国語施策・日本語教育

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会議次第 かなづかい主査委員会審議経過報告および原案説明

「現代かなづかい」に関する主査委員長報告

(安藤 正次)

一、

 かなづかいに関する主査委員会の経過ならびに審議の結果を御報告申し上げます。
 まず申し上げるべきのは,本委員会の組織についてであります。本委員会は,はじめ,有光,時枝,山本,神保,金田一,清水,河合,井手,藤村,小幡,安藤の十一委員で組織されたのでありますが,その後さらに,東条,松坂,佐伯,石黒,岩淵,西尾,服部,宮川の八委員を加えまして,計十九名となりました。主査委員長は皆さまの御推薦によりまして,わたくしがその任に当ることになりました。
 委員会は,六月十一日を第一回といたしまして,九月のはじめまでに会合をかさねること十二回,慎重審議の末,ようやく成案を得ましたので,ここにこれを「現代かなづかい」と名づけて,御報告申し上げることと相成ったのであります。
本日これについて御報告申し上げるに当りまして,終始一貫,この仕事に御協力をたまわった委員各位をはじめ,幹事書記の方々の御労苦に対して,深い感謝の念を表せざるを得ません。御手もとにございます「現代かなづかい」の一編は,この御労苦の成果にほかならないのであります。


二、

 さて,次に申し上げたいのは,本委員会はかなづかいというものをどう考えたか,これが審議に当ってどういう態度をとったか,これが処理についてどういう方針をたてたかということであります。
 かなづかいの問題は,国語国字に関する他の諸問題と同じく明治初年以来の懸案であり,しかも未解決のままで今日に及んでいることは御承知の通りであります。国語審議会が今回この問題をとりあげて委員会に付託されるに至りましたのも,これが単に漢字の制限と不可分の関係をもっているということばかりからでなく,これが解決はまた,書き言葉の簡易化の一環として,教育上の負担の軽減,一般民衆の知能の向上に重要な関係をもち,ひいては,国語の改革という大きな問題にも影響を及ぼすがゆえと存ぜられるのであります。この意味において,本委員会もまた,この問題をとりあつかうに当っては,十分にかなづかいの本質を考慮いたしまして,一面には応急の処理を講じながらも,また他の一面においては,未来への展開に違算のないよう,国語の進運をたすけることのできるようにとの心がまえをたてた次第であります。
 まず,かなづかいというものにつきましては,国語をかなで書く場合の準則がかなづかいであると解する大体論は,おそらく何人も異存のないことと考えますが,その準則のもとづくところをいずれにおくかを古にもとめるか,今にもとめるかにおいて,諸家の意見はかならずしも一つに帰していないのであります。
 現在,学校の教科書などに採用されております,かなづかいは,復古かなづかいもしくは古典かなづかいとよばれておりますように,その準則のよりどころをいにしえにおいております。これは,平安朝の言文二途にわかれなかった時代の文献に見えているかな書きの実績をよりどころとして,帰納的にそれぞれの言葉を書く場合の準則をさだめたものであります。平安朝の言葉に関する限り,これが権威は十分に認められて然るべきのでありますが,さてこれが後代にまでその準則の力をおよぼしうべきかどうかは疑問であります。
 これより以前,奈良朝にもその時代の国語を象徴するかなづかいの存在していたことが帰納的に認められております。学者のいわゆる特殊かなづかいの如きは,ことに顕著なものでありますが,それも,言葉における音韻の識別とその消長を一つにしておりまして,その拘束の力は後代に及んでいないのであります。これが自然の理法であります。
