2014年5月14日
フィルムの傷と,映画のシナリオ
映画監督・脚本家 和島香太郎(ndjc2008参加)
映画で使用するフィルムは傷がつきやすいものです。
「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」で制作した『第三の肌』の編集時にもこの傷に遭遇し,苦い思いをしました。
その繊細さというか,脆さというものは映画作りの本質を象徴しているような気がします。
大勢の人間が関わる映画である程,ささいな誤りが連鎖して膨らみやすく,思わぬ形で画面に表れることがあります。だからこそ撮影前の準備行程を学ぶ必要がありますし,ndjcでの製作実地研修は貴重な経験となります。

『第三の肌』
2008年度のndjcより本格的に導入されたシナリオ開発の場では,講師であるプロデューサーやシナリオライターから,物語の整合性だけでなく予算の規模を考慮した上でも,スタッフを導くことのできる,強度あるシナリオを求められました。
登場人物の行動原理に対する鋭い指摘を受けながら,台詞やト書きを何度も書き直しました。現場側のスタッフからは,劇中で燃やすことになっていたピアノを用意することが予算の都合上厳しいため,ギターに変更するよう促されることもありました(これは免れました)。
物語を成立させるための理想的な意見,現場の撮影を確実に遂行させるための現実的な意見。それぞれを自分の中でかみ砕きながら,約3か月かけて決定稿を書き上げなくてはなりません。短編の準備にしては贅沢に時間をかけているように思われるかもしれませんが,当時の自分には僅かな期間でした。
「短編でも,1本は1本なんだから…(簡単には書けないよ)」
講師の斎藤久志さんがそう仰っていたことが印象に残っています。シナリオの難解さは尺に左右されることはありません。最後まで解決できない問題もあります。そして,私は撮影が始まるまでに納得のいくシナリオを書き上げることができませんでした。
昨年から今年にかけて商業デビュー作を監督し,その他に2本の長編シナリオを書きました。そのうちの1本は,『マンガ肉と僕』(主演:三浦貴大)です。いずれのシナリオを執筆している時も,ndjcで得た経験が蘇ります。欠陥のあるシナリオは,現場に複雑な問題を生じさせます。映画には強度あるシナリオが必要です。納得のいくシナリオを書き上げられなかった悔いは,今の自分を生かしてくれています。ndjcを経たことで今の自分があるということは,今後劇場で公開される3本の映画が証明してくれると思います。