2021年1月29日
中国映画の熱い歴史
国立映画アーカイブ 主任研究員 大澤浄
今,中国映画は熱くうねっています。市場規模は世界第2位,やがて北米(アメリカとカナダ)を抜いて1位になると言われています。また「第六世代」のジャ・ジャンクー監督やその下の世代のビー・ガン監督などの作品は,世界の映画祭で高く評価されています。
しかし中国映画がここに至るまでの道のりは,決して平坦なものではありませんでした。それはもちろん,20世紀の中国の激動の歴史と関わりがあります。中国映画製作の中心地だった上海は,第一次上海事変(1931年)で日本軍の侵攻を受け,日中戦争(1937~45年)では占領され,多くの映画会社が活動を停止しました。そうした中でも映画製作は続けられ,不況下の若者たちをアメリカ映画的なタッチでコミカルに描いた『十字路』(沈西苓監督,1937年)や男装の美女・木蘭が侵略者に抵抗して武勲を立てる『木蘭従軍』(卜萬蒼監督,1939年)などが作られました。

『木蘭従軍』(卜萬蒼監督,1939年)
中華人民共和国が建国された(1949年)のちは,映画は民衆啓蒙のための重要なメディアとして国に管理され,その時々の政治的方針により,厳しい指導や批判を受けました。北京の一警察官の目を通して,清朝末期から新中国建国までの社会の移り変わりを描いた名作『私の一生』(1950年)に主演し,監督も務めた石揮は,1957年に起きた反右派闘争により,今までの創作活動を共産党から厳しく批判され,非業の自殺を遂げました(その後名誉回復されました)。また『未完成喜劇』(1957年)で共産党の映画指導方針を戯画化した呂班監督も同様に批判され,その後映画界に復帰することはありませんでした。中国で映画を作ることは,時に命がけの行為でもあったのです。

『私の一生』(石揮監督,1950年)ポスター
文化大革命(1966-76年)は,そうした苦難の中でも最大のものでした。あらゆる文化人や知識人は革命を後退させる存在として批判されてその地位を追われ,多くの若者が農村に送りこまれて苦しい生活を強いられました。その後中国は改革開放へと向かい,経済発展を遂げますが,文化大革命の残した傷跡は深く,その様子は『標識のない河の流れ』(呉天明監督,1978年)や『青春祭』(張暖忻監督,1985年)といった映画で描かれています。

『青春祭』(張暖忻監督,1985年)
そして1980年代,「第五世代」が登場します。青少年期に文化大革命を経験し,北京電影学院で外国の先進的な映画を多数観て互いに創作意欲を燃え上がらせた陳凱歌(『黄色い大地』1984年)や田壮壮(『狩り場の掟』1985年),張藝謀(『秋菊の物語』1992年)といった監督たちは,その個性的な作品で世界を驚かせ,今日の中国映画の高度な達成の礎を築いたのです。

『黄色い大地』(陳凱歌監督,1984年)
国立映画アーカイブが中国電影資料館と共同で開催する上映企画「中国映画の展開――サイレント期から第五世代まで」では,サイレント映画から第五世代の作品まで,メロドラマやアニメーション,舞台劇の映画化なども交え,多彩な29作品を上映します。それらには,その時々の中国社会のダイナミックな変動が,作り手の熱いエネルギーと共に映し出されています。中国映画の来し方を振り返る,またとない機会となるでしょう。
※2021年1月7日に発出された緊急事態宣言の基本的対処方針に基づき,1月14日以降の平日夜の回の上映を中止します。また,2月9日~14日に振替上映を行います。詳細は国立映画アーカイブのHPを御覧ください。
国立映画アーカイブ
(住所)〒104-0031 東京都中央区京橋3-7-6
- 問合せ
- 050-5541-8600(ハローダイヤル)
- 交通
-
東京メトロ 銀座線京橋駅下車 出口1から昭和通り方向へ徒歩1分 都営地下鉄 浅草線宝町駅下車 出口A4から中央通り方向へ徒歩1分 東京メトロ 有楽町線銀座一丁目下車 出口7より徒歩5分 JR東京駅下車 八重洲南口より徒歩10分
- 休館日
- 毎週月曜日,上映準備・展示替期間,年末年始
- 観覧料
-
長瀬記念ホール OZU,小ホール
・所蔵作品上映:一般520円,大学生・高校生・65歳以上310円,小・中学生100円
・特別上映,共催上映:観覧料はその都度別に定めます。
展示室:()内は20名以上の団体料金
・一般:250円(200円),大学生:130円(60円),65歳以上・高校生以下及び18歳未満:無料
※障害者手帳をお持ちの方と付添者1名まで,国立映画アーカイブのキャンパスメンバーズは無料です(特別上映・共催上映を除く)。 - ホームページ
-
国立映画アーカイブホームページ
https://www.nfaj.go.jp/