2018年7月24日
会津の御田植祭
~日本北限の御田植祭,豊作への祈り~
喜多方市教育委員会 文化課 主査 蓮沼優介
御田植祭とは,正月などに社殿や大太鼓を田に見立てて稲作の過程を模擬的に行う「田遊び」とは異なり,田植えの時期に田植歌につれて早乙女が実際に早苗を植えて豊作を祈る祭りです。
会津地方は福島県内でも有数の米どころで,この御田植祭が盛んに行われてきました。現在まで継承されている喜多方市の慶徳稲荷神社と会津美里町の伊佐須美神社の御田植祭は,近世以前の歴史をもつものでは日本の北限に位置しています。慶徳稲荷神社では半夏生の日(7月2日,閏年は7月1日),伊佐須美神社では7月11日から13日に行われます。「御田植祭までに田植えを終えれば稲は実る」といわれ,田植えを終わらせる目安とされていました。祭りの参拝者は田の水口に立てる害虫除けの「虫札」をもらうことが大きな目的の一つでもあり,会津一円のみならず,他県からも多くの人々が訪れます。
両御田植祭では,社殿での神事の後,地区内を神輿が渡御して,「御神田」や「御正作田」と呼ばれる神田で早乙女による田植えが行われます。

早乙女による田植え
会津地方の御田植祭の大きな特色として,「デコ人形(田植人形)」と呼ばれる人形が登場します。これらは単なる人形ではなく,田の神の依代と考えられ,神輿渡御の行列に参列し,田植えの際には田の畔に立てられます。また,それぞれの祭りにも特色がみられます。慶徳稲荷神社の御田植祭では,「白狐」が登場します。白狐は稲荷神社の祭神である宇迦之御魂神の遣いであり,早乙女の田植えの際には田に苗を投げ入れる「苗打ち」を行い,田植えを手伝います。伊佐須美神社の御田植祭では神輿渡御,田植えに先立って「獅子追い」が行われます。獅子や馬,牛など八つの頭をもった数百人の子供達が町内を練り歩き,御正作田に着くと田に入り,三回まわって掻きならします。これは「田あらし」と呼ばれ,邪気祓いであるといわれています。

田あらし
歌と踊りは両御田植祭に共通してみられます。神輿渡御や田植えの際に唱和されるのが「田植歌」です。慶徳稲荷神社の田植歌は,江戸時代の約180年の中断によって旋律が忘れ去られてしまい,天保5年(1834)の再興の際に歌詞の補足と作曲が行われました。伊佐須美神社の田植歌は「催馬楽」ともいわれ,五五調の詩型と二つの音からなる素朴なもので,旋律や歌詞がともに残されているものでは県内最古のものであると考えられます。祭りでは「早乙女踊」も踊られます。伊佐須美神社の早乙女踊は佐布川地区で継承されてきたもので,男性が早乙女の衣装を着用し,羽子板踊・棒踊・扇子踊の3つを踊ります。慶徳稲荷神社でもかつては踊りが存在しましたが,消失してしまったことにより昭和50年代に新たに創作されました。
現在の御田植祭では子供たちの活躍が欠かせません。慶徳稲荷神社の御田植祭では,早乙女,白狐,踊りや笛などを市立慶徳小学校児童が担当します。また,伊佐須美神社の御田植祭では,早乙女のほか,獅子追いには多くの人数が必要であるため,町立高田中学校,高田小学校,宮川小学校の児童生徒が参加します。平成30年度からは,本郷,新鶴両小中学校の児童生徒も参加することとなり,まさに町全体で祭りを盛り上げます。
平成29年度国庫補助事業により,喜多方市・会津美里町共同で両御田植祭を中心とした「会津の御田植祭」調査報告書を刊行し,今後は映像記録の作成も予定しています。この事業を契機として両市町だけでなく,保存会・小中学校同士の交流なども行い,共有する課題を解決しながら,様々な魅力であふれるこの祭りが永く継承されていくことを願います。