2014年10月3日
愛知のオマント
~長久手市のオマントを中心に~
愛知県長久手市くらし文化部 生涯学習課 吉田菜穂子
「オマント(馬の塔)」とは,氏神や近隣の社寺の祭礼などに奉納するために馬の背に標具と呼ばれる札や御幣を立て,首や胴部も豪華な馬具で飾った飾り馬のことです。愛知県内では,古くから尾張と西三河の農村部で豊年祭りとして飾り馬を出し氏神等へ奉納しました。オマントがいつ頃から始められたかは,定かではありませんが,記録などから中世末から近世初頭にかけて,オマントの形態が整えられていったと考えられています。かつては,村内での祭礼と他村と一緒に行った祭礼では取り組み方が違っていました。最も格の高いのは多くの村々が参加し,一定の統制を保って特定の社寺へ献馬した合宿と呼ばれた祭礼でした。現在では,このような大規模な合宿は行われなくなりました。
長久手市のオマントは,合宿に準ずる形で行われています。馬を警護する棒の手隊と火縄銃を持った鉄砲隊が列をなすことから「警固祭り」とも呼ばれています。市内では,岩作地区(「岩作のオマント」愛知県無形民俗文化財),長湫地区(「長湫の警固祭り」愛知県無形民俗文化財),上郷地区(「長久手の警固祭り」長久手市無形民俗文化財)の三地区で保存会や地元の協力により,伝統を守り盛大に行われています。馬の背の標具は大切なもので,シンボルでもあるため地区により異なります。
本市の祭りは,昔の形をよく残していて,早朝には清めの儀式である垢離取りを行い,その後,馬宿とよばれる集合地点から隊列を組んで出発し,「エイサイ,ホッサイ」のかけ声とともに地区内を練り歩き,所々で火縄銃を一斉発砲します。岩作地区と長湫地区では,地区内を東西に分け,それぞれの地区(切と呼ぶ)内を練り歩いた後,合流します。その際は,古式に従った形式で出会いの挨拶を交わしてから,神社へ向かいます。神社へ入るときも氏子の代表者らに丁重に挨拶します。境内では,本殿を囲むようにつくられた道を周回し,3周目に入ると発砲を合図に人馬が境内を疾走,立てこみと呼ばれる勇壮な場面が見られます。社寺への献馬を終えた隊列は,地区内を回りながら,馬宿へと戻ります。祭りの日,市内は,かつて合戦があったことを思いおこさせるような,ほら貝の音や,「エイサイ,ホッサイ」のかけ声とともに火縄銃の轟音が鳴り響きます。稲の収穫が終わった頃の秋の祭りとして親しまれています。

岩作地区の警固祭り

長湫地区の警固祭り

上郷地区の警固祭り