2021年3月25日
日常に転がっているもの
池田暁
僕が「妖怪」の後に選んだのは「戦争」でした。何のことかと言うと,映画です。僕が妖怪になったり戦争に行ったりした訳ではありません。これからも妖怪にはならないだろうし戦争にも行かないでしょう。でも,ほんの少しだけ妖怪になってみたい気持ちはあります。とにかく映画の話です。
©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
2017年のndjcで『化け物と女』という短編映画を撮りました。タイトルの通り化け物,すなわち妖怪と或る女性の話です。妖怪は子供の頃,とても好きでした。正直に言うと今でも好きです。いつかは妖怪の映画を撮りたいと思っていました。ある時,一人で旅に出るには何が必要かと考えていました。辿り着いた答えは本でした。さっそく町の寂れた本屋に向かうと目についたのは妖怪の本。「旅に必要か?」そんな疑問は微塵も感じずにその本を手に入れました。妖怪の本を手に町を歩く僕の頭の中は妖怪でいっぱい。すると何やら聴こえてきます。道端で三味線を奏でる男性が一人。僕の頭の中の妖怪が三味線をひき始めます。妖怪でいっぱいの頭で三味線を聴けば当然です。この小さな想像が『化け物と女』をつくるきっかけの一つでした。そんな小さなことから映画が始まりました。
©︎2018 VIPO
2019年,幸運にもndjcの長編企画で映画を撮る機会に恵まれました。この長編映画のきっかけもある日の出来事から始まります。
©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
朝,目がさめるといつものように窓から川が見えます。眠気の残った頭で川の向こう側を見ていると,そこには何がありどんな人が住んでいるのだろうと想像するのです。その日の想像は,向こう岸に恐ろしい人たちが住んでいたら?恐ろしいから川のこちら側と争っているかもしれない。ただの想像です。それでも川という一つの線が想像を膨らませていくのです。
©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』という映画はそんな想像から生まれました。ただの想像から一人で脚本を書き始めます。するとその脚本を少数の方々が読みます。映画の撮影が始まると大勢の俳優さんやスタッフさんがその想像を具現化していきます。さらに映画が完成すると小さな想像が日本中のもしくは世界中のスクリーンに写し出されるわけです。顔も言葉も知らない人々がそれを観ている,なんとも不思議な気持ちです。
©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
日常の想像から生まれた映画です。何かをつくる時,日常に転がっている物や時間は創造の源です。映画をつくる上でも日常生活を送る上でも想像すること,これはずっと大切にしていきたいと思っています。
©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
【プロフィール】
池田 暁(いけだ あきら)
2007年,長編映画『青い猿』がぴあフィルムフェスティバルで観客賞を受賞。
2013年の長編映画『山守クリップ工場の辺り』でロッテルダム国際映画祭とバンクーバー国際映画祭にてグランプリ,ぴあフィルムフェスティバルにて審査員特別賞を受賞。各国の映画祭にて上映される。2017年,三作目の長編映画『うろんなところ』が東京国際映画祭,ロッテルダム国際映画祭,台北映画祭,エルサレム国際映画祭などで上映される。2018年,ndic2017にて短編映画『化け物と女』を35mmのフィルム撮影にて製作。2021年,長編映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』が公開される。