2015年7月2日
「やぶさかでない」と,ためらい
文化部国語課
会議や記者会見などで「求められれば,協力するにやぶさかでない。」のように使われることのある「やぶさかでない」。「国語に関する世論調査」の結果では,この言葉を「仕方なくする」という意味で使う人が多いことが分かりました。これは,本来の意味と違っているのですが,実際の使われ方を調べると,意味が揺れている状況や理由が見えてきます。「やぶさかでない」という言葉について考えましょう。
- 問1
- 「やぶさかでない」とは, 本来どのような意味でしょうか。
- 答
- 「喜んでする」という意味です。
「やぶさかでない」の意味を辞書で調べてみましょう。「やぶさか」の項を引いてみます。
「広辞苑 第6版」(平成20年・岩波書店)
やぶさか【吝か】
(1)物惜しみするさま。けちなこと。吝嗇
(2)未練なさま。思い切りの悪いさま。
(3)(「…に―でない」の形で)…する努力を惜しまない。ためらうことなく,…する。「過ちを認めるに―でない」
「日本国語大辞典 第2版」(平成12~14年・小学館)
やぶさか【吝―】〔形動〕
(1)物惜しみするさま。けちなさま。しみったれ。
(2)躊躇するさま。未練があるさま。
(3)(「…にやぶさかでない」「…にやぶさかならず」などの形で)…する努力を惜しまない。喜んで…する。
「やぶさか」は,物惜しみしたり,行動や判断に踏み切れなかったりする様子を意味します。それを打ち消す「やぶさかでない」の形になると,物惜しみや躊躇をしないのですから,何かをする努力をためらわない,喜んで何かをする,ということになります。「仕方なく何かをする」といった意味は,辞書から読み取れません。小説から,用例を見てみましょう。
「ああありがたい,師匠は」
こうおもうにつけ小圓太はいっそう一生懸命になって師匠の噺を聴きはじめた。聴くばかりじゃないあらゆる呼吸をば探りいれだした,片言隻句,咳ひとつでもそっくりそのまま採りいれてつかってしまうことにやぶさかでなかった。何から何まで圓生生写しの建築が,やがて小圓太というプンと木の香の新しい材木で仕上げられた。
(正岡容「小説 圓朝」昭和18年)
ここでは,師匠を畏敬し,その芸を必死に学ぼうとする落語家,小圓太の姿が描かれています。その学ぶ態度は徹底しており,「片言隻句,咳ひとつでも」師匠のとおりを写すことに努力を惜しまないほどのものでした。その様子が「そっくりそのまま採りいれてつかってしまうことにやぶさかでなかった。」と表現されています。「ああありがたい,師匠は」という感嘆をもらすほどの小圓太は,もちろん喜んでそうしていたはずで,「仕方なく」と読み取るのは不自然でしょう。辞書どおりの使われ方であることが分かります。
- 問2
- 「やぶさかでない」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
- 答
- 本来の意味である「喜んでする」と答えた人が3割強であったのに対し,本来の意味ではない「仕方なくする」と答えた人が10ポイント多く4割強という結果でした。
平成25年度の「国語に関する世論調査」で,「協力を求められればやぶさかでない。」という例文を挙げて,「やぶさかでない」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)
- 〔全体〕
- (ア)喜んでする・・・・・・・・・・・・・・・33.8%
- (イ)仕方なくする・・・・・・・・・・・・・・43.7%
- (ウ)(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・ 2.4%
- (エ)(ア)や(イ)とは全く別の意味・・・・・ 6.2%
- 分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・14.0%
[年代別グラフ]
全体の調査結果を見ると,本来の意味である(ア)「喜んでする」を選んだ人の割合(33.8%)を,本来の意味ではない(イ)「仕方なくする」を選んだ人の割合(43.7%)が約10ポイント上回っています。
また,年齢別に見ても,全ての年代で,本来の意味である「喜んでする」よりも,本来の意味ではない「仕方なくする」の割合が高くなっています。そのうち,40代では,「喜んでする」(40.1%)と,「仕方なくする」(42.6%)の割合の差が3ポイントと他の年代に比べて小さくなっています。
では,近年この言葉が「仕方なくする」という意味で使われるようになってきたのはなぜでしょうか。「国語に関する世論調査」で,14%の人が「分からない」と回答しているように,「やぶさかでない」という言葉は,日常生活ではそれほど耳にすることのない古い言い回しです。また,打ち消しの「ない」が含まれているため,否定的な響きを感じ取られるおそれがあります。そういった点で,現代においては,何らかの物事や行動について「喜んでする」,「努力を惜しまない」という積極的な気持ちをまっすぐに伝えるには,少々使いにくいところのある言葉だと言えるかもしれません。もっと直接的なほかの言い方を選ぶ人が増え,この言葉自体が使われなくなったために,本来の意味が分かりにくくなっているとも考えられます。
もう少し詳しく,「やぶさかでない」の使われ方を調べましょう。この言葉は,会議や記者会見のようなかしこまった場面で,比較的よく用いられる印象があります。どのような場合に「やぶさかでない」が用いられているか,国立国語研究所のデータベース「少納言」(KOTONOHA「現代日本語書き言葉均衡コーパス」)を利用して国会会議録を検索した結果の一部が下記の用例です。
○ 規定を取り入れることについてはやぶさかでないわけですけれども,何でもかんでもそのように法的安定性を害しても,これはかえって…
○ だんだんに改善しようとしている努力も評価をすることにやぶさかではないのです。がしかし,現実の問題として…
○ 検討するのはもちろんやぶさかではございませんけれども,その前に…
○ これからこの中身を詰めることについて努力をすることはやぶさかではありません。ただ,大変気になりますのは…
ここに挙げた例を読み比べると,共通することに気付かされます。「やぶさかでない」という言葉の後に,「けれども」,「しかし」,「ただ」など,逆接や補足の言葉が続いている点です。「少納言」による国会会議録の検索結果で見つかった「やぶさかでない」,「やぶさかではない」などの用例21件のうち,半数ほどに逆接や補足の言葉が続きました。辞書にあるような意味からすれば,思い切りよく,ためらうことない気持ちや考えを語っているはずですが,「やぶさかでない」と言った後に,何か条件が付けられたり,留保されたりすることが少なくないのです。
このように「やぶさかでない」は,ある物事や行動について積極的な姿勢をアピールしたいものの,一方で何かしらのためらいや留保があるような場合に用いられる傾向があるようです。消極的な言い方をしたくはないが,誰もがはっきりと分かる前向きな表現は使いづらいといったときに,古い言い回しになりつつある「やぶさかでない」が選ばれているのかもしれません。
「仕方なくする」という意味だと捉える人が増えているのは,「やぶさかでない」が上記のようなためらいや留保とともに用いられることが多いのと関係があると考えられます。前向きな姿勢が示されたとしても,ためらいや留保の方に重点を置いて受け取られれば,「仕方なくする」という意味で捉えられてしまうこともあるでしょう。そうなれば,伝える側としても,積極的な気持ちを示そうとする場合には,ますます使いにくい言葉になっていきます。このような傾向が重なって,元々の「喜んでする」という意味合いが理解されにくくなっていると考えられます。