2021年12月28日
映画を届けるために大切なこと
映画監督・和島香太郎
母親が遺した家で一人暮らしをする初老の男性がいます。彼には軽度の知的障害と自閉症があり、親族と福祉サービスの支えを受けています。その日常を記録したドキュメンタリー映画に編集スタッフとして関わったことがあります。撮影の手伝いで男性の自宅に訪れたこともあります。寝室の隅の仏壇には、お母様の遺影が飾られていました。彼女は息子の障害について親族にも相談できないまま亡くなったそうです。「息子のことは自分が誰よりも理解している」という強い思いと、ひとりこの世を去る時の悲しみが部屋の中に漂っているようでした。

©︎2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
男性は地域の中で孤立していました。自閉症を原因とする言動が近隣住民との溝を深めていたからです。この現実を捉えようとしても、苦情を訴える住民にカメラを向けることは許されませんでした。しかし、劇映画という方法であれば、双方の視点から孤立の問題を描くことができると思いました。これが『梅切らぬバカ』という映画の発端です。
本作は文化庁委託事業「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」に私が選出され、その長編映画実地研修作品として監督と脚本を務めたものです。地味な内容のために興行の先行きを案じる声もありましたが、ハピネットファントム・スタジオが配給・宣伝を引き受けてくれました。

©︎2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
映画の題材を理由に、障害者の現実を短絡的に利⽤しているのではないかと敬遠する方がいるかもしれません。当事者として観る方は、映画が社会に与える負の影響を恐れているかもしれません。宣伝プロデューサーの福田紘子さんは、自閉症のお子さんを育てる親御さんの意見を伺いながら、フライヤーのコピーを検討し、予告編を構成してくれました。その慎重な対話の積み重ねによって生まれた宣材が『梅切らぬバカ』への警戒心を徐々に解きほぐしてくれたと感じています。特に予告編は公開前に350万回近く再生され支持を集めました。その完成度の高さから「本編を超えた!」という声も届き複雑な心境になったほどです。

©︎2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
公開初日の朝はメイン館のシネスイッチ銀座に長蛇の列ができ、「コロナ禍で離れたお客様が戻ってきてくれた」と劇場スタッフが喜んでくれたそうです。上映中はクスクスっと笑い声が聞こえ、上映後には自然と拍手が湧き起こりました。全ての問題が解決する結末ではないので、納得がいかなかった方もいるかもしれません。しかし、多様な反応は多様な現実を表しており、映画館で映画を上映することの意義を改めて感じました。
また、ハピネットファントム・スタジオからの提案で、小さなお子様連れの方や障害のある方にも気兼ねなくご鑑賞いただくためのフレンドリー上映(照明は通常より明るく、音響は控えめ。上映中に席を立ったり声を出すのも自由)とバリアフリー上映(バリアフリー日本語字幕と音声ガイド付き)が実施されることになりました。上映の場にある障害をなくし、従来の鑑賞マナーを見つめ直すことで、様々な立場の方々が映画館に足を運びやすくなります。一つの場面に対するお客様の反応も豊かになるはずです。お互いの笑い声や嗚咽に触れ合うことで、現実の複雑さを知ることができるのも映画館の豊かさだと思います。

©︎2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
先日、映画を観に来てくれたある俳優の方がこんなメールをくれました。
「映画館に来ていたお客さんを見て、確かにこの映画を必要としている人にしっかりと届いている印象がありました。宣伝部の方たちの素晴らしさを肌で感じる体験でした」。
スタッフは「作品の力です」と言ってくれますが、映画を安心して観るための土台を築いてくれた宣伝部の功績は大きいです。これからも映画とお客様との出会いを見守りたいと思います。

©︎2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト

©︎2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
【プロフィール】
1983年4月7日生まれ、山形県出身。
2012年、短編『WAV』がフランス・ドイツ共同放送局 arte「court-circuit」で放送。また詩人黒田三郎の詩集を原作とした短編『小さなユリと/第一章・夕方の三十分』がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭短編部門にて奨励賞受賞。2014年、初監督作『禁忌』が劇場公開。その他、脚本を担当した『欲動』、『マンガ肉と僕』が釜山国際映画祭、東京国際映画祭に出品。2017年1月より、ネットラジオ「てんかんを聴く ぽつラジオ」(YouTubeとPodcast)を月1回のペースで制作・配信。てんかん患者やそのご家族をゲストに招き、それぞれの日常に転がっている様々な悩みと思いを語ってもらっている。