2020年7月22日
奈良時代の疫病対策
奈良文化財研究所 企画調整部 アソシエイトフェロー 藤田友香里
現在,私たちは新型コロナウイルス感染症という目に見えないウイルスと闘っていますが,奈良時代の人々も天然痘とみられる疫病と闘っていました。特に,天平9年(737)の大流行では,たくさんの死者がでたほか,時の権力者である藤原四兄弟(
発掘調査によって,古代の人々は,この災難に,まじないや人形,土馬などを用いて立ち向かったことがあきらかになっています。いま,新型コロナウイルス感染症と闘う私たちに,平城京から出土した遺物たちは,多くのことを語りかけてくれます。


呪符木簡(赤外線写真)
朱雀門の前を東西に走る二条大路の路面に掘られた長大なゴミ捨て穴からは,おびただしい量の土器や木簡などが見つかりました。
上の木簡には,「南山のふもとに,流れざる川あり。その中に一匹の大蛇あり。九つの頭を持ち,尾は一つ。唐鬼以外は食べない。朝に三千,暮れに八百。急急如律令。」といった内容が書かれています。唐鬼とは中国で疫病の原因と考えられていた瘧鬼を指すとみられ,九頭の蛇に瘧鬼をたくさん食べてもらおうと願いを込めた呪符と考えられます。

土馬

人形
ゴミ捨て穴からは,呪符木簡のほかにも様々な祭祀具が出土しています。
人の形をした木製の人形は,自分の身代わりとして穢れや病気をうつしたと考えられています。土で作った焼きものである土馬は,脚が折れた状態でみつかることが多いことから,この馬は病気をもたらす疫病神の乗り物で,疫病神が病気を広めないように,わざと脚を折って水に流したという説があります。
また,人面墨書土器を用いた祭祀も流行します。これは,墨で人の顔が描かれた土器の中に息を吹き入れて水に流す祭祀ですが,その土器は平城宮内からはほとんど出土しません。しかし,平城京では下級官人や商人などが多く住んだエリアでたくさん出土します。このことから,人面墨書土器による祭祀は,一般庶民の間で流行した疫病対策だったと考えられます。
このように,出土した遺物たちは,身分に関わらず,奈良時代の人々が何とかして疫病に打ち勝とうとした様子を表しています。
いま,江戸時代の妖怪「アマビエ」が注目されていますが,呪符木簡,人形,土馬,人面墨書土器は奈良時代のアマビエといえるのではないでしょうか。
奈良文化財研究所平城宮跡資料館
(住所)〒630-8577 奈良県奈良市二条町2-9-1
夏期企画展
「奈良の都の考古学 -発掘された平城2019」
「古代のいのり -疫病退散! 」
会期:2020年7月23日(木・祝)~ 2020年8月30日(日)
- 問合せ
- 0742-30-6753(奈良文化財研究所連携推進課)
- 交通
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近鉄奈良線大和西大寺駅北口より東へ徒歩10分
- 開館時間
- 9:00~16:30(入館は閉館16:00まで)
- 休館日
- 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)
- 観覧料
- 無料
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