2015年1月9日
「噴飯もの」は,「腹立たしいこと」か
文化部国語課
「彼の発言は噴飯ものだ。」のように使われる「噴飯もの」。「国語に関する世論調査」では,「噴飯もの」を「腹立たしくて仕方ないこと」という意味で使う人が多いことが分かりました。しかし,この結果は,各辞書の意味の説明とはちょっと異なっているようです。「噴飯もの」という言葉の意味を確かめてみましょう。
- 問1
- 「噴飯もの」とは,本来どのような意味でしょうか。
- 答
- 笑いをこらえきれずに食べかけの飯を噴き出すという意味から,おかしくてたまらないことを言う言葉です。
まず,「噴飯」「噴飯もの」という言葉の意味を辞書で調べてみましょう。
「明鏡国語辞典 第2版」(平成22年・大修館書店)
ふんぱん【噴飯】[名・自サ変] あまりのばかばかしさに,思わず笑ってしまうこと。
「広辞苑 第6版」(平成20年・岩波書店)
ふんぱん【噴飯】おかしくてたまらず,口の中の飯をふき出すこと。ふきだして笑うこと。
「日本国語大辞典 第2版」(平成12年~13年・小学館)
ふんぱん-もの【噴飯物】[名] 食べかけの飯を思わずふき出してしまうような,おかしい事柄。他人の笑いものになるようなみっともない事柄。
このように,「噴飯」は,おかしさの余りに思わず口の中にある飯を噴き出して笑うことであり,「噴飯もの」はそういった笑いの対象になるような事柄を指す言葉です。辞書の記述の中で,腹立たしさや怒りの感情との関係に触れたものはありません。次の例を見てみましょう。
「いえ,なあ,おやっさん,ほんまにおやっさん,この男のようにおやっさんつかまえておやっさんおやっさんぬかしたら,そら,おやっさんかて困るやろとおもふのやが,おやっさん」「お前の方が,おやっさん多いやないか」「アハッ,ほんにおやっさん」「未だぬかしてけつかる」
一読,どうしてこんなバカバカしいことを,大真面目に考えているやつがあるかと云うことを考えて,更めて噴飯さずにはいられないだろう。
(正岡容「初代桂春団治研究」 昭和18年)
これは,落語家に関する評論の一部です。「バカバカしいことを,大真面目に考えている」ことを積極的に評価して,思わず出てしまう愉快な笑いとして「噴飯」が使われています。怒りには全く関係のない笑いとして読み取るべきでしょう。
また,幸田露伴,島崎藤村,国木田独歩,泉鏡花,林不忘などの小説には,ルビを付けて「噴飯」「噴飯す」といった表現をしている例が見られます。元々,「噴飯」は「思わず噴き出して笑う」ということを意味する言葉として使われていたことがうかがえます。
- 問2
- 「噴飯もの」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
- 答
- 本来の意味の「おかしくてたまらないこと」と答えた人が約2割であったのに対し,本来の意味ではない「腹立たしくて仕方ないこと」と答えた人は5割弱という結果でした。
平成24年度の「国語に関する世論調査」で,「噴飯もの」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)
- (ア)腹立たしくて仕方ないこと・・・・・・・ 49.0%
- (イ)おかしくてたまらないこと・・・・・・・ 19.7%
- (ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・ 1.1%
- (ア)と(イ)とは全く別の意味・・・・・・・ 2.8%
- 分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27.4%
[年代別グラフ](%)

全体の調査結果を見ると,本来の意味ではない(ア)「腹立たしくて仕方ないこと」を選んだ人の割合が49.0%で,本来の意味の(イ)「おかしくてたまらないこと」を選んだ人の割合の19.7%を29ポイント上回っています。また,年齢別にみると(ア)「腹立たしくて仕方ないこと」を選んだ人の割合は,40代が最も高くなっています。本来の意味の(イ)「おかしくてたまらないこと」を選んだ人の割合は20代の29.7%が最も高く,20代から年齢が上がるにつれて割合が低くなっています。
