2016年4月4日
地域行事を「統合」して継承する
~城川遊子谷の神仏講の習俗~
愛媛県歴史文化博物館学芸員 大本敬久
「奥伊予」と呼ばれる四国の山間部,愛媛県西予市城川町。この城川町遊子谷上川区は栗,椎茸栽培を主な生業とし,昭和20年代には戸数が20数戸ありましたが,現在ではわずか6戸となり,過疎化の著しい集落といえます。しかしここでは「神仏講」と呼ばれる地域行事が,現在でも毎年4月中旬の週末に住民総出で継承されています。
上川区の神仏講
「神仏講」は地区の平安と厄よけを祈願する行事とされ,講員が区内に祀られている神仏を巡拝して団子を供え,集会所に集まって懺悔文,般若心経,巡礼御詠歌,念仏を一同で唱えます。最後は一同が太鼓の音に合わせて,御幣を持つ「お伊勢踊り」(神明様の前で踊る芸能で,愛媛県南予地方各地に伝わる)を行って終了となります。
お伊勢踊り
かつては,区(クミ)内に様々な講や祭りがあり,それらが別々に年間15回ほど行われていましたが,昭和16年から4月20日頃にまとめて実施されるようになり,更に昭和34年からは年1回,4月10日に行われるようになりました。4月10日としたのは,当時の皇太子夫妻の御成婚にあわせたためといわれています。そして現在では,平日は人員確保が難しくなり,週末の第3日曜日に開催されることが多くなりました。
戸数が多かった頃は,上川区(クミ)の中に4つのヒキアイがあり,それぞれのヒキアイでも祭祀が行われていました。①区(クミ)全体で祀る神仏(竜王様,庚申講,巡礼講など),②ヒキアイで祀る神仏(田神様,大日様,大師講など),③親族で祀る屋敷神(八幡様,若宮様など)の講行事,祭りがあったのです。ところが過疎化に伴って,ヒキアイや親族単位で継続するのが困難となり,「神仏講」という形をとって,区全体でまとめて1日で行うようになりました。
近年は集会所近くに区内の神仏を集めて祀っている。
このように,「神仏講」は江戸時代以前の神仏習合,神仏混淆の様相を示す地域行事というよりも,近代以降の集落の変容によって,講行事が簡素化,利便化されたものといえます。現在,全国各地の集落でも過疎化,高齢化,少子化で人口減少が進んで,地域行事の継承に悩み,模索される事例は多いのですが,この「神仏講」は,「統合」による継承を選択した事例として興味深いものといえます。
なお,この「城川遊子谷の神仏講の習俗」は昭和56年に「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択され,昭和59年には城川町教育委員会(現西予市)によって『城川遊子谷の神仏講の習俗調査報告書』が刊行されています。
写真提供:愛媛県遊子川公民館