2018年7月26日
「おもむろに」動く様子は急か
文化部国語課
「ひどい言葉を投げ付けられて,彼女はおもむろに席を立った。」というとき,「彼女」はどのように「席を立った」のでしょうか。「急いで,席を蹴るように」と思った方はいませんか。
- 問1
- 「おもむろに」とは, 本来どのような意味でしょうか。
- 答
- 「ゆっくりと」という意味です。
「おもむろに」の意味を辞書で調べてみましょう。
「広辞苑 第7版」(平成30年・岩波書店)
おもむろに【徐に】〈副〉
落ち着いて事を始めるさま。ゆるやかに。おもぶるに。「―口を開く」「―に手帳を開く」
「明鏡 第2版」(平成22年・大修館書店)
おもむろに【徐に】〈副〉
物事の起こり方がゆっくりとしているさま。「―ポケットから煙草を取り出した」[注意]突然・不意に,の意で使うのは誤り。
続いて,文学作品から見てみましょう。
朝な朝な昇る朝日は,そのうららかな影を斜に壁に投げ,暮れて行く日は障子を通し,硝子戸を透してゆうべゆうべに赤く輝く。やがて徐に夜が来る。そうして静なる眠の中へ,常に絶えざる「明日は」の希望に導かれて入って行く。
水野仙子「輝ける朝」(大正7年)
この水野仙子の作品では,夕暮れの太陽がガラス戸を赤く染める時間帯から「やがて徐に」夜になっていく様子が描かれています。この場合,夕刻から夜へゆっくりと時間が推移し,次第に暗くなっていく様子を想像しながら読み取ることができそうです。次の小説はどうでしょうか。
「養由基? ふうむ,名のみ聞いて,いまだ見たこともござらぬ兵書! ははあそれをお持ちでござるか」
云い云い正次は,キリ,キリ,キリ,と弦をおもむろに引きしぼった。
「養由基一巻拙者の手に入らば,日頃念願の本朝弓道の,中興の事業も完成いたそうに。欲しゅうござるな! 欲しゅうござるな。……さてこの度は何奴を!」
満月に引いてグッと睨んだ。
国枝史郎「弓道中祖伝」(昭和7年)
正次が弓の弦を「引きしぼった」のは,言葉を「云い云い」,つまり,「言いながら」です。したがって,瞬時のことではありません。また,「キリ,キリ,キリ」という擬音語からも,時間の経過が感じられます。更に,正次は言葉を発しながら,弓を満月の方へと向けていきます。「おもむろに」がゆっくりと落ち着いた様子を表すことが理解できるでしょう。
- 問2
- 「おもむろに」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
- 答
- 本来の意味である「ゆっくりと」と答えた人が4割台半ばであったのに対し,本来の意味ではない「不意に」と答えた人が4割強と,僅かな差しかないという結果でした。
平成26年度の「国語に関する世論調査」で,「おもむろに席を立った。」という例文を挙げて,「おもむろに」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)
- 〔全体〕
- (ア)ゆっくりと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44.5%
- (イ)不意に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40.8%
- (ウ)(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・ 3.1%
- (エ)(ア)や(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・ 6.2%
- 分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5.3%
全体の調査結果を見ると,本来の意味である(ア)「ゆっくりと」を選んだ人の割合(44.5%)が,本来の意味ではない(イ)「不意に」を選んだ人の割合(40.8%)を4ポイント上回っているものの,差が余りないという結果でした。
[年齢別グラフ]

年齢別のグラフを見ると,交点が高齢者側に寄ったX(エックス)型になっています。60代以上では,本来の意味である(ア)「ゆっくりと」を選んだ人の割合が高く,特に70代以上では73%の人が(ア)を選んでいるのに対し,(イ)「不意に」を選んだ人は1割に届きません。一方,50代以下の年代では,いずれも(イ)を選んだ人の割合が高く,特に,40代以下では(ア)との差が34ポイント(16~19歳)から53ポイント(20代)と,大きくなっています。50代辺りを境に,この言葉が異なった意味で解釈される傾向があることが分かります。
では,「おもむろに」を「不意に」という意味で受け取る人が多いのには,どのような理由があるでしょうか。まずは,太宰治の作品から考えてみましょう。
あわてて,がらっと机の引き出しをあけ,くしゃくしゃ引き出しの中を掻きまわして,おもむろに,一箇の耳かきを取り出し,大げさに顔をしかめ,耳の掃除をはじめる。
太宰治「懶惰の歌留多」(昭和14年)
この場合,「おもむろに」の意味をあらかじめ知らなければ,文脈からその意味を判断することは難しいかもしれません。落ち着いた様子でゆっくりと「耳かきを取り出し」ているはずなのですが,「あわてて」,「がらっと…あけ」,「くしゃくしゃ…掻きまわし」た後で「ゆっくりと」というのは,すんなりと想像しにくいのではないでしょうか。先に取り上げた水野仙子,国枝史郎の作品のように,前後の文脈から「ゆっくりと」という意味が読み取れるのは,例外的と言えそうです。「おもむろに」という言葉は,前もって意味を分かっていないと,本来の意味で解釈することが容易でないのです。
ここで,「おもむろに」がどのような言葉に結び付けて使われるのか,「てにをは辞典」という辞書で調べてみましょう。この辞書は,250人以上の作家による小説,評論や,新聞,雑誌などの文章に現れる2語以上の言葉のつながり方を分析したものです。ある言葉が「を」「は」「が」などの助詞を介してどのような言葉と結び付いているか,また,副詞や形容詞がどのような言葉につながっているかなどについて,たくさんの用例を集めています。
おもむろに【徐に】 歩み始める。動き出す。腰かける。立ち上がる。立ち停まる。近づく。話し始める。踏み出す。振り返る。呼びかけてみる。薄笑いを浮かべる。顔をあげる。鍵を取り出す。体を起こす。踵を返す。興味を呼ぶ。鎖を解く。口を開く。質問を再開する。社内を見渡す。受話器を取り上げる。正体を現す。煙草に火を点ける。手を取る。時計を見る。灰をすくう。話の糸口を待つ。話を切り出す。襖をあける。ベッドから出る。眼鏡をかけ直す。コップを~口に持っていく。ビールを~一口飲む。
小内 一編「てにをは辞典」(平成22年 三省堂)
「てにをは辞典」によれば,「おもむろに」という副詞は,静止状態から動き始めようとするときや,ある動作から別の動作に移るときに多く使われていることが分かります。挙がっている例のうち,「話の糸口を待つ」を除けば,そのほかのほとんどは,「ゆっくりと」だけではなく,「不意に」も行われることのある動きと言えるでしょう。むしろ,「動き出す」「立ち上がる」「振り返る」「口を開く」などの動詞からは,落ち着いて時間を掛ける様子を感じ取るのは難しいかもしれません。「おもむろに」は,こうした動作に係って使われることが多いために,あらかじめ知識がないと,「不意に」「急に」という意味だと受け取ってしまいやすいと考えられます。