慮ということで考えようじゃないかということである。私は「敬意表現」をこういう形で提唱し,言葉遣いとか,相手の尊重とか,定型の敬語を使いこなしていくというようなことか,シンプリファイすることと相反するとは思っていないのである。

牛島委員

 今,松岡委員がおっしゃったのは私がちょっと申し上げようと思っていたところなのであるけれども,そのとおりで,必ずしも伝統とシンプル化というようなことで議論したわけではなくて,長い間掛かって,敬意表現というのが敬語表現と違うところ,今期の第1委員会の出すべきところは,多様化された社会の中で,どのような形で幅を広げていくか。そういう点では,シンプルと言っても,ある程度相互尊重の立場に立っているし,上下関係というのも極力なくしたし,いろいろ国際化にも対応してまいったし,ある意味ではとても柔軟な形で,いろいろな形で言葉か使いやすくなるように,余りにお手本を示して,それをパターン化して,これか敬意表現だということをしないということでやってきているわけである。
 そういう点では,新しい時代に向けた,国際化社会に向けた日本語としての文化も大事にし,伝統ももちろん多少は入れ,乱れることも多少は考えて,できるだけ乱れないように,お勧め表現だけでなく,このような感じでやっていけば円滑なコミュニケーションができるのではないかという方向で,大変柔らかい方向で来たのではないかと思っている。
 そういうわけで,完全にシンプル化してしまうということもできないし,定型化もできないしという大変苦しい社会の多様化の中で考えた線が,約2年間掛かってここまで来たという感じである。第1委員会で本当に苦しんだ結論として,この辺りは余りはっきりし過きない方がいいんじやないかというところもあるし,お含みおきいただければ有り難い。主査もいろいろと御苦労いただき,また文化庁の国語課の方にもいろいろとお力添えいただいて,妥当な線に行ったのではないかなというふうに私は思っている。是非御理解いただければ有り難いと思う。

甲斐委員

 「敬意表現」という新しいとらえ方で,本当に新しい見方が出たというところを,私は高く評価したいと一方では思うが,9ぺージの下から11行目のところにこう書いてある。かつてのことについてであるが,「一方,「これからの敬語」は,敬語のみを扱っているが,本まとめ案では云々」と言って,「「敬意表現」として扱う次第である。」ということが書いてある。つまり,ここのところで言うと,本まとめ案というのは敬語プラス敬意表現という形が指摘されているわけである。
 18ぺージのところの「外国人に対する日本語教育」のところで見ていくと,1行目のところに「いわゆる敬語の枠組みにとどまらず,敬意表現という新しい観点からの教育が望まれる。」ということが書かれてある。問題は,「いわゆる敬語の枠組み」というもの,これは言葉という形における基本形,スタンダードなものだと思うのだけれども,例えば日本語教育で,「いわゆる敬語の枠組み」をどのように取り上げていくと良いのか。「敬意表現」という新しい観点は一杯書いてあるけれども,その枠組みの方か例示しか載っていない。
 これが上の(3)の「学校教育」のところに行くと,こう書いてある――「これまでは尊敬語・謙譲語・丁寧語と言ったいわゆる敬語が国語教育の中で取り上げられてきたが,これからは」とあるわけである。そうすると,尊敬・謙譲・丁寧というものは,この文面から言うと,かなり否定されている感じがあるけれども,例えば学校で国語という授業の中で敬意表現を教えるときに,物の見方,対人関係とか,そちらだけでよいのか,言葉遣いの基本的な形というのはどうなるのかという,そこの指摘を何か付け加えていただきたいというのが希望である。

井出(第1委員会)主査

 たくさんの御意見をいただいたので,また第1委員会に持っていって再度検討させていただくが,ただ,一つ誤解のないように申し上げておきたい。浮川委員,山口委員は,我々の簡素化,シンプルという考えは敗れたのである,伝統を守る方が採られたのであるというのは,絶対に第1委員会の意図するところではないので,それはお間違えのないように。もしもこれがそのように読めるのであれば,私どもの文章の書き方に問題があったわけで,私どもは,先ほど松岡委員,牛島委員が説明してくださったように,そういうことは考えていない。新しい世の中に合った,よりストライクゾーンの広いものを考えたつもりであるので,その点はよろしく御理解いただきたいと思う。

平野委員

 今,主査が結論的なことをおっしゃったのであるが,よろしいか。蛇足になるかと思うが,少し別の面から申し上げたい。
 私は第3委員会に属しているので,外国人との意思疎通と敬意表現というところに注目した。もう一つ,2回ぐらい前の総会の時に,第1委員会の中間報告に対して,コンピュータなど,特にEメールにおける言葉遣いのことをどうお考えになるか,たしか伺ったことがあったと思うので,そういう意味で情報機器の発達と言葉遣いというところにもちょっと注目してみたわけである。この二つとも,御議論の今日の日本語の多様化が最も直接的に表れているところだと思う。
 結局,外国人留学生と話したり,あるいはEメールを受け取って,時には怒りたくなるくらい違和感を感じるのは,敬語を使わないという場面である。なおかつ日本語として余りにもひどいなと思うのは,気が付いてみたら,ここで呼んでいらっしゃる「敬意表現」もないからということだと思う。ということで,私はやはりストライクゾーンは広げていると思うし,伝統と簡素化のどちらかを選んだということではないんじゃないかと思う。
 その上で一つ気が付くのは,情報機器の場合も外国人との会話の場合も,我々は受け取る側に回っているわけである。受け取る側に回って,敬語を使わないのは分かるけれども,敬意表現も使っていないということで違和感を感じているわけであるから,話す側の問題だけではない。実はこの問題は聞く側の問題としてもあるということだと思う。そのことがここでは十分に触れられていないのではないか。ということで,寛容にということをおっしゃっていて,その場合にも,外国人の日本語が変だったらもう一度聞き直しなさいというふうにおっしゃっているけれども,聞き直す前に,受け手として寛容に聞く。敬語も使われていないが,敬意表現も使われていないんだなという理解を持って,寛容に聞くということがまずあるんじゃないかと思うのである。
 ということで,あえて言えば,今日の日本語の多様化ということとして,もっと前の方で,外国人の日本語の問題,情報機器における日本語の問題を,話す側だけではなく,聞く側の立場にも配慮して触れられると,もうちょっといい表現になるのではないかと思うということである。

