2014年7月8日
隠岐西ノ島のシャーラブネ
島根県立古代出雲歴史博物館 品川 知彦
シャーラブネは,盆に迎えた先祖の霊を精霊船に乗せて海(西方浄土)に向けて送る送り盆の行事です。このような行事は各地に見られますが,隠岐郡西ノ島町美田地区5集落(船越・小向・大津・市部・波止),浦郷地区4集落(浦郷・赤ノ江・珍崎・三度 )では,子供たちも参加しながら集落ごとに大きなシャーラ船を作り,子供たちが各家・墓から集めた旗(盆旗)や供物を船に乗せ,自らも船に乗り込んで精霊を送ります。盆の期間には,島外に出た多くの人が子供を連れて帰省しシャーラブネに参加します。集落あげての行事であるとともに,浦郷・船越の船のように全長10mを超える大きなシャーラ船が美田湾をえい航される姿は隠岐の夏の風物詩ともなっています。
シャーラ船(船越)
集落ごとにシャーラ船を作るようになったのは,明治中頃とされています。それまでは家ごとに船が作られており,現在でも西ノ島町東部の別府などでは家ごとに作られています。
シャーラ船にはかつて麦藁が用いられていましたが,高度成長期に島内の小麦の生産が縮小し稲藁に変わりました。やがて島内では稲藁も入手困難になり,隣の中ノ島(海士町)から入手していましたが,これも入手困難になってきています。現在では,船越・大津のように葦や茅が代用されたり,波止・三度のように木造船に変わっています。
さて船越では,8月5日から船の準備が始まり,8日に木材で船体の骨組みが作られます。9日に茅などにより外装が調えられ,13日に子供たちが旗などを集めながら各家を廻り,15日に集めた旗などがマストに取り付けられます。16日朝6時頃から,集落の人々によって船は港に浮かべられ,海岸で女性たちが御詠歌を歌う中,漁船にひかれて港内を3度廻ります。その後,美田湾を経て,最終的に焼火山南側の雉 が鼻の岬までえい航されていきます。
珍崎や三度では,シャーラ船は御輿のように人々に担われて,新仏の出た家を廻り,各家から精霊を船に迎えます。珍崎では,家を廻った後に船は地面に叩きつけられます。ここでは精霊に対する微妙な心情を見ることができます。また三度では夕方に島内最後のものとして仏送りがなされます。これはまだ島内に残っている精霊を送るためのものとされています。西ノ島では正月さんは三度からやって来るとの伝承があることを考え合わせると,三度は西ノ島の人々の深層において,特別な位置づけがなされているのかもしれません。
(平成16年 選択)
地面に叩きつけられる精霊を乗せたシャーラ船(珍崎)
夕陽に向かうシャーラ船(三度)