2021年10月15日
文化庁芸術文化調査官 吉野 亨
はじめに
令和3年10月15日、「書道」を登録無形文化財として登録する答申が文化審議会から文部科学大臣に提出されました。
書道が登録無形文化財になった意味や書道の歴史などについて紹介します。
1.登録無形文化財について
今年6月、文化財保護法が改正され、新しく無形文化財の登録という制度ができました。
これまで無形文化財には、重要無形文化財として指定される「芸能」と「工芸技術」の2つの分野がありました。しかし、日本の伝統文化の多様性に照らせば、芸能や工芸技術以外の活動にも目を向けていく必要がありました。そのため、平成29年、文化庁に「地域文化創生本部」が発足したことを契機として、文化芸術基本法の第12条にある「生活文化」、すなわち、茶道、華道、書道、食文化その他の生活に係る文化について、その現状把握に取り組むことになりました。そして、調査研究を積み重ねていくことで、生活文化を無形文化財の新たな分野として位置づけることができるのではないか、との結論に至りました。
また、芸能、工芸技術や生活文化に関する様々な活動は、近年の過疎化や少子高齢化による担い手不足に加えて、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を受けて、活動の中止や規模縮小など、大きな影響を受けました。そうした中で、無形文化財の保存と活用を一層進めるため、文化財保護法による保護の仕組みを充実させ、「指定」に加えて、新たに「登録」の制度を創設したのです。
その上で、登録無形文化財の分野として、「芸能」と「工芸技術」に加えて、「生活文化」を新設し、その登録基準を設けました。これにより、生活文化が初めて文化財として登録の対象となりました。
2.登録無形文化財の「書道」について
登録無形文化財に登録されることになった書道は、毛筆を用いて言語を表記する表現行為のことであり、漢字、仮名、漢字仮名交じりによる表現のほか、篆刻も含みます。
書道では、「文房四宝」と称される筆、墨、硯、紙をはじめ、多様な用具用材を用いて表現が行われます。その表現にあたっては、優れた書を手本として「書法」と総称される様々な技法の習得が行われ、それらの技法の追究と応用によって、高度に美的な表現が生み出されてきました。
図1 仮名書の制作
今回の登録は、伝統的な書法による表現を対象として、これらのわざを未来に向けて保存・継承していくために行われるものです。そして、登録無形文化財の書道のわざを保持する団体として「日本書道文化協会」が認定されることになりました。この協会は、従来の書道団体の枠組みを越えて、伝統的な書道の技を保存し、次世代へ継承することを目的として設立されています。
3.書道の歴史について
書道に関し、どのようなわざが伝統的に継承されてきたか、その歴史について紹介します。我が国の書道は、漢字の伝来以来、中国の優れた書から書法を吸収するとともに、技法を工夫していくことで、次第に我が国特有の表現を構築していきました。
平安中期以降には、中国にはない「和様」と称される書風が生み出されました。
「三跡」の一人である藤原行成の書に見られるような、ふくよかな線と丸みを帯びた文字の表現に、和様の特徴を見て取ることができます。(図2)
図2 国宝・藤原行成筆「白氏詩巻」(東京国立博物館所蔵)
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
(https://colbase.nich.go.jp/)
また、この時代には、和歌文化の隆盛にともなって、仮名の書が発展しました。仮名の書では、散らし書きや、漢字の手法を発展させた連綿の技法により、装飾料紙等に特有の表現が展開されるようになりました。(図3)
図3 重要文化財・伝小野道風筆「継色紙」(東京国立博物館所蔵)
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
(https://colbase.nich.go.jp/)
こうして、歌集や物語等の優れた書が生み出され、これらは、後の時代に「名筆」として重視されました。優れた書は、内容そのものが尊ばれて写本が作られたのはもちろん、文字や書法を学ぶための手本として、また、鑑賞の対象として尊重されました。室町時代以降、茶の湯の興りとともに、名筆の断簡が掛軸として仕立てられ、「墨跡」と呼ばれる禅僧の書と同様に、茶事や茶会に好んで用いられるようにもなりました。
時代が下って、江戸時代に入ると、和様の書の伝統的な書法を継承する書流の一つとして御家流が浸透します。そして、文字を学ぶための簡便な書物が流通するようになり、これらを手本として文字の書き方を学ぶ「手習い」が普及しました。
また、この時代は、書に精通した僧侶や公家が活躍し、漢字や仮名の新しい表現も生み出されました。例えば、真言宗の僧侶であった松花堂昭乗は、書流の一つ青蓮院流から和様の書風を体得し、藤原定家等の名筆からも書法等を学び、独自の書風を築いた人物で、後世には「寛永の三筆」の一人として評価されました。松花堂昭乗と並んで寛永の三筆と数えられる近衛信尹や本阿弥光悦も、新しい表現を生み出した能筆として挙げることができます。(図4)
図4 松花堂昭乗筆「三十六歌仙帖」(東京国立博物館所蔵)
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
(https://colbase.nich.go.jp/)
このような能筆が活躍していたほか、文人と呼ばれる人々の活動の広がりによって、篆刻の制作や鑑賞も次第に盛んになっていきました。
近代になると、西洋との交流が行われていく中で、書道は美術の影響を受けながら、書作品の発表の場を、博覧会の会場や、後の時代には美術館等の会場の壁面に求めていくようになりました。明治10年(1877)には、東京の上野公園で「第1回内国勧業博覧会」が開催されました。そこでは、絵画や工芸品と並んで、平仮名と漢字の書も展示されました。(図5)
図5 内国勧業博覧会美術館之図
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
(https://dl.ndl.go.jp/)
その後、美術館や博物館が各地に開設されていくと、次第にこれらを展覧会場とした書の展覧も行われるようになり、現在のような壁面に書作品を展示する方式が一般化しました。
また、書家によって結成された書道団体が、書道の営みを担う中心的な役割を担うようになり、展覧会の開催などの事業を行うようになっていきました。
近代に形成された書作品の展示・鑑賞の方法や、書道団体が中心となって書道の営みを担う形は、現代に引き継がれ、書道団体が中心となって公募方式の書の展覧会が頻繁に開催され、書道の伝統的な書法が維持・継承されています。
以上をまとめると、書道は、初めは中国書法から技法を吸収・消化し、次第に技法を工夫していきながら、我が国特有の表現を構築してきました。この背景には、優れた書を手本として文字や書法の学習を行う「手習い」の実践と、優れた書を鑑賞するいわゆる「目習い」が蓄積されていったことがあります。時代が下ると、書道が広く生活の中に受容されていきました。こうした点に書道の歴史的な意義があると言えます。
また、現代にまで継承されてきた我が国特有の表現には、優れた書を範として育まれてきた美意識を見いだすことができます。そして、現在も、高度に美的な書の表現が追求されています。このような点に、書道の芸術上の価値の高さがあります。
むすびに
書道は、わたしたちの暮らしに身近な存在と思われてきました。しかし、令和2年に文化庁が実施した調査によると、生活様式の変化等により、わたしたちの身近な暮らしの中で、毛筆で文字を書く機会は極めて少なくなっています。また、書の鑑賞経験も少なくなっています。書道団体も、このような状況を踏まえて、書道への関心を高め、身近なものとなるような仕掛けづくりに取り組んでいます。
今回、登録無形文化財として登録されたことをきっかけとして、書道の伝統的なわざの保存と次世代への継承に関する活動が、書道界全体の取組として一層進んでいくことを期待しています。