2021年1月21日
当コーナーでは,暮らしの文化に係る様々な人々に登場いただき,暮らしの文化が持つ魅力を伝えていただきます。
※暮らしの文化とは,文化芸術基本法第12条に記載されている,茶道・華道・書道・食文化などの「生活文化」と,囲碁・将棋などの「国民娯楽」を始め,私たちの暮らしと係りを持っている様々な文化を指します。
志野流香道二十世家元 蜂谷宗玄

蜂谷宗玄
昭和14年,志野流第19世幽求斎宗由家元の嫡男として生まれる。戦後の厳しい環境下において研鑽を積み,大学卒業後は歴代家元の倣い臨済宗,岐阜県の正眼僧堂にて修行。妙心寺派管長梶浦逸外老師より斎号「幽光斎」宗名「宗玄」を拝受。昭和62年,志野流20世家元を継承。以降,現在まで30年以上にわたりその道統を継承しつつ,日本の香文化をもとに世界平和を提唱,インドの仏跡巡礼,中国各寺院での供香,フランス革命200年祭での献香,また国内では上賀茂神社,薬師寺,春日大社などで神仏にお香を献ずる儀式を執り行っている。平成17年には「文化庁長官表彰」受賞。
志野流
室町8代将軍足利義政に仕えた志野宗信を始祖とする室町時代から現在まで500年以上にわたり香道の道統を唯一途絶えることなく継承してきた流派。現家元幽光斎宗玄で20代を数える。15代宗意まで宗家は京都にあったが,幕末の混乱期に尾張徳川家の庇護を受け尾張に移る。現在教場は全国に約200か所,海外支部として,ボストン・パリ・北京・上海などへも展開し海外との文化交流に注力,また,大学から幼稚園までの教育機関での講座,香りによる脳への影響の研究,メンタルヘルスに寄与するために香道ラボを新設。特に現在は,香道を日本の歴史ある文化として正しい評価,保存していくため重要無形文化財指定を目指すとともに,香道発祥の地,京都に志野流を戻す計画も進めている。
新・文化庁が移転する予定地にほど近い,室町下立売り上る・山田松香木店さんの店舗の稽古場をお借りしてお話を伺いました。暖簾をくぐる前から,室町通りにはもう,日本文化の香りがしています。

●このインタビューでは語り切れないかもしれませんが,香道の魅力をお教えください。
人間の生活は香りと切り離すことができません。世界的にみても人が香りを求めるのは普遍の文化です。特に日本では香道という形で洗練度を高め,多くの日本文化を内包するに至りました。
日常の香りについて考えますと,私たちは無味無臭の空間で生活をしているわけではないのです。心地よく感じる香りもあれば,決してそうは感じられないものもありますね。そのどちらの香りが良いということではなく,どちらも人間が生きていくには必要な香りです。化学香料で不快に感じる臭いを消してしまうこともできます。しかし,強い香りは分かりやすい反面,そのあと嗅覚が麻痺してしまって,本当に豊かな香りが分からなくなってしまうのです。
香道の世界では香りを「かぐ」ことを「聞く」といいます。あまたある香りの中で私たちが使用する香木の香りは,現代人にあらためて『人間性』を蘇らせてくれるのです。
●『人間性』ですか?とても印象的な言葉です。
たとえ同じ香木で,一定の香りがその空間に漂っていても,その香りのイメージは聞く人によって様々ということですね。
一般的なお稽古では,二種類以上の香りを聞きわける組香を行いますが,ひとつの香りを聞くことで,それまでに自分の人生で経験したことと重ね合わせながら,香りの世界がつくられる。香りを聞くということはイメージづくりなわけです。つまり,香りと出会うことで自分の世界を広げることが可能なのです。
「香りを間違わないように聞こう」「香りを言い当ててやろう」ということではない。香りを聞くということは,イメージによって夢を膨らませたり,自分の考えを改めたりする行為なのです。自分自身と向き合う精神修養とも言えますね。
●人生100年時代に,こういった精神性に裏打ちされた文化の深さ・魅力はこれから多くの人が求めるのではないでしょうか。
