2020年1月23日
当コーナーでは,暮らしの文化に係る様々な人々に登場いただき,暮らしの文化が持つ魅力を伝えていただきます。
※暮らしの文化とは,文化芸術基本法第12条に記載されている,茶道・華道・書道・食文化などの「生活文化」と,囲碁・将棋などの「国民娯楽」を始め,私たちの暮らしと係りを持っている様々な文化を指します。
小林光一九段

小林光一
昭和27年生まれ,北海道旭川市出身。木谷實九段門。昭和42年入段,同年二段,43年三段,44年四段,45年五段,47年六段,49年七段,52年八段,54年九段。平成24年,60歳となり名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖を名乗る。
日本棋院
1924年,それまでいくつかに分かれていた囲碁組織が集まり日本棋院を設立。「我が国の伝統文化である棋道の継承発展及び内外への普及振興を図るとともに,棋士の健全な育成を行い,囲碁を通して文化の向上に資すること」をうたっている。
囲碁。ボードゲームは数あれど,こんなにも制約が少ないゲームはあまりない。碁盤の上で石がつくりだすモノクロの景色は,実にドラマチックで多彩な展開をみせます。今回のリレートークでは,史上3人目の通算1400勝を達成し,2006~2007年までに,日本棋院副理事長を務められた小林光一棋士を訪ねて,東京・市ヶ谷の日本棋院会館に伺いました。

●近年,若手棋士の活躍がメディアにも大きく取り上げられており,これまでとは違った囲碁への興味関心の高まりがみられますね。
そうですね,私もいろんな人から随分聞かれますよ。仲邑菫ちゃんってどれくらいすごいの,とか(笑)。10歳であそこまで打てるのは凄まじいことです。今の若手は本当に強い。プロになった瞬間,みんなかなり高いレベルで戦うことができる。その強さの一因として,インターネットやAIの存在は大きい。いまは有り難い時代で,(スマホを見せながら)「幽玄の間」っていうアプリがあるのだけど,世界中の囲碁を見ることができます。
AIに「この手がいいんだよ」なんて教えられちゃって。大体は「なるほどな」という感じなのですが,たまにびっくりするような手があるからね。これまでの常識から考えるとこんな手あるのって感覚になるのです。
例えば,井山裕太さんの場合は師匠と家が離れていたから,インターネットの対局を通して,指導を受けたようですね。これは,新しい時代の師弟関係です。私は師匠から直接,指導を受けるのではなく兄弟子から学ぶことが多かったですね。
●師弟関係といえば小林棋士は木谷實門下でいらっしゃいます。木谷門下は本当に名だたる棋士の方が揃われています。
それは,木谷先生がすばらしい方だったということの証でしょう。懐が深かった。この年になると,木谷先生の凄さが分かります。
私が囲碁に出会ったのは小学生の頃でした。面白かったのでしょうね。いつの間にかのめり込んでいました。12歳のとき,木谷先生の門下生になる許可が下りたので,北海道から上京しました。自分の人生を決める大事なタイミングだったはずなのに,上京の際は何も迷わなかった。この前,小学校の同窓会をしたのですが,「お前,卒業式に出席しないで上京しただろ」って。バタバタと準備をして上京したことを思い出しました。

これまでの感想戦を振り返って
●子供のときに囲碁を打っていた感覚と現在の感覚は違いますか?
同じとは言えないよね。プロになってからは所帯もありましたから,碁盤の前に座れば,呑気なことは言ってられない。スケジュールが一番タイトだった年は1992年。1年間でタイトル戦だけでも34局ありました。ひと月に3局ペース。タイトル戦だと朝から夜中まで戦うことになるからヘトヘトになります。しばらく使い物にならないぐらい。元に戻るのに2日間ぐらいはかかります。次の棋戦の準備は,疲れが十分にとれてから。
●使いものにならないというのは囲碁について考えることができないということですか?
できない。というのもね,囲碁を考えるときって,頭をギューと凝縮させるのです。いろんな変化をどんどん読んでいくわけですが,頭がぼーとしていると,やる気も起きない。だから,木曜日に棋戦があるとしましょう。大体金曜,土曜日は,碁盤を見ていても緻密なことは考えられないから,日曜日くらいから「そろそろ準備始めるか」という感じです。1週間に1戦だから,「他の日は何をしているのですか?」と聞かれますけど,そんなに甘くないですよって(笑)。
33歳で名人をとったのですが,当時,棋戦後に会場をでるのが深夜ということもありました。棋戦後,すぐには帰れない。どうしてかというと,お互いに頭は興奮状態なんだけど,疲れた頭で最初から並べ直しをするの。これを感想戦と言います。これをやらないと終われないんだ。これがすごく勉強になるわけ。
●素人からすると,並べ直すということが信じられないのですが,それは容易なことですか?
自分の打った棋譜を覚えておくことができる。つまり,碁を打つときは,自分の中で意味があって打っているわけです。意味があって私は打つ。意味があって相手も打つ。意味と意味が文脈を生む。もう,物語になっているわけです。物語だから忘れようがないよね。
際どい勝負もあるから,負けた方は敗因を知りたい。何で自分は負けてしまったのか。その敗因を知れば,次の試合に生かせる。だから,負けた方がしつこい。なかなか辞めない。追及したい。そうしないと,目の前の一局は終わったことにならないのです。
林海峰(リンカイホウ)さんと感想戦をしたときは長かったね。棋戦が夕方8時に終わって,9時までやりましたよ。次の日の朝9時ね。しかも,そのときの対戦相手は林さんではなかった。(笑)
●それはどういうことですか?
その日,私は別の人と対戦していて,そのあとの感想戦で15人くらいで囲みながらやっていました。時間が経つごとに少しずつ人が減っていくのだけれど,気づいたら林さんと二人になっていました。結局,掃除の方が来て,「そろそろいかがでしょうか?」って(笑)。
私は開けっ広げなところがあるから感想戦で,棋戦中に考えていたことを全部話します。自分が本音を言わないと,相手も本当のことを教えてくれないから。人間一人が考えられることって限られていて,レベルとしてはたかが知れている。隠すほどの価値はないし,情報を公開することが自分にとってマイナスになるとも思わなかった。
だから,私が感想戦をすると人がいっぱい集まる。横からも後ろからも,あーだ,こーだ言いながらやるわけです。そういう中で,自分じゃ全く気が付かないような手が出てくる。知らない自分を知る感覚です。面白いでしょ?
●囲碁ファン,若しくはこれから始める人にメッセージを。
私は囲碁を始めて50年以上になりますが,いまだに飽きる,ということがないですね。好奇心が尽きない。毎日,新しい発見があるし,今日も,午前中に3時間ほど碁を打ちました。
碁盤ってすごく広い。だから,目の前の一手を決めるのはそれぞれの価値観に基づくはずです。一手一手の価値観。ココにバチっと打つと,何だその手はと貶す人もいれば,すごく良い手だと称賛する人もいる。それだけ,盤上の価値観は多様です。どんなふうに打ってもいい。正に,盤上に「奥行」がある。その囲碁の奥深さに触れてほしいし,それを共有できる仲間と出会ってほしいと思います。