2017年7月3日
厄を消し去る五料の水神祭
群馬県玉村町教育委員会文化財係長 中島直樹
五料の水神祭
(写真提供玉村町教育委員会)
利根川と烏川が合流する玉村町大字五料は,かつては船頭の村でした。五料河岸と新河岸があり,江戸時代には日光例幣使道における利根川の渡しには五料関所も置かれ,水陸交通要衝の地として栄えました。水神祭の由来・起源は定かではありませんが,現在五料の飯玉神社に合祀されている水神宮の祭りとして,船頭衆が中心となり少なくとも明治時代には行われていました。
祭日は本来7月25日で,その前日に舟を製作していましたが,平成12年から祭りは原則7月25日に近い日曜日に,舟の製作は前週の日曜日に行われるようになりました。五料飯玉神社の境内で麦わらや青竹や茅(チガヤ)を使って,一日がかりで約7mの麦わら舟をつくります。
麦わら舟(水神丸)の製作(写真提供玉村町教育委員会)
祭り当日は,この麦わら舟(水神丸)を子供と大人たちが地区内を巡行します。薄暗くなる夕方,大人たちによって担がれ,厄を消し去るという願いとともに麦わら舟は利根川に流されます。この写真はまさに川に流そうとしているところです。なお,麦わら舟がつかえた所は大水で堤防が決壊すると伝えられています。
夏の祭礼にわら舟をつくるのは内陸部では珍しいものです。海岸部でわら舟をつくる地域は少なくないですが,それらは盆の精霊を送るための精霊舟です。わら舟を担いで地区内をまわる祭りはこの地域以外に類例がなく,とても貴重な無形民俗文化財であるといえます。そのため,平成14年に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択され,平成27年には群馬県指定重要無形民俗文化財に指定されました。
水神祭は地元の人々の熱意により絶えることなく受け継がれてきました。しかし,近年社会変化の中で高度な技術を要するわら舟の製作を伝承することが課題となってきています。そのため,祭りや麦わら舟作成技術の記録保存を図ることを目的に,民俗調査報告書『五料の水神祭』が平成25年度国庫補助事業により刊行されました。人々の心を豊かにし,地域住民の方々の連帯感を深める機会にもなる水神祭が,今後も末永く継承されることが期待されます。