2019年10月28日
地下の正倉院展 -年号と木簡-
奈良文化財研究所企画調整部展示企画室 アソシエイトフェロー 藤田 友香里
平城宮跡資料館では,秋期特別展として恒例の「地下の正倉院展」を開催します。
本年は5月1日に天皇陛下が即位され,それにともない新しい元号「令和」が施行されました。典拠が漢籍ではなく,『万葉集』であったことも大きな話題となりました。そこで今年度は,年号が記された木簡を御覧いただく展示を企画しました。
年号は,西暦701年の「大宝」から現在まで,途切れることなく連続して使われており,奈良時代は年号の本格的な使用が始まって間もない時代といえます。年号の使用は,中国の思想や制度に基づくもので,当時の改元は,めでたい亀や雲といった具体的なモノやコトを契機として,天皇の代始め以外でもおこなわれました。
日本で最も古い年号は「大化」とされています。『日本書紀』には,他に「白雉」「朱鳥」という年号が現れますが,これらの年号の使用範囲は限定的であったとみられ,木簡に年を記す際には年号ではなく干支が用いられました。
若狭国からの塩の荷札
こちらは,若狭国(今の福井県西部)から藤原京へ送られた塩の荷札。冒頭の「庚子年」は,西暦七〇〇年で「大宝」が定められる前年にあたります。
このように「大宝」以前は干支が使用されましたが,大宝令に,公文に年を記す際は年号を用いよとの規定がある通り,大宝元年を境に,干支年から年号へと表記が変化します。
習書木簡
こちらは習書木簡で,1~2行目には「池」の字と『千字文』の冒頭部分を記し,3行目に霊亀二年三月の年紀を記しています。記されている年号「霊亀」は,左京の人高田久比麻呂が献上した瑞亀にちなんで名付けられたもの。
このように,奈良時代の年号は祥瑞にちなんで名付けられたものが多くあります。祥瑞が改元のきっかけでなくなったのは,桓武天皇即位翌年の「延暦」から。延暦以降,「大同」「弘仁」「天長」と抽象的な年号が続くことから,延暦が年号の歴史の転換点であると言われています。
今回の展示では,3期通じて実物の木簡を75点展示いたします。奈良時代の年号にはどのようなものがあったのか,そこにはどういった背景があったのか,思いを巡らせていただければ幸いです。
皆さまの御来館をお待ちしております。
奈良文化財研究所平城宮跡資料館
(住所)〒630-8577 奈良県奈良市二条町2-9-1
- 問合せ
- 0742-30-6753 (奈良文化財研究所連携推進課)
- 交通
- 近鉄奈良線大和西大寺駅北口より東へ徒歩10分
- 開館時間
- 9:00~16:30(入館は16:00まで)
- 休館日
- 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)
- 観覧料
- 無料
- ホームページ
- 奈良文化財研究所平城宮跡資料館ウェブサイト