では,この言葉について,もう少し詳しく考えていきましょう。次の例を見てください。
いったいこの作品には,この少年工に対するシンパシーが少しも現われていない。つっぱなして,愛情を感ぜしめようという古くからの俗な手法を用いているらしいが,それは失敗である。しかも,最後の一行,昭和二十年十月十六日の事である,に到っては噴飯のほかはない。もう,ごまかしが,きかなくなった。
(太宰治「如是我聞」 昭和23年)
これは太宰による評論の一部です。ある文学作品を「失敗」であるとし,特に最後の1行を厳しく批判するために「噴飯のほかはない」と切り捨てています。これは,思わず笑ってしまうほどにひどい,ということなのでしょう。こういった,対象を見下すように「噴飯」を用いる例は少なくありません。もう一つ見ましょう。
知人の多くは,私に高級料理についてよく聞くけれど,その人々は,まずかつおぶしが薄くきれいに削れる鉋を持たない。持ってはいても,削り方を知らずにやっている。醤油,酢,油など,料理の上に重要な役目をするものにきびしく注意を払っていない。みな出鱈目だ。昆布だしの取り方はもちろん,煮だしの取り方を知らない。だから,用いる分量なども当てずっ法だ。これで料理経済を語るなどは噴飯ものである。
(北大路魯山人「料理の秘訣」 昭和8年)
ここでの「噴飯もの」には,料理の基本を知らないのに料理について語る人々に対する腹立ちが表現されています。ただ面白くて笑うのではなく,嘲笑しているとも言えるでしょう。このように,実際の用法を拾っていくと,「噴飯」と表現される事柄は,軽蔑や怒りの対象になっている場合が多いのです。
現代においては,落語や漫才などの芸が秀でていてとても面白いときに「いやあ,噴飯ものの芸だった。」ということは,まずありません。むしろ,「噴飯ものの芸」という言い方を聞くと,みっともなくて軽蔑の笑いが出るような内容だったと受け取られかねないでしょう。「噴飯」「噴飯もの」は,単に愉快な笑いに用いられることは少なく,先に引いた「日本国語大辞典」の説明のように「他人の笑いものになるようなみっともない事柄」を対象に用いられることが多いと考えられます。さらに,「笑い」が出るかどうかに関係なく,みっともなく,ばかばかしいものに対する怒りの表現として用いられる例さえ見られます。
では,「噴飯もの」が「おかしくてたまらないこと」として認識されなくなってきたのはなぜでしょうか。「噴飯」は,直接的には「飯を噴く」ということであり,思わず出てしまう笑いを比喩的に表現している言葉です。「噴飯」という字面自体からは,そこに笑いがあるかどうかが分かりません。元々の比喩としての意味を知っていなければ,おかしくて笑う様子であるとは判断しにくいところがあるのです。「国語に関する世論調査」では,この言葉を「分からない」と回答した人が全体の4分の1を超えています。使わない人が多くなれば,ますます本来の意味が理解されにくくなると考えられます。
また,「噴飯」の「噴」は「噴射」や「噴火」など,気体や液体などが内部から勢いよく出ることを意味する言葉です。「ロケットエンジンの噴射」「火山の噴火」など,噴を用いる熟語が含まれる文には,激しい勢いを感じさせるものが多く,「笑い」よりも「怒り」のイメージに結び付きやすいとも考えられます。また,「憤り」の意味で,「憤激」「憤慨」「義憤」などに用いられるりっしんべんの「憤」と,音が一緒で形が近いことも影響しているかもしれません。
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「ことば食堂へようこそ!」は,これまでに「国語に関する世論調査」で取り上げられた慣用句等に関する調査の結果を基に,コミュニケーション上の食い違いが生じる場面や,慣用句等の本来の意味,本来とは異なる意味の生まれた背景などを4分前後の動画で紹介するコンテンツです。 平成26年度中に全20話を公開予定。第1,第3金曜日に新しい動画がアップされています。「国語に関する世論調査」の結果の概要とともに,お楽しみください。 なお,「言葉のQ&A」のバックナンバーは「言葉のQ&A(まとめ)」で御覧いただけます。 |