2016年12月12日
上田市八日堂の蘇民将符来符頒布習俗
長野県上田市教育委員会 中沢 徳士
蘇民将符来符頒布習俗の中心施設となる信濃国分寺は,長野県上田市の国分地区に所在します。南側の段丘直下には古代の信濃国分寺の僧寺・尼寺跡が史跡公園として整備され,古代からの法灯を伝える古刹としてたくさんの文化財を護持しています。

縁日では,ダルマや樒(しきみ・不浄を除く植物といわれる。)も売られ,
蘇民将来符とともに求めていく。
信濃国分寺では,奈良時代の古代信濃国分寺以来と伝える鎮護国家のための金光明最勝王経の転読を毎月8日に行うことから,地域では通称「八日堂」と呼ばれています。なかでも,年初の1月7~8日に執り行われる毎年の八日堂縁日は,その際に頒布される蘇民将来符を求める人々でにぎわう有名な縁日として知られています。
蘇民将来符の頒布習俗は全国各地に伝承されていますが,信濃国分寺の習俗は,その典型例といわれています。この蘇民将来符を作るのは,江戸時代から国分寺界隈の40軒で構成される「蘇民講」に組織される家だけと定められています。この蘇民講は戦後,作る人の数が減って,現在は15軒ぐらいで行っています。

「蘇民切り」の前に,住職による読経などが行われる。
蘇民講では,毎年12月1日に国分寺に集まり,ドロヤナギの木を材料に,六角柱のこけし型の「蘇民切り」を始めます。この日は,朝から一日中お寺で蘇民将来符を作り,夜には関係者が集まって食事をし,定められた酒肴により酒宴を開きます。以後は,1月の縁日まで各家に帰って作り,できた数だけ1月7日の夕刻に国分寺薬師堂に納めます。その晩には護摩業を行い,納められた蘇民将来符も浄め,8日の朝8時から薬師堂の前で頒布します。
国分寺が作る蘇民将来符は,大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也と,文字と紋様が墨と朱で六面に書きます。一方,蘇民講の人たちが作るのは,六面に書かれた字は同じですが,下に大黒天・恵比須をはじめとする七福神などの絵や,その時代の流行などの絵柄が入り,人気を集めています。
信濃国分寺における蘇民信仰は,文明12年(1480)に書き写された『牛頭天王祭文』(上田市指定文化財)により,室町時代にまで遡ることができます。また,「八日堂縁日図」(上田市指定文化財)には,江戸時代初期の八日堂縁日の様子が描かれています。描かれている人の数は363人で,蘇民将来を始め,いろいろな生活用品が売買される様が描かれ,江戸時代の縁日の様子を伝えています。