 しかしながら,あるいはまた,平安朝のかなづかいは,当代におけるかなの弘通にともなって定着性をもつようになったばかりでなく,この時代のかな文化は遠く後世にその影響を及ぼしているから,それらの点から見て,今においてもなお,この時代のかなづかいは一般の準則として認められる資格をもつという説もあるかも知れません。しかし,平安朝はいかにもかな文学の盛であった時代にはちがいありませんが,それは社会のある階層においてであったといってもよいのであって,一般の社会人は,日記記録体の文章,尺牘往来体の文章あるいは漢詩文などに親しむことが多いというのが当時の実情であったと思われますが,こういう各種文体の対立とわが国字が元来複国字制で,漢字で書いてもよく,かなで書いてもよく,そのかなも平がな片かなのいずれでもよいことになっているのと相まって,かなづかいに定着性を与えるような余裕はなかったことゝ考えられます。むしろそいう次第から,書かれた字面と語られる言葉とは常に遊離した状態におかれたので,それゆえにこそついに言文相わかれることにもなったのであります。鎌倉時代の普通に定家かなづかいといわれている「行阿仮名文字遺」のできた由来をたずね,またその内容をしらべてみましても,平安朝のかなづかいがこういう王朝文学の勢力圏内にある人々の間にすら,その規範の力をもち得なかったことが知られます。
 さらにまた,このかなづかいの実体が,江戸時代の国学者の研究によってはじめて明らかにされたことでも,これは裏書きされるのであります。
 しかしながら,その江戸時代においても,このかなづかいは,わずかに一部に学者の間に信奉者(実践者)をもっていたに過ぎないし,明治時代に入っては,これが学校の教科にとり入れられて久しきにわたること前に述べた通りでありますが,七十年の歳月を経ているにもかゝわらず,まだまだ,かなづかいは定着性をもつことができず,あいかわらず遊離の状態におかれております。
 以上のようないろいろの事実を,とり集めて考えてみますのに,わたくしどもは,現代の言葉をかなで書きあらわす場合の準則というものは,現実には何ももっていないといえると存じます。今までのかなづかいの準則と認められる,平安朝中期ごろまでの実績をよりどころとしたものは,これが言文二途にわかれた後までもずっと関係をもっているといたしましても,それは,文語の系統に属すべきものなのであります。したがって現代においても,文語の範囲では今までのかなづかいを認めてよいと存じますが,口語体のものにおいて,今までのかなづかいによるのは不合理であります。その不合理がいろいろの問題を生んで居ります。口語の世界にあっては,口語それ自身のうちに,かなで書く場合の準則がもとめられるべきものと信じます。それが合理的であります。そこで委員会では,現代社会の実情と要求とに応じまして,今までのかなづかいに対して現代文の口語体のものに適用されるべき新しいかなづかいを制定するのがその当を得たことと考えたのでありますが,この制定に当りまして,準則のよりどころを今にもとめ,現代語の音韻意識によって書きわけることを本体といたしましたことは申すまでもございません。これを現代かなづかいと名づけましたのもこの意味からであります。
 なお本委員会では,かなづかいの上に,字音国語の別を立てないことにいたしました。従来の字音かなづかいは,漢字の一字一字の字音を明らかにするのが主たる目的であるかに見られます。しかし,われわれの準則を見出そうとするのは,ひとしく国語としてうけとられるものについてであり,字音語を特に区別する必要がないからであります。
 またここに一言しておくべきことは除外例についてであります。この種の準則には,除外例を設けない方が,とりあつかいの上からも,体制の上からも都合がよいのではありますが,かなづかいのような問題は,冷やかな理論だけで片づけられるものではありません。そこには国民感情や書記習慣の顧慮されなければならぬものがあります。本かなづかいに認めてあります除外例のうちには,伝統的の書記習慣をしばらく存しておくという類のものがあり,まだ一般的の書記習慣とはならないが,まずこれをとりあげておくという類のものがあり,かならずしも一様ではありませんが,要するにこれは,そこにどれだけかの余裕を存して国民の総意に訴えるという意図に出でたものであります。その余裕は,要するに明日のための余裕であります。


三、

 次に申し上げるべきは表記に関する通則についてであります。
 表記に関する通則は,長音をあらわす場合,拗音をあらわす場合,促音をあらわす場合の三つであります。
 まず,長音をあらわすには,古くから,