酒井委員

 第1委員会に所属しているが,井出主査にある意味で孤軍奮闘的なお答えをしていただいている。ここで我々が考えていることについてちょっと申し上げたいのは,簡素化と伝統保持,そんな二者択一で我々は論じてきたわけでは毛頭ないし,例えば簡素化ということであれば,日常のあいさつ言葉の中で,「おはよう」は「おはようございます」という丁寧な言葉になるが,「こんにちは」は「こんにちはでございます」とはだれも言わない。それから,「こんばんは」でも「こんばんはでございます」はない。ということで,日常会話の中でも,丁寧な言葉,相手の立場を尊重しながら合意を広げていくということは当然あり得るわけである。
 これからまだ第1委員会で論議していくけれども,一応答申という形で出していくときに,こうあった方が望ましいという形であって,必ずしも押し付けがましい提言というふうに私は考えていない。井出主査を中心に,第1委員会が苦労しながら検討する言葉遣いの範囲をいろいろ広げてきたのは,言葉の優しさと相手の態度,それから環境というか,そういうことを考慮しながら日本語の美しいところをこれから提言していこうとするためである。何も二者択一で勝った負けたという論議ではないということは,井出主査がはっきり決意表明されたので,私は心強く思っているけれども,主査だけではなくて第1委員会の考え方として,そんな勝った負けたという形で論議してきたのではないということだけは言っておかないと,何か第1委員会だけ孤立してしまうような感じがするので,これだけは申し上げておきたい。

山口委員

 すみません。ちょっと面白く言ってしまったもので,誤解を招いたようであるが,決して他意はない。でも,考えていくと,最大限相手への配慮をする方向をとるか,そういうのをできるだけ少なくする方向をとるか,その二つしかない。そういう意味で私は簡素化の方向が望みだったのだがという繰り言を申し上げてしまった。
 それから,勝った負けたというのは粗雑な言い方で,誤解を招いて本当に申し訳ない。

平野委員

 先ほどの発言の中に含めるつもりで忘れてしまったことだが,同じ情報機器と外国人との意思疎通のところ,出てくるのは6ぺージ,7ぺージ,16ぺージ辺りであるが,このところは実は余り内容のあることをおっしゃっていないように思う。ということで,私が最初の発言で申し上げたように,ここをもっと有効に利用する手があるのではないかということである。2回繰り返していらっしゃるけれども,余り内容はないのではないかと思われる。

清水会長

 受け手の方からという御意見であったけれども。

鳥飼委員

 時間がなくなってきたので,余り時間を取らないようにしたいと思うけれども,今の御意見に,私もちょっと感じていたので,一言だけ付け加えさせていただきたい。今の御議論を聞いていても思ったのであるけれども,敬意表現と丁寧な言葉遣いが何か面倒くさい,悪いものである,さっぱりしてしまった方がいいんだというのは,その必要はない。つまりどんな言語であっても丁寧な表現というのはあるわけだし,相手の立場を考えて物を言うというのは日本語だけの特殊事情ではない。ただ動いているということは事実なので,そういう現状を踏まえながら,しかし守るところは守るという,何か非常に難しいところをかなり苦労なさってまとめられたなという印象があるので,余り遠慮がちになることはない。それは,「日本語という言語としての丁寧な言葉遣いはこういうものですよ」ということを整理なさったということで,私は評価したいと思う。
 そういう意味では,外国人のところに関してももうちょっと整理して,何も外国人に分かりにくいから丁寧表現は省いてしまって,敬意表現はなくして,ばしばし言いましょうということではないはずなので,その辺はもうちょっと工夫していただけるといいかなと。
 でも,大筋,日本語の敬意表現の在り方というものを今までよりはかなり柔軟に,幅広く,しかし押さえるべきところは押さえたいというのが何かにじみ出ている感じがしたので,私はこれでよろしいのではないかと思う。

清水会長

 全体として,日本の文化と申すか,人間性を出すのがこれからの一つの役割なので,むしろそういった意味での言葉遣いという形で,いろいろな形で幅を広げたり,大変な御工夫をいただいていると思う。
 今日いただいた御意見は,第1委員会でもう一回御検討いただくけれども,この辺でそろそろまとめに入っていかなければならないので,その辺もお含みおきいただきながら,お願いをしたいと思う。
 それでは,ちょっと時間を取って恐縮であるけれども,第2委員会の方から御説明をいただき,御質疑をいただきたいと思う。

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