2017年4月25日
文化庁では,文化活動に優れた成果を示し,我が国の文化の振興に貢献された方々,又は,日本文化の海外発信,国際文化交流に貢献された方々に対し,その功績をたたえ長官が表彰しています。平成28年度は5名の方(本賞2名・文化発信部門3名)が表彰されました。そこで,「地域日本語教室からこんにちは!」では,5回にわたって受賞者のこれまでの日本語教育への関わりや思いを紹介します。今回は,公益財団法人中国残留孤児援護基金の小林悦夫常務理事・事務局長に執筆していただきました。
中国帰国者の日本語教育に携わって
小林 悦夫(こばやし えつお)
公益財団法人 中国残留孤児援護基金 常務理事・事務局長
今回の文化庁長官表彰は,私個人への形ではありますが,中国帰国者等の日本語教育に心血を注いできた多くの仲間たちの働きを評価してくださったものであり,私は代表して頂くのだと受けとめました。心からうれしく思い,有り難く感じます。
中国帰国者について
戦前には,旧満州地区(現在の中国東北部)の開拓団員をはじめ,多くの日本人が中国に住んでいましたが,戦況が厳しくなってくると青壮年男子のほとんどは軍に招集され,残るは老人婦女子という状態になっていました。終戦間際にソ連軍が侵攻してくると,鉄道沿線から遠く離れた開拓団員は大都市圏を目指して徒歩で逃避行を余儀なくされましたが,その過程で現地民の襲撃や飢餓,疲労,病気等により死者が続出する悲惨な状況となりました。多くの日本人は,戦後数年間のうちに引揚船により日本に引き揚げてきましたが,親と生別死別して中国人に引き取られた子供や,生きるために中国人に嫁いだ婦人は引揚げの機会を得ることができず,その後長い間中国に残ることとなりました。これが中国残留邦人(残留孤児,残留婦人)です。昭和47(1972)年の日中国交正常化を契機に残留邦人の調査と帰国が進められるようになり,1980年代に入って永住帰国者が急増することとなりました。そして,昭和59(1984年)に中国帰国者の帰国当初の研修(日本語指導,生活指導)を行うための「中国帰国孤児定着促進センター」(後に「中国帰国者定着促進センター」に改称)が埼玉県所沢市に開設されました。私は,その前の開設準備段階から,日本語研修プログラムの準備作業に携わってきました。
中国帰国者に対する日本語教育と私
それまで私は,中国の大学で2年間学生や教員に日本語を教え,帰国後は日本語専門学校で台湾や韓国等主にアジアの国々からの就学生・留学生に日本語を教えた経験がありましたが,中国帰国者とその家族は私が以前に教えたことがある人々とは全く違うタイプの学習者でした。
当時の中国と日本では,社会体制も生活水準も大きな差があり,中国の農村部から帰国した人々にとっては,日本への帰国はいきなり異質な世界に移動することに他なりませんでした。電話をしたことがない,電気掃除機や洗濯機等は使ったことも見たこともない,という人も少なくありませんでした。
それまでの日本語教育に関する知識,技能,経験が通用せず,そもそも「日本語教育とは」,「中国帰国者とは」,と根本から再び問い直しチャレンジする日々が始まりました。日本の「生活」への適応を図るため,社会体制や生活様式の違いのほか,各人の学習歴や年齢層等による学習や言語習得のポテンシャルの違いにも配慮しました。また,研修終了後の学習の継続を図るため定着地での生活・学習環境の改善に向けた働き掛けも大切なことと考えました。
中国帰国者に対する日本語教育の意義
中国帰国者に対する日本語教育は,中国帰国者定着促進センターや全国各地の多くの他の中国帰国者関連センター,帰国者向けの日本語教室のスタッフやボランティアの方々等,非常に多くの人たちが関わってきた事業です。その取組の中で無数のカリキュラム,学習活動,教材等が生み出されてきました。しかしそれだけではなく,これらの事業は中国帰国者と接する周囲の人々や地域のコミュニティー,行政をも巻き込み,言語・文化を異にする人々とのコミュニケーションや協働,共生の必要性に気付き,変えていこうとする趨勢(すうせい)を作る作用を及ぼしてきたと思います。その過程で,関係した人々や社会には,就職・給料の制度・認識の違い,コミュニケーションの摩擦,価値観の違いによる深刻な葛藤やストレスももたらされました。しかし,中国帰国者のような定住型の人々を受け入れ,共生を図ろうとするなら,またそのことに重要な参画者として加わるのであるなら,日本語教育も摩擦の場から逃れることはできないのだろうと思います。
近年,中国帰国者への日本語教育や生活支援は新たな局面を迎えつつあります。中国残留邦人のうち帰国を希望する人々のほとんどは既に帰国を果たし,帰国者一世の平均年齢は75歳を超えようとしています。さらに,中高年になってから帰国した一世の多くは,日本語能力が不十分で,高齢になりつつあります。そういった人たちは,介護を受ける段になって,意思疎通がうまくできず,介護サービスを利用できないという問題を抱えています。言葉の問題は,生活領域全てにわたって今もなお進行中です。私たちはまだまだ多くを学び,他の外国人等をこの国の生活者として受け入れていくための日本語教育の発展に努めていかなければならないと思います。