  • 阿には
  • 伊にはヒ・またはヰ,
  • 宇にはフまたは
  • 江にはイ・またはヘ
  • 於にはフ・ウまたはヲ・

をつかっております。このかなづかいでは,

  • 阿にはア
  • 伊にはイ
  • 宇にはウ
  • 江にはエ
  • 於にはウ

を採用することにいたしました。これは主として伝統的の書記習慣を考慮したからであます。たゞし於の場合には,のほかにのつかわれたのもかなり古くからのことでありますから,を書くのを本則としましての使用をも認めることにいたした次第であります。
 なお,長音符というべきものにーがあります。これは外国語をかきあらわす場合などに多くつかわれて居りますが,これもある範囲には認めてもよいかと存ぜられます。こうして国民の選択にまつのも余裕をおくやり方であります。ーの使用も古くその例が無いのではありません。山槐記(中山忠親)治承二年正月十八日の条に
的懸
とあります。新井白石は東音譜に側線をつかっております。
送声
 なお,長音のうちで問題となるべきのは,エ列の長音の場合であります。この場合のものは国語ではまれであります。「遠」,「経営」のごときはエイ・ケイ・エイであるからその通りエイ・ケイ・エイとかくのを本体といたします。
 拗音につきましては,や,ゆ,よを右下に小さく書くことを本体といたしました。古くキァチォ,などの例もありますが,の方が普通であります。
 拗音のうちにはくゎぐゎ の類がありますが,これは,このかなづかいでは,に統一することにいたしました。
 促音をあらわすには,やはり普通の慣習に従いましてを右下に小さく書くことを本体といたしました。
 拗音促音を右下に小さく書くことが印刷その他の関係で不可能である場合も考慮されております。


四、

次に本案の細目にわたって御説明申し上げます。

(一) 全般的に音韻上の区別の失われているもの
第一 と書く。たゞし助詞のを除く。

 これは音韻上の区別の失われたものを一つにいたしたのであります。
 和行のは,現代においては,その音韻的特質を失いまして,阿行のと同じように発音されるのでありますから,これをに統一することにいたしました。たゞ助詞のは,一方では古くからの書記習慣を顧慮するという点から,一方では特に助詞専用のかなとして使うのに他にまぎれるおそれがないという点から,これを存しておくことにいたしました。

(二) 地域的に音韻上の区別の失われているもの
第二 くゎぐゎと書く。
第三 と書く。
(三) 音韻の変化
第四――第九

 これは,語中における波行音の問題であります。

  • 波行動詞の活用
  • 第六 ニ重母音  あらう  まう
  • 第九 ニ重母音  おおかみ おおい
  •  の除外
(四)長   音
第十――第二十

長音

(五)拗長音
第二十一――第三十三

宇列
宇列

乎列
乎列


五、

 以上で,一応現代かなづかいに関する御説明を終えたのでありますが,ここに終りにのぞみまして,本主査委員会の当局に対する切なる要望を申し添えておきます。
 前にも述べましたように,このかなづかいは,現代語をかなで書く場合の準則たるべきことを期したものでありまして,これが幸いに本総会の御賛同を得,広く世に行なわれることになりますれば,書き言葉の簡易化に資することの多きはもちろん,教育上の負担の軽減,社会民衆の知能の向上に多大の影響を及ぼすことは,わたくしどもの深く信じて疑わざるところでありますが,わたくしどもは,さらにこの新しいかなづかいの制定を機として,このかなづかいに定着性を与え,これをりつぱな現代かなづかいにもり立てゝ行くことを念願するものであります。現代かなづかいはその準則のよりどころを現代語音にもとめているのであります。示されている準則は簡単であり,ほとんど迷うところがないといえます。しかし,その簡単なもの,迷なしと思わるもの,かならずしも常にその通りにはなりません。現代語の教育を高め,現代語の認識を強めるの要はここにあるのでありますが,うらむらくは,現下のわが国における現代語の調査研究はきわめて貧弱であります。広くこれを国語政策の立場からみましても国語教育の実際からみましてもこれを今日のままに放任しておくのは文化国家の恥辱であります。標準語制定という大きな問題をはじめ各種の考査を要する問題が山積いたして居ります。それらの問題の基礎となるべき調査研究はゆるがせにすべきではありません。わたくしは端的に申し上げます。わたくしどもは,政府当局が速やかに有力な現代語の調査研究機関の設立に着手されることを要望するのであります。しかもこれは綜合的の体制を備えたものでなければならないと存じます。これが根本の問題であります。以下申し述べる事がらは,これからみますれば枝葉のことでありますが,これまた急を要する意味において申しそえることにいたします。
 その一つは,現代かなづかいは,文法体系に関係をもつことが少くないのでありますから,従来の口語文法の改訂について応急の処置を講ぜられたいこと。
 その二つには,外国語をかなで書く場合の準則はこれに含まれていませんから,それについては別途委員会を設けて然るべく制定の方法を講ぜられたいこと。すでに国語になりきつている外来語が,現代かなづかいによるべきことはいうまでもありません。
 その三つは,送りがな法,わかち書き法,句読法などの制定もまた閑却されるべきでないこと等であります。

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