国語施策・日本語教育

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会議次第 開会のあいさつ

会長あいさつ要旨

 わたくしは,今回乏しきをもって本会の会長の職をけがすこととなりました。この機会に所懐の一端を申し述べて,各位の御批判を仰ぎたいと思います。
 いったい,文部省における国語調査ないし国語審議はずいぶん長い歴史を持っております。明治35年に国語調査委員会ができてから,45年になり,昭和9年にこの国語審議会ができてからでも,すでに10年以上経っております。この間いろいろの問題について調査され,また審議されましてあるものは解決されたと見てよいものもありますが,概して申せば大部分はまだ未解決のままに残されていると申すべきであります。これは誠に遺憾なことでありますが,事実であります。その原因はいろいろあると思いますが,要するにまだ時勢がそこまでいたっておらなかったためであると考えられるのであります。しかしながら,今日は世の中がまったく一変したのであります。また国民の考え方も,まったく変ってきております。昨年終戦以来,民主国家・文化国家の建設ということは世界に対する公約であり,わが不動の国是であります。この時に当って,国家再建の前提をなす国語問題の解決は,われわれとして,どうしても等閑に付しておくことはできないのであります。
 本年3月,わたくしの文部大臣就任中のことでありますが,米国からわが国に教育使節団が来朝し,教育問題について,種々意見の交換を行い,かつ適切なる忠言をうけたのでありますが,この時も国語問題,ことにわが国の文字改革の問題について,かれらがなみなみならぬ関心を抱き,かつ根本的の改革意見を持っていることを知り得たのであります。かれらがわが国を去るにのぞんで残した報告書の中にも,それは記されているところであります。
 われわれとしては,これら内外の必要,ないし要請に対して答えることを怠ってはならないと思います。これは実に容易ならぬことではありますが,国語問題の解決なくしては民主国家の建設も,文化国家の実現もあり得ないと信ずるからであります。
 世に国語の伝統尊重を説くものがあります。これはきわめて当然なことであります。言語の本質は歴史的,社会的事実であり,文化的事実であるという点にあります。それぞれの民族に歴史があると同時に,その民族と成長をともにしてきた国語にもまた歴史があります。国民から国語を奪い取ることは民族精神を否認することであり,また人間性を喪失せしめることであります。これはとりも直さず一国の文化を根本から破壊するものであり国を滅ぼすものであります。われわれはかようなことは考えることはできないのであります。
 また世には国語の合理化を説くものがあります。これもまたきわめて当然なことであります。もともと古代支那文化尊重の上に立っているわが国の言語文字の組織が,今後そのまま引き継がれて行くということは,不可能であります。世界の進運におくれないためには,大改革は避け難いことと信じます。ここに文体の統一といい,漢語の整理といい,漢字の制限というような問題が起ってくるのであります。われわれはこれらの問題の解決がわが国の立ちなおりのために,急を要することを認識すべきであります。
 この二つの考え方は,わたくしのみるところをもってすれば決して背反するのではないと信じております。いな,むしろ国語の伝統尊重は,国語の合理化の上にはじめてなり立つものであり,国語の合理化は国語の伝統を無視してはなり立たぬものと考えるのであります。わたくしは今後かような考えをもって本会の指導と運営に当りたいと考えているのであります。
 わが国は,今すべてを一新すべき時を迎えております。国語問題の解決もこの機会をのがしてはならないといわれております。すべての改革にはつねに勇気と決断とが必要であることはもちろんであるが,さりとていたずらに功を急いではならないのであります。どこまでも慎重に国語と国民感情にそむかぬような解決を求めるべきであります。
 わたくしは国民が奮起して,わが国の建設に力をあわせる今日において,ことばや文字の簡易化をはかりその実現に努力することは,民衆の教養を高めるためにも国語を真に国民のものたらしめるためにも,まことにやりがいのある仕事であると信じております。しかしながら,わたくしはこの問題の解決が決して容易なものでないということも,よく承知しております。各位の御援助と御協力を得ずしては一歩も進むことはできないと思っております。どうか格段のお助けをいただくよう切にお願いいたす次第であります。
 これをもってわたくしの就任の御あいさつといたします。


田中文部大臣あいさつ(省略)

安藤委員長報告

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