2017年3月21日
加賀地方の特殊神事『御願神事』
加賀市立大聖寺公民館 館長 伊林 永幸
御願神事が行われる菅生石部神社は,石川県加賀市大聖寺敷地に鎮座し,祭神は海幸・山幸神話で有名な山幸彦の日子穂々出見命を主神としています。
その妃神である豊玉毘売命と,両神の御子神である鵜葺草葺不合命(神武天皇の父神)とを相殿に祀り,官社に昇格後はこの三神を菅生石部神と総称しています。
菅生石部神社
神社創立の由緒は明確ではありませんが,寛文五年(一六六五)の「敷墜天神縁起」によれば,武部天皇の慶雲二年(七○五),天皇の御心悩のとき,占いによって加賀国江沼郡菅生村に神殿を建立して奉祀したところ霊験があったと記されています。また,貞享二年(一六八五)の「加賀国江沼郡磯部天神縁起」では,これより先,敏達天皇が宮中で祀り,用明天皇の代に江沼郡の磯部に勧請したとあり,延喜の制では小社に列し,後に加賀国の二宮。中世では北野天満宮領だった福田荘の鎮守として菅生天神・敷地天神とも呼ばれ,近世では加賀藩主・大聖寺藩主の尊信をうけ,明治二十九年には国幣小社に昇格しましたが,その昇格が御願神事の行事次第に影響を及ぼしました。
御願神事は,二月十日の例祭のとき行われます。現在は午前十一時から弊殿において例祭典が進められ,宮司の祝詞奏上が終わろうとする直前,拝殿前の盤木が強く連打され,その瞬間,神社西側の岡地区の住民によって構築されたかがり火に点火され,紅蓮の炎が渦巻がのぼります。
これと同時に神門の盤木が打たれ,境外の鳥居前に待機していた白衣・白短袴・白足袋・わらじ姿の敷地・岡両地区の若衆を中心とする青壮年約四十人が合図とともに雪の境内に突入し,二メートル余の青竹,約四百本余を拝殿内はじめ境内にて激しく打ち砕くという壮烈な竹割り行事を演じます。
続いて神社東側の敷地地区の住民が綱打ちをした長さ二○余メートル,直径二五センチメートル余りの大縄を拝殿から引きずり出し,境内境外を引き回し,最後は敷地橋から大聖寺川に投下するという勇壮な行事です。
この神事の由来については,大縄を大蛇に見立て,大聖寺川に投下するのを大蛇退治と説明されますが,近世では現在の行事とかなり趣を異にしており,貞享二年の縁起等の記録によれば,当神社別当寺である真言宗古義派の慶雲寺で執行されたであろう「乱声」の行事である正月の修正会の影響も受けて,正月十日の夕方に氏子を代表する敷地・岡両地区民が拝殿内で竹打ち・大縄引きをして勝敗を競う年占の行事を営み,豊穣と安泰とを切実に祈り求めた御願初めの神事だったといいます。それが行事の原形だったと考えられます。