お稽古を終えて帰られる方の中には,稽古の始まりとは全く違った顔つきをされている方もいらっしゃいますね。日々のお勤めで疲れが溜まっていても,集中して稽古に打ち込むことでスッキリしたお顔になられているのです。香木というものは心身に対して素晴らしい効用・効能があります。
香道の課題としては,香道の核となる香木が日本で産出されない,ということにあります。一般の方が気軽に香木を手に入れることができない。だから,みなさんに普段の生活の中でお香を聞いていただこうと思っても,それは簡単なことではないと思います。香木をいかにして日本で確保するか。アジアを中心に世界各国で香木の原料となる樹木を植林するなど,長い目で地道な作業をする必要があります。それをしなければ,香木を自分自身で楽しむのは非常に難しい時代です。日本でもこういった香木を育てることができないだろうかという研究が植物学者によって行われていますが,その成果が出るのは10年,20年,あるいは50年先になるかもしれません。例えば,杉や竹といった日本で身近な樹木でも香りはするでしょう。そういったものを今後は利用していくのも一つの手です。江戸時代には生活に身近な樹木を香木として使った記録があるのです。また,海外ではネットオークションで真偽が確かでない香木が高額で取引されています。これから香木を確保するためには,流通も含めて,守っていく必要があると考えています。
●香木の確保も含めて,香道を守り,伝えていく難しさがありますね。
原料の問題はあっても,各地域にこういった教場があり,志野流家元で技術を修めた者が参りまして,皆さんにお香を聞いていただいております。希少な伽羅を炷かなくても,もう少しお値打ちなものがあります。香木でなくても,線香で豊かな香りを楽しむことができる製品もあります。
たしかに,生活様式は変化しています。ですから,儀礼的な面はやや薄れるけれども,椅子に座った状態で香りを聞くことのできる立礼式も考案いたしました。ただ,「道」とつく以上は畳の上で培われてきた様々な様式・形式,いわゆる口伝で守られてきた「型」が事細かにございます。そういうものをみなさまに伝える機会が少しずつ減少しているのも事実です。
「道」の文化ですからね,崩すわけにはいきません。香道の香りは心身にとって素晴らしいものですよ,といくら言葉で言っても,実践がなければ,どうしようもない。特に歌舞伎や能・狂言など視覚に訴えかける「動」の文化ではなく,目に見えない香りを扱う「静」の文化であること,扱う素材がお茶やお花ではなく,100%輸入に依存している香木を使用することなど難題を抱えています。結果,茶道や華道のように大衆化できるものでもないので,今後も数百年伝え残していくことは,他の伝統文化に比べると特に厳しい状況ではありますが,長い歴史の中で今日まで伝えられてきた言葉も合わせて,相変わらず次の世代へ伝えていくのだと考えています。
●香りを聞くために,心がけるべきことはありますか?
結局は自分が一所懸命にやらなければならない。一点に集中して,自分をそこにもっていくということでしょうか。香りを聞くときは無言で,静寂の中で香りを聞くわけです。
香りのことですから,うっかり他のことを考えたり,お話ししたりすると,香りは頭の中で持続しません。次の香りを聞くと,前の香りは薄れていくのです。だからこそ,香りに対して一所懸命,集中するわけです。「いま」「ここ」に心を向けないといけない。そのために,流儀内で変わることなく伝えられてきた所作・型・作法がございますから,それを前もって習得していくことが前提にあるのです。
香りに関する知識を増やすことも重要です。香りの文化は古典に紐づけられていることもしばしばですから,お香を聞いておしまいではなく,香りの周辺にある日本の多様な文化を学ぶ楽しさもあります。
目に見えることだけがこの世界のすべてではありません。いろいろな香りと出会い,自分の世界,夢を膨らませてほしいと思います。