2019年7月24日
当コーナーでは,暮らしの文化に係る様々な人々に登場いただき,暮らしの文化が持つ魅力を伝えていただきます。
※暮らしの文化とは,文化芸術基本法第12条に記載されている,茶道・華道・書道・食文化などの「生活文化」と,囲碁・将棋などの「国民娯楽」を始め,私たちの暮らしと係りを持っている様々な文化を指します。
佐藤康光九段・日本将棋連盟会長

縦横に引かれた直線が交錯する盤上にあらわれる81のグリッドで,8種20枚の駒がそれぞれに決められた動きを展開していくゲーム,「将棋」。その無限の可能性を信じて,盤上に向き合い続ける棋士はこの日本文化をどう捉えているのでしょうか。今回のリレートークでは,棋士であり(公社)日本将棋連盟の会長を務める佐藤康光九段を訪ねて,東京・千駄ヶ谷の将棋会館に伺いました。
佐藤康光
昭和44年生まれ,京都府八幡市出身,57年12月に6級で田中魁秀九段門。タイトル戦登場は37回,獲得は竜王1,名人2,棋王2,王将2,棋聖6の合計13期。平成29年2月から将棋連盟会長に就任。
(公社)日本将棋連盟
1924年,東京の棋士が結成した「東京将棋連盟」から始まり,幾度かの組織改革を経て,現在の体制となる。2014年に創立90周年を迎え,「将棋の普及発展と技術向上を図り,我が国の文化の向上,伝承に資するとともに,将棋を通じて諸外国との交流親善を図り,もって伝統文化の向上発展に寄与すること」をうたっている。

将棋界の「聖地」,東京・将棋会館
●将棋をテーマにした漫画のヒットや,将棋界の記録ラッシュなど将棋文化への関心がより大きくなっています。
そうですね,本当にありがたいことです。藤井聡太七段が四段昇段(プロ入り)から歴代最多記録となる29連勝を達成,羽生善治九段が永世七冠達成による国民栄誉賞受賞,また大山康晴15世名人の歴代最多勝利記録を更新する1434勝をあげるなど話題性が強いですね。
若手棋士,女流棋士の活躍もあって,女性のファンが増えています。私が若い頃は解説会に足を運んでも,参加者に女性が一人いれば目立つような存在でしたが,近年ではイベントなどを開催しても参加者の半数近くが女性の場合もあります。また,以前まではファンの方というのは,実際に将棋を指す方が大半でしたが,「見て楽しむ方」「棋士自身のファンになる方」など,盤上以外の要素から御注目いただくこともあります。
とはいえ,ファンの方にとっては,真剣勝負の公式戦を楽しみたい,という思いが核にあるでしょう。AIの導入を始め時代時代における将棋そのものの進化,インターネットを活用した同時配信など,将棋の技術向上と普及発展に努めています。

佐藤康光九段・日本将棋連盟会長
●それぞれ棋士の方にとっての「将棋の魅力」があると思うのですが,佐藤会長の考える将棋の魅力はどういったところにありますか?
将棋は,いかに早く相手の「玉」を詰ませるか,という想像力・分析力・精神力を試されるゲームです。そこに秘められた「奥」の深さが,私にとっての将棋の魅力ですね。
そして,「取った駒が使える」という将棋独特のルールがその「奥」を深めてくれています。将棋を覚えて40年以上になりますが,勝っても負けても,純粋に盤上に向き合うと様々な発想が自然と出てくる,それが私の感じる奥深さにつながるのでしょう。それは,勝敗を超えた面白さなのだと思っています。
加えて,将棋の世界は大逆転があるのです。これは棋士同士の対局であっても,誰もが「まさか」と思うようなことが起こりえる。例えば,持ち時間がお互いに少なくなって,一分以内に着手しなければならないときにとんでもないミスが。たった一手で勝敗の流れが変わる。その「流れ」はどうしても自分の力だけでは引き寄せられないところがありますから,その一手の明暗は「運」と言える要素があるのかもしれません。ただ,やはりゲームとして基本的に偶然性は盤上にありません。一手,一手で自分が勝つためにベストを尽くせるか,ということです。それは,勝負としての将棋の面白さですね。

漆を塗り重ねた盛り上げ駒,表面の艶が美しい
●一手,一手で自分が勝つためにベストを尽くせるか,難しいですね。
無数の選択肢がありますが,必ずそうしなければならないというものはないのです。最終的に勝利に向かえばいいわけですから,それに向かう道はいくらでもある。それをどうやって見つけていくか。もちろん,終盤はその道筋が絞られていき,途中からは未知の世界に入ります。
対局中は心に波風をたてずに冷静な判断をしていきます。当たり前ですが,棋士は人間ですから,対局中は驚いたり,悲観したりすることはあります。その心の振れ幅は,棋士によるでしょうが,常に平常心で,かつ闘争心を保つのはなかなか難しいものです。ですから,一局の中でも,はっきりとした目標が見つかったときの高揚感をプラスに働かせることは必要です。
●将棋は盤上の技術はもちろん魅力的ですが,それ以外の精神性も非常に重要ですね。学校教育の一環として,連盟から棋士・講師を派遣するような取り組みもされています。
将棋は日本の伝統的な文化の一つ。小学生・中学生を対象に真剣勝負を体験していただこうと棋士・講師を派遣しています。棋士がそうであるように,子供が将棋から学ぶ精神的な側面は大きいと思います。将棋は礼に始まり,礼に終わります。また,対局中は我慢する場面もありますし,決断する場面もあります。そういった体験が子供たちの人間的な成長の一助になればと考えています。
あとはやはり自分から「負けました」と言葉で発して終わる競技は意外に少ない。勝ちの権利を得てから終わるわけではないのです。負けを認めて終わるのです。それは自分を律することにも繋がりますし,自分自身の課題も見えてくるようになる。師匠から将棋を教わっていくという過程もあるのですが,それに加えて,自分なりに己を律して,感じて,身につけていく。これは子供たちにとって,将棋ならではの経験になるのではないでしょうか。

極めてシンプルな盤上
●最後になりますが,将棋を楽しんでいる方々にメッセージを。
駒ひとつとっても,駒師の方がいらっしゃって,一組つくるのに一か月ほどかかる芸術作品です。盛り上げ駒と言いまして,文字を掘って,そこに漆を塗り重ねていくことで文字を盛り上げています。我々棋士は盤上では技術を表現するわけですが,棋士が和服を着用したり,和のしつらえがなされた空間で対局したりと,それらすべてが将棋文化だと考えています。
「将棋」というゲームはいまだに誰が発明したのか歴史上わかっていないのですが,それも含めて将棋がいまなおミステリアスで色あせない魅力を放ち続けていることに我々は感謝しなければなりません。そして,ひとつの対局をつくる上でもいろいろな方の協力が必要であることも忘れてはいけません。例えば,タイトル戦ですと誘致から場所の設営,前夜祭の段取り,そして対局中は細心の注意を払っていただいたりと,御支援を賜っている方々の協力で成り立っているということを強く実感いたします。
人と人は将棋を「指す」ことによってコミュニケーションを行っています。インターネットの充実によって日本のみならず,海外の将棋愛好家との対局も楽しめます。「一手」には言葉と同じ,「思い」をのせることができるのです。みなさまにも,将棋を通じて豊かなコミュニケーションを育んでいただければと考えています。
「盤上に感謝と最高のコミュニケーションを」。