2015年10月6日
チェーホフが描いた“どうしようもない人々”の魅力
新国立劇場制作部演劇(広報担当) 藤沢 花
・ダメ男の元彼を忘れられない中年女性
・夢ばかり語っている30歳手前の大学生
・お金はあるけど,好きな女性に好きと言えない意気地なし
こんな“どうしようもない人々”,あなたの周りにもいませんか ―――?
さて,これはロシアを代表する作家アントン・チェーホフの生涯最後の戯曲『桜の園』の主要登場人物たちです。『桜の園』といえば,1904年に初演されて以来,世界中で上演され愛されてきた名作。なぜ,こんなにどうしようもない人々ばかりが登場する戯曲が,100年の時を超えてここまで愛されるのでしょうか。作者であるチェーホフとは,一体どんな人だったのでしょうか。

2002年新国立劇場公演『櫻の園』より
舞台設定を日本に移し変えて上演されました。
チェーホフは苦労人
チェーホフは1860年,ロシアの港町,タガンローグの商人の家に生まれました。16歳の時に父親が破産,チェーホフは自活を余儀なくされ,家庭教師として働きながら学校を卒業します。19歳で奨学金を得てモスクワ大学医学部に入学,しかし一家の家計を担うため,勉学の傍ら週刊誌へユーモア小説を投稿し原稿料を稼ぎ始めます。これが作家生活のスタートでした。
医師チェーホフ
大学卒業後,本格的に作家となったチェーホフでしたが,医師としての使命も忘れません。32歳でモスクワ近郊の自然豊かなメリホヴォ村に移り住んだ際は,連日多くの村人を無料で診療し,コレラが流行すればその対策に奔走し,働きづめだったといいます。『桜の園』の数年前に書かれた戯曲『ワーニャ伯父さん』に登場する医師アーストロフの台詞に,当時の生活が垣間見えるかもしれません。
朝から晩まで,のべつ立ちどおしで,休むまもありゃしない。晩は晩で,毛布のしたにちぢこまって,今にも患者から呼び出しが来やしまいかと,びくびくしている始末だ。この十年のあいだ,わたしは一日だって,のんびりした日はなかった。(1)

冬のメリホヴォ村。2012年撮影

2002年新国立劇場公演『ワーニャ伯父さん』より
チェーホフが伝えたかったこととは?
さて,『桜の園』のどうしようもない登場人物とは真逆で,チェーホフは作家と医者の二足のわらじを履いた“仕事の鬼”だったようです。あるとき,自身の戯曲についてこんな言葉を残したといいます。
(自身の戯曲が感動的な演出で上演され,観客に涙で迎えられたことに不満を持って)
僕が戯曲を書いたのはそんなことのためじゃない。(中略)僕はただ世間の人々に向かって正直にこう言いたかっただけなのだ。「自分を見よ,君たちみんながどんなに愚劣な,わびしい生活を送っているかを見給え」と。何よりも大事なことは,人々がそのことを理解することだ。そのことを理解すれば,必ずや人々は別の,よりよい生活を作り出すだろう。(2)
医師としても,作家としても“人のために”働いたチェーホフ。作家が“どうしようもない”登場人物に向けたのは,非難のまなざしだったのか,慈悲だったのか,はたまた観客への愛情だったのか……?そこに,この作品の魅力があるのではないでしょうか。

実は若い頃から結核で苦しんだチェーホフ
『桜の園』を書き終えた翌年、44歳の若さでこの世を去ります。
『桜の園』は今年11月,新国立劇場にて上演されます。「ダイナミックな人間ドラマとして再生させたい」というのは演出家の鵜山仁さんの言葉。登場人物たちが迎える結末とは?是非劇場で御覧ください。
―『桜の園』あらすじ―
帝政末期の南ロシア,領地である「桜の園」にラネーフスカヤ夫人一行がある日パリから帰国する。彼女は破産状態にありながらも浪費と享楽的な生活を止められない。そして,ついに先祖代々の美しい「桜の園」は競売にかけられるが……。
新国立劇場演劇 11月公演『桜の園』
(住所)〒151-0071 東京都渋谷区本町1-1-1
- お問合せ
- 【ボックスオフィス】(10:00~18:00)03-5352-9999
- 交通
- 京王新線(都営新宿線乗入)新宿駅より1駅,初台駅中央口直結
- 公演日時
- 11月11日(水)~29日(日)
公演時間は以下のリンクを御覧ください。
http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150109_006139.html - 御観劇料
- A席6,480円 B席3,240円
- ホームページ
- http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150109_006139.html
(1)神西清訳『チェーホフ全集12』(中央公論社、1960)より引用
(2)チェーホフが文学者セレブローフに語ったとされる言葉。原文はСеребров А. О Чехове // А. П. Чехов в воспаминаниях современников. М,. 1960 стр. 655 - 656.
訳文は池田健太郎『チェーホフの生活』(中央公論社、1971)より引用