2018年11月16日
日向の弥五郎人形行事
山之口弥五郎どん祭り保存会 事務局長 中元照視
山之口弥五郎どん祭りは和銅三年(710)年創建の的野正八幡宮周辺を会場に毎年11月3日に執り行われる同八幡宮の例大祭です。祭りの由来は,養老四年(720)大和朝廷による隼人征伐の故事により「放生会=生類を放つために執り行われる儀式」が行われ,後に現在の大人人形「弥五郎どん祭り」になったと伝えられています。1,000年を越える歴史の中で幅広く人々に親しまれながら,郷土の誇りとして先人から大切に保存・継承されてきた貴重な伝統文化行事です。

浜殿下りの様子
祭りのメインとなる浜殿下り行列(御神幸行列)は盛大の中にも古式豊かな一大絵巻で素朴さに特徴があり,昔とほとんど変容することなく受け継がれています。祭りの見どころはなんといっても子供とともに浜殿下りの先導役を務める威風堂々の弥五郎どんです。弥五郎どんは,身の丈は4メートルもあり,顔に縦横約60センチメートルのいかめしい朱面を被り,頭上には三俣の鉾を付け,竹で編まれた御神体は一重の麻蚊帳をまとい,四輪の台車にまたがっています。行列は地元の小学校生が弥五郎どんを引いて先導し,4人の馬子が御神馬の手綱を引きながら唄う馬方節に合せて,獅子舞や浦安の舞を奉納する巫女,猿田彦,三基の御神輿,祭り保存会員など150名ほどが連なり,約600メートル離れた弥五郎どんの館に設けた的野正八幡宮の仮殿までゆっくりと練り歩きます。行列が到着した仮殿の前では地元の女子中学校生による浦安の舞や的野正八幡宮神楽舞,市内各地の伝統芸能が数多く奉納されます。

山之口中学校生徒による「浦安の舞」

富吉小学校児童による「俵踊り」
幅広く人々に親しまれている弥五郎どんは,竹で組み合わされ麻の薄い着物一枚しか着ていない素朴な御神体です。“弥五郎どんゆかりのものに触れると病気をせず,一年中元気で過ごせる”という言い伝えがあることから,参道に詰めかけた参観人は子供も大人も競って弥五郎どんを取り囲み,着物などゆかりのものに触れて,一年の健康を祈願します。
奉納行事の全てが終了したら,浜殿下り行列と同じ隊列が組まれ,弥五郎どんの御神体は参観人との別れを惜しみながら的野正八幡宮に帰っていきます。行列の一行が的野正八幡宮に到着すると,終日賑わいを見せた山之口弥五郎どん祭りが幕を閉じます。
先人達が幾多の困難を乗り越えて保存継承してきた山之口弥五郎どん祭りは都城市の後援と地元山之口町地区民の物心両面の援助を頂きながら運営されています。伝統と文化の薫りのある山之口弥五郎どん祭りが,未来の人々に末永く継承されていくことを願っています。